男と女が悶えれば。
「……………」
「……………」
人間という生き物は、稀によくわからぬ心理が働き、理念の伺いしれぬ行動に出てしまうことがある。
『ノリと勢い』という頭の悪そうなカップリングに支配され、行動に移した時点で既に後の祭り。生憎な事に、俺たち人類は過去の
「……昆布茶は飲めるか?」
「……へ?あっ…はい。好きです、昆布茶」
「…そうか、今淹れてくる」
「…はい。お心遣いをいただきありがとうございます」
「……」
「……」
単刀直入に言おう。非常に気まずい。なんなんだこの歯切れの悪い会話は。
俺は二人分の昆布茶を淹れながら、どうしたものかとこめかみを押さえる。
我が家の門前にて待ち惚けを食らっていたアルビノの少女…
綾華に茶を差し出すと、彼女は礼を添えつつ丁寧な所作で受け取るが、その佇まいはどことなく落ち着かない様子だ。
「……」
「……」
「あ…あの、つづり…詠水様。ご家族の方は……?」
「母親は俺を出産した後に衰弱して死んでいるし、親父も三年前に死んだ。この家には俺一人しか住んでいない」
「も、申し訳ありません…要らぬ事を聞いてしまいましたね…」
「別に気にしていない。お前も気にするな」
「はい…」
「……」
「……」
会話のラリーが全く続かない。俺がコミュ障というのもあるが、綾華サイドにも些か問題があると主張したい。
「おい、何をそんなにキョロキョロとしているんだ」
「あ、いえ…ごめんなさい。不躾でしたね。ですが、詠水様の御宅には、私の家には無い物が沢山あるのですね」
そういいつつも、相も変わらずあたりを見渡す綾華はすでに好奇心の塊と化していた。無遠慮だな…とは思ったものの、初めて来た家というものは、色々と気にしてしまうのもよく分かる。
しばらくキョロキョロとしていた綾華ではあったが、不意にある一点に視線を固定する。
「どうした」
「詠水様、これは世に言う『てれびげぇむ』でございましょうか…?」
キラキラしていた。
綾華の目がとてもキラキラしていた。
「………気になるのか?」
「はい、噂は予てより耳にしておりましたが、実際に目にするのは始めてです。てれびというものに繋いで、その中に全くの別世界を描き出すという、私の想像をはるかに凌駕した機能を有しているのですよね……っ!!」
テレビゲームはいつからそんな大仰な機械になったのだ。というか、そんなにテンション高いお前は初めて見るぞ……
「……なんなら、触ってみ「よろしいのですか!?」………ああ」
綾華が食い気味に返事をしてきたので、食卓を離れてゲームをセッティングする。
適当に座布団を引っ張り出し、それをテレビから程よい距離に敷いてから、そこに座るよう綾華に促す。
「これはコントローラーと言って、ゲームをプレイする上で、操作するために用いる物だ。まあ触りながら覚えろ」
ゲームを起動した後、依然として目を輝かせている綾華にコントローラーを握らせる。
「わあ…ボタンのような物が沢山ありますね。ですが、これほどの数のボタンを使いこなすのは難しくはないでしょうか?」
「小指と薬指は使えないにしても、6本の指が使えるんだ。慣れればどうという事も無い。……おい、それは茶碗じゃないんだぞ。そのでっぱった所をしっかり握れ」
「えっと……これでよろしいのでしょうか?」
口頭ではやはり伝わりにくいのか、綾華は未だ不慣れなコントローラーに悪戦苦闘している。葵にゲームを与えた時とは大違いだな。
まあ、あくまで
あ、諫奈も一般的じゃなかったな。
それを言ったら綾華も一般的とは言えまい。
俺の周りには一般的な人間が居ない……だと……?
