第5話 虹魚を手土産に

「まあまあ、どうしたの? びっくりするじゃないの」


 エリンはあたしの顔を見た途端、破顔した。淡い金髪を後ろで編み込んでぐるりと頭に巻きつけたエリンは、よく似た小さな女の子を腕に抱えている。


「うん、どうしてるかなと思って。元気そうだね。その子は?」

「三人目よ。キリエって言うの。キリエ、ご挨拶なさい」


 エリンに促されて少女はくりくり目であたしとユーリを見たあと、小さい声で「こんにちは」と言った。

 あああ、なんて可愛いんだ。エリンの小さい頃はこんな感じだったんだろうなあ。パーティの中でも一番モテモテだった彼女は、結局一番ゴツい戦士グラールを選んだわけだが、グラールに似なくて本当によかった。

 それから、エリンは担いでいる籠に目をやった。あたしは床に籠を下ろした。


「手土産に虹魚釣ってきた。あんまり釣れなかったんだけど、ユーリががんばってくれて」


 隣に控えるユーリをちらりと見ると、ユーリは相変わらずの無表情だ。

 本当は一人で来るはずだったんだけど、ユーリがいたおかげで虹魚をたっぷり釣れた。あたし一人で釣った虹魚は四匹で、手土産と呼べる量じゃなかったから、とても助かったのだけれど。


「そうなの? ユーリ、ありがとう。でも、こんなにいっぱい食べ切れないわ」

「大丈夫だ、干物にすれば保つ」

「そうね……あの、クラン、悪いのだけれど手伝ってもらえる? 実は……」


 エリンは言葉を濁らせたあと、お腹をそっと撫でた。ということは……四人目がすでにお腹にいるのだ。

 あたしはにっこり微笑むとうなずいた。


「もちろん」

「悪いわね。四匹は残してあとは開いてくれる?」

「構わないよ、突然押しかけたのはこちらだから。台所、借りるね。どっち?」

「助かるわ。こっちよ」


 降ろした籠をもう一度担いであたしはエリンの後について家に入った。

 街から少し外れたところに立っている一軒家は広く、キッチンはダイニングも兼用になっているせいか、大きなテーブルに八つの椅子が置いてある。裏口から出て井戸端に籠を下ろすと、エリンが大きなまな板と包丁を持ってきてくれた。


「残り四匹はどうしたらいい? エリンは確か揚げたのが好きだったよね?」

「覚えててくれたのね。ええと……ああ、じゃあ八匹残してくれる? 子供たちも揚げた虹魚が大好物なの。時々グラールが取ってきてくれて、その時は皆で争奪戦になるのよ」

「じゃあ、今日はたっぷり食べてもらえるな。ざると鍋はどこ?」

「こっちよ」


 大きなざると鍋をいくつか借りて井戸端に戻るとまな板の前に座り込んだ。

 虹魚は六十センチほどの体長で、身の部分が分厚い。全部引っ張り出して並べ、小さい方から順に開きにしていく。

 内臓をかき出し、エラを抜いてざっと水洗いしてからざるに山積みする。こういう作業は嫌いじゃない。海辺の街で育ったせいか、魚には抵抗がないし、魚を捌くのは父親の仕事だった。こうやって井戸の側で魚を次々と捌いていく父親の姿を見ていたおかげで、魚をおろすのだけは得意だ。

 開き終わった魚に塩をすり込んで、乾いたざるに広げて置いていく。ざるを取り上げてキッチンに戻ると、エリンはお湯を沸かしているところだった。さっきまで抱っこされていたキリエはいない。


「クラン、もう終わったの? 早いわねえ」

「いや、揚げる分はこれからだよ。これ、どこに置いたらいい?」

「ああ、そうね。グラールが帰ってきたら屋上に上げてもらうから、裏に置いておいてくれる?」

「分かった」


 平屋だと思ってたけど、屋上があるのか。確かに地面に置いておくよりは安全かもしれない。この辺りは野犬や野良猫がいるのだろう。

 三つのざるをキッチンの裏手に並べると、残りを捌く。揚げ物用だから三枚におろして、一口大に切って鍋に放り込んでいく。八匹分の虹魚の切り身はあっという間に鍋三つに山積みとなった。

