過熱した義眼は愛で溢れて。

「待たせたね。久々に紅茶を淹れてみたよ…って、何をそんなにそわそわとしているんだい?君らしくもない」



無駄に高そうなティーカップをふたつ載せたトレイを持って、遙が部屋に戻ってきた。



『みちくさ茶屋』を後にした俺たちは、そのまま遙の家まで来ていた。遙の父親は仕事中なので、この家には俺たち二人しか居ない。普段は家政婦さんが来て、家の掃除や洗濯物、夕飯の準備をしてくれているそうだが、遙が帰省中の時は休暇を取らせているらしい。



で、俺が通わせに行くまでの間、遙の部屋で甘味を嗜みつつ益体もない会話に花を咲かせようという事になったのだが…


「いつ来てもお前の部屋は落ち着かん」


「…他人の部屋を評する言葉としては些か棘が含まれているように思えるね?」


「別に貶しているわけではない。部屋の趣味が俺には合わんと言っているんだ。お前の部屋は女子女子じょしじょししすぎなんだよ」


遙の部屋は薄いピンクを基調としたインテリアで統一され、ファーと呼ばれるモコモコとした物が散見される。ベッドの上に数体、タンスの上にも数体ほどファンシーなぬいぐるみが転がっている。


「随分と語呂の悪い造語を使ってきたね。仮にもボクは女の子なのだから、君の嗜好と異なっていてもなんら不思議な事ではないだろう?」


「まあそうだが……なんか落ち着かん」


「ボクと同じ女子なのに、あおいの部屋では熟睡するほどにリラックスしているそうじゃないか。ボクの部屋ではダメなのかい?」


「悪いが俺は葵を女として見たことなど無い。あいつは道中で頭のネジを2、3個ほど落とし、探している間に次々とネジを落としていくようなポンコツだぞ」


「キミは凄まじく失礼な男だね。葵が聞いたら色んな意味で発狂するだろうね。だが、裏を返せばボクの事を女として見ている事になるよ?」


「…紅茶が冷める。はやく寄越せ」


「ふふ、キミは相変わらず不器用な男だね」


遙が俺を茶化しながら薄桃色の折り畳み式テーブルにティーカップを置いていく。甘味処で買ってきたモンブランと鹿もちは俺が配膳する。


とりあえず喉を潤したかったので、目の前に出された紅茶をチビチビと飲んでみる。


「…少し甘酸っぱいな。あんずでも仕込んだのか?」


「舌が肥えてるね。ご名答、これはアッサムにアプリコットを垂らしたものだよ」


「チッ…ちゃっかりモンブランに合わせやがって」


「ふふ、すまないね。鹿の子に合う紅茶と言われても想像が付かなかったからね。なんなら、今から抹茶でも淹れた方が良いのかな?」


「抜かせ。どうせ茶筌ちゃせんすら持っていないんだろ?」


「素晴らしい推察力だ。キミは小説家を目指した方が良いだろう」


「お前が適当な事を喋くっていただけじゃねぇか。推察もクソもあるか」


「まあそう感情的にならないでくれ。ボクのモンブランと間接キスを堪能する権利をキミに与えるから、それで手打ちにしてくれないかい?」


遙がこれまた高そうなスプーンで少々大ぶりなモンブランを削り取り、俺の眼下へと差し出してくる。まるで雛鳥が餌付けされているようで面白くなかったが、その程度の事で腹を立てていては埒があかない。素直に口を開けてモンブランを迎え入れる。



率直に言うと、普通に美味い。紅茶とよく合う。



「お気に召されたかな?」


「まあな。だが思っていたよりも濃厚だな。たまに食うくらいが丁度良いくらいだ」


「ふふ、甘党の詠水でも少しクドかったかな?ボクはどれだけでも甘い物は食べられるけどね。そもそもキミと一緒に食べている時点で、どんなスイーツだろうと至高の逸品に成り変わるのさ」


遙は一旦会話を中断し、モンブランをもくもくと食べ始める。物を食べている時に喋らないあたり、彼女の育ちの良さが伺える。葵とは大違いだな。


「ボクと二人きりでいる時に他の女の子の事を考えるとは随分と酷いじゃないか」


「…根拠無き言いがかりほど理不尽な物はないぞ」


「一瞬、キミはしかめっ面になった。あの嫌なモノを想像してしまったような顔は葵の事を考えている時の顔だね」


「おい。お前の方がよっぽど酷い事を言ってるぞ。葵の事を何だと思っているんだ。酸いも甘いもを分かち合ってきた同級生だぞ?人情は無いのかこの畜生め。恥を知れ」


「それは今世紀最大級の『お前が言うな』だよ、詠水」


全く何もしていないと言うのに、自分の居ないところで散々言われる葵がほんの少し不憫に見えてきた。



しばらくの間、俺たちは口を挟まず各々の甘味を食べ続ける。当然、沈黙が続く事にもなるが、別に気まずいなどという事はない。互いが遠慮をしていない故の沈黙だ。


「ふう…至福のひとときだったよ。とても美味しかったね」


俺とほぼ同時に食べ終えた遙は、口腔内に残留する甘ったるさを緩和するようにして紅茶に口をつけ始める。


…遙が準備してくれたクッションがあるとは言え、少しケツが痛くなってきた。遙のベットに座らせてもらうか。


「おおっと、詠水。乙女の寝床に腰掛けるとはデリカシーの欠片も無い暴挙だね。だが、相手がキミならボクはなんの不満も怒りも抱かないよ。安心したまえ」


「結局何が言いたかったんだお前は」


「キミだけは特別という事さ」


「…饒舌なお前の事だ。別に俺に拘らずとも他の連中とそれなりの関係を築けるだろ」


「笑えない冗談はして頂きたいね。自分でもやらない事を他人に薦めるのがキミの趣味なのかい?ボクにとってキミ以外の人間は有象無象に過ぎないと何度も言っているはずだよ?」


絶えず上機嫌だった遙が、あからさまに不機嫌な表情になり、少し早口になる。この手の話は地雷だったか。強引にでも話題を変えた方が良さそうだ。


「……遙」


「ん、なんだい?」


「お前は神が実在していると思うか?」


「ふふ、どうしたんだい急に?怪しい宗教に勧誘でもされたのかい?」


「この村にミツ……里守之稲荷さともりのいなり罪喰之犬神つみぐいのいぬがみ以外の神を信仰するような奴がいるとでも思っているのか?」


「ふふ、ネタにマジレスをしないで欲しいね。そうだね…神はいるかも知れないし、いないかも知れない。けれど、存在していたら良いなと私は思っているよ」


遙は見えもしない神を探すようにして部屋の天井を見上げる。神を実際に拝みたいのならば神棚に甘味を供えた方が手っ取り早いぞ。


「現実主義のお前が神を肯定するとは意外だったな」


「その方がロマンに溢れていると思わないかい?人知の及ばざる領域よりボクら人類にその慧眼を光らせ、超常的な力を以ってして世に秩序も混沌をももたらす。…終わりなき広大な宇宙の片隅に浮かぶこの青い惑星ほしは、唯一無二の選ばれた奇跡かもしれないし、ありふれた奇跡かもしれない。他の追随を許さぬ高次的な進化を果たしたホモ・サピエンスは、唯一無二の選ばれた観測者かもしれないし、井の中のかわずかもしれない。ボクら人間が頂点だと決めつけるには、あまりにもこの世界には未知が多すぎるよ。神の存在を否定しようにも、ボクら人類はこの世界の事を知らなさすぎると思わないかい?」


「やめておけ。宇宙について考え始めると、自分という存在が矮小に見えてくるだけだ。人間は要らん事を考えていないで、大気圏内で大人しくしてりゃ良いんだよ」


「キミは宇宙飛行士という職業を全否定するのかい?」


「地球の外を調査したところで地球の中の生活に変化が表われるとは到底思えんし、他の惑星や衛星の石を持ち帰ったところで使い道などないだろ。良くて漬け物石だ。必死になって働いて納めた税金を宇宙開発なんぞに使われる村の外の人間が哀れに見えてくる」


「まったく、キミはああ言えばこう言う。口の減らないところは相変わらずだね」


「それは今世紀最大級の『お前が言うな』だぞ、遙」


全く同じ意趣返しをされたのが可笑おかしかったのか、遙はクスクスと笑いだす。


「ふふ…ボクもキミも、相手の事をよく見えているにも関わらず、自分の事が一番見えていないのだろうね」


「何を言っている。自分の事を一番よく理解しているのは自分で、自分が一番よく理解しているのも自分だろ?」


「……キミは『ジョハリの窓』と言うもののご存知かな?」


「まーた小難しい話か。お前には俺が知っている顔をしているように見えるのか?」


「まあそう気を悪くしないで欲しい。小難しいどころかごく有名なものだよ。ある二人の心理学者が発表した『対人関係におけるのグラフモデル』の事さ」


そこまで言い切ると遙は紅茶を口にし、沈黙を保ち始めた。




…………おい。




「今の説明で理解できると思っているのか?気持ちの悪い会話の切り方をするな」


「ふふ、すまないね。少し巫山戯ふざけてみたただけだよ。ジョハリの窓というのは、『自己』と言うものには『解放の窓open self』『盲点の窓blind self』『秘密の窓hidden self』『未知の窓unknown self』という四つの窓が存在している…と考えたものだよ。『解放の窓』は『公開された自己』を指し、『秘密の窓』は『隠された自己』を指す。『盲点の窓』は『自分では気づいていないものの、他人には見られている自己』を指し、『未知の窓』は『自分を含めた誰からもまだ知られていない自己』を指す。要するに『解放の窓』の格子を拡張して、自己をフィードバックしていこうという物さ。…果たしてボクとキミはどの窓が最も大きいのだろうね?」


一応最後まで黙って聞いてはいたが、『くだらない』の一言しか出てこないな。


「不必要に自己と言うものを見せる必要などないだろ。人間にとって最大の防御とは『知られない』ことだ。自己顕示欲ほど身を滅ぼす欲望はない」


「ちょっと論点が逸れているように感じるね。自己顕示欲とは違うとボクは思うよ。これは他者とのコミュニケーションを円滑にする為に提唱された物だ。より陳腐な言葉を用いるなら『裏表なく』人付き合いをしていきましょう、という事ではないかな?」


尚更くだらないだろ。そんな物。話にならん。


「他者とのコミュニケーションなんて物は、上っ面だけの物だという大前提がある。裏表なく…なんてものは戯言たわごとにしても酷すぎる。俺たちは言語を用いたコミュニケーションを主としているが。言語という物は『自己を伝える』ための物ではなく『自己をおおい隠す』ための物だ。今日日きょうび、偽善者ですら『裏表なく』だなんてトチ狂ったセリフは吐かんぞ」


「ボクら人間が操る言語が、嘘と虚偽だけで構成されているとでも言いたいのかい?」


「違うな。嘘と言うものは相手を騙す為に用いるものであり、言語という枠組みの中のものだ。俺が言いたいのは言語というその物が、自己を覆い隠すようにできていると言う事だ」


遙はただ黙ってこちらを見つめ、続きを促す。


「そもそも俺たちは言語というツールを使用する上で、必ず『発する事』と『発しない事』の取捨選択を無意識にしている。今自分が考えてる事や抱いた感情を全て口にしている奴がいたとしたら、そいつはただのキチガイだ。自分が伝えたい内容だけを発信するように最初からできているんだよ。あるフランスの政治家もこう言っていた。『言葉が人間に与えられたのは、考える事を隠すためである』…とな」


「やれやれ、今日はタレーランが引っ張りだこだね。要するにボクら人間は『己の全てを見せない』ように出来ている…と言う事かい?」


「まあ概ねはそんな感じだろう。『見せない』と言うよりも『見せる事が出来ない』と言った方がしっくり来るが」


遙は静かに瞼を閉じ、嘆息する。


「そうだね。言語というものは物凄く発達した物に見えて、その実は不完全な物だからね。言語を用いて伝えたい事を100%欠損なく伝える事は不可能だし、曲解されてしまう事なんてザラにあるからね。自己に存在する全ての『窓』を解放する能力があれば、100%の自己を他者に見せることが出来るかもしれない。他者に存在する全ての『窓』をこじ開けられる能力があれば、他者が心に宿しているナニカを100%覗き見る事ができるかもしれない。……それはもう、人間ならざるモノなのさ。なるほど、キミの言っていた事がようやく理解する事が出来たよ。ボクら人間は『己を秘す』からこそ人間でいられるのだね」



そう、結論から言えば俺たち人間は誰かの心というものを読み解く事などできはしないのだ。



「人の『窓』をこじ開ける力か……喉から手が出るほどに魅力的な力だな」


俺の発言が意外だったのか、遙は右目を開き驚きの声を上げる。


「キミがそんな事を言い出すとはね。何か悪どいビジネスでも始めたいのかな?」


「金儲けがしたいのならば未来を予測する能力の方が段違いに有効だろ。……人の真意をさとれるのであれば、相手を信頼する必要もなく、相手を疑う必要もない。人を恐れずに済むという事は非常に大きな事だ。いつだって人間の天敵は猛獣でも天災でも疾病でもなく、人間だからな」


「…キミは相変わらず臆病だね」


「臆病で何が悪い。脅威と危機を軽視する者は愚者でしかない。頭の中を空にして他者の間合いに飛び込めるほど、俺の神経は太くできてなどいない」


「キミは『窓』を固く、堅く閉ざしてしまっている。その上、鍵のすらも忘れていまい、自分にも他人にも解放する事が出来なくなってしまっている」


遙がいきなり立ち上がり、ベッドに腰掛けている俺に正面から抱きついてくる。勢いを殺し切れず、ベッドの上で遙に組み敷かれるような形になる。


「キミはボクに救いをもたらした。キミはボクに未来を齎した。キミはボクに拠り所を齎した。今なお、ボクはキミに支えられている。キミがこの地球上に存在している限り、ボクはキミに救われ続ける。だからボクはキミの力になりたい。ボクはキミの支えになりたい」




目を逸らす事を決して許さない、黒の隻眼が俺を射抜く。




「けれども、ボクではキミの『窓』を解放する事が出来ない。キミに報いる事が出来ないこの無力感は、きっとこの命が尽きる時まで追従してくるだろう」





遙は左目にあてがわれた眼帯をゆっくりと外す。





コバルトブルーに輝く、遙の無機質な義眼左目






ではの力になれない」






温かく、冷たい雫が俺の胸元を濡らす。





「だから、せめて……せめて私は、あなたが信頼しなくても良い存在でありたい。あなたが疑わなくても良い存在でありたい」






遙の熱を帯びた吐息が徐々に距離を縮め、ついにはぜろとなる。



朝の接吻が児童のままごとに思えてくるほど、遙は熱く、激しく、とめどなく俺を貪る。



双方の唾液が混ざり合う淫靡な音。外の空気が取り込めず息苦しそうにあえぐ遙の嬌声きょうせい。密着した状態で遙が艶めかしく体を動かしてくる事によって発生する衣擦れの音。



ただひたすらに俺を求める彼女に理性の面影おもかげはなく、ただ感情と欲望だけに従う丸裸の心がそこにあるだけだ。




酸素を供給させる為、遙は不本意そうに唇を離す。肩で息をする俺たちの口周りはだらしなく濡れており、どちらの物ともわからぬ体液が互いの唇と唇につうっと橋を架ける。




「私はあなたに対して全ての窓を解放する。私もあなたも知っている私も。私は知っていても、あなたが知らない私も。私は知らなくても、あなたが知っている私も。そして、私もあなたも知らない私も。全部あなたに見せる。それが…それだけが、私があなたに届けることが出来る、感謝の気持ち。好き。好き。愛してる。私は怖いくらいに幸せ。あなたに愛されなくても良い。あなたを愛せるだけでこんなにも満たされるのだから。好き。詠水。愛してる。あなただけは絶対に死んじゃ駄目。あなたは私の生きる意味。あなたが生きているからこそ、私は生きていられる」





堰を切ったように溢れ出す、彼女の涙。







「それなのに……それなのにッ!!なぜ詠水は『生きる意味』を見つけられないの!?なぜ私はあなたの『生きる意味』になってあげられないの!?なぜ私は、あなたに何もしてあげられないのよッ!!」





慟哭どうこくする彼女に閉ざされた『窓』などただの一つも存在していなかった。





つらい。辛いよ、詠水。あなただけが救われないだなんて……ごめんなさい。私ではあなたを救えません。あなたは私を救ってくれたというのに。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイ…詠水。詠水。私はどこまでも自分勝手な女だね。あなたを、あなたをもっと愛したい」





蠱惑的な声で最後にそう囁いた彼女は、しまいに言語を捨て去る。熱量を更に蓄積させた彼女の舌が、俺の口腔内を欲望のままに蹂躙する。





もはや凍てついた眼帯の少女は既にこの空間には存在していない。遙は灼熱の情欲に抗う事もせず、どうしようもなくその身を火照らしている。










身を焦がすような熱を宿した彼女と身体からだかさねようとも、俺が熱を取り戻すことはなかった。









〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜







空気を読まない無機質な着信音が、俺を微睡みの世界から引きずり出す。俺の腕の中で寝息を立てていた少女も目を覚ます。



寝起きの遙は目を半開きにして、ボケーっとしながら目をゴシゴシと擦る。童顔である事も相まって、完全に寝起きの子供にしか見えない。


「……詠水?朝?」


「昼だ。寝起きに弱い俺より呆けててどうする」


遙は考えているのか考えていないのかよく分からない顔で3秒ほど停止すると、キョロキョロと見回す。再び停止した彼女の視線は、脱ぎ散らかされたお互いの服に注がれていた。



「…………………」



徐々に顔を赤くしていく遙だったが、耳まで真っ赤に染まった瞬間、弾かれたようにして俺の腕の中から這い出る。彼女は慌てて眼帯を身につける。



いや、先に服を着ろよ。



頭から湯気を出しながらこちらへフラフラと戻ってきた遙は、ボフリと枕に顔を埋める。



「またやってしまった……またしてもボクははしたない顔を詠水に晒し、詠水にヨガってしまった……完全に痴女だ…………ボクはどうしようもない痴女だ………確実に変態のレッテルを貼られただろう……ああああああああああああぁぁぁぁぁぁ…………」



遙は顔を埋めたまま枕に抱きつき、ゴロゴロと転がりながら悶えるような声を漏らす。



「安心しろ。俺と関わっている時点で十分にお前は変態だ」


「うるさいなぁ。ド変態のキミに変態と言われたくないよ。もう…馬鹿。馬鹿詠水。そんな事よりさっさと電話に出なよ変態。馬鹿。スケベ。変態。裸族」


「……いや、お前誰?」


いつもの余裕を失っている遙は、らしくもなく稚拙ちせつ極まりない罵倒を浴びせてくる。最後のはネタで投げたブーメランだと信じたい。



健気に振動を続けるスマホを拾いあげる。1分以上放置していたにも関わらず、発信を続けていた相手は、言うまでもなく葵だった。




「………俺だ」


『ちょっと詠水くん!!俺だ…じゃないですよ!!何してるんですか!?もうお昼回ってますよ!?私はもう我慢の限界です!!あのガンジーさんが鉄パイプで殴りかかってくるレベルですからね!?』



めっちゃ怒っとるやんけ。なんでか知らんけども。



「うるせぇな。何をそんなに怒り狂ってるんだ」


『昨日の夜に連絡入れたじゃないですか!!今日の通わせには新発売のゲームがあるんですから早急に来てくださいって、もう忘れたんですか!?3時間ほど前までなら私も「詠水くんは焦らし方がお上手だな〜」ってニッコリしてたんですけどね、もう限界なんですわ。今15時ですよ!?焦らすとか言うレベルじゃないですよ!!どこで油を売っているんです!?』




あー……完全に忘れていた………




「風邪でちょっとな」


『完全に騙す気のない嘘を吐かないでください!!詠水くんほどの健康オタクが風邪なんてひくわけないでしょうが!!どうせ女の子とニャンニャンしてたんでしょう?』


「……根拠無き言いがかりほど理不尽な物はないぞ」


便利だな、この定型文。


『神繋の巫女の勘はよく当たる事で有名なんですよ?なんかこう、私の中で確信めいた何かが訴えかけてくるんですよ。今回もそうでした。『詠水くんは今頃ハルちゃんとイチャイチャしている』という勘が働いたんですよ!!』



具体的かつピンポイントな勘だな。そんなものは勘という範疇を超えている。クソッタレ、さてはミツキの仕業しわざか。要らん事しやがって幼狐エキノコックスめ。甘味処へ連れて行ってやらなかった事に対する腹いせだろう。なんて器の小さい神なんだ。信じられん。



「悪かったな、今から行く。それなりに誠意を見せるからそう怒るな」


『食べ物で私の機嫌が直るだなんて思わないでくださいよ?私がどれだけメガテンの新作を楽しみにしていたか分かりますか?』


「知らん。それじゃあ甘味は要らないんだな。じゃあな」


『あ、ちょ、待ってください。今のナシです。めっちゃデザート食べた……』



通話終了のアイコンをタップする。まったく、葵はこちらが下手したてに出るとすぐ調子に乗るからな。


「ふふ、相変わらず愛されているね。みんな大好き詠水くんを独り占めにしてしまった点については申し訳ないと思っているけども、ボクは葵たちと違って詠水になかなか会えないんだ。これくらいは許してほしいね」


いつもの余裕を取り戻した遙がいつもの薄い笑みを浮かべる。だが、まだ少しばかりの羞恥が残っているのか、その声はポショポショとしたウィスパーボイスであり、わずかに頰も紅潮している。



取り敢えず遙と共にシャワーを浴び、さっさと着替えて『通わせ』に向かおうとしたのだが、やたらと甘えてくる遙を説得するのに苦労を強いられる事となる。


彼女を口で言いくるめるのはかなり骨の折れる所業である。実際、ようやく彼女の家を出た時には遙の親父さんが既に帰ってきており、17時を過ぎていた。








言うまでもなく葵は憤慨した。




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