二話 風立つ。
風立つ。
まだ夏は来ていないというのに、朝から激しい暑さがお目見えしている今日この頃。
けれど早朝、一が自転車を漕いで登校するこの時間帯はほんの数時間後の暑さが嘘のように涼しい。
激しく足を動かしているというのに汗一つかかず、それどころか少し肌寒くさえ感じるほどだ。
「やっぱ山やわ」
厳しい坂を登りきり、いつもの場所で朝食を摂っていた一が辺りの木々を眺めながら独り語ちた。
緑豊かなこの景色の中で、毎日巨大おにぎりを頬張れることに普段ならそう強く感じない喜びと至福を感じている。
街を一望できるといって過言ではない高台からは心地よい風が通り、木々が作る影は外気を幾度か下げてくれているため蒸し暑さは皆無。
それに、近くにあるお稲荷さんという神秘的な雰囲気が五感や感情もより引き上げている気がしてならない。
この場所にあまり人が寄り付かない事実が一には未だに信じられなかった。
「もっと早く起きたら朝錬も行けそうやけどなぁ...」
さすがにキツイわ...未練無く断念した頭に、昨日の部活終了時のやり取りが思い起こされる。
昨日、あのゲリラ的練習試合が強行された後一の朝錬についてどうするか議論がなされた。
のだが、その前に。
有無を言わず無理矢理参加させられた一が、男子部員プラス監督にマジギレの苦情を叩きつけていた。
正直、本気で、シャレにならなかった。
揺さぶりのジャンプフローターサーブから始まって、ウィングスパイカー的役割でいきなりスパイク用のトスを上げられ、あげくの果てには普通に速効攻撃まで返される始末。
もちろんそれを全部こなせたわけではなく、大半が逃げ腰という間抜けな姿を曝した。
だが飛んできたボールから逃げるのはバレー経験者としてのプライドが邪魔をして、気持ちとは裏腹に立ち向かっていくという勇敢さも披露したり。
前向きでバレー大好きとも取れる行動に気を良くした面々が、自分のスペックも考えず調子に乗ったのだ。
どこが遊びの何が本気じゃないんだと切れるのも仕方がない内容だった。
サポーター無しでボールを追いかけたおかげで膝は青アザまみれ、あちこち打ち身も目立っている有り様だ。
キレるのも無理無いだろう。
椎間板もヘルニアだ。
傷めこそしなかったけれど、熱くなると無茶なプレーだってしてしまう。
一のやり方次第だけれどもだ、反射と本能で飛び付いてしまうのだからセーブしろと言う方が難しい。
コート内に引きずり込まれたとき、ヘルニアであることを告げなかった自分を恨んだ。
そんな諸々も込めて激怒した。
散々一頻り一が怒り、早くも姿を見せ始めた青アザやら打ち身やらの影響も手伝って部員たちもコーチもはしゃぎすぎたと深く反省した。
その流れのまま、マネージャーとしての仕事がどんなもので何をすればいいのか一が詰め寄ったのだ。
マネージャーの仕事の中には部員たちのタオルなどの洗濯もあるため、朝錬終了後に洗濯機を回すのなら参加しなければならない。
けれど、一の住所と通学手段と通学にかかる時間を聞いた部員たちは声を揃えて「免除」を宣言。
一としてもこれ以上の早起きは無理が見えていたため、社交辞令の「でも...マネージャーやから」何て姿を見せること無く免除に甘えた。
今までもマネージャーが途切れ、マネージャーがしていたことを部員それぞれが代行していたことも少なくないので、一が朝錬に顔を出せなくてもさして支障はでないのである。
ということで、いつも通りいつもの時間にいつもの場所で朝食を摂っているのだ。
そしていつも通り、マラソンマンの登場を何気に待っていた。
今日も走ってくるのだろうか、彼は。
気になり始めると気にしてしまうもので、一の中であのマラソンマンは一つのやる気スイッチ的存在になっている。
一がここにいる理由は登校するためで言わば最低限求められる行動、避けられないことだ。
けれどあのマラソンマンはそれにプラスアルファされた理由で早朝から起きてランニングをしている。
そこが一とは違う一のやる気スイッチを押す要素となっていた。
学校へ行く前、または朝錬に向かう前にまだ更に運動をしてから普段の生活を過ごすというスタンスは、はたから見ても自分も頑張らねばという気にさせられる。
彼がもしランニングのあと何かの部活の朝錬へ行っているのなら、恐らくその可能性も高いだろうから一の“一個人”としての評価が上がるのだ。
もしも学校が近くて、こんな朝早くから起きる必要がなければ一も今ごろはまだ寝ているはずだから。
朝錬までに間に合う時間に起きて、プラスアルファな事などしない。
だから、ああやって毎日自分自身の向上を目的とされる行動に勤しむ存在には一目おいてしまうのである。
まぁ、見た目がかっこいいので更にそのやる気にも拍車がかかるという理由もあるのだが。
彼、マラソンマンはかっこいい。
というより、美しい...という表現が相応しいか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます