第3話「森」
クリスマス前で盛り上がっているせいか店内は満席に近かった。
偶然空いていたカウンター席に腰を下ろし適当にエールを注文すると周囲の会話に耳を澄ます。
しかしどいつもこいつも浮かれているようで大した情報もなくただ馬鹿騒ぎしているようだった。
すぐさま注文したエールが置かれ、周りの馬鹿騒ぎに苛立ちを覚えながらもそれに口を付けながら店内をぐるりと見渡す。
客の殆どが村人のようだが、隅のテーブル席に数人の屈強そうな男達が固まっているのを発見した。
気分良く飲んでいるようで周りと同じ様に馬鹿笑いをしているがこうなったら直接話を聞いた方が手っ取り早い。
そう決めるとエールを一気に飲み干し席を立ち上がると真っ直ぐ男達の元へ歩み寄る。
「盛り上がってるな」
「何だ兄さん、何か用か?」
「聞きたい事があるんだがいいか?」
別に悪い事を言ったつもりはないが、酒に酔っているせいか何なのか分からないがその言葉が男の琴線に触れてしまったらしい。
男の表情から笑みが消え、眉間に皺を寄せながらゆっくりと腰を上げる。
鎧のような筋肉に俺よりも高い背丈、身体中から剛毛を生やしており、まるで熊のような男だ。
「気安いな…俺が誰か知らないのか…?」
「知る訳ないだろ」
「おい聞いたか、俺を知らないってよ!」
周りにいる仲間達に
何がおかしいのか分からないがとりあえず殺意が沸々と込み上げてくる。
しかしこいつから貴重な情報が得られるかもしれない、そう自分に言い聞かせ辛うじて理性を保つ。
「…悪いな、此処には来たばかりなんだ」
「けっ、旅人か。だったら教えてやる…俺はかの有名な猛獣ハンター、バルバロッサ様だ」
猛獣ハンター? バルバロッサ? どれも聞いた事のない名前だ。
しかし体付きや装備、テーブルの横に立て掛けられた巨大なアックスからこの男がハンターであるのは間違いない。
「そうか、だったらこの辺に現れるっていう害獣について教えて欲しいんだが」
「おい兄さん…さっきから気に食わないな」
「…あ?」
「このバルバロッサ様の獲物を狙おうとは…だが何より! その態度が一番気に入らねぇ!」
大声を上げると男はアックスを手にして俺の首元に突き付けた。
「がははは! ビビって動けなかったか?」
…さてどうする、流石に此処でこいつを殺すのは拙い。
だがしかし今すぐに殺したい。
「声も出ないってか! 情けない野郎だぜ! 玉無しかオイ!」
その瞬間、俺の拳がアックスの腹を貫いた。
「悪い悪い、声より先に手が出ちまった」
恐らく自慢の一品だったのだろう。鋼鉄のアックスを素手で貫かれ、それまで紅潮していた男の顔が一瞬で青褪めた。
「猛獣ハンターだったか。此処に飛び切りの猛獣がいるぞ、どうする?」
「な…何をしやがった…」
「見て分からないのか。なら次はお前の身体に叩き込んでやろうか?」
「ひっ…!?」
腰を抜かした男がその場で尻餅を突く。
「選べよ、俺の質問に答えるか此処で死ぬか…どうする?」
「なななな…何者だあんた…?」
周囲がざわつき始め、これ以上騒ぎになるのも面倒な為、周りには聞こえないよう男に小声で告げる。
「俺は殺し屋のレヒトだ、死にたくなければ付いて来い」
低くドスを効かせた声で脅すとどうやら俺の名前を知っていたらしく、微かに短い悲鳴を上げると全力で何度も頭を縦に振った。
仲間に待っているよう告げると男は店を後にする俺の後ろを素直に付いてくる。
店を出て裏路地に入ると男は突然目の前で土下座した。
「ま、まさか貴方様があの有名な殺し屋レヒト様とは露知らず、マジすんませんっした!」
「…害獣について知ってる事を教えてくれ」
何やらこれはこれで面倒な事になったが、俺が欲しいのは謝罪ではなく情報だ。
この光景を誰かに見られたらあらぬ誤解を招きかねない為、とりあえず男を立たせる。
「ケ、ケルベロスの事ですかい?」
「ケルベロス?」
「へい、狂気の森にいる害獣ならケルベロスの事かと…」
どうやらあの森は以前から一部の村人に狂気の森と呼ばれているらしい。
その理由として害獣が現れる前からあの森には人間を惑わす妖精が現れ、それを見た者はそのまま地獄へ連れ込まれるという噂が囁かれていた。
そしてここ最近現れた害獣のせいで狂気の森という呼び名が定着しつつあるらしい。
そして肝心の害獣だが、辛うじて生き延びたハンターが死ぬ直前に遺した証言によると象の様な巨軀に、漆黒の毛並みを持った狼の様な獣だったという。
その事からハンター達の間では件の害獣はケルベロスと呼ばれるようになっていた。
「しかしそれだけ目立つ風貌なら簡単に見つかりそうなんだがな」
「その辺はどうだか…発見した奴は全員死んでますからねぇ…」
「そんな化け物に挑むつもりだったのか」
「…仇なんですよ」
そう言う男…バルバロッサは酔いがすっかり冷めたのか思い詰めた表情で語り出す。
「俺がいたハンターチーム…ロビン沸騰のメンバーは俺を除いて皆ケルベロスに殺されたんすよ…」
チーム名を聞いて思わず吹き出しそうになるが、当人は至って真面目な為何とか堪える。
しかしそんなふざけた名前には聞き覚えがあった。
ロビン沸騰…ハンター業界では名の知れた集団だったと記憶している。
リーダーがふざけた名前とは裏腹に中々のキレ者で、その実力はハンター最強とも言われていた程だ。
「あんたは何で生きているんだ?」
「寝坊しちまって…皆して俺を置いて偵察がてら森に入っていったみたいなんですよ…」
ケルベロスと遭遇した者は例外なく死んでいる。
どうやら偵察のつもりがケルベロスを発見してしまい、こいつを残してロビン沸騰のメンバーは全滅したようだ。
そうなると目的の害獣討伐はとにかく森を散策するしかないのかもしれない。
結局分かったことは外見の特徴だけだが、それだけ分かれば十分だ。
「事情は分かった、ありがとよ」
「ま、待ってくだせぇ! レヒトさん…あんた一人で挑むつもりですかい?」
「…だったら何だ?」
踵を返し立ち去ろうとするが、バルバロッサは再びその場で土下座をすると頭を地面に勢い良く叩き付けた。
突然の奇行に俺は思わず足を止めてしまう。
「お願いします! 俺も…俺も連れていってくだせぇ!」
「駄目だ、役に立たん、却下」
即答してやると額から血を、瞳からは涙を滲ませたままバルバロッサは縋るような目で見上げてきた。
「俺このままじゃ…悔しんでさぁ…。ロビン沸騰の仇を…これが俺に出来る唯一の弔いなんでさぁ…」
気持ちは分からんでもないが、ロビン沸騰を全滅させるような害獣を前にこいつなど何の役にも立たないどころか一瞬で殺されかねない。
俺には百害あって一利もないその提案は到底受け入れられるものではなかった。
「兄貴ぃ! 頼みます!」
男としてのプライドもかなぐり捨てたのかバルバロッサは鼻水を垂らしながら俺の足元に纏わり付いてくる。
「おいやめろ、離せ!」
「兄貴ぃ! 兄貴ぃ! 後生ですだぁ…!」
バルバロッサが足にしがみ付いたまま離れない為、そのまま足を持ち上げ振り回すがそれでも一向に離れる様子がない。
それどころか振り回す度に涙か鼻水か分からない液体が飛散して非常に危険だ。
「オーケー、分かった。まずは離れろ」
「じゃ、じゃあ…!?」
言われた通り足から離れたバルバロッサは正座をしながら目を輝かせる。
「…命の保証はしないぞ」
「へへっ、当たり前でさぁ! 兄貴の邪魔はしませんよ!」
何やら面倒な事になってしまったが、俺よりも情報を握っているバルバロッサが味方になったのなら情報収集の手間が省ける…そう思っておこう。
翌日に喫茶店へ集合するよう伝えると今度こそ踵を返して一人宿屋へ戻った。
ベッドに横になるとどっと疲れが押し寄せてきた。
思えば王都を出てから此処まで一度も睡眠を取っていない。
命懸けとも言える登山の後、下山時には体中の骨も一度砕かれている。
我ながらこの不死身の肉体には驚かされる事ばかりだった。
今では便利なものだと開き直ってはいるものの、これから先も他者と異なる理の中で永遠に続くかのような孤独と共に生きるのかと思うと時々ふと不安に駆られる事がある。
別に弱気になっている訳ではない、何一つ自分の正体が分からないという恐怖がどうしても付き纏うのだ。
自分の力であるにも関わらず、それを自己の意思によって制御しているのか、或いは何者かによって制御しているように見せかけられているのか…そんな疑問や不安を持ったところで答えなど永遠に得られないのは分かっている。
それでも自分自身把握し切れていない正体不明の自身というのはどうにも落ち着かないものだった。
ふと窓の外を見やるといつの間にか雪は止み、不気味な程の静寂が村全体を覆っていた。
しかし村の外で月の光を乱反射させ輝く雪景色はまさしく白銀世界と表現するに相応しい幻想的な風景だ。
少しばかり外の空気を吸いたくなったのもあって俺は一張羅のコートを羽織ると外へ飛び出した。
