第4話「探索」
翌朝、目が覚めるとこれから害獣討伐だというのに俺の気は重かった。
その原因は全て昨夜の出来事だ。
まず戦闘では何の役にも立たなそうなバルバロッサが同行する事になった。
ただこいつの場合命の保証はしていない為、ケルベロスに殺されようと俺の知った事じゃない。
問題はライナだ。
狂気の森へ連れて行って欲しいと頼み込まれたが、当然ながら最初は何度も断った。
ただの人間、それも少女が害獣討伐に同行するなど論外だ。
しかし彼女が何故森で死に掛けるような危険な目に遭ってまであの森にこだわるのかは気になるところだった。
そして好奇心から軽はずみな気持ちで理由を聞いた俺は結局彼女の頼みを断れなくなってしまったのだ。
子供らしいと言えば子供らしい話ではあるが、彼女が大人の目を盗んで何度も森に進入していたのはあるものを探す為だった。
去年のクリスマス、ライナの父親である村長が病に倒れたらしい。
難病だった為、回復は難しいと思われていたがライナはクリスマスの夜に父親を救って欲しいとサンタクロースに願ったそうだ。
すると苦しげに息を漏らす父親の側にいた彼女の目の前に、突然雪の結晶のような甲羅を持つ亀が数匹現れる。
その亀はふよふよと浮かびながら縦列を組み、一匹が床に伏せる父親の額に乗るとまるで解け行く雪のように消え、残りの亀は再びふよふよと縦列を組んで森の方角へ飛んでいったという。
その翌日、不思議な事に父親の病気は完治した。
この一件はクリスマスの奇跡だと村中で大騒ぎになったそうだが、ライナはその亀が森に住んでいるという妖精で、自分の願いを叶えてくれたのだと信じて疑っていなかった。
そんな子供じみた話を聞かされ笑い飛ばしたくなったが、真剣な表情の彼女を見るとそんな真似は出来なかった。
それからだった、彼女はお礼を言いたいが為に何度も森に進入しては雪亀を探し続けていた。
きっと彼女は今後も雪亀を探す事をやめないだろう、そう考えるとどうにか説得出来ないものかと悩んだ。
しかし心からそれを信じている彼女を見ていると頭ごなしにそんなものはまやかしだなどと言えない。
かと言ってそんな雪亀の妖精なんてとてもじゃないが信じられない。
ただの妖精ならともかく…亀だ。
雪の結晶の形をした甲羅を持つ亀が空を飛ぶ? しかもそれが妖精だと?
しかしライナもまたこんな話を誰も信じる訳がないと分かっていた為、誰にも話していなかったらしい。
無理もない話だが、どうにも彼女が嘘を言っているとも思えなかった。
だとすると本当に彼女には雪の様な亀が見えたのだろう。
ライナは難しそうな顔をしていた俺を見て自嘲するように笑うと、諦めたのか瞳に薄ら涙を浮かべて去ろうとする。
しかし悲壮感溢れる後姿を見ていると子供の夢を裏切ったような凄まじい罪悪感に苛まれ、俺は結局ライナの頼みを聞いてやる事にした。
そういった経緯で俺はバルバロッサとライナを伴って森を探索する羽目になった。
いつの間にかバルバロッサは村長に何か吹き込んでいたようで、起きて早々俺は村長直々に呼び出された。
どうやら村長自身ライナの行動にはほとほと困り果てていたらしく、一流の殺し屋である俺と一緒なら安心だという事で正式にライナの護衛を依頼されてしまう。
殺し屋に少女護衛の依頼というのは腑に落ちなかったが、報酬に目が眩みつい引き受けてしまった為、これで適当な事は出来なくなった。
探索は昼から日が沈むまでという事で、昼食を済ませると待ち合わせ場所である喫茶店で俺は食後のコーヒーを楽しんでいた。
「聞いたよ、ハンターとライナちゃんを連れて森に行くんだって?」
「…情報が早いな」
「狭い村だからね、噂話なんてあっという間さ」
そう言って笑うマスターに俺は違和感を覚える。
考えてもみろ、兵士やハンターが何人も殺されている凶悪な害獣討伐に村長の娘を連れて行くんだぞ?
