第4話 目が覚めたら

 目が覚めたのは深夜だったらしい。窓から入る月の光にきらめく銀髪が見える。

 ……えっと、何がどうなったんだっけ。

 確か、教会に着いて、あの子を渡して、話聞いてる間に眠くなって……。

 あれ?

 ということはここは教会、かな。

 それにしても……何で目の前に銀髪が見えるんだろう。

 つんつんの短髪が、すぐそばに見える。

 静かに起き上がってみると、椅子に座ってベッドに突っ伏した状態でユーリが寝ていた。

 ああ、たしか眠る前に解毒の魔法かけたっけ。心配かけちゃったな。

 手を伸ばしてユーリの髪を撫でる。ざらりとした感触が手のひらに心地よい。


「ごめんね」


 そうだ。忘れてた。

 あの戦いのあと、おくるみに気を取られて戦闘後の回復をしてなかったんだ。

 もしかしたらユーリも毒を食らってたのかもしれない。それも忘れて、体力の回復も忘れて。


 ――回復役失格だな。


 ため息をつくと今までかぶっていた毛布を彼にかける。できることならベッドに引きずりあげたいんだけど、筋肉質でしかも装備をつけたままの彼を引っ張り上げるだけの腕力はあたしにはない。

 念のため解毒と体力回復をかけておく。解毒に反応がなくてほっとする。


「ユーリ」


 声をかけてみる。いつになく深く眠っているらしい。

 毛先に血のあとを見つけた。あの時被った血だろうか。浄化の魔法をかけると、鎧に残っていた血糊も髪の毛も綺麗に元の色を取り戻した。

 依頼は終わった。あとはギルドに戻って報告をすればいい。教会の依頼もこれで達成したし、森の異変についても、白ラビの巣は壊した。群がっていた黒ヴィルも全て倒した。

 音がしないように気をつけながら自分の荷物をあらためる。

 魔石の入った袋三つを鞄から出し、寝台に置いた。これをギルドに持ち込めばかなりの金額になる。とりわけ大きなのが揃ってるし、高額買取は間違いない。

 残る一枚はもともとユーリが持っていた大きな袋だ。空っぽのままのそれを鞄に戻す。うん、これもらっても怒らないよね? 本当は一番小さいのを回収したいけど、魔石を入れ替えてたらきっとユーリ、起きるよね。

 預かってたお金もほんのわずかだけ抜き取って、置いておく。チャリ、と金属音が響いてびくっとしたけどユーリは起きてこない。よかった。

 装備をもとのように身につけて、弓矢を取り上げて、鞄を担ぐとあたしはそのまま部屋を出た。


 足音を忍ばせて外へ出る。

 よく考えれば、魔法で眠らせておけばよかったんだよね。そんなことにも気が回らないくらいには余裕がなかったみたい。

 教会の前の道を西に歩く。少し歩けば街道にたどり着く。少し遠回りになるけど、街道沿いに次の街へ行こう。

 イニードの街には戻れない。

 歩くのには慣れてる。夜歩くのは妖獣に出くわす可能性も高くなる。でも妖獣避けの魔法があれば、夜行性の妖獣からも身を守れる。

 ユーリはきっと、目を覚まして怒るだろう。

 依頼を完遂するのには一度イニードの村に戻らなきゃならない。一人で森を突っ切り、草原を戻るのはまだ危険が残っている。街道沿いに馬車で戻るだけのお金は置いてきた。

 イニードまで戻って報酬を手にしてから……彼はどうするだろう。

 今の彼なら、どのパーティーも喜んで迎えるだろう。

 もう、『氷の心臓のユーリ』ではない。ちゃんと人の心も慮れる。ほんの少しだけど微笑むことも覚えたし、笑うことも覚えた。

 昔の彼を知る人が見たら驚くだろう。

 ちゃんと彼も人間だったのだ、と認識をあらためるに違いない。


 ――もう、昔の彼を知るものなどほとんどいないけれど。


 とりあえず、西の谷を目指そう。あそこにはかつての仲間がいるはずだ。

 エリンにグラール。二人共元気だろうか。結婚して冒険者を引退してからもうずいぶん経つ。子供の一人や二人、いるに違いない。

 彼らに両親の冒険譚を話してあげるのもいいな。

 土産は何がいいだろう。途中に風花の湖を通る。あそこで捕れる虹魚は確かエリンの好物だったはず。

 釣り竿が要るな。途中で買わなくちゃ。

 餌は何だったかな。

 それも店で聞いてみよう。

 ああ、それにしても……お腹空いたな。中途半端に寝たせいか眠いし。

 街道沿いだから妖獣もあまり出ないしこのあたりは猛獣も出ない。

 切り株に腰掛け、魔石のかけらで結界を発動させる。結界を敷いておけば並の山賊程度なら退けられるし。

 日が昇るまで、ちょっとだけ眠ってもいいよね。

 起きたらがんばって次の街まで歩いて、ご飯食べよう。

 何食べようかな……。



 次に目が覚めたら、ユーリの怒り顔が目の前にあった。

 ……なんで?

