農協おくりびと (99)目に焼き付く紅葉


 光悦と別れたちひろが、高台の長谷寺駅へ戻って来た。

1日の乗降客は、1000人余り。

何処にでもある、山肌に横たわる小さな私鉄の駅だ。


 ちひろがホームから、眼下の初瀬川と、門前町の屋並みと向き合う。

30分ほど前まで光悦と会っていたことが、まぼろしのように思える。

ひとつの疑問を解きたいために、ちひろはたったひとりでここまでやって来た。

「誰も教えてくれなかった中学生の双子の秘密。光悦は、わたしの疑問に答えてくれた。

でも事実を知ったいま、わたしはこれから、何をすればいいのだろう・・・」

途方に暮れている自分が居ることに、ちひろがはじめて気が付いた。


 双子の父親が光悦の兄と分かり、胸をなでおろしている自分が居る。

しかし。双子を産んだもうひとりのちひろに関しては、ひとことも触れていない。

あえて聞く必要はない。最初から、そう決めていたからだ。

あと半年の修業が終れば、光悦は群馬へ戻って来る。

そのとき光悦を出迎えるのは自分ではなく、たぶん、双子の中学生と

もうひとりのちひろだろう・・・そんな光景が、漠然とちひろの頭の中に浮かんでいる。



 次の電車が来るまで、15分。

短い時間でも用事の終えた手持無沙汰の身には、途方もなく長い時間に思える。

何気なくポケットから、ガラパゴス携帯を取り出す。

無意識のうちに携帯を開く。

慣れた手つきで、トントンと番号を探し出していく。

「あった・・・」ためらいも見せず、ちひろの指先が表示された番号を押す。


 「あ・・・ちひろさん?。どうしましたか、こんな時間帯に?」


 聞きなれた山崎の声が、ちひろの耳に響いてくる。

選び出したのは、4歳年下の、キュウリ農家の山崎の番号だ。


 「ごめんね、仕事中、邪魔しちゃって。

 なんだか急に声がききたくなって、つい電話してしまいました」


 「大丈夫っす。ちょうど昼休みの休憩です。

 でも、今日は声の様子が沈んでいますねぇ。何か有ったんですか?」


 「目の前に、静かな初瀬の門前町が見えます。

 目に焼き付くような燃える紅葉の中、長谷寺のたくさんの伽藍が山肌に

 ひろがっています。あっ・・・」


 「どうしました!。なんか有ったんすか!。ちひろさん」


 (大丈夫です。何でもありません)と即座に訂正したあと。

ちひろが思わず、息を呑みこむ。

目の前に広がる初瀬の山が、みごとな紅葉に包まれている。

(なぜいままで紅葉していることに、気がつかなかったんだろう・・・)

最初に駅へ降りた時。全山の紅葉が、ちひろを出迎えてくれていたはずだ。

だが到着したばかりのちひろの眼に、紅葉まったく目に入らなかった。


 (平常心でいたつもりなのに、やっぱり緊張していたのね、わたしったら・・・)


 モノクロの風景の中で過ごしてきたことに、ようやくちひろが気がついた。

白黒写真のようだった、初瀬の参道の古びた建物たち。

カフェレストランの日本庭園も、今から思えばモノトーンの世界だった。

(それでもわたしには、充分すぎるほど、美しい光景でした)

光悦と過ごしてきた2時間余りを、ちひろが、セピア色した古い写真のように振り返る。


 「もしもぉし。どうなってんですか、ちひろさ~ん。

 聞こえていますか、大丈夫ですかぁ・・・どうなってんだろう、今日のちひろさんは」


 耳に響く山崎の大声に、ようやくちひろが我に返る。


 「ごめんなさい。ちょっと周りの景色を見てぼぅ~っとしてたの。

  大丈夫、何でもありませんから」


 「何でもないわけ、無いですよ。やっぱり変です、今日のちひろさんは。

 めずらしい時間帯に電話してくるし、目の前にひろがる初瀬の町並みがどうのこうのと、

 理解できないことばかり口にしています。

 初瀬の参道が見えるということは、もしかして、光悦先輩がいる長谷寺ですか・・・

 ということは・・・あっ!・・・」


 今度は電話の向こうで山崎が、驚きの声をあげた。



(100)へつづく

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