「詠水様、何か失敬な事をお考えになられていないでしょうか?」
「……………」
「ふふ、申し訳ございません。今のは私の戯言にございます。お気になさらないでください、ふふ……」
綾華はいつも通り微笑を携えていたが、全くと言っていいほど目が笑っていなかった。……女の勘というものを、あまり侮ってはならないようだ。
はぐらかすのも兼ねて、俺は引き続き綾華にコントローラーの握り方を教える。まあ実際に握らせた方が早いな。
俺はもう少し綾華に近づき、背後から腕を回すようにして綾華の手に俺の手を重ね、強制的に正しい握り方をさせる。
「あ……」
「親指は前、人差し指と中指は上、残った薬指と小指を後ろに回して、コントローラーを支えろ」
「わ、わかりました……あ、あの……詠水様……?」
うまくコントローラーを握る事ができたのにも関わらず、綾華はどこか落ち着きの無い様子だった。わずかに俺を振り返った綾華の顔は、屋台で買ったりんご飴に匹敵するんじゃないかというほど、真紅に染まっていた。肌の色素が薄い分、より顕著に紅潮するのだろう。
「どうした?」
「いえ……その………とても近いなと…思いまして………」
「……近い?」
「えっと……なんだか今の状態が、その、詠水様に抱きしめられているようで………はうっ……」
そこまで言うと、綾華は更に顔を赤くし俯いてしまった。
あー………
しまった。図らずも綾華の
「悪い、少し配慮に欠けていた」
「……………………いえ」
おい、今の間はなんだ。それと綾華の声色が心なしか低い。というか僅かに頰を膨らませている。俺のデリカシーのない行動に、機嫌を損ねたのかもしれない。
すぐに綾華の手を離し、距離を置こうとしたが、何故かそれが叶うことはなかった。
綾華の華奢な白い手が、俺の手を掴んで離さなかったのだ。
「……何してんのお前?」
「申し訳ございません。詠水様のご享受を賜わりましたが、未だ不慣れでして……このまま補助をして頂けないでしょうか?」
「いや、寧ろ俺の手が邪魔でやりにく「このまま補助をして頂けないでしょうか?」……分かった」
何故だろうか。いいえと言わせぬ圧力が、綾華の透き通た美声に込められていた。思わず肯定してしまった。
「ふふ、ありがとうございます」
俺の返事に気を良くした綾華が、膨れっ面を解除すると、いつもの笑顔を咲かせ、またしても微かに頰を紅潮させる。
相変わらず女と言うものは理解しがたい。こういう時は言われるがままにして置くのが無難だな。
いつまでも中腰の視線を維持するのはしんどい上、絵面が間抜けすぎるので、そのまま綾華の背後に腰を下ろす。
だが、そうすると問題がひとつ浮上してくる。俺の足の行き場がないのだ。
現状、股を開いて足を伸ばした姿勢になり、俺の足と足の間で綾華が正座をしている…という形になっているが、正直のところ座り心地が最高に悪い。というか俺は基本的に
自分の家で窮屈な思いをしなければならない道理などないので、綾華に座り方を変えてもらう事にする。
「綾華、正座ではなく体育座りをしてくれ」
「体育座り……ですか?」
綾華は「なんだそれは」という顔で首を傾げる。ああ、こいつ学校に通ってなかったから分からないのか…。
「膝を立てて、それを自分の腕で抱え込むような形を取る事だ」
「えっと…これでよろしいですか?」
綾華は正座を崩すと、世に言う体育座りへと移行する。
これで綾華の膝の下に空間ができたので、そこに俺の足をねじ込ませて、俺も開脚長座の姿勢から胡座の姿勢へと移行する。やはり胡座が一番
だが、姿勢を変えてから綾華の様子がおかしい。というかプルプルと震えている。
「…何をやっているんだお前は」
「い、いえ……その…………あっ」
間抜けな声を出した綾華がコテンと俺の胸元に倒れてきた。
…………は?
もしかして綾華は姿勢を維持できずにいたのか?
