農協おくりびと (100)7時間後に、京都で 

「急に思いついた。光悦が修行している奈良の長谷寺へ、一度来てみたかったの。

 わたしの胸につかえていた疑問を、きれいさっぱり洗い流すために」


 「3日間の休暇をとつぜん取ったと先輩女子から聞いて、びっくりしていたところです。

 そうですか。そういうことだったんですか・・・でも、唐突過ぎて

 俺には意味がよく分かりません・・・」


 電話の向こうから、山崎の沈黙がやって来た。

それはそうだ。山崎にしてみれば、突然すぎる、理解しにくい展開だ。

ちひろが長谷寺を訪ねていった真意が、山崎にはわからない。

しかし。ちひろが重大な決意を秘めて、奈良へ行ったことだけは良く分かる。


 「あんたが黙りこんでどうするの。

 深刻なのは、此処までひとりでやって来た私のほうなのよ」


 「えっ、深刻な状況なのですか、やっぱり、いまのちひろさんは」


 「不覚にも涙が出そうです。

 美しい紅葉の中にいるというのに、いままでまったく気がつかなかったもの。

 どうかしています、わたしったら。

 あっ・・・いきなりなにを言わせるのあんたったら。年上の女に。

 誘導に乗せられて、わたしの本音を全部、吐露するところだったじゃないのさ。

 危ない、危ない。油断できませんねぇ、4つも年下のくせに」


 「もしかして、振られてしまったんですか、光悦先輩に?」


 「言いにくいことを平気で、ズバリと口にしますねぇ。あなたという子も」


 「9回の裏、走者が居て、絶好のサヨナラ勝ちの場面です。

 2アウト、3ボール2ストライクまで追い込まれたときは、腹を決めて、

 最後の球を思い切りフルスイングします。

 見逃してストライクだったら、一生後悔します。

 バットに当たらず、3振で終わってもいいんです。

 振らなきゃ、ボールに当たりませんから」


 「ふふふ・・・なるほど。そう言う意味ですか。

 それなら振りました、わたしも。全身の力を込めてバットを」


 「じゃ、後悔していませんね。ちひろさんはもう」


 「よかった。やっぱりあなたに電話して。

 そうよね。気持ちがスッキリしたんだもの。後悔なんてしていません。

 でもね。なんでだろう、まわりの景色がなんとなく、滲んで見えるのは」


 ちひろの声が、また湿っぽくなる。

胸の奥からじわじわとこみあげてくるものが、ちひろの声を曇らせる。


 「かたき討ちに行きませんか、ちひろさん」


 電話の向こうから、山崎のきっぱりとした提案が響いてきた。


 「かたき討ち?。わたしの悔しさを、晴らしてくれるという意味かしら?」


 「いえ。俺の力では、ちひろさんの悔しさを晴らすことはできません。

 悔しさを晴らすのは、群馬のもみじです」

 

 「群馬のもみじの悔しさを晴らす?。

 何を言っているのか、わたしには、まったく意味がわかりません!」

 

 「詳細は、のちほど説明します。

 ちひろさん。いまから電車に乗って、京都へ移動してください。

 7時間後に、京都で逢いましょう。

 そのとき、かたき討ちの意味が分かります。

 では7時間後、紅葉が真っ盛りの京都で逢いましょう!」


 それだけ言うと、プツリと電話が切れた。

(・・・7時間後に紅葉の京都で行き逢う?・・・いったい何考えているの。

4つも年下のキュウリ農家の山崎クンは・・・)


 


(101)へつづく

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農協おくりびと 91話から100話 落合順平 @vkd58788

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