第9話 紅生姜特盛

 二子玉で会ってから数日、アイさんからは特に重要な話もなく、ただLINEで他愛もない無駄話に付き合わされたりしていた。アイさん曰く「こういう無駄話から恋は生まれるの」なのだそうだ。そしてそこからネタも生まれる。俺としては断然後者に期待しているんだが。

 ただ困るのは、俺が会社にいる間もLINEが来ることだ。ちょこちょこ来るからマナーモードにしておかないとうるさくて仕方ない。お昼休みにまとめて読むんだが……ずっと既読が付かないせいかだんだんいじけていくのがわかる。


▷09:18 やーくもくん! おはよ♡

▷09:36 お仕事中なのかにゃ?

▷09:49 今からお出かけですにゃ

▷10:57 今日は恵比寿に来てます!

▷11:02 全然見てないの?

▷11:14 仕事忙しいのかな?

▷11:31 さみしいなぁ……

▷11:43 今からカフェでご飯。ちょっと早いけど

▷11:50 くすん。やくもくーん……

▷11:53 あのね、今日はクラブハウスサンドとカフェオレなの

▷12:11 あっ! 既読ついた! やっとお昼休みなの?


 とりあえず用件を聞こうか。


◀どうしたんですか。こんなにたくさん送って来て。何か緊急の用事ですか?

▷あ、ううん、八雲君どうしてるかなって思って


 これはちゃんと言っておかないと、どれだけ付き合わされるかわかったもんじゃない。


◀一応私も仕事してますから、勤務時間中のLINEは勘弁してください。

▷ごめんにゃ。怒ってる?

◀怒ってませんから。

▷今日水曜日だし、定時で帰るんでしょ? 会おうよ


 え? 平日に会うのか? どうしようかと迷う間もなく次が来るし。


▷あのね、設定をね、もうちょっと絞り込みたいの

▷あ、舞と伊織の設定ね♪

▷それで、今、恵比寿にいるんだけど。ガーデンプレイス

▷八雲君お仕事終わったら会える? 恵比寿から遠い?


 どんだけ立て続けに送ってくるんだ。返信する間もない。


◀恵比寿ならすぐ近くです。

▷会社どこなの?


 こんな文字データで残るようなところに個人情報を書けるわけねーだろ!


◀会った時に教えます。とにかく近くです。

▷何時に終わるの?

◀五時半です。

▷じゃ、それまで写真美術館とか三越とかウロウロしてるねっ!

▷あ、会社出る時LINEしてねっ!

▷また後でね、ちゅっ♡


 無意識に溜息をついていたのかもしれない。先輩の中村さんがニヤニヤしながら俺の隣に座る。


「ここいい?」

「あ、どうぞ」

「彼女?」

「まさか」


 中村さんはラーメンと餃子だ。俺は冷やし中華。紅生姜特盛。


「お前LINEやってなかったんじゃなかったっけ?」

「無理やり開設させられたんですよ」

「誰に」

「誰だっていいじゃないですか」

「女だな」


 ……ったく、この人に下手な事握られるとロクなことがない。


「中村さん、営業なのにそんな餃子だのラーメンだの、匂いが付きそうなもの、よく昼飯に食べますね。あ、シャツにラーメンの汁」

「え、マジ? これからお客さんとこなのに!」


 冷やし中華もちょっと気を抜くと汁が飛ぶんだよな。


「てか何その紅生姜。主食?」

「いいじゃないですか、紅生姜好きなんですから。問題ありますか?」

「ない。けど、女と会うんだろ? 紅生姜臭いのヤバくね?」

「別に彼女じゃないですし」

「彼女じゃないけど女だよな?」

「ただの趣味仲間ですよ」


 ただでさえ暑苦しい柔道部上がりの中村さんは、冷房の効いた食堂でも十分存在が暑苦しい。その暑苦しい奴がラーメン食ってる横で昼飯食ってるんだ、冷やし中華にしといてよかったと心底思える。


「お前の趣味ってなんか暗そうだよな。ぜってースポーツじゃねえよな。囲碁?」

「勘弁してくださいよ。囲碁なんか出来ませんし」

「写真とか? 絵か? テニスってこたぁねえやな」

「ただの読書ですよ。読書好きが集まるだけです」

「暗っ! くっっっらっ! なーにじじくせーこと言ってんだよ。カラダ動かせカラダ!」

「はいはい、暗いんです」


 知らん顔を決め込んでキュウリを口に放り込むと、中村さんがニヤニヤしながら俺の耳元に顔を寄せる。


「また後でね! ちゅっ! ハート! って書くんだな、ただの読書仲間が」

「なっ、覗いたんですかっ」

「へっへっへ。俺、無駄に視力いーの。読書してないから」

「あれはですね……」

「わかったわかった。一生に一度あるかないかのチャンスの邪魔をするほど野暮じゃねーよ」

「大きなお世話ですよ」


 なんて言ってる間に、中村さんはさっさとラーメンと餃子を胃袋に収めて立ち上がった。


「じゃ、先行くわ。お前まだ食ってんの? いいなぁ開発部はのんびりできて」

「はいはい、開発は呑気なんですよ。営業なんか無理ですよ」

「お前絶望的に口下手だしな!」

「営業できるほど口が上手けりゃ、彼女の一人でもできるんでしょうけどね」

「俺の女一人分けてやろうか?」

「奥さんの他に何人女がいるんですか」

「わかんね。五、六人?」


 ちょっとは隠そうとか思わないもんかね?


「清々しいほどの腐れ外道ですね」

「まあなっ、モテるのも大変なんだぜ」

「地味に喧嘩売ってますか? それよりお客さん待ってるんですよね? 遅刻厳禁ですよ」

「おっと、そうだった。じゃ、お先」

「行ってらっしゃいませ」

「あいよー」


 軽く片手を挙げた中村さんが背中で返事をする。その無駄に分厚くて馬鹿でかい背中を見送りながら、俺は再び溜息をついた。


「恵比寿ね……」

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