第10話 恋は特効薬
そう簡単に治るとは思っていませんでしたが、やはり元の木阿弥。
鏡に映った自分が、醜く肥ってしまったと泣き喚き、戻すようになってしまったかと思うと、これでもかというくらいに食べ漁るのでございます。
今もサプリメントを過剰摂取しようとして、二人で止めに掛かっているところでございました。
困り果てているところに、家のチャイムが鳴ったのでございます。
険悪なムードの和華子さんに代わって、わたくしが応対に出たのでございます。
小さな画面に映し出された訪問者を覗き、わたくしの顔は綻んだのでございます。
古くなってしまった家を昨年建て直し、これを付けたのですけど、世の中便利になったものでございます。
自治会長の三河平吉さんでございます。
禿げ頭に灰色の作業帽は、平吉さんのトレドマーク。この帽子、ほんとうに使い古されていて、ボロボロなんですけどね、愛着があって捨てられないのですって。
「蓮歌ちゃんいるかい」
「はいはい。今開けますよ」
二つ返事で玄関を開けたわたくしに、平吉さんは、ニッカッと煙草のやにだらけになった歯を見せて笑って見せます。その後ろで、恥ずかしいそうに男の子が、顔をのぞかせたのでございます。
なんて可愛らしい男の子でしょう。
髪の色が少し赤く、瞳はコバルトブルー。一目で、平吉さんのお孫さんと分かったわたくしは、その子に、こんにちはと声を掛けたのでございます。
はにかむように、その子も、こんにちはとたどたどしい口調でございます。
「おらんとこの孫、真琴だ。おおー、ちょうど良かった愛ちゃん、この子と遊んでくれんかい。暇潰す相手いなくて困ってんだ。助けてくれ」
振り返ると、愛梨がいるではありませんか。
どうやら、テレビ画面に映った男の子に興味がわいたのでしょう。
「ヨロシク、オネガイシマス。ボク、マコトトイイマス。4ネンセイデス」
「愛ちゃんと同い年だんべ。遊んでやってくれや」
キッチンのドアを半分だけ開けて顔を覗かせた愛梨が、恥ずかしそうに頷いて見せます。
「良かったな真琴。愛ちゃん、うちに来い。うめーもん、沢山食わしてやんから。これは、みんなで食ってくれ」
自家農園で拵えたきゅうりとナスでございます。
でも、愛梨は大丈夫なのでしょうか。靴を履く愛梨を心配で見ていますと、満面の笑みで行ってきますと、あっさりと出掛けて行ってしまいました。
本当に嬉しそうな笑みでございます。
まぁ仕方がないのでしょう。真琴君、父親がアメリカ人というだけあって、なかなかの男前でございます。
たどたどしい日本語で、ヨロシクオネガイシマスなんて言われて、一ころにされてしまったのでしょう。
夕飯をごちそうになった愛梨は、平吉さんと真琴君に送られて帰ってきました。
「マタ、イッショニ、ゴハンヲタベヨウ。キモチ、ワルカッタライツデモヨンデクダサイ。ボク、セナカヲサスッテアゲマス」
「大丈夫だよ」
そう言う愛梨に、真琴君、本当にですかと片言で訊き返します。
目を伏せる愛梨の肩に手を置いた真琴君に顔を覗かれ、顔を真っ赤にしております。
「ボクノクニデハレディヲタイセツニスルノハアタリマエデス。レディガツヨイクニデモアリマス。アイチャンハウツクシイデス。デモボクハモットフトッテイルレディノホウガウツクシイトオモイマス」
これには参りました。
片言で一生懸命言われては、愛梨の心に響かないわけがありません。
コクンと頷く愛梨に、真琴君の飛び切りの笑顔でございます。
もう見ているこちらの方が、恥ずかしくなるくらいでございます。
真琴君が手を振ります。
「マタアシタ、イッショニショクジシマショウ」
「うん。また明日ね」
すっかり打ち解けたようでございます。
「平吉さん」
いったん玄関を閉めてから、わたくしは平吉さんを呼び止めたのでございます。
「愛ちゃんなら大丈夫。お替りしてくれたよ。明日も寄こせ。ウチのも大歓迎だって言っているから。それに、真琴も日本に来たばかりで、寂しがってたから丁度いい。じゃあな」
「おやすみなさい」
先日、町内会の集まりで、ぽろっと和華子さんが奥さんに零したのを気にかけていてくれたんでしょう。
夫婦揃ってのお人好しでございます。
だから10年以上も、自治会長を務められるのでしょうけどね。
あれ程手を焼かされた愛梨の食事は、断然増え、今では、真琴君の為にクッキーを焼くと言って、和華子さんと二人、楽しそうにキッチンに立っております。
本当に、平吉さんには感謝、感謝でございます。
美味い酒でも、智久に持って行かせましょう。
渋面をしておりますが、智久も父親の端くれ。娘の笑顔を取り戻せたのですから、ホッとしたはず。何も言いませんが、見ていれば分かります。どんな言い合いになっても、愛梨がいる間は、そこのソファーで新聞やら、本を読んでおりましたが、先に進んでいなかったのは、一目瞭然でございましたから。
父親とは、不憫なものでございます。
娘にどうやって接して良いのか、分らないのでございます。
ましてや、智久には父親に接する時間はあまりに少なすぎたのでございます。
この不器用な優しさは、智蔵さん譲りの物なのでしょう。
和華子さんも、そのあたりはよく心得ているようで、どんなに激しい言い争いしても、その翌日にはケロッとして、智久の面倒を見てくれております。
じんわりとした、幸せが込み上げて来てしまったわたくしは、自分の部屋に戻った方がよろしいようでございます。
不用意な涙は、家族を心配させる原因にさせますものね。
何はともあれ、こうして我が家の食卓は、明るいものへと変貌を遂げたのでございます。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます