死霊より恐ろしきもの

 組事務所に戻った俺は、兄貴達や舎弟達に、この所続いている組のモンや家族の死が死霊と呼ばれる幽霊の仕業だと言う事を、解る範囲で説明した。

 兄貴達は幽霊に殺されたなんて、と、鼻で笑っていたが、少しばかり霊感の強い舎弟の鮎川が真っ青になって頷いていた。

「あいつ等死霊って言うんすか……」

 みんな一斉に鮎川を見た。勿論俺もだ。

「鮎川…お前、奴等を知っていたのか?」

「知っているも何も…三ヶ月くらい前から組のモンに沢山纏わり付いていますよ……」

 鮎川が美木多の兄貴をチラッと見た。美木多の兄貴は慌てて肩や背中を払うような仕種をする。

「そいつ等…死霊だっけか?なんで俺達に取り憑いてんだよ?」

 吉田の兄貴が特に興味も無さそうに煙草に火を点けながら訊ねた。

「何か…俺達に追い込まれて自殺した奴等とか、それこそ殺した奴等が一挙に祟ってきたらしいんすよ…」

「ケッ!自殺した奴等?殺した奴等だ?自殺するような真似する奴が悪いだろうが?殺した奴等だってそうだ。殺される真似した奴が悪い。俺達は手当たり次第に殺してる訳じゃねぇんだからよ」