 鍋をキッチンに持ち込んで、井戸端を綺麗に片付ける。流石に魚の血の匂いが残っていると野犬たちを呼びそうだし、水を汲みに来た時に悪臭に悩まされるのも嫌だろうし。

 水で流しているとエリンから呼ばれた。内臓とアラの入った鍋を持って戻ると大きな鍋にお湯が湧いていた。中にハーブが浮いている。


「お疲れ様。水で流したあとにこのお湯を撒いておいてくれる? それで匂いは飛ぶから。本当は持っていければよかったんだけど」

「いや、大丈夫」

「内臓とアラは分けておいてくれたのね。覚えてくれてて助かるわ」


 エリンは嬉しそうに言う。エリンの使っていた使い魔の好物が魚の内臓だったと思ってたんだけど、やっぱり変わってなかった。鍋を持ってエリンは奥に引っ込んだ。

 お湯を流して井戸の周辺は血の匂いがほぼ消えた。鍋をキッチンに戻して揚げ物の準備に入る。

 まだ昼過ぎぐらいの時間帯だけど、八匹分の揚げ物は仕込みの時間もそれなりにかかる。

 戻ってきたエリンに粉や調味料のありかを聞いて、さっさと始めることにした。


「それにしても、ユーリは変わらないわね」


 キッチンの椅子に座ってあたしの作業を眺めながらエリンが口を開いた。そういえば、ユーリのことをすっかり忘れてたけど、どこに行ったんだろう。


「ユーリは?」

「子供たちが昼寝から起きてきて、さっきから表で遊んでもらってるの」


 ユーリが子守り。それはそれで珍しい気はしたが、考えてみればこの間の養護院でも結構子供たちには人気だった。シスターたちも喜んでいたっけ。


「ユーリが子供の相手をするなんて思わなかったのよね。昔は子供嫌いじゃなかった?」

「そうだっけ。よく覚えてないな」


 パーティを組んで仕事してる時に子供絡みの依頼もあったけど、確かにユーリは子供に近寄らなかった。だから嫌いだと思っていたんだけど、本当は違うんだって、教会の仕事をするようになって知った。

 自分が笑わない――思ったように笑えないから、子供が怖がって泣くのが嫌だと、ユーリは言った。だから、教会の仕事で孤児院や養護院の子供たちと話すときにはあたしが茶々入れして親しみやすくほぐしてた。

 子供たちは素直だ。自分に敵意を持っていないと分かれば、無表情のユーリはむしろいじる対象となりやすかったみたいで、よくからかわれてたっけな。何をやったり言ったりすればユーリが表情を変えるのかを観察してるのだ。

 そんなこともあって、ユーリが子供嫌いじゃないことは分かったのだが。


「ねえ、クラン。あなたユーリが好きなんでしょう?」


 エリンの言葉に思いっきりむせた。虹魚につける粉が盛大に舞う。それを見てエリンは慌てて水を持ってきてくれた。


「ごめんなさい、大丈夫?」

「だい、じょうぶ。……エリン、なんでそんな話になるわけ?」

「だって、パーティが解散して、あなたとパートナーを組んで何年になるの? あのユーリがこんなに長くパートナーを変えないなんて、なかったもの」

「いや、それ、話がつながらないけど。なんでそれであたしがユーリを好きな理由になるわけ?」


 粉をつける作業を再開して、あたしは聞いた。

 エリンの言い方なら、ユーリがあたしを気に入って側に置いてるって話になるんじゃない。でも、そんなことはないと思う。


 ――あくまでも、ユーリとあたしとの関係は、あの約束……契約に基づいたものだもの。


 ユーリを一人にしない。置いてけぼりにしない。それだけ。


「だって、あなたももう適齢期でしょう?」

「だから、なんでそれが」

「結婚、したくないの?」


 エリンがかぶせて言う。ああ、そうだった。エリンって恋する乙女脳の人なのをすっかり忘れてた。だから一人で来ようと思ってたのに。

 というか、ユーリと組んでいる間は絶対ここには来ない、と決めてたのに。

 あの時、あたしがどこに行く気だったのか、を聞き出したユーリが強引に次の行き先として決めたんだ。

 確かに、ギルドからの報奨金はたっぷりで、すぐ次の仕事をしなきゃならないほどではなかったから、しぶしぶ承諾したんだけど。


 ――マズったなぁ。


「エリン。ここにいる間にその話、ユーリの目の前でやったら二度と来ない」

「ええっ、ひどいわ」

「ひどくない。てか、少しはあたしに気を使ってくれない?」

「いいじゃないの、女同士なんだし、こんな話、他の人や、ましてやユーリには話せない話でしょう?」

「だからって、エリンに話す話でもないよ。この話はこれでおしまい。エリン、天ぷら鍋準備してくれる?」


 強引にぶった切って、作業に戻る。

 揚げ物が終わるまで、あたしは一言も口を開かなかった。

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