農協おくりびと (97)双子の父親は? 

「もうひとりのちひろが産んだ、双子の中学生の父親は、いったいだれ?」


 食事をおえたあと。ちひろが、真正面から光悦を見つめる。

胸につかえてきた最大の疑問を、ついにちひろが口にした。

それを言い終えたあと。ちひろのこころに、澄んだ水面の穏やかさがやって来た。


 「それが聞きたくて、はるばる奈良までやって来たんだろう。

 安心してくれ、俺の子じゃない。

 だが因縁は有る。いや、血がつながっていると言ったほうが正解だ」


 「じゃ亡くなった、あなたのお兄さんの遺児なの、あの2人の中学生は・・・」


 「兄は、遠縁の親戚へ預けられた。

 絶縁したわけじゃない。父はその後も兄を援助して、大学へすすませた。

 兄が自分の意志で選んだのは、仏教学部。

 順調にいけば、後継者として兄は、父の寺へ戻ってくるはずだった」


 「だから次男のあなたは好きな道をえらべて、消防士になれたわけですね」


 「兄が大学を卒業し、俺が消防士になった頃までは全部がうまくいっていた。

 だがその年の夏のことだった。

 君もあとから知ったように、もうひとりのちひろが妊娠した。

 身ごもったのは兄の子だ。

 だが貧乏寺に2世帯と、生まれてくる双子まで面倒を見る余裕はない。

 相談した結果。兄はしばらくの間だけ、僧侶の道へすすまず、

 別の職場で働くことになった」


 「お兄さんが亡くなったのは、いつごろのことなの?」


 「双子が、4歳の誕生日を迎えた頃のことだ。

 助からない血液の病気、急性リンパ性白血病と診断された。

 病気の進行は早かった。

 診断されてから半年。治療が追いつかず、兄はそのまま帰らぬ人になった」

 

 「お兄さんが亡くなったとき。双子を寺で引き取る選択肢はなかったの?」


 「そう言う話は、当然出た。だがもうひとりのちひろが、強く拒んだ。

 たぶん、俺への配慮が有ったと思う。

 俺が継がなければ、僧籍を持たない後妻のおふくろは、寺から出ていくことになる。

 住職の家族は、寺族と呼ばれている。

 家系相続を前提とする浄土真宗以外、住職が亡くなったあとの寺族の立場はきわめて弱い。

 十分な保障を得られないまま、寺院から退去していく。

 兄と暮らしていたもうひとりのちひろは、そういう事情を充分に知っていた。

 寺へ入ることを拒んだことで、俺とおふくろを守ったことになる」


 「僧籍がなければ、寺のあとは継げない。そうなると残された家族も助からない。

 それで修行の道へ入ったわけなのね、あなたは」


 「10年間。人を助ける仕事を続けられただけで、もう充分だ。

 親父が病気になったことで、あとを継ぐ決心を固めた。

 それからもうひとつ。

 兄との約束で俺は、双子の子供たちの将来を見守っていく義務がある」


 「だから、特別に親しそうな目であなたを見つめていたのね、あの子たちは」


 「よくわかりました」ちひろが、日本庭園に目を向ける。

池の水面に、赤くなり始めたもみじが揺れている。

軒先にさがった風鈴が音も立てずに揺れ、短冊がサワサワと左右にひるがえる。


 「もうひとりのちひろのことを、どうするのかと、お前は聞かないのか?」

光悦が、ちひろの顔を覗き込む。

「そこまで野暮じゃありません、わたしは」ちひろが、静かな瞳を光悦に返す。


 「父親が誰か、はっきりしただけで、もうじゅうぶん。

 それだけ聞けば、こころを静かにして、わたしは群馬へ帰れます。

 ここまで来てよかったと思います。

 あなたからはじめて、本当の事が聞けたもの。

 疑問がひとつ、ようやくのことで消えました。それだけで充分と思わなけりゃ、

 バチが当たります」



(98)へつづく

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