「おい、腹筋が弱すぎるだろお前…」
「も、申し訳ございません…耐えられるかと思ったのですが…やはり散歩をしているだけでは運動量は足りないのですね…」
綾華はシュンとした表情でそう溢したが…当たり前だろそんな事。
「詠水様、重いですよね…?」
体重を預けてしまっている事に後ろめたさを感じたのか、綾華はおずおずといった様子で訪ねてくる。
「いや、全く。もたれたままでも構わんぞ」
綾華は女にしては背の高い部類に入るのだろうが、その上体は驚くほどに軽かった。
「
綾華は恥ずかしげにそう断りを入れると、ゆっくりと俺の胸に体重をかけてくる。
互いの衣服を隔てていてながらも、綾華の背中から直に彼女の体温が伝ってくる。
そして俺の手中には、華奢でありながらも男にはない柔らかさを含有した、白く、小さく、暖かな綾華の両手。
綾華が僅かに体を動かせば、俺たちが密着状態であることを知らしめるようにして、衣擦れの音が耳朶を刺激する。
当然、よく聞こえる耳が拾うものは、衣擦れ音だけに
綾華の微かな息遣いは、かつてないほど鮮明に。まるで耳元で囁くかのような、蠱惑的な音。
綾華の早まる心音は、かつてないほど鮮明に。まるで俺の鼓動に共鳴を求めるかのような、扇情的な音。
極め付けには、鼻腔を甘く、怪しく刺激する、綾華の香り。
彼女の
彼女がほんの少し身じろぎをする度、揺れた純白の長髪から漂う、甘く、甘く、暴力的に俺の理性をかき乱す、女の匂い。
この姿勢にかなりの羞恥を感じているのか、俺の腕の中で絶えずモジモジと身じろぎをする綾華の体躯。
恥じらいに頰を染め、小動物のように悶えるその姿は、男ならば誰しもが持つ、女に対する庇護欲、あるいは征服欲。まるで違う二つの欲求をぐちゃぐちゃに掻き混ぜ、ぐつぐつと掻き立てる。
温覚で、触覚で、聴覚で、嗅覚で、視覚で……ありとあらゆる俺の感覚器官が、腕の中で縮こまったアルビノの少女から『女』を感じ取ってしまうのだ。
綾華の『女』に呑まれつつある己を制すべく、落ち着けと自責しつつも下唇を噛む。
そんな事をしたところで、俺の感覚器官たちは機能を停止するわけもなく、俺の意識は
一体どうしたというのだ。
この程度で…たかが女ひとりに、何を余裕を失っているのだ。
落ち着け。深呼吸を……いや、この状態で深呼吸は逆効果だ。目を閉じろ。
視覚情報を捨てれば、嗅覚情報がより猛威を増す。
女にしか放つことのできぬ甘美な香りが、俺の理性と脳内を無情にも蹂躙していく。この少女の事しか考えさせないとばかりに、俺の思考と意識の矛先を、綾華の方へとひん曲げてくるのだ。
匂いは駄目だ。俺は匂いフェチだ。前科持ちなので確定事項だ。もう一度言う、俺は匂いフェチだ。今すぐ呼吸を一時中断しろ。
嗅覚情報を捨てれば、聴覚情報がより主張を強める。
いつの間にやら、さらに加速した綾華の心音。
いつの間にやら、加速していた……俺の心音。
駄目だ。俺の『男』が綾華の『女』を欲してしまっている。
会ってさほど間もない女を家に引きずり込むなり、手を出してしまっては盛りのついた猿と呼ばれても致し方ないぞ…ッ!!
なんとしてでも無を…無を獲得せねば……ッ!!
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死…
「あ……ぁぁ……ぁぅ………ぇぃ……すぃ…………しゃま……………………ふにゃぁ」
最後の切り札である『摩訶般若波羅蜜多心経』というチートを使い、無の境地へ到着する事ができた俺が見たものとは、尋常ならざる熱を帯び、耳まで真っ赤にした綾華が、ぐるぐると目を回して俺の腕の中で気絶しているという、まるで理解の追いつかないような惨状だった。
「どうしてこうなった」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます