第4話 秩序と誠実

 帰り道、ここら辺もだいぶ、あの当時と変わってしまっていました。 

 そう長くは生きられない雪乃さん、どんな気持ちなのでしょう。

 ちょうどあの神社の前を通りかかったわたくしは、ほろ苦い記憶が蘇り、ふと足を止めたのでございます。

 土の湿気った匂いと血の味。

 そんな思い出でございます。

 

 女がてらに取っ組み合いのけんかをして、でもどこかすがすがしい気持ちになっていたと、記憶に残っております。


 もうすっかり辺りは暗くなっておりました。血の味でいっぱいになった口を、湧水で漱ぎ、二人で階段を笑いながら下りて行きます。

 髪もボサボサで、白いブラウスは台無しになってしまっておりました。

 母に、なんて言い訳しましょうって言うわたくしに、バカみたいって、雪乃さんが言うものですから、つい、そっくりそのまま、あなたこそバカみたい。と言い返したのでございます。

 わたくしにとっては、なんでもない会話。しかし、雪乃さんには少し違っていたようでございます。

 雪乃さん、真顔になって、あなたのお母様って、どんな人って聞いて来くのでございます。

 「普通の人よ。父や私たち子どものために、朝から晩まで家事をこなしているわ」

 「そう」

 「雪乃さんのところは、大変よね。造り酒屋さんですもの。私の母と違って、やることが多いんじゃない?」

 「そうね。切り盛りが大変で、毎日、イライラしているみたい。父さんにも、気を遣っているみたいだしね。今の父さんは二人目なの。前の父さんは、私が八つの時に死んでしまったわ。前の父はね、腕利きのいい職人で母がと言うよりも、祖父母が見初めたお相手だったの。大事な跡取りが死なれて、相当焦ったみたい。すぐにお見合いで新しい人を見つけ、丸く収めたみたいだけど」

 そこで雪乃さん、顔を曇らせます。

 「どうかしたの?」

 「ああ私、何で女なんだろう。私が男だったら、母も慌てて次の人を探さなくても済んだのに」

 難しいことは、分かりません。古くからある造り酒屋さんでございます。いろいろと、わたくしの知らないものがあるのでございましょう。

 ふうっと長い息を漏らし、血って、大切よねって、しみじみ言うので、わたくしは何事かと、雪乃さんの顔を覗き込んだのでございます。

 「私、父に、抱かれているの」

 その時のわたくしの驚きといったら、そりゃあ大変なものでございました。

 今にも泣き出しそうな雪乃さんの横顔に、わたくしはなんて言ってあげればいいのか、分かりません。

 「お母様は、ご存じなの?」

 ようやく絞り出した声が擦れて、なんだか自分の声じゃないみたいだったのを、よく覚えております。

 「知っている、と思うわ。たぶん。今晩も、あいつは、私を抱きに来るの。だから、私、決めたの」

 雪乃さんはただならぬ表情をしておりました。

 いけません。そんなことは断じてしてはいけないのです。ぴんときたわたくしはしっかり雪乃さんの手を握り、黙々と自分の家に連れて帰りました。

 親は目を丸くしてましたが、放っておくわけにはいきません。母にだけ事情を話し、どこか身を隠せるところはないかと、相談したのでございます。

 面倒事が嫌いな母は、あまりいい顔をしませんでしたが、事情が事情でございます。ましてや雪乃さんをまじまじと見てから、ここらへんに置いとくのも毒だねと言って、知人を紹介してくれたのでございます。

 


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