第5話「討伐」

 本命が見つかり思わず笑みが零れるが、ケルベロスを覆う漆黒の闇が溶け出し広がったかと思うとそこからは何匹ものヘルハウンドが出現する。


「成る程な、さっきの雑魚はこいつが量産してた訳か」


 先程倒したヘルハウンドの倍の数が俺達をぐるりと取り囲む。

 流石にこの数を相手に二人を守りきるのは困難だ。


「バル、悪いが手を貸してくれ」


 その言葉にバルバロッサは震えながらもアックスを構え鼻息を荒くする。


「待ってましたぜ兄貴…仇を討ってやる…」


 俺達は背中を合わせ、その間にライナを守るように挟み込む。


「雑魚は油断しなけりゃお前でも何とかなるはずだ」


「ケルベロスは兄貴に任せますぜ」


 こうして誰かと共闘するというのは実に久しぶりだが悪い気はしない。

 ケルベロスは低い唸りを上げながらこちらを睨み付け、一度咆哮するとそれを合図にヘルハウンドが一斉に飛び掛かってきた。

 後方をバルバロッサに任せ目の前の敵を一瞬で薙ぎ払うと前方に飛び出しケルベロスを狙う。

 しかし信じられないことにケルベロスは木々などないかのように擦り抜け、巨軀でありながら凄まじい速さで後方に回り込んだ。

 不意を突かれすぐに立ち止まり振り返るとバルバロッサはヘルハウンドに気を取られケルベロスの存在に気付いていない。


「ちっ…!」


 全力で飛び込みバルバロッサの頭上から襲い来るケルベロスの額に斬撃を叩き込もうとするが、直前でケルベロスは闇に溶け込むようにその姿を消した。

 攻撃は空振りに終わるがそのまま残っているヘルハウンドを次々と片付ける。

 しかし最後の一匹を倒すとほぼ同時にバルバロッサの足元に大きな影が現れ、そこから飛び出したケルベロスがライナの胴体に噛み付いた。

 すぐさま反転し飛び掛かるが、ケルベロスはライナを咥えたまま凄まじい速さで走り去っていく。

 それを追い掛けようとするもケルベロスは行く手を阻む木々など関係無く擦り抜け、逆に俺は木々が邪魔で思うように走れずついにその姿を見失ってしまった。

 立ち尽くしていると遅れて息を荒げながら松明を片手にバルバロッサが追い付く。


「あ、兄貴…ライナちゃんが…」


 苛立たしさから俺はすぐ側にあった木を思い切り殴り付けると勢い良く吹き飛び、それは他の木を巻き込んで遥か遠くへ消えていった。


「…殺してやる」


 獲物を逃した事もだが、目の前で護衛対象を奪われたというのが俺のプライドを深く傷付けた。

 激しい怒りから頭に血が上るが、一度深呼吸をして気分を落ち着ける。

 ライナは即死していない、急げばまだ間に合うはずだ。

 しかし問題は音もなく闇に溶け込むように走り去ったケルベロスの行方が検討も付かない。

 思考を巡らせているとバルバロッサがあるものを見つけた。


「兄貴これ…ライナちゃんの血痕すよ…」


 松明を近付けると微かにだが地面には血痕が残されていた。

 ケルベロスの移動速度からその間隔はかなり開いていたが、上手くいけば血痕を辿ってライナを発見出来るかもしれない。


「…行くぞ」


 逸る気持ちを抑えつつ、僅かな血痕を探しながら俺達はその後を追う。

 しかししばらくすると辺りから忽然こつぜんと血痕が見当たらなくなった。

 あんな化け物の事だ、跳躍でもされたら血痕は消え去り追跡は不可能になる。

 行き詰まった俺はぶつける宛ての無い怒りからこの森全てを破壊しようと剣を抜くが、その時突然頭上から青白く光る雪の結晶が降ってきた。

 それは掌程の大きさで雪の結晶にしては余りに大きい。

よく目を凝らすと雪の結晶は目の前でふよふよと浮かんだまま、短い手足のようなものが飛び出ていた。


「…何だこりゃ」


 それは短い手足を緩慢な動作ながらも必死にばたつかせており、何処か可愛げを感じる。


「亀…ですね…」


 振り返るとバルバロッサの前にも同じ様な雪の結晶が浮かびながら手足をばたつかせていた。

