アネモネ
いご
アネモネ
ここは、聖都デセスペランサ。アネモネ教の聖地であり、私の生まれ育った故郷。
「マリー!」
「あ、オレンジ。もお、遅いよぉ」
「ごめんなさい、神父様のお説教が長くって。えっと、ドレス選びだったわよね! 早く行きましょっ!」
「あ、ちょっと待ってよぉ!」
私は婚姻の儀を明日に控えている。そのため、今日は友人であるオレンジとウェディングドレスを選びに行くことになっていた。
「ねえ、オレンジ。ウェディングドレスを選ぶって言っても、私には違いがよく分からないのよ。どこを見て決めるべきかしら」
世間的に見れば、私は今、とても幸せな時期にあると言えるだろう。
「そうねぇ、やっぱり自分に似合うタイプのものを選ぶのがいいでしょうね」
「なるほどね。でもそれだけだと選びきれないわ。他にはなにかある?」
しかし、私は婚姻の儀が憂鬱でならない。もちろん、パートナーに問題があるなどということはない。私は彼を愛しているし、彼も私を愛してくれている。
「あとはそうねぇ、やっぱり……」
では何故か。それは……
「旦那さんの返り血の色がよく映えるものがいいでしょうね」
婚姻の儀で、愛する人を喰わなくてはならないからである。
アネモネ教はここ、聖都デセスペランサを聖地とし、わが国ではおよそ九十八パーセントの人間が信仰している大宗教だ。
この宗教には特徴的な仕来りがある。それが婚姻の儀だ。その内容は、花嫁が花婿を殺し、喰らい、その身を一つにするというものである。子作りは神父達と行うことになっており、神父にはその年の新成人の中で最も優秀とされる男が選ばれる。この国では――特にこの都市で――これは当たり前のことであった。
しかし、私はこの仕来りに疑問を抱いている。なぜ、愛する者と共に生きてはいけないのか。愛する者を喰らったからと言って、本当に一つになれるのか。
もちろんこんなことを言えば、狂人扱いされ、背信者として迫害を受けるのは明らかだ。そのため、この疑問を誰にも打ち明けたことは無い。母親にも、友人にも、そして恋人にも。
「マリー、どうしたんだ? 帰ってきてから元気がないじゃないか。なにか嫌なことでもあったか?」
ウェディングドレスを選び終え、家に帰ってからぼんやりしていると、私の恋人であるリンドウが気遣ってくれたのか、声をかけてきた。
「い、いえ、そういうわけじゃないの。大丈夫よ、ちょっと疲れただけ」
「そうか。それならいいんだが、あまり無理はするなよ? 最近のマリーはあまり元気がないから心配だ。なにかあればいつでも相談するんだぞ」
「ええ、もちろんよ」
相談できるはずがない。婚姻の儀が嫌だなどと。彼は優しいから、私を咎めることはないだろう。だが私の悩みを告白すれば、精神を病んでいると思われ、診療所に通わせられるのは目に見えている。
それでももしかしたらという思いがあった私は、彼に一つ訊ねてみることにした。
「ねえ、リンドウ」
「ん、どうした?」
「あなたはアネモネ教の教会で育ってきたから、アネモネ教をとても熱心に信仰しているわよね」
「そうだが、それがどうかしたのか?」
「いえ、例えば、例えばよ?私がアネモネ教の教えに背く行為をしたとすれば、あなたはその時どうする?」
「どうすると言われてもな。俺はマリーがそんなことをする人ではないと思っているんだが」
「そういうのじゃ駄目。はっきり答えて」
「やはり、なにかあったのか?」
「いいから」
リンドウは少し腑に落ちないというような顔をしていたが、一つ溜息を吐くと、少し悩むように考え始めた。
「そうだな……」
それからしばらくの沈黙の後、真剣な顔つきで彼が答える。
「まあ、正そうとするだろうな。甘やかすことは愛ではない」
「そっか……そうよね。ごめんなさい。変なこと聞いちゃって。あ、そうそう。今日って食料配給日だったわね。教会までちょっと行ってくるわ。明日の婚姻の儀、最高のものにしましょうね」
「ああ、最高のものにしよう。いってらっしゃい。愛しているよ」
「ええ、いってきます。私も愛しているわ。心から」
彼にそう告げると、私は家を出て、教会へと向かった。
毎週金曜日は教会からの食料配給日である。この街では、アネモネ教の教会から配給されるもの以外食べてはいけないことになっているため、人々が飢餓に苦しむことはまずない。
これはアネモネ教を信仰する人間が多い理由の一つと言えるだろう。
教会へ行く途中、私はさっきの会話を思い出して、溜息を吐いていた。
もともとリンドウは捨て子だった。教会の前に捨てられていたところを神父が発見し、保護。その後、彼は教会で育てられることとなったのだ。
もとより私も、彼の考えを改めさせることができるとは思っていない。彼にとってはアネモネ教が親であり、兄弟であり、親しき幼馴染みでもあるのだから。
やはり、もうどうすることもできないのだろうか。
そうこう考えているうちに、私は教会に到着した。
教会前は配給を受け取りに来た人達で賑わっていた。私はその人ごみをすり抜け、配給品を配っている神父の前に出る。
「すいませーん、配給お願いします」
私がそう声をかけると神父がこちらを向く。
「げ、リアトリス」