 教会を出てからずいぶん歩いたはず。確かに途中でお腹が空いて眠くなって寝ちゃったけど、追いつかれた?


「えっと、あの」


 周りは眠った時と同じで青空と木々が見える。うん、多分眠った場所だな、これ。

 身動きをしようとしたけど動けない。ユーリに横抱きに抱き起こされてるみたいだ。

 結界はどうした、と視線をさまよわせると、近くに魔石が真っ二つに割れて落ちていた。……ユーリ、また結界切り飛ばしたのか。あたしまで切らなくてよかったよね、とぞっとする。


「いい加減にしてくれ」


 地を這う低音。ああ、怒ってる。眉も寄ってる。浄化でさらっとした髪の毛が日の光で輝いてるのまで冷たく感じる。


「毒で倒れた君を看病してて、目が覚めたらいなくなってるとか、何考えてるんだ。しかもあんな……俺が喜ぶとでも思ってんのか?」


 あーあ。君呼ばわりになっちゃった。本気で怒ってる証拠。

 噛みつきそうな勢いでユーリがまくし立てる。目が三角になってるってこういうのを言うんだ。

 でも、何も言えない。だって、何を言えばいいのさ。こんなユーリを前にして。


「なんでこんなことをした」


 あたしはあんたの足手まといにしかならないもの。ユーリ一人なら怪我を負うこともなかった。弓使いとしても魔法使いとしても中途半端。一人で依頼をこなせない程度の冒険者なんて、一級冒険者の邪魔でしょう?

 唇をぎりっと噛んで横を向く。口を開いたら泣き言を言ってしまいそうだから。


「……どんだけ俺に心配かければ気が済むんだよ」


 その言葉にびっくりして顔を向けると、ユーリはため息をついて目を逸らした。


「目が覚めたら君の姿がなくて、探しまくって、ここにうつ伏せで倒れてる君を見つけた時、どんだけ驚いたと思うんだよ。また俺一人、残されたかとっ……」


 あたしを抱くユーリの手に力が入ったのが分かる。


「ごめん」


 目を閉じてそれだけ言う。そうだ。離れないと約束したのに。

 自分の弱さに負けてた。

 頭を冷やすだけだ――そう自分に言い聞かせながら、ユーリを置き去りにした。

 口を開こうとした時――盛大にお腹が鳴った。


「っ……」


 目を丸くしたユーリがあたしを見ていて、一瞬で真っ赤になったあたしは顔を両手で覆った。

 確かにお腹は空いてるけどっ……こんなタイミングで自己主張しなくていいじゃないのっ!

 自分の健全すぎるお腹を本気で怨んだ。

 くっくっとユーリが笑い出した。


「……帰ろうか。シスターたちがラビスープ、作って待ってくれてる」

「……うん」


 ユーリに引っ張り起こしてもらって立ち上がる。そのまま、ユーリは歩きだした。引っ張り起こされた時に握られた右手はそのまま、がっちりと握られている。


「あの、ユーリ」

「何」

「手」

「離したらどっか行くだろ」


 まだ怒ってる。……そりゃそうか。腹の虫のせいで気が抜けただけだもんね。


「シスターたちは」

「……違った」

「そっか」


 そんなに簡単に見つかるもんじゃないか。重点的に教会を回ってるわけじゃないし、仕事の合間に見に行く程度だ。もしかしたらもうシスターではないのかもしれない。名前だって変わってる可能性もある。

 それでも、ユーリが休みにあちこち走り回っているのは知っていた。

 教会絡みの依頼を優先的に受けてるのも、ユーリが承諾してくれる可能性が高いからだ。


「ねえ、ユーリ」

「何?」


 振り向かずにユーリは答える。


「もう一人、パーティに加えようか。魔法使い専門の子」


 ぎゅっと右手を握る彼の手に力がこもった。


「そうすれば、あたしの中途半端な魔法よりは安全だし、範囲魔法一発でぶっ倒れることもないし」

「要らない」


 ぐいと引っ張る力が強くなる。


「だって、そのほうが」

「俺は二人も守れない。――お前だけで手一杯だ」


 いや、だからもう一人増やすんであって、三人いればあたしが魔力尽きてももう一人がフォローしてくれるでしょ?

 でも、それは告げられなかった。ユーリの顔はまた怒り顔に戻ってる。

 彼の怒りポイントは本当にわかりづらい。


「俺はまだ怒ってるんだぞ。……二度とそんなこと、口にするな」

「……ん」


 教会が見えてくる。入り口で待っていたシスターたちの姿が見える。繋いだままの手が少しだけ恥ずかしかった。

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