 言われて改めてよく見てみると手足の他に亀頭と尻尾もしっかりあり、つぶらな瞳の亀は口をパクパクと必死に動かし何かを伝えようとしているようだった。


「こいつがライナの言ってた雪の亀…か?」


 半信半疑だったとは言え、実際にこうして雪の妖精…それも亀を目の当たりにすると言葉を失った。

 狂気の森と言うだけあって、雪の結晶の形をした亀が宙に浮かんでいるなど俺の頭がどうかしたのではないかと疑ってしまう。

 怒りの余り正気を失ったのだろうか。

 目を閉じ深呼吸をしてからゆっくりと目を開くがやはり亀は俺の目の前で必死に口をパクパクとさせている。


「…本当にいるもんだな」


 事前にライナから話を聞いていなかったら思わず叩き切っていたかもしれない。

 呆然と見詰つめていると、亀は突然方向転換しぴょこんと出ている尻尾をこちらに向ける。

 何事かと思うとそれまでの緩慢な動きが嘘のように亀は凄まじい速度で森の奥へ飛行していった。

 別の亀が俺の横につくと、こいつも何かを伝えるように口を必死に動かしている。


「付いて来い…って事か?」


 欠伸するように大きく口を開くと、先行した亀の後を追うかのように滑らかに、かつかなりの速度で飛んで行く。

 視界は闇に覆われていたものの、亀は青白く発光しており目印として非常に分かり易く、多少距離が開いても見失う事はなかった。


「…行くぞバル」


「兄貴、あいつらライナちゃんの所に連れて行ってくれますよ」


 そんな馬鹿な…そうは思うが妙に自信有り気に断言するバルバロッサを見ていると本当にそんな気がした。

 この際あの亀に賭けてみてもいいかもしれない。亀を見失わないように俺達はすぐさまその場から走り出した。

 先行する雪亀は華麗に飛行し、器用に木々の間を擦り抜ける。

 その動きを真似るように俺達も同じコースを通って木々を避けながら追跡する。

 前ばかりを見ていたせいで気が付かなかったが、振り返るとバルバロッサの後ろからは大量の雪亀が俺達に追従していた。


「何が起きてるんだ…?」


 思わずぼやくとバルバロッサが答える。


「こいつらも…被害者らしいですよ」


 まるで亀から聞いたかのように話すバルバロッサに思わず驚いた。


「何でそんな事が分かるんだ」


「え、兄貴はこいつらの声が聞こえないんですか?」


 さも当然かのように言われ焦ってしまうが、注意深く耳を澄ましてもやはり何も聞こえない。


「ふむふむ…あぁそういう事か!」


 いつの間にかバルバロッサが横にいた亀と極々自然な様子で会話を始めている事に気付き唖然としていると正面から巨木に衝突してしまう。

 恥ずかしさから何事も無かったかのように態勢を立て直して走り出すが、そんな俺に気付かない程二人は会話に夢中になっていた。


「…何て言ってるんだ?」


 余りに会話の内容が気になり速度を落としてバルバロッサの横に並ぶ。

 近くにいれば…そう思ったがどうやっても俺に亀の声は聞こえない。


「どうやら俺と同じでケルベロスに仲間を何匹も殺されたらしいっす…クソッ許せねぇ…!」


 そう言って怒りに燃えるバルバロッサとは対照的に状況が分からず混乱する俺は冷めていた。


「なぁ…何でお前にはこいつらの声が聞こえるんだよ?」


「そりゃ…何ていうか…」


 俺の顔を見て気まずそうにすると小声で呟く。


「邪悪な心の人間とは喋りたくないって…」


 その言葉で思わず剣に手が伸びた。


「駄目っすよ! そんなんだから邪悪なんすよ!」


「あぁ…?」


「そもそも兄貴は殺し屋なんだから仕方ないっすよ! 亀との交流は俺に任せて下さいよ!」


 バルバロッサは間違いなく馬鹿だ、しかし根は良い奴というか、こいつも純粋無垢なのだろう。

 となるとこの亀の声は穢れのない子供のような奴にしか聞こえないのかもしれない。

 そうだそうに違いない、バルバロッサは見た目に反してオツムがガキと同程度だからこうして亀と対話出来るだけであって、まともな大人である俺に亀の声が聞こえないのは仕方のないことなのだ。