 吉田の兄貴は面白くもなさそうに、吐き捨てるように言う。

 ウチに借金してくるような奴や、薬漬けになって狂って向かってきた馬鹿も確かに悪い。だが…

「全部逆恨みって訳でもないでしょう?」

 実際俺達はやり過ぎた。

 殺したら殺されるんだ。

「馬鹿言えよ?逆恨みもいい所だ。俺達に関わったからそうなっただけだ」

 吉田の兄貴だけじゃない。ウチの組のモンは大抵そう言うだろう。俺も以前だったらそう言っていたに違いない。

「吉田の兄貴!ヤバいす!」

 鮎川が叫んだと同時に、吉田の兄貴は何もしていないのにすっ転んだ。

「ぐあ!!」

 床に後頭部を激しくぶつけ、頭をさすった。

「いてて……誰だ!!俺を押した奴は!!」

 吉田の兄貴は後ろを振り返る。

「……今…確かに誰かに押された筈だが…」

 吉田の兄貴の後ろには、誰も居ない。ただ、壁があるだけ。

 その壁の上の方に、神棚が備え付けてあった。


 ガタン


 神棚を支えている板がいきなり外れ、吉田の兄貴に神棚が降ってきた。

「うあ!!」

 頭に神棚が直撃する。

 確かにそこそこ頑丈な神棚だが、吉田の兄貴は頭から思いっ切り血を噴き出した。

「吉田!!おい吉田!!」

 美木多の兄貴と舎弟の久保が吉田の兄貴を抱き抱える。

「ひっ!ひっひっひっ!」

 久保が引き攣りながら吉田の兄貴から後退りし、離れる。

「なんてこった…」

 美木多の兄貴は吉田の兄貴を抱き抱えていた腕を放した。

 吉田の兄貴は頭蓋骨から血と脳漿を撒き散らし、死んでいた…

「神棚程度の重さで、こんなになる訳ねぇよ…」

 傷は高い所から砲丸投げの鉄球を落とされたように、一瞬で吉田の兄貴の命を奪う程の傷を作った。

「あ、あいつ等が…吉田の兄貴の背中を押して…神棚を落としたんだ…」

 ワナワナと震えながら、壁に向かって指を差す鮎川。

 そこには当然誰もいなかったが、あの肉の腐ったような臭い…腐敗臭が漂っていた。

「お、おい…じゃあ俺達も吉田や神山みたいに…」

 俺はゆっくりと頷いた。

「霊能者を数人当たりましたが全て断られました。若頭も北まで行って霊能者に断られたそうす」

「…鉄兄ぃ…なんで鉄兄ぃには死霊が寄ってきてないんすか…?」

 鮎川の弁で美木多の兄貴と久保が俺を見る。

「実はな……」

 俺は北嶋の先生の事を話した。

 北嶋の先生に迷惑をかける事になるかもしれないが、いずれ若頭もボロボロになって組に帰ってくるだろう。

 仇討ちなんて北嶋の先生には通用しない感じがあるが、ここで北嶋の先生にみんなで頭下げて行けるチャンスが作れるかもしれない。

「…つまり鉄兄は北嶋って霊能者から、死霊を追っ払う御札とか御守りを貰っているんすね」

 鮎川の一言で空気が変わった。

「……なんだよ…美木多の兄貴…久保に鮎川…何でそんなおっかないツラで俺に近付いてくる?」

 三人は俺を取り囲むように近付いてきて、遂には俺を壁際まで追い込んだ。

「自分だけ助かろうって事ぁねえだろ?」

「ズリーすよ兄ぃ」

「お、俺まだ死にたくないんすよ!!」

 どいつもこいつも目がイッている。なんかヤバいな…

「だからみんなで北嶋の先生に誠心誠意…」

 俺の言葉を遮り、三人が一斉に叫んだ。

「「「御札と御守りよこせぇぇぇ!!!」」」

 美木多の兄貴が俺の頬を殴った。

 その拍子に派手に壁に激突した。横ツラと後頭部が痛む。

「な、何をするんすか!?」

 睨み付ける俺の腹に久保がパンチをくれた。

「げぇっっ!く、久保!!テメェ…」

 腹を押さえる俺の手のひらに、ヌルッとした感触を覚える。

 俺は手のひらを見る。

「!?ぐあぁぁぁぁああああ!!久保ぉ!!マジかぁ!!!」

 俺の腹にはナイフが突き刺さっていた。

「へ、へへ…美木多の兄貴!御守りと御札は二人で分けましょうよ!!」

 ヘラヘラと笑い、美木多に取り入っている久保に鮎川が殴りつける。

「ふざけんな久保!!俺にも寄越せやあ!!」

「がっっ!!」

 ひっくり返った久保。それを見下ろして言った。

「こうしてる間にもあいつ等はニタニタ俺等を見てんだよ!!いつ襲い掛かってくるか解んねぇんだ!!」

 鮎川は俺の懐を弄り、北嶋の先生と神崎さんから貰った御札と御守りを奪った。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


──むう……

 海神様の社をお掃除していると、海神様が怒りとも絶望ともつかない、強張った表情を見せた。

「どうなされました?」

 手を休め、海神様に伺う。

──先程来た客が…我の清めの塩を持って帰った客が殺された…

 持っていた箒を落とした。

 カランと乾いた音が響いた。

「死霊に通用しない筈が…」

──当たり前だ!!

 海神様が厳しい顔で私を見る。

──我が作った清めの塩は死霊など寄せ付けぬ!!あの客を殺したのは身内よ!!

 身内?もしかしたら…

「鉄さんは同じ組の人に殺されたんですか!?」

──我の清めの塩と勇の作った札を奪おうと、箱の中で共に働いていた者共に殺されたのだ!!

 海神様は苦々しい表情で続ける。

──恐ろしいのは死霊…死んだ者共ではなく、まだ生きていたい身内だったとはな!!

 人間全てに皮肉を言っているような、そんな口調で吐き捨てるように言った。

 なんかやるせない気持ちが私達を支配していた…


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 俺は自分が横たわっているのを、自分の横で立って見ている。

「後の御守りはテメェ等で分けろや。2つの死体はドラム缶に入れてコンクリで蓋しとけ」

 美木多の兄貴は鮎川から御札を取り上げ、ホッとした顔で、そう言って事務所から出て行った。

 久保と鮎川は、神崎さんから貰った御守りを奪い合うように殴り、蹴り、俺の腹の血よりも激しく出血していた。

──身内に殺されるとはなぁ…クカカカカカカカカカ!!

 練炭自殺の死体が馴れ馴れしく話掛けて来た。

──俺はやっぱり死んだのか…

 死霊共を見られるようになった俺…そちらに仲間入りって事か…

──あの霊能者に逃げ込んだ時は困ったが、結局は安川組だもんな?お前等は本当に愚か者だなぁ?

 ミイラみたいな死体が愉快そうに笑って指を差した。

──そうか…やっぱり北嶋の先生は凄ぇ人だったんだ…

 俺は死霊共から離れて外に出る。

──お前は安川組に仕返しはしないのかぁい?キャハハハハハハハハ!!

 顔面が膿にまみれた娼婦みたいな女が嘲笑いながら聞いてきた。

 しかし俺は無視して外に出た。最後にどうしても会いたい人の元に向かう為に…


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「くそがっ!!北嶋め…ヤクザモンをここまでコケにしやがって!!」

 病院のベッドで包帯まみれになって寝ている俺は、顔を顰めて毒付いた。北嶋にやられた傷が痛み、それも相まって。

 腕を折られ、鼻を潰され、刀で斬り付けられ…安川組で若頭まで昇った俺だが、今までこんなにブッ叩かれた事はない。

 女房と子供がこの病院に向かっているが、こんな様は正直見せたくはなかった。


「いちいち突っ込むなオッサン!!玄関弁償しろ馬鹿野郎!!」


 思い出して更にイラつく。

 俺の治療費の方がデカい金額なのに…あの野郎……!!

 玄関の弁償に拘るあのカスは、地元に帰ってから組のモン総出で潰しに行く!!

