第6話 夫婦の問題

 夕飯前に玄関先が賑やかになったかと思ったら馬鹿でかい声が聞こえた。グラールに違いない。

 揚げ物に取り掛かっていたあたしは迎えに出るエリンの背中を見送った。


「ただいま、ハニー。子供たち。元気にしていたか?」


 グラールの声と、子供たちの嬌声が聞こえる。その声が次第に近くなってくる。


「クラン、よく来てくれたなあ。ユーリはどうした?」


 グラールの声に振り向く。丁度唐揚げを取り上げたところで、あたしは菜箸でそれを挟んだまま振り返った。


「グラール、お久しぶり。揚げ物してるから話はあとで。ユーリは表にいたんじゃないの?」


 料理に取り掛かったあと、彼とは会っていない。遊んだあと昼寝に入った子供たちとは別れて、どこかに行ったのだろうか。それにしても、一言言ってくれればいいものを。


「ああ、それなら子供たちと一緒に昼寝に入ったはずだから……可愛い子たち、お兄ちゃんを起こしてきてくれる?」


 はーい、と二人は部屋に戻っていく。ということは本当に子供たちと一緒に昼寝したのだろう。


「へぇ。ユーリが子守りねえ」

「あなた、先に手足と顔を洗ってらして。泥だらけですわ」


 グラールはテーブルの自分の席に座ろうとしたが、エリンに追い出された。タオルを持っていったエリンとグラールが井戸端から戻ってきた頃には子供に連れられてユーリも戻ってきた。


「おう、ユーリ。久しぶりだな。元気にしてたか?」

「ああ、お前もな、グラール。留守中に上がり込んで済まない」


 グラールに促されてユーリは席に座った。子供たちも自分の席にちょこんと座る。エリンはキリエが泣いていると席を外す。

 あたしは揚げ物を続けながら出来上がっている料理をテーブルにセッティングしていった。

 もちろん中央には揚げたての虹魚の唐揚げの山盛り。その隣に新鮮野菜を使ったサラダとスープ。丸パンをスライスしたものも並べる。


「おお! これは虹魚の唐揚げか! 俺も子供たちも大好物なんだ。よく覚えてたな」

「当たり前でしょ。唐揚げはまだまだ追加するから、温かいうちに食べて」

「お前も一緒に食べろよ」

「まだ半分も揚がってないのよ。大丈夫だから」

「お、おう、すまんな」


 グラールが客としてのあたしに気を使ってくれているのをありがたく受け取っておく。

 食前の短い祈りをしたあと、皆は虹魚の山に取り掛かった。

 エリンが戻ってきて席についた。キリエはおとなしく眠ってくれたのだろう。母親業は大変なものだ。


「そうそう、残りの虹魚は開いて外のざるに並べてあるから。エリンが屋上に運んで欲しいって言ってたけど」

「ああ、それならさっき上げておいた。すまんな、あれだけの処理、大変だっただろう?」

「別に、魚を捌くのは好きだからね。ほとんどユーリが釣ってくれたのよ」

「そうか、ありがとう、ユーリ」

「いや、土産にしようと言ったのはクランだから」

「クランもありがとう」


 こちらに軽く頭を下げるグラールに手を振る。

 いい奴なんだよな、ほんと。パーティを組んでた時はパーティ一の脳筋って言われてたけど、人情もそれだけ厚い。エリンが惚れたのもわかるというものだ。


 残りの半分を揚げたところで振り返ると、テーブルの上の皿はすでに空っぽになっていた。苦笑しながら皿を取り替えると、すぐにあちこちから手が伸びてくる。

 ほんと、好きなんだなあ。

 準備した虹魚の残る四分の一を揚げ終えて最後の皿を手に振り返った時には、二皿目もほぼ空だった。

 皿を入れ替え、残っていた分を自分の皿に乗せて席に着く。


「お疲れ様、クラン。ごめんなさいね、全部お願いしちゃって」

「構わないよ、それにこれだけ作ったのは久々だから、味の方はちょっと自信なかったんだけど」

「すっごく美味しい。懐かしい味だわ」


 その賛辞を素直に受け止めて、自分の皿の唐揚げに手を付ける。かりっかりに揚がった虹魚は少し冷め始めていたがやっぱり美味い。

 パンに挟んでも美味いのだ。残るようなら弁当に使おうかと思っていたが、顔を上げた時にはあれだけあった山も半分以下になっている。この様子だとほぼ残らないだろう。ちょっと残念だ。

 食事を済ませて眠たげな子供たちをエリンが部屋に連れて行く。グラールは戸棚から琥珀色の瓶を取り出した。


「ここからは大人の時間だ。っと、お前たち、今日は泊まっていくんだろう?」


 グラールの言葉にあたしはユーリを振り返った。ユーリは少しだけ眉を下げてあたしを見返す。本当は泊まりたくないのだ。


「悪いけど、宿を取ってあるのよ。日が変わる前には引き上げるよ」

「そうか。じゃあそれまでは付き合え」


 コップを三つ出して液体を注ぎ分ける。目の前に置かれたコップを手にして捧げるように持ち上げるとグラールとユーリも。


「今日は来てくれてありがとう、ユーリ、クラン。何年ぶりだっけな。パーティが解散して」

「四年……五年になるのかしら」

「ああ、そんなになるのか。俺達も年を取ったもんな」


 少し弱々しくグラールが笑う。

 あたしもユーリももう二十を半ば越えた。いつまでも根無し草の冒険者を続けられるわけじゃないのは分かっている。

 でも、行けるところまでは行きたい。ユーリの探す女性を見つけられるまで。


「それより、君たちが元気そうでなによりだ。今も冒険者は続けているのか? グラール」

「まあな、子供たちが独り立ちできるまでは元気でがんがん働かないとな」


 力こぶを作る素振りをみせて、グラールは快活に笑う。戻ってきたエリンもくすくすと笑った。


「そういえば、この間カインに会ったぞ」


 続くグラールの言葉に、エリンは隣で笑みを消して眉をひそめた。


「あら、懐かしいわね、その名前。元気にしてた?」

「まあな。他のパーティに参加してあちこち飛び歩いてるらしい」

「カインは人当たりがよかったからな。元気ならいい」

「ああ、忙しいらしくてな。うちに寄れと言ったんだが、すぐ次の街に旅立って行ったよ。お前たちならそのうちどこかで遭遇するんじゃないか?」


 あたしは肩をすくめ、ちらりとエリンを見た。ようやく詰めた息を吐いたようだ。まだカインのことを気にしているんだ。


「どうだかね。大所帯の部隊とは仕事もバッティングすることないし、鉢合わせたら面倒だからルートも分けることが多いからね」

「そうか。他のメンバーに会ったことは?」

「ないな。俺たちは街道や宿場を使わないことのほうが多い」


 もう何年も前に散り散りになったんだ。どこで何をしているか、知るすべはない。

 エリンとグラールのように、幸せな家庭を築いて平和に暮らしているなら、それでいい。相変わらず冒険者として戦っているなら、命だけは大事にして欲しいと思う。


「もう一杯どうだ」

「ああ、もらおう」


 エリンはそわそわと時が経つのを待っている。

 あたしは、何も言わずに杯を重ねる。ユーリには悪いけど、今日はこのまま帰れない。

 強い酒で視界が霞んできた。

 気持ちよく酔いが回ってきたところであたしは立ち上がった。


 ――ちょっと酔っちゃった。酔いさましてくる。


 そう言おうとしたのに、目が回って本当に倒れ込んだ。

 グラールの声が遠くで間延びして聞こえる。

 酔ったフリするだけのつもりだったのに、こんなに酔うなんて。久しぶりに飲んだせいかしら。

 ぐるぐる回る世界に気分が悪くなって、今度こそ本当に意識を手放した。



「クラン」


 目を開けたらランプの光が眩しかった。手で影を作ると、すぐにランプが視界から消えた。


「大丈夫か」


 看病されるのは何度目だろう。ああ、無様なところしか見せてない気がする。

 銀髪のユーリは心配そうに顔を覗き込んでいる。


「大丈夫。ちょっと飲み過ぎちゃっただけ。ここは?」

「エリンとグラールの家。部屋を準備してくれた」

「そう……悪いことしちゃったな」

「水、飲むか?」


 ユーリの言葉にのろのろと上体を起こす。頭が割れるように痛いのは仕方がない。

 差し出された水を飲み干すと、あたしは口元を拭った。


「お前――エリンに話があったんだろう?」

「うん……酔いつぶれるまで飲むつもりはなかったんだけど、強い酒だったんだね。ユーリごめん、本当は泊まりたくなかったんでしょう?」

「それはもういい。こんな夜中に泥酔した君を担いでいくほど無謀じゃない」


 ああ、怒ってる。まあ、仕方がない。


「エリンは?」

「グラールと部屋に引っ込んだ」

「そっか、仕方ないわね。……ユーリもありがと。もう大丈夫だから、自分の部屋に戻っていいわよ」

「それが……」


 不意にユーリは視線を外し、俯いた。


「……客間は一つしかないそうだ。俺は昼間寝たから、眠くない」

「嘘。顔にめいっぱい眠いって書いてあるよ。……寝ずの番交代」


 酒はまだ抜けてないけど、目は冴えてきた。

 立ち上がろうとすると、ユーリに肩を押し戻された。


「いい、一日料理をしてたお前のほうが疲れてるはずだ。寝ておけ」


 その時、控え目のノックのあと、細く扉が開いた。寝間着の上からガウンを羽織ったエリンが立っていた。


「二人とも起きてるの? 声が聞こえたけど」

「エリン? ごめん、喧しかった?」

「それは大丈夫だけど。クラン、もう大丈夫なの?」

「ああ。心配かけてごめん。思ったより強い酒だったみたい。――エリン、少しだけいい?」

「え……それは」


 エリンはちらとユーリに視線を走らせた。その意味を理解して、ユーリは腰を上げた。


「少し外の様子を見てくる。クランを頼む」

「え、ええ」


 エリンと入れ替わりにユーリは出ていき、エリンは枕元に座った。


「まずはごめん。泥酔するつもりはなかったんだ。迷惑かけちゃってごめん」

「いいの、それは。……時間、作ってくれるつもりだったんでしょ?」

「うん。バレバレだった?」


 苦笑を浮かべると、エリンは薄く笑った。


「カインのこと……話したかったんだろ?」


 ピクリと肩を揺らして、エリンは笑みを消し、うなずいた。


「もう五年も前のことだよ? エリンが気にする筋合いじゃないよ?」

「そうじゃないの。……グラールがいない間に彼、ここに来たの」


 エリンの言葉にあたしは息を呑んだ。

 てっきり、五年前にグラールを選んだことをいまだに気にしているのだと思っていたのだけれど。

 彼女が気にしていたのは、別のことだった。


「その話、グラールには?」


 力なくエリンは首を振る。


「その……彼は何をしに来たの?」

「わからないわ。……顔を見に来ただけ、と」

「でも、グラールの話では、パーティは街を出ていって、カインも彼らについて行ったんでしょう? なら、納得してくれたんじゃない?」

「え……?」


 目を瞬かせるエリンに、あたしはほんのり微笑んでみせた。


「エリンがグラールの子供たちと幸せそうにしているのを確認したかったんじゃないかな」

「それだけ、なのかしら」

「多分ね。もしエリンが泣いていたり不幸そうな顔をしていたら、奪っていくつもりだったんだと思う。以前、あんたたちが抜けたあと、カインに聞いたことがあるんだよ」

「え……?」


 これは本当はエリンには内緒って約束だったけど、話しちゃってもいいよね? そうでないと、この子は不幸せな顔になってしまうだろうから。


「何ヶ月か経ってカインがようやく笑うようになった頃にね。もし次にエリンに会った時、泣いていたらその時は奪うと」

「えっ」

「五年後、また来るとさ。その時エリンが泣いていれば奪うと」


 不意に、ここにいないはずの男の声が聞こえた。

 キィと扉がきしんで開き、罰の悪そうな顔をしてグラールが立っていた。


「すまん、目が覚めたらエリーがいないから探してた」

「ごめんなさい、私……」

「……エリー、この生活がいやなら……」

「いやよ」


 グラールの言葉を遮ってエリンが声を荒げた。目を見張ったグラールの表情があっという間に曇っていく。

 エリンは立ち上がると戸口に立ったままの夫の手に自分の手を重ねた。


「あなたや子供たちと離れるのは嫌。……貴方が嫌だと言わない限り、私はここにいたい」

「エリー……」


 グラールは彼女の手をすくい上げると指先にキスを落とした。


「五年後もカインを悔しがらせてやる。俺のエリー」


 エリンを胸に抱きしめたまま、グラールはあたしに小さくうなずくと、部屋を出ていった。

 遠くの扉が閉まる音を確認して、大きく息を吐く。

 なんというか……目の前でやられると照れるね。というか、二人で話せば解決する問題だったよね。なんか要らぬおせっかいをした気分だ。

 ベッドの上で膝を抱えて顔を埋めていると、ユーリが戻ってきた。


「どうかしたのか?」

「ううん、なんでもない。ちょっとした自己嫌悪」

「そうか」


 隣に座るユーリに冷え切った空気がまとわりついている。

 あたしは毛布を引っ張り寄せるとユーリにかぶせた。


「クラン?」

「体、冷え切ってるでしょ。風邪引くよ」

「お前が風邪を引く」

「あたしは大丈夫だから」

「また倒れられたら困る」


 寄ってきたユーリにぐいと腰を引き寄せられ、頭から毛布を被せられた。一枚の毛布に二人並んで膝を抱えている。


「これ、寒いよ」

「じゃあ、膝立てて座るのやめろ。毛布は一枚しかないんだ」


 仕方なく足を崩すと、ユーリにベッドに横倒しにされた。


「ちょっとっ」

「煩い。寒いんだ」


 後ろから羽交い絞めされてるみたいにがっちりホールドされて、頭から足まで毛布をかけられる。背中に感じるユーリの体温がありがたいほど温かい。


「寝ろ」

「うん……」


 酒が抜けてなかったのかもしれない。ユーリの温かい吐息を後頭部に感じながら、あっという間に眠りに落ちた。

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