村人による除雪作業によってナロー村にはほとんど積雪がない。
これだけの寒冷地帯だ、除雪作業など村人にとっては庭先の掃除をするようなものなのだろう。
そんな事を考えながら一段と冷え込む村を歩いていると気が付けば何もない雪原が目の前に広がっていた。
そういえばこの地域の雪は質でも違うのだろうか、ここまで綺麗な積雪は初めて見た。
誰の足跡もない雪のベッドを踏み締めると雪は予想以上に柔らかく、包み込まれるように足が沈み込む。
そして軽く小気味良い足音に不覚にも遊戯心が煽られる。
「…まぁ、誰も見てないしいいか」
という訳で俺は折角の雪を堪能する事にした。
まっさらな雪原に新たに自分の足跡をつけていく快感、振り返るとそこには歩んできた軌跡。
まるで人生のようだ、などと恥ずかしい言葉が思い浮んだ。
今度は思い切り飛び上がり背中から大の字になって雪原に埋まる。
体を起こし窪みから起き上がると綺麗に自分の跡が残されていた。
それを見て満足すると今度は意味もなく雪玉を作り、それを雪原で転がしていくと自分の背丈程はある巨大な雪玉が完成した。
これを思い切り何処かに投げ付けたい衝動に駆られるが、万が一こんな危険物が誰かに当たったら洒落にならない。
ならば、と雪玉の前で構えを取り一度深呼吸をする。
「…ほあたぁっ!」
巨大な雪玉に掌打を叩き込むと雪玉は気持ち良く木っ端微塵に爆散し、散った雪は月明かりを乱反射してキラキラと輝いていた。
不覚にもその光景に見惚れていると、ふと後方に何者かの気配を感じ取る。
まさか…見られた…?
そう思うと急激に恥ずかしさが込み上げてきたが、なるべく平静を装って振り返るとそこには昼に助けた少女、ライナが先程の俺と同じように舞い散る雪に見惚れていた。
「…何見てんだよ」
声を掛けるとライナは我に返ったのか、突然慌てふためき踵を返して走り出す。
しかしその直後に足を取られ顔面から派手に雪へ突っ込んでいた。
近寄ると先程俺が残した跡のように、綺麗にライナの型が取れている。
何とか体を起こしたライナだが、背後に俺が立っているのに気が付くと再び慌て出した。
「あの…あの…! ご、ごめんなさい!」
彼女が一体何について謝罪をしているのか分からないが、慌てふためきながらも何処か笑いを堪えているように見える。
…まさか最初から全部見られていたのか?
「ゆ、雪って良いですよね?」
ガッデム、俺とした事が何故こいつの存在にもっと早く気が付かなかったんだ。
どうやら童心に還って雪遊びに夢中になり過ぎていたらしい、いとも容易く背後を取られるとは殺し屋としてこれ以上ない失態だ。
「ああぁぁ、私も好きですから! 落ち込まないで下さい!」
何やら俺が沈んでいる理由を勘違いしているようだが、いちいち説明をするのも面倒だ。
とりあえず発見時は顔面蒼白で氷の様に冷たい体をしていた少女はすっかり快方したようだった。
「もう体は大丈夫なのか?」
話題を逸らすとライナはすぐに何かを思い出したように姿勢を正し深々と頭を下げるが、流れるような丁寧な動きは流石村長の娘だろうか、しっかりと教育されている印象を受けた。
「あ、やっぱりあなたが私を…本当にありがとうございました!」
「しかしよく俺が分かったな」
「全身黒尽くめの人なんてそうそういませんよ」
口元に手を当て笑いを堪えるその姿はまだあどけない顔でありながら上品さを孕んでおり妙なギャップを覚える。
「あ、私はライナです」
そう言ってライナは被っていたフードを脱ぎ去り、再び頭をペコリと下げると長い銀髪が広がった。
「…俺はレヒトだ、大した事はしてない」
面と向かって感謝されるのはどうにも気恥ずかしく、そっぽを向いてぶっきらぼうに答えるが、それきり沈黙が訪れ気まずくなる。
「もしかしてレヒトさんは…ハンターさんですか?」
そんな沈黙の中、ライナがおずおずと尋ねてきた。
何と返答すればいいか悩んだが適当にそうだと答えるとライナの目が輝き出し思わず身を引いてしまう。
「あの…お願いがあるんです」
期待に胸を膨らませているようだが、その表情は真剣だ。
…どうにも嫌な予感がする。
「…何だ?」
一応話だけでもと聞いてみるが、狂気の森に連れて行って欲しいと頼み込んできたライナに軽い頭痛を覚えた俺は思わず頭を抱えた。
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