「おやおやぁ? 誰かと思えばマリーじゃあないですかぁ。お久しぶりですねぇ。教会学校の卒業式以来でしたかねぇ。あ、そういえば成人式にもいましたか! すいません、私興味の無いことは忘れちゃう人間でして」
「ああ、はいはい。あんたと話すつもりはないから。さっさと配給品をくださる?」
こいつの発言一つ一つがいちいち癇に障る。よりによってこんな全てを見下しているようなやつが私達の代の神父なんて。
「まあまあ、そうおっしゃらず。せっかく昔の想い人と再会したんですからお話させてくださいよぉ。ああ、そういえばあなたは今度結婚するんでしたねぇ。おめでとうございます」
リアトリスは昔、私に告白している。私はリンドウが好きだと言ってふってやったら、急に成績を伸ばし、当時成績一位だったリンドウを抜き去り、神父候補となってからまた私に告白してきた。馬鹿な男だ。私が愛しているのはリンドウの性格そのものだと言うのに。
――こいつさえいなければ。そう、こいつさえいなければ神父になっていたのはリンドウだったのに。
まあ、今更それを言っても仕方がない。それよりも今は気になることがある。
「あんたそれ、誰から聞いたのよ」
「神父なんてやってますと、街中の噂が耳に入ってくるものでしてねぇ。と言いたいところですが、あなたに聞かれては正直に答える他にないでしょう。オレンジですよ。オレンジが先程配給を取りに来た際に教えてくれました。それにしても同期からもう結婚する者が出るとは。つい最近まで学生だったように思えますよ」
「あんたさっき久しぶりとかなんとか言ってたじゃない」
「まあ、そんな細かいことはどうだっていいじゃないですか。そんなことよりその婚姻の儀、私が担当することになりますのでよろしくお願いしますね」
よりによってこの男が式の担当とは……私もついていない。
「頼むから変なことしないでよね」
「そんな変なことなんてするわけないじゃないですかー」
「どうだか。じゃあ、私は明日の準備とかもあるしもう帰るわ。またね」
「はい、また明日」
あいつはそう言うと少しだけ手を振って私を見送ってくれた。良い奴なんだか悪い奴なんだか。オレンジはあいつを気に入っているらしいが、私はあまり好きではない。
目が覚めた。時間は朝の五時。婚姻の儀の準備までには時間がある。リンドウはまだ眠っている。
今日、ついに今日、彼を殺す。母さんは自分の中に父さんが入っている、声が聞こえると言っていたが、そんなはずはない。教会学校で習ったことから考えて有り得ない。母さんや神父達が言っていることはあまりに根拠がなさ過ぎる。本当に声が聞こえているのならそれはただの病気だ。
アネモネ教を創った人間は何を考えてこんな習わしを始めたのだろう。なんにせよ、ろくでもない奴なのは間違いあるまい。だってこんなの……こんなのあんまりじゃないか……!
「マリー?」
気がつくと、リンドウが目を覚ましていた。
「あ、リンドウ。ごめんね。起こしちゃった? ……あれ?」
雫が頬を伝っていた。どうやら私は泣いていたようだ。
「あれ、こんなつもりじゃ……わっ」
不意に出た涙を拭っていると、急にリンドウが抱きしめてきた。
「大丈夫だ、マリー。大丈夫だ」
「……うん」
この時、彼がかけてくれたその言葉は、どこか彼自身に言い聞かせているようにも聞こえた。
少し質素な結婚式場。周りには大勢の友人や家族。目の前にはリンドウがいて、そのすぐ近くには儀式用の剣を持ったリアトリスがいる。
ついにこの時がきた。誓いの言葉を交わし、結婚証明書へのサインも済ませた。
「それでは新婦、聖剣をお取りください」
普段の様子からは想像がつかないような、リアトリスの堂々とした声が響き、剣を渡される。
――今から、殺すのだ。愛する人を。この剣で。
「マリー」
震える私に、リンドウが小さな声で囁く。
「大丈夫だ。俺はお前の中で必ず生き続ける」
「リンドウ……」
ごめんね。心の中でそう呟き、私は彼の首を刎ねた。彼の頭が胴体から離れ、血が噴き出す。白かった私のドレスが鮮血を被り、染まり、元の色をなくしていく。
「うわ……うわあああああああああああああああああああ!」
会場が狂気の拍手と私の咆哮で満たされる。本音を言えば、もう気絶してしまいたかった。しかし、リンドウの最後の願いは叶えてやらねばならない。
私は必死に感情を抑え、彼の屍に噛み付いた。まずは胴体から。彼の内臓を守っていた皮を引き裂き、肉を喰らい、骨を剥がす。現れたそれを、必死に吐き気を堪えながら口に含む。
途中で何度も意識が飛びそうになったが、自分の舌を噛んで必死に耐えた。
彼の血に溺れるかのようにその屍を喰らっていく。気づくと、残っているのは彼の頭部のみとなった。
「……リンドウ。さよなら」
私は彼に一言告げ、その唇にキスをする。そして彼の舌に噛み付くと、そのまま引っこ抜いた。
そこから先はもう覚えていない。後で人に聞いたところ、私は笑っていたらしい。涙を流しながら。
それから一ヶ月後、私は自分の喉を掻き切って自殺した。私に彼の声は聞こえなかったから。
アネモネ いご @15679
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