農協おくりびと (98) これから、どうする?


 「これから、どうする?」光悦が、ちひろをのぞきこむ。

「電車に乗って奈良駅まで戻ります。適当に時間をつぶしてから、

夜行のバスに乗ります。リーズナブルなうえに、けっこう便利ですから」

それがどうしましたかとちひろが、光悦を見つめ返す。


 「そうじゃない。これから俺たちは、どうなるんだと聞いている」


 「すべてのものに、終わりの時はおとずれます。

 たくさんの優しさをありがとうね、光悦。

 いままで通り、おさななじみのお友達のままでいいんじゃないかしら。

 一度もわたしを、女として愛してくれなかったもの、光悦クンは」


 「手厳しいなぁ」と光悦が、苦笑いを見せる。

「解放してあげたのよ、感謝しなさい。物わかりの良い上州おんなに」

もうこれ以上くどくど言いたくありませんと、ちひろが立ち上がる。


 「駅まで送るよ」立ち上がりかける光悦を、ちひろが手で止める。

「帽子は似合わないけど、ここまでわたしがやって来た記念にプレゼントします。

あと半年。残った修行、頑張ってね。じゃ、行きます」

ちひろが、ピンクのリュックを持ち上げる。


 「ごちそうさま」と頭をさげるちひろを、店員が呆然と見送る。

「喧嘩でもしたの、美人のお連れさんと?」店員があわてて、光悦のもとへ飛んでいく。

「別に」涼しい顔のまま、光悦が立ち上がる。


 「30年来のいいなずけに、引導をわたされただけだ。

 頭を一発、なぐられちまった。

 それにしてもあいつ。いつの間にか、いい女になったなぁ・・・」


 「えっ、殴られたのですか。群馬からやって来た美人のお嬢さんに!」

店員が、光悦の顔をのぞきこむ。

「うん。思い切り、30年分の恨みをこめて、力いっぱいぶんなぐられた」

これで勘定してくれと光悦が、2つに折った1万円札を店員に渡す。


 「あとを追わなくても、いいんですか?。光悦さん」


 「構わないだろう。半年たてばまた会える。

 それから誤解を解いても、遅くない。

 幸か不幸か、仕事場が一緒だ。顔を見たくなくても、嫌でも行きあう。

 そん時にまた、話し合う機会があるだろう。

 あっ、いけねぇ。いそいで勘定してくれ。あいつに渡すものが有ったんだ!」


 釣りを受け取った光悦が、表の通りへあわてて飛び出す。

左右に首を振ってちひろの姿を探すが、どこにも歩いている様子はない。

「足の速い奴だ、もう消えちまいやがった。

まるで女忍者のくノ一(くのいち)のようだな、あいつときたら・・・」

平日の参道に、人の姿はそれほど多くない。

かんたんに姿を見失うはずはない。

 

 「つくづく縁がないようだな、あいつとは。

 性悪女と思っていたが、逃げ足までこんなに速いとは思わなかった」


 「誰が逃げ足の速い性悪女なのですか?。聞き捨てなりませんねぇ」


 隣の酒屋から、リュックを背負ったちひろが出てきた。


 「おっ・・・お前。駅へ行ったんじゃないのか。

 なんでまだこんなところに、くすぶっているんだ!」


 「250年も続く、酒蔵さんだそうです。

 記念に祐三さんや独身3人衆のために、日本酒を買いました。

 あんたこそ、なに慌てているのよ、血相変えて」


 「お前に、これを渡すのを忘れた」


 「なにこれ?・・・見るからに、可愛い数珠ですねぇ」


 「愛染明王の数珠だ。

 愛染明王は愛欲や欲望、執着などの煩悩を、悟りに変える神様だ。

 お前のような凡人でも、悟りの境地にまで導いてくれる力を持っている。

 煩悩の多いお前には、ピッタリだろう。

 そう思って、昨日から用意しておいたものだ」


 「あら嬉しい。いままでもらったプレゼントの中で、最高のモノです。

 肌身離さず、大事にします。最愛の人からもらった、最後の贈り物だもの。

 うふふ。いつまでたっても進展しませんねぇ、わたしたち。

 いつまでたっても同じ場所を、いつものように堂々巡り・・・

 縁がないのねぇ、わたしたちって」


(99)へつづく

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