第10話 ムール貝

 午後六時過ぎ、俺たちはアイさんイチオシのバルに落ち着いていた。

 お腹減った~と喚くアイさんの為にまずはパエリアを注文し、カーニャで軽く乾杯した。

 さすがにアイさんが「ここのスペイン料理はほんっとに美味しいんだから!」というだけの事はある。ムール貝やアカザエビ、イカに白身魚がたくさん入って、サフランの黄色が食欲をそそるパエリアは、一口食べただけで今日の仕事の疲れが吹っ飛ぶ美味しさだった。


「これ、めちゃくちゃ美味しいでしょ? ここのパエリアはあたしが今まで食べた中で一番美味しいの」

「そうですね。他の料理も美味しいんだろうな」

「うん、ファバーダも美味しいんだよ。お豆好き?」

「え、ああ、好きです」

「じゃ、それも食べよっ! トルティージャと、ポルボ・ア・フェイラもね!」


 一人で勝手に決めて勝手に注文してる。全部宇宙語だが、俺としては楽チンこの上ない。

 さて、落ち着いて見まわしてみると、壁にはなんだかよくわからないスペイン語っぽいポスターのようなものがあったり、無造作にドライフラワーが下がっていたり、カウンターにはオリーヴの塩漬けがぎゅうぎゅうに入った瓶が置いてあったりして異国情緒満載なんだが、どうやらお店のオーナーは日本人のようだ。メニューはスペイン語と英語と日本語で書かれていて、どんな料理なのか軽く説明が付いている。とても親切な感じだ。

 ワイン樽の上に丸い板を打ち付けただけのようなテーブルが七、八席くらい、カウンターも十人分くらいの椅子しかない、小ぢんまりしたお店だ。周りのお客さんは四十代~五十代の人が多い。まあ、恵比寿だからね。ビール飲むところは他にいくらでもあるからね……。


「アイさん、こういう隠れ家的なお店いっぱい知ってるんですね」

「うーん、そうだね。あんまり人がいっぱいいるところって好きじゃないの」

「へえ、意外ですね。でもそのお陰でこんな美味しいパエリアにありつけた」


 俺が笑うと、アイさんはめちゃめちゃ嬉しそうにするんだよな……。


「でしょっ! あたしとデートすると、いいとこいっぱい連れてってあげるんだからね」

「は? デートですか?」

「うん!」


 おいおい、打ち合わせじゃなかったのかよ……とツッコミを入れたいところだけど、なんだかアイさんが可愛くて許せてしまう。


「じゃ、デートと言う名の打ち合わせをしましょうか」

「あーん、もう! 少しくらいデート気分味わおうよ~」

「もう十分ですよ」

「冷たいなぁ、八雲君は。あたし今週ずっと会いたいの我慢してたのに」

「ずっとって……三日会わなかっただけじゃないですか」

「三日も空いたんだよ? あたし偉いと思わない? こんなに我慢してたんだから」

「は?」


 ああ、また「は?」のカウントが始まった。まあ、いいけど。


「設定ですけど、何を決めたいんですか?」

「舞と伊織の趣味とか。だってこれからこの二人は恋に落ちるんだよ?」

「とは限らないんですよね? 伊織は八雲まんまなんでしょう?」

「大丈夫! 絶対に恋に落ちるから!」


 なんだこの根拠のない自信は。


「じゃあ、まあ、恋に落ちるとして。趣味ですか」

「うん。あたしね、写真撮るの好きなの。だから舞も写真撮る人にしようかなって思うんだけど、八雲君と趣味が全然被らないと話にならないから」

「それならちょうどいいですよ。私は絵を描くのが好きなんです。写真と絵だったら、趣味合いそうじゃないですか?」

「いいね! 美術館デートとか!」


 ってところでトルティージャとファバーダとかいうのと、全然名前のわからんものが運ばれてきて、アイさんがサングリアなんか追加で頼んでる。


「これ、何ですか?」

「白インゲンとチョリソーの煮たやつ。美味しいよっ! こっちはジャガイモのオムレツ。こっちはタコね。オリーブオイルとパプリカかけたやつ」


 オムレツと言っても、これ、ケーキみたいだ。ホールケーキをカットしたような三角の形になっていて、切り口からほうれん草とかジャガイモとかベーコンみたいなのがチラリと見えている。フライパンサイズのバカでかいオムレツなんだろうな。

 こっちはトマトベースなのか、豆とソーセージが煮込んである。これは見るからに濃厚な感じだ。日本で豆料理って言うと、昆布と大豆の煮たのとか、正月の黒豆とか、そんなのしか浮かばないが、こうなると十分ワインのつまみになるな……って、サングリア注文してたな。


「最初にカバンを取り違えた日に、二人はイチゴパフェを一緒に食べて、それで意気投合して美術館デートでいいでしょ?」


 イチゴパフェって言ってチョコレートパフェ食べてたじゃないか。


「伊織は意気投合してないかもしれませんよ」

「いいの、舞が伊織を誘って無理やりデートしちゃうの」

「今と同じ状況ですね」

「考えやすいでしょ?」


 全然萎えないな、この人。まあ、それくらいの方がキャラとしては面白いか。


「一緒に景色のいいところに出かけて、舞は写真を撮りまくって、伊織は絵を描きまくるの。舞はそういう場所をたくさん知ってて、伊織を誘う。伊織はもともと静物画ばっかり描いていて風景画をあんまり描かなかったから、舞に連れ出されて風景画に目覚める。どう?」

「いいですね。それで一緒に出掛けるようになる」

「そうそう。伊織は舞に興味はないんだけど、舞が景色の素敵なところをたくさん知ってるから、連れてってもらうの。利害関係が一致したってやつ?」

「そこから恋に発展させるんですか」

「そーゆーことっ! さーて、どうやって発展させようかな~」


 アイさんは楽しそうに笑うと、運ばれてきたサングリアに口を付けた。

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