第6話「メリークリスマス」

 それからライナ達は雪亀との対話を楽しみ、はしゃぎ疲れたのか気が付けばすやすやと眠っていた。

 バルバロッサも柔らかい笑みを浮かべたまま、ライナを守るように座り込んで目を閉じている。

 ふと気が付けばどういう訳か俺達の一帯は妙な暖かさに包まれていた。


「…まさかこれもお前等の仕業か?」


 二人を起こさないように小声で雪亀に問い掛けると頭を縦に振る。

 治療したり暖めたりとまるで魔法のようだ。

 しかしこいつ等の正体が本当に妖精だとすれば魔法が使えても不思議ではないのかもしれない。


「妖精、か」


 実に千年近く生きているというのに、世界にはまだまだ俺の知らないことがたくさんある。

 そう考えるとこうして長生きするのもまぁ悪くないと思えた。

 暖かい空間でじっとしていると徐々に眠気が訪れ、依頼が完了して気が抜けたせいかいつの間にか意識を失ってしまう。


 どれ程眠っていたか分からないが陽の眩しさで目を覚ますと俺達はいつの間にか森の外にいた。

 状況が理解出来ずに一瞬混乱するが、ライナが嬉しそうに亀が連れてきてくれたと言うと今更驚くこともなくあっさり納得出来た。


 それから村へ戻ると真っ先に村長に報告をするが、案の定村長は寝ずにライナの帰りを待っていた。

 ライナの破れた服を見て村長は激しく取り乱したものの、無傷であると分かって安堵したのを見て俺もようやく一息吐けた。

 家族水入らずの所を邪魔するのも悪いと思い、報酬を頂くとさっさと村長の家を後にするとバルバロッサが俺を待ち構えていた。


「もう行っちまうんですか?」


「あぁ、依頼は完了したからな」


「明日は折角のクリスマスですし、発つのはそれからでもいいんじゃないんですかい?」


「柄じゃない」


 そう言って手を振ると俺は振り返らずに歩き出す。

 しかし背後から俺を呼ぶ声が聞こえたかと思うと背中から誰かが勢い良く飛び付き、振り返るとライナが腰にしがみついていた。


「…どうした?」


「もう…行っちゃうんですか?」


 悲しげな瞳から涙が溢れ出しどうにもやり辛い。


「今日だけでも…一緒にいてくれませんか…?」


「いや、しかしだな…」


 どうにも祭事は苦手だ。

 決して興味がない訳ではないが、人々の浮かれたような空気がどうにも合わなかった。

 浮かれるのが悪いとは言わない。

 ただその輪の中に自分が加わるというのはどうにも想像出来ないのだ。

 かと言ってこの純粋無垢なライナの目を見ていると断る事に凄まじい罪悪感が湧いてくる。

 どうしたものかと悩んでいるとバルバロッサがニヤニヤと笑いながら小声で話し掛けてきた。


「いたいけな少女の願いを断るってのは…男としてどうなんすかねぇ…」


「ぐ…」


 そう言われてはもう頷くしかなかった。


「分かった…村を発つのは明日にしよう」


 その言葉を聞いて涙を流していたライナは一瞬で泣き止み、見ているこっちまで笑顔になるような眩しい笑顔を向けてきた。

 まぁ…たまには良いか。クリスマスなんて初めてだしこれも良い経験になるかもしれない。


 剣を宿に置いて外に出ると、そこでは既にライナが満面の笑みで俺を待ち構えていた。

 どうにも慣れない展開に戸惑うがそんな俺の手を引いてライナはご機嫌に歩き出す。

 行く当ても分からずライナに連れられていると、先日立ち寄った診療所の前に差し掛かる。


「先生! ハッピーメリークリスマス!」


「ライナか…すっかり元気になったようだな。メリークリスマス」


 診療所の前で植木に水をやっていた医者にライナが元気良く声を掛けた。

 しかし二人が交わしたメリークリスマスという言葉の意味が分からず俺は困惑する。

 それに気付くとライナは嬉しそうに説明をしてくれた。


「クリスマスを祝うということで、メリークリスマスって挨拶するんです」


「ふぅん…メリークリスマスね…」


 どうにも気恥ずかしく言葉にするのが憚れるが、確かに行き交う人々を見てみると大人も子供も関係なく楽しげにメリークリスマスという挨拶を交わしていた。

 これがこの村のクリスマスというイベントの慣例ならば、郷に入りては郷に従えとも言うし此処は一緒になって楽しんだほうが得だろう。

 そう思っていると早速村人から挨拶された。先程と同じように心から楽しげに返すライナの勢いに乗じて俺もぼそりと口にしてみる。


「…メリークリスマス」


 それを聞いたライナは満足気に俺に微笑みかける。

 それから村で始まった催し物などをライナと共に堪能していると思っていたよりも楽しめた。

 小さい村ではあったが様々な出し物や露店が村中に所狭しと並んでおり、時間はあっという間に過ぎ去るものの夜が更けても村は賑やかだった。