いくら俺が強そうだからと言って此処まで余裕を保てるものなのだろうか。
ライナ達が死のうがどうでもいい、というのなら話は別だろうがこのマスターがそんな人間とは到底思えない。
そんな俺の疑問を見透かしたのか、マスターが苦笑いを浮かべる。
「殺し屋レヒト…裏世界じゃ知らない者はいないだろうね」
「何だ、そんな噂まで広まってるのか」
「いいや、これは昔聞いた話さ」
成る程、このマスターはどうやら裏世界を知る者らしい。
それなら彼と出会った時から感じていた違和感、そしてこの余裕にも説明がつく。
「最初から気付いていたのか」
「あの大剣を見ればね。名前を聞いて確信したよ」
確かにあの大剣は俺のトレードマークと言ってもいいだろう。
恐らくあれを満足に振るえる人間など俺以外には存在しない。
「最強の殺し屋レヒトさんが一緒なら何の心配もいらないな」
「買い被り過ぎだ」
しかしマスターの笑いがふと途絶えると、店内には誰もいないにも関わらず耳打ちするような小さな声で話し始める。
「…恐らくケルベロスは悪魔の眷属だ」
その言葉に一瞬驚くが、マスターは至って真面目な様子で冗談を言っているようには見えない。
「ケルベロス…地獄の番犬ならそりゃそうだろうよ」
「ケルベロスなんてのは勝手に呼ばれているだけだが…恐らくその正体は…」
言い掛けた時、店の扉が開かれやたらと元気なバルバロッサが現れた。
「兄貴! 準備万端ですぜ!」
そう言って満面の笑みを浮かべている後ろではライナが目を輝かせながらこちらを伺っている。
「何だか冒険みたいでワクワクします…!」
そんな二人の様子を見るとそれまで険しい表情だったマスターは毒気を抜かれたのか笑顔を浮かべ、俺は一抹の不安を覚えながらもコーヒーを飲み干すと二人を伴って森へ向けて出発した。
どうやら大分前から村に滞在していたバルバロッサはライナとは既に顔見知りだったようであっさり打ち解けていた。
やたらとテンションの高い二人は森の入り口に差し掛かるまで休み無く口を動かす。
しかし森の入り口に立つとそれまでのテンションが嘘のように緊張した面持ちで言葉を失っていた。
「いいか、絶対に俺から離れるなよ」
二人は何度も頷き、ライナは俺のコートの裾を掴んで後に続く。
鬱陶しかったが振り払うのも可哀想な為、何も言わずそのまま俺達は森の中へ踏み込んだ。
今日は気持ち良い程の晴れ間が広がっていたが森の中は生い茂る針葉樹によって陽の光が遮られ、初めて立ち入った時と同じく鬱蒼としていた。
今にも何か出てきそうな不気味な雰囲気も変わっていない。
しばらく進んでいると一直線に薙ぎ倒された木々を発見しバルバロッサの表情が固まった。
「あ、兄貴こりゃまさか…」
ケルベロスを警戒してかバルバロッサが穴の空いたアックスを抜く。
「…これは俺がやった」
しかし犯人を聞いてバルバロッサとライナは呆然とした表情で口をパクパクさせた。
俺の正体をまだ知らないライナがこれを見てどう思うか気になったが、無言のまま構わず進行する。
しばらく森の中を歩き回るが俺達以外の気配は一向に感じられず、森の雰囲気に慣れてきたのか徐々にバルバロッサが饒舌になり始めた。
「しかし兄貴、一体何をしたらそんなに強くなれるんですかい?」
「…知るか、それよりその兄貴ってやめろ」
「あ、俺の事はバルって呼んでくれていいっすよ!」
人の話を聞かないのは酔っていたせいだと思っていたが、どうやら元々人の話を聞くような奴ではないらしい。
しかし当人の悪気のない無垢な笑顔を見ているとそれ以上は何も言えなかった。
「あ、そういやライナちゃんは今年はサンタさんに何を頼んだんだい?」
急に話題を振られたライナは少し考えた後、笑顔で答えた。
「妖精さんに会いたい…かな」
恥ずかしげに告白するとそれを聞いたバルバロッサは馬鹿にする事なく、満面の笑みを浮かべた。
「妖精か! そりゃ良い! もしかしたら今日中に見付かるかもしれないなぁ!」
などと能天気な事を言っているが、個人的には妖精よりもケルベロスを早いところ発見したい。
だがいくら探してもケルベロスは影も形も見当たらなかった。
ただでさえ薄暗い森は日が沈むにつれてその闇を濃くしていく。
流石の俺でも視界が暗闇に覆われてしまっては二人を守りきれる自信はなかった。
そろそろ引き返そうと考え二人にそれを伝えると、コンパスで方角を確認しナロー村へと向かう。
しかしいくら歩いても森の出口は見えて来ない上に、俺が切り倒した木々も見当たらなくなっていた。
この異変に二人も気付き出したようで、背中にピタリとライナがくっつきバルバロッサが俺の袖をちょこんと掴む。
「…おい待て、お前等鬱陶しいぞ」
「いやだって兄貴…何かおかしいですぜ…?」
「私…昨日もこうやって道に迷ったんです…」
すっかり怯えた様子の二人だがそれも仕方ないだろう。
視界は闇によって徐々に狭まり、辛うじて前方だけは視認出来るがそれもいつまで持つのか分かったものではない。
これ以上歩き回るのは危険と判断すると、その辺の木を纏めて薙ぎ倒して広々としたスペースを確保する。
そしてその場で薙ぎ倒した木を適当な大きさに分断すると用意していた火種で火を起こした。
焚き火を見た二人は心なしか少し安心した表情で暖を取る。
「流石兄貴…これで凍死せずに済むぜ…」
大柄な体を縮こまらせ焚き火に手を伸ばすバルバロッサの横で同じようにライナも暖を取る。
日没までに戻ると言った手前、村長達は今頃さぞかし心配しているだろう。
しかしこれだけ森を歩き回ったにも関わらずケルベロスの気配すら感じ取れない上に、この俺が道に迷うというのは何か妙だ。
ひょっとしたら気が付かないうちに敵の手の中に迷い込んでしまったのだろうか。
「…レヒトさん?」
難しい顔をして考え込んでいるとライナが覗き込んできた。
「何だ?」
「えっと…隣いいですか?」
特に断る理由もないので勝手にしろと伝えると隣に座り込み体を預けてくる。
「あの…ワガママ言ってごめんなさい…」
「気にするな、雪の亀なんて本当にいるのなら俺も見てみたいからな」
これは紛れもない本心だ。
最初は疑いが強かったものの、マスターの忠告…そして現に森から抜け出せなくなった事から普通の人間には理解出来ない何かがこの森で起きているのは間違いない。
そう思うと亀の妖精なんてものがいてもおかしくないと思えるようになっていた。
相当歩き回って疲れていたのか、体が温まるとライナとバルバロッサの二人はいつの間にか眠りに就いていた。
バルバロッサは縮こまったままイビキをかき、ライナは態勢を崩し俺の膝の上で気持ち良さそうに寝息を立てている。
出会って間も無い相手の膝で熟睡出来るという事はそれなりに信用されているのだろうが随分と無用心だ。
しかし穢れを知らない純粋無垢な様子の彼女にこうして信用されるのは悪い気はしなかった。
たまにはこういうのも悪くない、そう考えそっとライナの頭を撫でてやるとそのまま俺も瞼を閉じる。
しかしその時、明らかに俺達とは違う何かの気配を感じ取り目を開くとすぐさま周囲に視線を張り巡らせる。
すると闇の中で赤い光を灯す何かがこちらに向かってゆっくりと接近していた。
「起きろ二人共」
その声にバルバロッサはすぐさま体を起こすがライナは中々目覚めない。
「どうしやした兄貴?」
「…あれを見てみろ」
言われた先を見やるとバルバロッサは咄嗟にアックスを抜き俺の横へ飛び退く。
「ま、まさかケルベロス…?」
「さぁてね…ただ…」
ライナを起こさないようゆっくり膝から降ろし寝かせてやると俺は立ち上がり剣を抜く。
「一匹…って訳じゃなさそうだ」
周囲をグルリと見渡すと赤い光が増えていた。
じっと待っていると焚き火の向こう側から姿を現したそれは大きさは大型犬程度だが、話に聞いていた通り漆黒の毛並みを持ち、赤い目を光らせた犬のような何かだった。
「こいつら…ヘルハウンドか」
「ヘ、ヘルハウンド…?」
「地獄にいる野良犬みたいなもんだ」
この世界に悪魔がいるのなら地獄から野良犬が何匹か紛れ込んでいても不思議ではない。
しかしバルバロッサは言葉の意味が分からないようでただ混乱している。
「バルバロッサ、ライナを頼むぞ」
その言葉とほぼ同時にヘルハウンドの一匹がこちらに向かって襲い掛かってくるが頭から尻尾まで真っ二つに叩き斬る。
それを皮切りに周囲からヘルハウンドが次々と飛び出し俺達目掛けて飛び付いて来た。
「ひ、ひいいぃぃ!?」
バルバロッサはライナに覆い被さり震えて固まる。
だが二人が何も見ていないのなら好都合だ。
「地獄に還れ」
剣を横薙ぎに振るい数匹を同時に消し去ると後方から飛び付いて来たヘルハウンドの頭を後ろ蹴りで粉砕する。
空いた片手で別のヘルハウンドの頭を鷲掴みにして振り回し、後続に叩き付けて隙を作ると間髪入れずに叩き斬り、十数匹いたヘルハウンドはほんの一瞬で跡形もなく消え去った。
周囲から気配が無くなったのを確認すると震えるバルバロッサに声を掛ける。
「終わったぞ」
「え、あれ…マジすか…でも何処にも死骸が…」
悪魔の眷属は他の生物とは異なり絶命すれば黒い霧のようなものだけ残して消滅する。
しかしそんな事を説明したところで信じてもらえるとは思えないし何より面倒だ。
「俺ぐらいになると跡形も残さず消すんだよ」
適当な事を言うがバルバロッサはその言葉をあっさりと信用し納得した様子だった。
…こいつが馬鹿で良かった。
「あれ…バルさん…レヒトさん…どうしたんですか?」
そこでようやく目を覚ましたライナが眠たそうに目をこすりながら起き上がる。
そんな呑気な様子を見て俺とバルバロッサは思わず笑いが込み上げてしまったが、突然感じた新たな気配に俺の笑顔は一瞬で消えた。
その気配に気付かないバルバロッサとライナは不思議そうな顔を俺に向けている。
「…まぁそんな簡単に終わるはずがないよな」
依頼は完了した…そう思ったが流石はサラが持ち込んだ依頼。
どうやら今回も一筋縄ではいかないらしい。
「あ、兄貴ありゃ一体…」
その時、震える声でバルバロッサが指差した先では象のような巨軀のヘルハウンドがこちらを睨んでいた。
「こいつが親玉…噂のケルベロスか」
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