 腹が立って腹が立って今日は寝れそうにない。

 苛々しているその時、看護士が俺の個室に入って来た。

「峰康さん、奥さんがお見えになりましたよ」

 田舎臭いババァの看護士の後ろから、女房と俺の息子がツラを覗かせた。

「パパ、大丈夫?痛くない?」

 いつもは俺の顔を見ると飛び付いてくる息子の幸雄が、遠慮がちに、そして心配そうに俺に近付いてくる。

「ああ、大丈夫だ。明日には家に帰るぞ」

 幸雄は5歳になったばかり。まだまだ甘えたい盛りだ。

 怪我をしているとは言え、俺が家にいる事が嬉しいんだろう。機嫌良くニコニコと笑い出した。

「アンタ…アンタがそこまでやられる相手って、どんな奴なの?」

 女房の妙子が仇を討たんばかりの闘争心を見せる。

 俺よりも20近くも年下だが、この迫力に俺は惚れて一緒になったようなもんだ。

「北嶋っつう霊能者だ。ふざけたカスだ!!」

 落とし前は俺が付けると釘を刺し、動かないように念を押す。ほっとけば勝手にぶっ殺しに行ってしまいかねないからな、妙子は。

「まぁ、アンタがそう言うなら…だけど、北嶋…霊能者……」

 妙子がスマホを取り出し、検索をし始めた。

「……アンタ、何かとんでもないのに祟られてんの?」

 妙子が神妙な顔をして俺を見る。

 死霊の事を言おうか言うまいか悩んでいた俺を焦れったく思ったのか、妙子が話を続ける。

「聞いた事があると思って検索したけど…北嶋 勇って霊能者はここ最近頭角を現してきた霊能者で、こいつに掛かったらどんな悪霊でも全く歯が立たないらしいわ」

 北嶋ってのはそんなに凄ぇ奴なのか……

 そういや、イタコのババァも似たような事を言っていたな。

「この頃腐ったような吐き気をする臭いをたまに感じるけど…」

 妙子が気味悪そうに身体を擦った。

「まぁ、いいじゃねぇか。北嶋がどんなに優れた霊能者だろうと、ケジメを取るのには変わりはない」

 動く左腕で、禁煙の病院の個室で煙草に火を点ける。平静を装うためだ。

 何つうか…あいつはガチにやべえ…ケジメは付けるが、組員全員で武装して向かって行っても傷一つ負わせられねえような…

「病院でボヤ騒ぎはやめてよね」

 妙子の声で我に返る。何だっつうんだ?どんなに強かろうが、怖かろうが、たかが人間だ。ちょっとビビりすぎたな。

 妙子は缶コーヒーの空き缶に少し水を入れ、俺の枕元に置いた。そういや灰皿がねえな。

「病院ってな不便な場所だよな。煙草も吸えないなんてな」

 消そうともせずに、煙草を普通に吸いながら愚痴った。


 看護師に個室にもう一つベッドを運ばせて、女房と子供の寝床を作った。

「今日はここで寝るの?」

「ああ、今日だけな。お母さんと晩御飯食べておいで」

 時間は既に夜になっていた。

 幸雄の晩飯の時間はとうに過ぎている。

「そうね。行きましょうか幸雄」

「パパは?」

 幸雄の手を引く妙子にそう尋ねた。

「俺は病院の不味いご飯しか食べられないんだ」

 身体中ガタガタなのに、動くたびに痛む今、流石に外出して一家団欒って訳にはいかない。

 不満そうな幸雄の手を引き、妙子が病室から出で行った。

「……行ったか」

 俺は再び煙草に手を伸ばした。

 一本加え、火を点けるが、利き腕が骨折してるので、火を点けるのに手間取っていた。


 ポッ


 不意にライターに火が点いた。

「えっ?」

 俺の左手にはライターが握られている。

 じゃあ、俺の目の前で火が点いているライターは?

 その時、俺の右側が妙にひんやりしているのに気が付く。

 俺は恐る恐る、ゆっくりと右側に首を向ける…

「うくっ!?」

 心臓が止まるかと思うほど驚いた。

「て、鉄!?」

 俺に火を向けていたのは、舎弟の鉄だった。

 ツラは鼻が曲がっていて、腹にはナイフが突き刺さっている。

 鉄は死んだ!?目の前にいる鉄は幽霊か!?

「お、お前も死霊に殺されたのか!?」

 鉄は青白い顔をして首を左右に振る。

 俺の脳に直接話掛けているのか、鉄の意識が俺に流れ込む。


 俺は…久保と鮎川と美木多の兄貴に殺された…

 死霊を退ける御札と御守りを北嶋の先生達に貰ったんだ…

 奴等…俺の話を全く聞かず、俺をブッ殺してまでそれを奪ったんだ…

 まさか身内に殺されるとは思わなかったよ兄貴…

 兄貴…北嶋の先生に誠心誠意、お願いすれば死霊は必ずいなくなる…

 今まで世話になった兄貴だけは死んで欲しくないんだ…

 頼むよ兄貴…

 北嶋の先生に……


 いつの間にかライターの火が消えて、床にライターが落ちていた。

 鉄の姿も消えていた…

 辺りは静寂に包まれた夜の闇しかなかった……

「い、今のは…」

 幻覚を疑った。

 鉄が身内に殺されたなんて…

 しかし、あの火を点けるライターの角度は…

「やっぱり鉄だ」

 その証拠に恐怖は全く無かった。

 鮎川と久保、それに美木多は、俺が落とし前を付けて山に埋めるなり、海に沈めるなりするが…

「北嶋に…あんなカスに頭下げろと…」

 頭を抱えた。

 イタコのババァも北嶋なら祓えると言った。

 ネットの情報でも北嶋が最強の霊能者との声も大きい。

 しかし…

「いくら何でも…俺にも意地ってのがあるんだよ鉄」

 そうだ…

 死霊の恐怖も確かにあるが、今は北嶋への怒りの方がデカい。

 俺達は意地通してなんぼな商売。

 そのプライドが北嶋を頼る事を拒んでいる。

 プライドをぶん投げれば、どれだけ楽か…

 ベッドの上で目を瞑り、俺は暫く考えていた…


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「何か来た…珍しいわね…」

 北嶋さんがこの家の悪霊を倒し、負の浄化を済ませた時から、この家には霊が来る事はなかった。

 迷い込んでくる霊も、最早いない。依頼主に憑いている悪霊は依頼主と共に付いて来るけど。

 居間のソファーから立ち上がり、玄関に向かって歩く。

「律儀に玄関からとは…業は背負っているけど、悪霊じゃないわ…」

 霊としての力もあまり無いそいつは、玄関をガチャガチャと開けようとしている。

「何しに来たのか解らないけど去りなさい。ここはあなたが来るような場所じゃないわ」

 言っても無駄だと解りながらも、一応は警告をする。

 何かに執着のある霊は、ちょっとやそっとじゃ引き下がらない。ここに何の執着があるかは解らないけど。

 その時、玄関の向こうの霊が言葉を発した。

──神崎さん…神崎さん…俺は死にました……

「え?何故私の名前を?」

 驚いて玄関の向こうを霊視する。

「あなた…お昼に来た…」

 玄関の向こうでこの家に入ろうとしていたのは、お昼に北嶋さんに追い返された、安川組の鉄という男だった。

「やはり海神様の仰った通り、身内に殺されたのね?」

──そうす…舎弟二人と兄貴分に殺されまして……

 鉄さんを殺した人達は死霊じゃない。自分の死の恐怖から、鉄さんが持っている御守りと御札を奪う為に殺した身内だ。

 北嶋さんの御札と、海神様の清めの御守りは最早効果は無くなったのだが、今でも彼等は有り難く持っている事だろう。次に死霊が狙うのは、恐らくその三人だ。

「あなたの事は気の毒だけど、殺されたのは安川組の今までの行いが返って来ただけだから…私達は力にはなれませんよ?」

 安川組は理不尽な取り立てや、婦女暴行、覚醒剤の売買、他暴力団のヒットマンなど、お金になる事は全てやってきた。

 自分が潤う為に。

 自分さえ良ければ他はどうでもいい。

 その犠牲者が死霊となり、安川組に祟っているのだが、今回、鉄さんが殺されたのも、『自分だけ助かればいい』との考えで身内から殺された。

 自業自得とも言えた。

 だから成仏したいと頼って来られても、私達はお願いを聞く訳にはいかない。

──解っています…自分が普通の人みたいに成仏はできない…もう直ぐ地獄に行くんす…

 運命を受け入れているだけは立派だが…

「じゃあ、何故ここに来たの?」

 成仏したいから来た訳じゃない、地獄行きを回避したい為に来た訳じゃないなら、何故?

──北嶋の先生に…峰康の兄貴の命だけは助けて貰いたくてお願いに来ました…

 正直驚いた。自分の為にだけしか動かない安川組の組員が、兄貴分を助けて貰おうと北嶋さんに頼って来たのが。

 しかし…

「北嶋さんは一度断った依頼は絶対に請けないわ。曲げないのが北嶋さんの強さの一部分だから。それに、北嶋さんにあなたの声は届かない」

 北嶋さんは霊が見えないから、霊の願いは解らない。

 私がそう言おうとしたその時、北嶋さんが二階の寝室からボーっとしながら降りて来た。

「喉乾いたから水飲みに降りてきたが、なんで玄関に突っ立ってんの?」

 北嶋さんは玄関向こうの鉄さんに気付く訳もなく、私を素っ頓狂な顔をして見ていた。

「北嶋さん、今…お昼に来た鉄って人が、玄関向こうに立っているの」

 一応北嶋さんに伺ってみる事にした。恐らく動かないだろうけど…

「何?チンピラが今時間に何しに来た?」

 北嶋さんが全く躊躇いもなく、玄関を開けた。

「開けちゃ駄目……!!」

 開けたら入って来てしまう。しかし、私の注意は遅かった。

 鉄さんが…霊が家に入って来てしまう。

 しかし、鉄さんは家に入って来る事もなく、玄関向こうで地面に手を付いてお辞儀をしていた。

「いないぞ?」

 土下座と言って差し支えない事をしている鉄さんが見える訳でもない北嶋さんは、暗くなった辺りをキョロキョロと見ていた。

「あのね、鉄さんは死んだの。殺されたのよ…」

 北嶋さんに鉄さんが殺された理由と、ここに来た理由を細かく話した。

「まぁ、殺されたのは仕方ない。いずれそいつ等も殺されるからな。やったらやり返される、だ」

 北嶋さんはふ~んと聞きながら、本当に同情した様子を全く見せず、平然と言い放った。

──北嶋の先生…俺はもういい。だけど若頭は…峰康の兄貴は助けてくれ…

 お願いをしている鉄さんだが、勿論北嶋さんの耳には届かない。

 可哀想になり、北嶋さんに鉄さんの願いを代弁した。

「峰康?ああ、病院送りにしたヤクザか。知らんよ。勝手に死ね」

 鉄さんが帰った後で、同じ安川組の若頭が北嶋さんに報復しに来た。

 北嶋さんに直接報復に来て、返り討ちにした男を助けるとは到底思えない。

──今、若頭の病室に姐さんと息子さんが来ているんす…奴等は、死霊は今夜動きそうなんす。このままじゃ、姐さんと息子さんも危ういんす…

 これも勿論代弁した。子供の命にも関わるから、なるべく北嶋さんをその気にさせるよう、付け加えて。

「んなの自業自得だって言ったろ?お前等も奴等の家族を殺したようなもんだからな」

 しかし、北嶋さんから返ってきた言葉は、私の予想と全く同じだった。

「北嶋さん、幼い子供の命も掛かっているのよ?」

 勿論無意味な発言だと解っている。北嶋さんは良くも悪くも、自分の言葉は曲げない。

「だからな、こいつ等も同等の事をしてきたんだってば。被害者が加害者になるだけだ。俺もそうなったら全て呪い殺すよ」

 本当に助ける気を見せずに、家の中に入ろうとする。

──北嶋の先生…………!!!

 土下座しながら懇願し、涙を流す鉄さん。

 私も心情としては助けたいが、北嶋さんの言っている事も理解できる。

 もし、私が死霊と同じように理不尽に殺されたら…そして家族も同じように殺されたら…

 しかし、幼い命は護らなければならない。

 だけど、私が無理強いをしても北嶋さんは本気で戦おうとはしないだろう。それでは此方の身も危うくなる。

「北嶋さん!大変よ!若頭がこのまま死んじゃったら、玄関を弁償させられなくなっちゃうわ!!」

 私の咄嗟の叫びに、北嶋さんの歩みが止まった。

 やった!!と心でガッツポーズを取ったのは言うまでもない。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 くたばったら玄関が弁償できない?

 それは困る!!

 このボコボコの玄関で一生過ごせと言うのか!?そんな殺生な!!

「……それは大変だ!!」

 振り向いた俺を見た神崎の表情がやけに嬉しそうなのが気になるが、ボコボコの玄関は勘弁して貰いたい。

 つまり、玄関を直す為には峰康っつーヤクザモンを助けなきゃいけない訳だ。

 しかし、峰康っつーヤクザモンもそうだが、安川組だっけ?

 奴等は呪い殺されて当たり前だし、死霊が成仏できないのも知ったこっちゃねーし…

 俺に全くメリットが無いばかりか、戦う意味を全く感じないと言う、未だかつて無い依頼内容だ。

 激しく考える。

 玄関弁償させたいし、助けたくは無い。

 うーん、うーん、うーん、うーん、うーん、うーん、うーん…

 久々に悩む。知恵熱が出そうになる程考える。

 いつ知恵熱が出ても大丈夫なように、冷えピタ持ち歩かなければならないな。冷えピタより熱冷まシートの方がいいのかな?

 いかんいかん!!方向がズレた!!

 今は知恵熱より冷えピタより熱冷まシートより、峰康っつーヤクザモンの事だ。

 俺は再び考える。

 暫く悩んだ俺はひとつの結論を出した。

「よし、解った。命だけは助けようか」

 神崎の表情がパァ~ッと明るくなった。

「それでこそ北嶋さんよ!死霊なんてケチョンケチョンよっ!」

 グッとガッツポーズを作って曲げた腕の二の腕をパンパン叩く神崎。なんか嬉しそうだが、まあいいや。機嫌がいいのなら。

 ともあれ、と神崎に指示を出す。

「仕方ない。玄関の為だ。神崎、契約書を作れ」

 契約内容を聞いた神崎の顔が曇る。

「その条件は、例えサインしても、祓った後に反古にされちゃうわ」

「構わん。いいから作ってくれ」

 苦い顔をしながら居間に引っ込む。と、思ったが居間の扉からヒョイと顔を覗かせて言う。

「鉄さんがお礼言っているわよ。何度も何度も」

 何?そうなのか?

 そう思い、玄関向こうを見るも、やはり俺には全く見えない。

 そーいや、チンピラは地獄行きになるんだよな。

 いつ迎えが来るか解らんが、それまで現世をブラブラと彷徨うんだろうな。

 遺体は山か海か棄てられて、か……

 俺は神崎を再び呼んだ。

「神崎!ちょっと来てくれ!」

 居間で契約書をパソコンで作っている最中の神崎が何事かと顔を出す。

「介錯がいるか聞いてくれ」

 俺は草薙を喚んだ。

 現世でブラブラ彷徨っていたら、地獄の罪が重くなる。

 ………はず。

 タダ働きになるが、今現世から地獄に落とした方が、微量だが罪が軽くなる。

 ………と、思う。

「北嶋さん……凄い見直したわ!」

 神崎がニコニコしながら玄関向こうに独り言のように幽霊と話し始めたが、凄い見直したとは…

 今まで全然見損なわれていたのか!!

 あんなに幽霊やら妖怪やらぶっ倒して来たのに!!

 激しい落胆を覚え、跪いてしまう。

「北嶋さん!鉄さんを送ってやって!」

 チンピラの幽霊と話がついたのか、神崎は本当にニコヤカに俺に送れと言った。

「神崎…俺は一応だが、神崎の上司だぞ」

「知っているけど…今更何を言っているの?早く鉄さんを送り出しましょうよ?」

 神崎は俺の背中をグイグイ押し、チンピラがいるであろう玄関向こうまで押し出した。

 滅茶苦茶テンションが下がったが、仕方ないから斬ってやる事にした。

「まぁ、何だ。地獄は辛い所だが頑張れば良い事がある。行った事ねーけど。じゃあな」

 俺は草薙を振った。

 手応えなんて感じないが、神崎が頷いている所を見ると、多分斬ったんだろう。

「契約書出来たら峰康っつーヤクザモンの病院に行くぞ。八つ当たりしに」

 今まで見損なわれていた鬱憤を、少しばかりヤクザモンで晴らそうと目論んだ。

「解った…ん?八つ当たり?」

 神崎が聞き返すが再び言う気力はない。

 俺は契約書ができるまで、部屋でマッタリとする事にした。

 今までの戦いが何なのか、少し振り返る。

 と、思ったが面倒なのでやめた。

 つか、俺は今まで無敗。改まって振り返る必要などないだろ?

 じゃあ何故見損なっていたのだ。

 うーん、うーん、うーん、うーん、うーん、うーん、うーん…

 激しく考えようとしたが、知恵熱が出たらマズいから、考えるのをやめた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る