 しかしその全てを回り終わると俺はライナを家まで送り届ける。


「あの、明日の朝…絶対見送りますから」


「あぁ、分かった」


 名残惜しそうにするライナを見ていると少しばかり胸が痛むがここからは大人の時間だ。

 素直に引き下がるライナの頭を一度撫でてやると照れた様子を見せるが嬉しそうに目を細めた。

 おやすみなさいと告げるとライナは最後に振り返り笑みを浮かべると家の中へ消えていく。

 それを見届けると俺は酒場に足を向けた。

 酒場は既に満席で先日よりも大いに盛り上がっていた。

 その中にバルバロッサ一味を見つけそちらへ歩み寄る。


「よう、盛り上がってるな」


「お、兄貴! おいお前等兄貴が来たぞ!」


 その言葉に仲間達が座っていた席から立ち上がり俺に座るよう促してくる。

 先日とあまりに違う態度に戸惑うが、言われた通り席に座るとバルバロッサが大きな声を上げた。


「おい皆聞いてくれ! この人が森の害獣ケルベロスを討伐した英雄、レヒトさんだ!」


 それを聞いて店内が一際大きな歓声に包まれた。

 しかしどうにもそういった騒がしい雰囲気は苦手で、どうすればいいのか分からず戸惑ってしまう。


「兄貴、エールでいいですかい!」


 適当に返事をするとすぐさま店員がジョッキに並々注がれたエールを持ってきた。


「それじゃ村を救った英雄に…クリスマスに…かんぱーい!!」


 一斉に全員が持っていたジョッキを高く掲げ声を上げる。


「兄貴! メリークリスマス!」


 バルバロッサは俺を見てニヤリと笑うと、釣られて笑ってしまった。


「あぁ、メリークリスマス」


 ジョッキを交わし二人で一気にそれを飲み干す。

 それからしばらく酒を飲みながら村人達と談笑をしていると、その中にマスターの姿を発見し、それに気付いたマスターが笑顔を向けてくる。


「楽しんでいるようだね」


「あぁ、世話になったな」


「それはこちらの台詞さ、流石はあのレヒトさんだ」


「コーヒー、美味かったぜ」


「ははは、そりゃ光栄だ」


 ジョッキを交わすと同時に傾け喉に流し込む。

 そこへ背後からバルバロッサが現れ、俺達の間へ割り込んできた。


「へっへっへ、兄貴ぃ。俺良いこと思い付いたんですよぉ」


 そう言って怪しい笑みを浮かべるバルバロッサは懐から小さな箱を取り出し、ゆっくりと蓋を開けるとそこには水晶で出来た、小さな雪の結晶を象った甲羅の亀がいた。


「お前、これ…」


「へへへ、兄貴と別れてからこちらの硝子細工師に依頼をしましてね…急遽仕上げてもらったんです」


「硝子細工師って…マスター、あんたそんな事も出来るのか」


「手先は器用なんでね」


 そう言ってマスターはまるで自信作と言わんばかりに微笑む。


「…成る程な、よく出来ている」


 実際にバルバロッサは雪亀を見ている為、その再現度は中々のものだった。

 マスターの加工技術も見事なもので、甲羅に刻まれた幾何学模様のような雪の結晶は見る者全ての目を引く程の完成度だ。


「んで、これを兄貴からライナちゃんに…プレゼントして欲しいんですよ」


「はぁ? 何で俺がそんな事を…作らせたのはお前だしお前がプレゼントすればいいじゃないか」


「かー! 兄貴分かってねぇなぁ!」


 そう言ってバルバロッサは勢い良く酒を流し込むとジョッキを机に思い切り叩き付ける。


「俺じゃなくてね! 兄貴がプレゼントしなきゃいけないんですよ!」


 まるで理由は分からないが、これだけ力説するというのは何かそれなりの理由があるのだろう。

 見ればマスターもその通りだと言わんばかりに頷いている。

 しかし明朝に去り、もう二度と会わないかもしれない相手にプレゼントを贈るというのは気が引けた。


「今日はもうクリスマスですよ…クリスマスの朝ってのは子供にとって重要なんですよ…」


「いやでもライナは寝てるだろうし…」


「それがクリスマス! サンタクロースは眠っている良い子の所に現れるんですよ!」


 そう言ってバルバロッサは白い布袋と、先端に白いポンポンがついた赤いとんがり帽子のようなものを突き出してきた。


「はい、これがサンタクロースの装備品っす」


「いやだから寝てるなら俺がやる意味は…」


「兄貴ぃ!!」


「レヒトさぁん!!」


 突然二人が立ち上がり、真剣な表情で見下ろしてくる。


「ここでやらなきゃ…あんた男じゃないぜ…」


「その通り…私の傑作をライナちゃんの元へ…」


 そう言うバルバロッサの目は血走っており、その真剣な表情を見ていると何も言えなくなる。

 助けを求めようとマスターを見やるが、酔っているのかどうか分からないが意味深な表情で深く頷いていた。


「…分かったよ、やればいいんだろ」


 心底面倒臭そうに答えるがそれを聞いて二人が肩を組んで踊り出す。

 …本当にこいつらが何を考えているのか分からない、というかやっぱりただ酔っているだけじゃないのか。

 釈然としないが結局俺は半ば無理矢理とんがり帽子を被せられ、小さな箱の入った大きな布袋を肩に担いで再び村長の家にやってきた。

 控え目にノックをすると村長は事前に俺が来る事を知っていたのか、何処か期待に胸を膨らませた様子で迎え入れてくれる。


「ライナはもう寝てますから…静かに頼みますよ…」


 一体こんな事に何の意味があるのか未だに分からない。

 しかしバルバロッサやマスター、村長は心から楽しげな表情を浮かべており、この行為にはそれなりの意味があるのだという事だけは伝わってきた。


「枕元に靴下がぶら下がってます…そこにプレゼントを…」


 そう言って奥の部屋を指し示すが、どうやらそこがライナの部屋らしい。

 こうなってしまってはもう開き直るしかあるまい。

 サンタクロースがどんなジジイかは分からないが、要は気付かれないよう潜入して靴下にブツを入れて脱出すればいいだけだ。

 この程度の依頼、俺からすれば温過ぎて欠伸が出る。

 慎重に扉の前に立つとドアノブを回し、音を立てずに扉を開く。

 中を覗くがベッドで規則正しく寝息を立てているライナはまるで起きる気配がない。

 体を滑らせるように潜り込むと再び音を立てずに扉を閉めた。

 我ながら完璧な潜入だ。

 そのまま気配を殺してベッドの側に寄ると確かに枕元には誰の物か分からない靴下がぶら下がっていた。

 大きさからして間違いなくライナのものではないし、薄っすらと汚れているのが気になって仕方ない。

 無駄に大きい布袋からプレゼントである小さな箱を取り出すと、一瞬靴下に触れる事が躊躇われたがこれも仕事だと言い聞かせてプレゼントを中に押し込む。


(よし…)


 これで後は気付かれないように脱出するだけだ。

 依頼は呆気なく完了し、その場で立ち上がってライナの寝顔を覗き込むと可愛らしい顔でよく眠っていた。


「…ハッピーメリークリスマス、ライナ」


 小さな声でそう呟くとライナは寝言を言いながら寝返りを打つ。

 一瞬焦ってしまうが起きる気配がないのを確認すると、安堵の息を漏らしながら部屋を後にした。

 村長に依頼の完了を報告しそのまま宿屋に戻ると、昨日からろくに寝ていなかったせいかすぐさま眠りに落ちた。


 翌朝目が覚めると準備を整えて宿屋を後にする。

 まだ早朝という事もあるが、昨日の騒ぎの跡だけ残して誰もいない村の中は妙に寂しく感じた。

 恐らく村人は皆騒ぎ疲れたせいで今日は昼まではぐっすりと眠っている事だろう。

 今日は一段と冷え込むようで、澄んだ空気が肺を痛めつけてくる。

 空を見上げれば濃い灰色の雪雲が立ち込み、今にも雪が降り出しそうだ。

 …色々あったがのどかで良い村だった。

 そう思いながら村の出口に近付くとそこではバルバロッサとマスターが俺を待っているように立っていた。


「おはようございます兄貴」


「…二人共随分と早起きだな」


「それはレヒトさんだ、私達は一睡もしていない」


 どうやらあれから二人はずっと飲み続けていたらしいが、酔いはすっかり冷めている様子だ。


「兄貴…ライナちゃんに別れの挨拶は…」


「…この方がお互いの為だ」


 俺は誰にも気付かれないよう村を去るつもりだった。

 二人には見付かってしまったが、基本的に俺は他人と深く繋がることを避けている。

 どんなに親しくなっても、情が移れば移るほど別れとは辛くなる。

 そして俺の場合、いつだって親しい人間は先に死んでいなくなる。

 死を嘆いても俺に終わりが訪れる事はない。

 もう誰かの死を引き摺って苦しむのは御免だった。

 現在はサラという面倒な奴に大分情が移ってしまったが、これ以上誰かを俺の中で抱え込むなんてお断りだ。

 当然相手の心に俺が残るような真似も可能な限り避けたい。

 だから誰にも…特にライナには合わせる顔がなかった。

 そんな事情を知るはずもないが、マスターは何かを察した様子で微笑む。


「達者でな」


「あぁ、あんたもな。バルバロッサ、お前弱いんだから無理はするなよ」


 どうにも別れは苦手だ。

 線引きが曖昧になってしまう、それが自分の甘さだとも認識している。

 だが分かっていても簡単には割り切れなかった。

 それを悟られたくなかった俺は視線を落としたまま歩き出し、二人の横を擦り抜け村の外へ足を踏み出す。


「兄貴、俺は最強のハンターを目指します。だからあんたは…最強の殺し屋でいてくだせぇ」


 手を挙げ応えると俺はそのまま振り返ることなく森へ向けて歩き出した。

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