 悔しいような残念なような複雑な心境に陥るが、気を取り直してライナの救出だけを考えて走り続ける。

 そうこうしていると突然開けた場所に出るが、そこには月明かりを受け眩しいぐらいに輝く凍り付いた泉が広がっていた。


「こんな場所があったのか」


 幻想的な風景に思わず心を奪われていると突然頭上から影が差す。

 身構えながら見上げると漆黒の影のような物が泉の中央へ音も無く着地した。

 それは紛れも無く先程見付けたケルベロスだが、口元にライナの姿はない。


「…兄貴、ライナちゃんを別の場所で発見したらしいっす」


 亀情報のようだ、こうしてケルベロスの元へ辿り着けたことからその情報に間違いはないだろう。


「お前は亀と一緒にライナの所に行け」


「あ、兄貴は…」


 剣を抜くと威嚇の声を唸らせるケルベロスへ突き付けた。


「こいつを殺す」


 バルバロッサは相変わらず無表情な亀と顔を見合わせるとその場から走り去る。


「来いよクソ犬、遊んでやる」


 剣を肩に乗せ挑発をするとケルベロスは森全体を震わす程の咆哮を上げ、先程と同じように周囲に広がる影から無数の雑魚を召喚し始めた。

 しかし相手は足場の悪い凍り付いた泉の中央にいる。

 畔りに立っていた俺は思い切り氷の泉に剣を叩き付けると凄まじい勢いで泉全体に亀裂が走り、次の瞬間爆発したように水飛沫と共に氷が砕け散った。

 立ち昇る飛沫の中で雑魚が消え行くのを確認するが、ケルベロスがその中から真っ直ぐこちらに向かって突進してきた。

 一口で大の大人を容易く飲み込めそうな程の巨大な口からは俺の大剣程の牙が生えている。

 牙が俺を貫かんと勢い良く突き立てられるがそれを片手で押さえ付ける。

 すぐさま口を閉じようとするが下顎を足で踏み潰すとケルベロスは口を開けたまま間抜けな格好で動きを止められた。


「はっ、無様だな」


 巨大な口の中で蠢く涎だらけの舌に逆手に持った剣を突き刺すと、ケルベロスは凄まじい雄叫びを上げながら暴れ出すが俺は口を固定したまま決して動かない。


「この程度で終わると思うなよ」


 振り回されながらも狙いを澄まし舌を叩き斬る。舌が落ちると同時に立派な二本の犬歯も切り落とすと口内から離脱する。

 痛みは感じるらしくケルベロスは悲痛な叫びを上げながらその場で暴れ出した。

 その光景は目障りで醜い事この上無い。

 もっと苦しませてから殺してやろうと思っていたが余りに手応えが無く、興味が失せた俺は飛び上がると眼下で悶えるケルベロスの首に狙いを定める。


「くたばれ」


 躊躇無くケルベロスの首を切り落とすとそれまでやかましかった雄叫びがピタリと止み、首を落とされてもなお暴れ回る胴体を一瞬で細切れにすると直後黒い霧が一面に広がりケルベロスは跡形も無く消え去った。


「今度こそ依頼完了だな」


 剣を鞘に収めると静寂が訪れる。

 表面の氷が砕かれた泉は薄っすら青く発光し、水面から雪の結晶の形をした甲羅を持つ亀が次々と浮かび上がってきた。

 どうやら此処が雪亀の生息地らしい。


「…これでお前等も一安心だろ」


 呼び掛けてみるがやはり邪悪な俺とは会話をしたく無いらしい、口をパクパクとさせてはいるが何も聞こえなかった。

 亀の軍団は泉から浮かび上がると隊列を整え、全員が同じ方向を向いたかと思うと一斉に飛び出す。

 後を追い掛けるとその先には大量の亀に囲まれたライナとバルバロッサがいた。


「ライナは無事か?」


 背後から声を掛けるとバルバロッサは笑顔を向け、ライナは目を輝かせながら固まっていた。

 どういう訳かライナの傷は塞がっているようだった。


「こいつらがライナちゃんを治療してくれたんすよ」


 そう言って満面の笑みを浮かべるバルバロッサだが、相変わらず状況が飲み込めない。

 話を聞いてみると、どうやら雪亀に導かた先には傷付き意識を失った瀕死のライナが倒れていたそうだ。

 バルバロッサは成す術なく立ち尽くしていたが、雪亀はライナの傷口に覆い被さると雪が溶けるように姿を消し、その代わりにライナの傷が癒えたという。

 それは村長の病気を治した時とよく似た話だった。


「亀さん…ありがとうございます」


 ライナは浮かぶ亀を両手でそっと包み込むと雪亀は嬉しそうに両手両足を同時にパタパタと動かす。

 …あざといが無駄に可愛い奴だ。


「去年お父さんを治してくれて…今度は私も助けてくれて…ありがとう…」


 涙を浮かべるライナの頬に別の雪亀がピタリとくっつくと、顔を俺の方に向けて口を動かす。


「そうなんだ…。レヒトさん、ケルベロスを倒してくれてありがとうございます」


 そう言ってライナは立ち上がり深々と頭を下げた。


「…やっぱりお前も亀の声が聞こえるのか」


「はい! レヒトさんがケルベロスをやっつけてくれたお陰で平和な森が取り戻せたって、亀さんも感謝してますよ!」


 そう言って両手の上に乗った雪亀を目の前に突き出すが相変わらず声は聞こえない。

 ただ雪亀は欠伸するように大きく口を開きながら首を出したり引っ込めたりしていた。

 よくは分からないが恐らくこれがこいつらなりの感謝なんだろう。


「…おう」


 とりあえず返事をしてやると今度は頭を上下に激しく振り出す。

 言葉が伝わらないというのは不便なものだがこれはこれで見ていて愉快だ。

 微かに口元が緩むとその様子を見たライナとバルバロッサは笑い声を上げる。どうにも気恥ずかしかったが周りの雪亀達も同じ様に頭を激しく上下させているのを見て堪らず俺も笑ってしまった。

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