風立つ。

暫しの沈黙が落ちるが、作業に必死な一には気になるところではない。


マラソンマンとしても、取り立ててお喋り好きでもないので沈黙が気になるわけでもなかった。


その後、お稲荷さんの方を見てまた靴に視線を戻す。


「あのお供え、毎朝やってるのは君?」


頭を上げて、おいなりさんのある小さな祠が僅かに見える角度まで首を傾ける。


本日いくつ目かの“やっちまった”行為っぽいのでテンションも下がっていた。


悪いことをて叱られるのを分かっている子供のように、ビクビクしながらマラソンマンの顔を覗き見る。


「そう、やけど...あの、もしかして勝手にやったらあかんかった?」


その土地の自治体やなんかでは、お供えに野良猫や野良犬が寄ってくるため控えるようにするところもある。


越してきたばかりでそれを知らず、また、そういう取り決めがあるのことを考えもしなかった一には一定の平穏を乱した時と同じ動揺が走った。


「いや。知らない。別にいいんじゃない?誰に迷惑かけてるわけでもないし君毎日取り替えてるし。まぁ、僕には理解できない行動だけどね」


あまりの引きのよさ、自分ではあり得ないあっさりした話し方、寒色がよく似合うマラソンマンの物言いは一にとって初めてのタイプなので色んな間合いが掴みにくい。


どこまで突っ込んでいいのか、どこまで会話を広げていいのかは彼から漂う空気から悟るのはなかなか難しいものがある。


お供えが理解できない行為だと、下手をすれば冷たい人種である印象を第三者に与えかねない発言に一の心が胸騒ぎを感じた。


明け透けも無く、相手の反応も気にすること無く言えるランニングマンの“自分”というキャラの確立を垣間見た気分で、寂しく見える。


なんとなく、寂しげに見えた。


マラソンマンの言葉に何か返せるでもなく、それからまた暫く無言が続いて、辺りには風の音と一が時おり靴を擦る音だけが響いた。


土と同化して茶色くなったご飯粒が、きな粉のまぶったおはぎみたいとか頭の隅で思っては取り除く。


それを繰り返し繰り返し、数えきれないほどした後一が一旦手を止めてマラソンマンに向き直った。


「...あの、え....と、あなたは部活か何かに入ってますか?」


目が泳いでいて、視線を合わせず後ろめたそうな態度からすぐにピンと来たマラソンマン。


眼鏡の向こうからしっかり一を見つめて、小馬鹿に失笑した。


「なるほど、取れないんだ」


“どうしたの?”等と優しくなく、頬杖をついた彼はクッションを入れずに少し挑発めいて言葉を投げる。


「やぁ...、あの、取れるのは取れるんやけど、朝練とかあったらそれには間に合いそうにない...ような」


普段ははきはきものを言う一の、珍しい口ごもり。


自分に非がある場合ははきはきできない分かりやすさ。


あれだけ頑張って取れたのは上っ面の大きな粘りけを含んでいないものだけとなると、はきはきできる要素もない。


このままでは相手の朝練に差し障りが生じてしまうので、ただの趣味で走ってくれてたらなぁ...なんて期待を乗せて聞いてみた。


「朝練はある」


予測90パーセントを越える答えに、がっくり肩を落とすしかない。


無ければもう少し時間を貰えたかもしれないのに。


だが、同年代の誰かが朝から自主練する理由なんて部活がらみと相場が決まっている。


「遅刻厳禁?必ず参加??」


「どうなんだろうね。休んだこと無いから分からない」


まるで他人事、仮に遅刻しても自分には関係ないと言った物言いのマラソンマンに比べて一の焦りは半端無い。


「うぅ...うぅ...どうしよう、マラソンマンさんの靴このまま返されへんしだからって遅刻もさせられやんし...」


込め粒まみれの手で頭を抱え、身動き取れない状況に冷や汗にも似た嫌な毛穴の開きを覚えた。


マラソンマンの飛び付くところはそこではなく、眉間にシワを深く刻んだ彼が“待った”の仕草で一に手のひらを向ける。


「ねえちょっと、何?今なんて言った?マラソンマンさん?それもしかして僕のこと?」


喜んでいるとは思えないなんとも複雑な表情。


「え、あ、うん。だって名前知らんし、それが妥当かなと」


そんなところに食いついてくるとは思ってなかった一が、疑問符を浮かべた頭を抱えたまま顔を上げた。


「どこが。よくそんな名前で人のこと呼ぶよね君」


「じゃあ何て呼んだらいいん?」


「呼ばなくていいし呼ぶほどでもないでしょ。靴返したら終わりなんだから」


一度話をすれば知り合い、二度目からは友達といったノリの一にとって今の一言は友達になる気も知り合いになる気も無いと言われたも同然。


この出会いの時間も出会ったことも、話をしたことも刹那的なものでしかない事を表しているとしか取れなかった。


心が急激に寒くなる。


「......自分、寂しい言い方するんやね。それやったらそんな刹那的やったらマラソンマンでもええんちがうの?」


「駄目だよね。そんな呼び名で呼ばれていたなんて僕にとっては汚点にしかならないんだから止めてもらえる?」


最初の会話から薄々感じていた。


合理的に物を考え、無駄の無い言動と動きから自分とは違うものがあるのだと。


冷めていると言うより、何事からも一線を引くといった雰囲気。


言葉を選ばず、相手のことなど考えることもせず、正しいと思ったことをそのまま口にする素直とはまた違うストレートさ。


「そこまで言うんや。辛辣な人やね」


「恥にしかならない記憶はいらないからね」


そこまで言われて引き下がれる素直さではない一も、別の意味でのストレートを持っている。




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