夢か現か。神か幻か。

頭の中にもやでもかかってるいるかのような感覚に苛まれながら、俺の瞼が少しずつ開かれる。寝起きに弱いのは、一体どうすれば治せるのだろうか…


一体どれほど寝ていたのだろう。状況を把握するべくこうべを持ち上げるが、徐々になだれ込む視覚情報に違和感を感じ取る。



世界が色を失っており、全てが白黒だった。




先ほどまで俺が頭を預けていた場所を振り返ると、そこには緋色…ではなく、灰色の袴が鎮座しており、視線を上へとスライドすると何かを見守るかのな表情で見下ろすあおいの顔があった。しかしながら、その巫女服少女の可憐な顔すらもが色を失っており、まばたきのひとつもすることなく固まっている。まるで時間というものが凍結しているかのようだった。




夢だな。夢以外ありえん。




俺は昔から夢を夢だと把握する事ができた。今回も例外ではない。これは夢だろう。馬鹿げている。こんな阿呆らしい事がうつつにあってたまるか。



自分のほおをつねるのは嫌なので、目の前の少女の頰を引っ張る。


「おい、何をふざけている。この貧乳処女巫女」


返事がない。ただのしかばねのようだ。



つまらん。気味が悪いにも程がある。


とりあえず壁に立てかけてある打刀・朧紫乃月おぼろしのづきを拾い上げ、平屋を出て神社を見渡す。視界は全てモノトーンであり、本来ならば真紅であるはずの鳥居でさえも薄黒くなっている。空を見上げると、灰色に染まった上空に群れを成した小鳥がピタリと静止していた。


時間を止める能力と言うものは、その目的に違いこそあれど誰しもが一度使ってみたいと思うものだろう。だが、全てが凍結してしまったこんなどうしようもない世界で一体何が出来るというのだろうか?戦闘においては無類の強さを発揮するだろうが、別にバトル漫画の主人公というわけでもないので、そんなチート能力はお呼びでない。そもそも、異能の力に依存したキャラは割と早い段階で死ぬ印象が強い。


何とは無しにちらりと境内の方へと視線を移すと、このモノトーンの世界に調和出来ていない部分が見えた。



あそこだけ色がある……?



色がついた何かだ。色のついたソレは賽銭箱に腰掛けている。人か?


俺が神社に来た時、葵も賽銭箱に腰掛けていたが、いつから賽銭箱の用途が腰掛けになったのだろうか?まあ、陸の孤島と化したこの神社に賽銭を入れに来る自殺願望者などいるわけもなく、賽銭箱本来の役割すら果たせていないだろうが…


賽銭箱に腰掛けた色つきの何某なにがしに近づく。その実態が徐々に判明していき、俺は度肝を抜かれる事となる。



ロリがいる。獣耳ケモみみのロリがいる。いや、尻尾まで生えている。ケモっだ。和装したケモっ娘ロリだ。



俺の顔がソッコーで青ざめていくのが分かった。



嘘だろ…?俺にこんな趣味があったのか…?こんな夢を見てしまう程に俺は手遅れなのか……?



そのロリの頭部からぴょこりと生えた耳はふさふさしており、尻尾に至っては9本も生えている。耳も尻尾も柔らかなキツネ色をしており……というかきつねだな。このロリ。


ロリ狐は初めから俺に気づいていましたよと言わんばかりの表情で、賽銭箱の上から俺を見下ろしている。よく見ると何かを頬張っているようだ。ロリの分際で随分と傲慢な態度だ。


奇天烈な夢を見てしまったものだと辟易しつつも、そのロリ狐が気にならないか?と聞かれれば、当然気にはなるわけで、重い足取りのままロリ狐の前まで歩みを進める。


よく見るとロリ狐が頬張っていたものはで、ちびちびと団子に齧りつきながら、御満悦の表情で9本の尻尾をわっさわっさと振っている。まるで遊女のようなはだけた着物からのぞかせている両足も、パタパタと動いている。



わらわに何か用かの?人の子よ」



ロリ狐は童女特有の甲高い声で、やたら古風な語調で俺に問うてくる。のじゃロリときたか…登場早々、キャラが立ちすぎだろコイツ。



「お前は誰だ」


「最近の子供はなっとらんのう…質問を質問で返すのがぬし様の礼儀かの?」


まさか絹羽商店で石光に放った言葉がこんな形でブーメランになるとは…それにしても子供に子供と言われるのが、これほど腹立たしいものだとは知らなかった。


「はっ、何故こんな夢の中で…ましてやお前みたいなちんちくりんに礼儀を尽くす必要がある?冗談はそのふざけた格好だけにしろ」


「短気じゃのう。あの小僧とは似ても似つかん。…して、ぬし様はこれを夢と宣うのか?良い、良い…それもまた一興じゃな。にゃっはっはっは!!」


ロリ狐は俺の質問には答えずひとしきり笑い飛ばすと、再び団子に齧りつく作業へと戻る。


会話になっていない。こいつ頭の病気じゃないのか?いや、これは俺の夢の中だから、俺が病気の可能性が…?



葵、助けてくれ。今すぐ俺を叩き起こしてくれ。でないと手遅れになるぞ。俺が。



「ふむ、この『みたらしだんご』とやら、気にいった。褒めてつかわすのじゃ、人の子よ。妾の中でぬし様の評価はうなぎのぼりじゃよ」


「……さっきから要領を得ねぇな。会話を成立させるつもりが無いのかお前は」


やってられない。訳の分からん夢を見てしまったものだ。もう一度、葵の膝の上で眠ればうつつへと戻れるのか?


溜息交じりに踵を返すが、段を降りようとした途端、俺は何かにぶつかる。しかしながら俺の目の前には何もないわけで、まるで見えない壁にでも阻まれているかのようだ。


「まあそう慌てるでない。妾とてこうして人間の前で姿を露わにするのは初めてと言ってもよいくらいじゃ。神というものは想像を絶する程、膨大な暇を持て余しておるのじゃよ。ちとばかし付き合ってくれんかの?」


狐耳の童女はまたしても団子に齧りつき、悪戯っぽい笑みを浮かべる。



馬鹿げている。馬鹿げているとは思うが…



「…お前は里狐さっこさん……里守之稲荷さともりのいなりなのか?」


「ふむ、それは村に住まう人の子らが妾に付けた呼び名であろう?その認識で相違はないが、妾の名としては誤っておるのう。正式には『境操之御魂命キハメアヤツリノミタマノミコト』と言ったところかの?まあ長ったらしい上に語呂も悪いからのう…ぬし様の好きなように呼ぶとよい」



きわめあやつりのみたまのみこと…?



「稲荷というのだから、てっきり倉 稲 魂 命ウカノミタマノミコトだと思っていたが、違うのか?」


「むう…?ぬし様は意外と博識じゃのう。この村の外にある神社では、妾の事をそう呼んでおったのう」


…いくら夢だとはいえこれは酷い。なぜそんなビッグネームの神様が、伏見稲荷大社ではなくこんなクソ田舎の神社にいるんだ。中学二年生の妄想かよ。


「だとすれば、お前は世に豊穣をもたらしたりする事が出来るのか?」


「その程度は造作も無きことよ。それに村の人間は妾に対してもっと多くの利益りやくを所望しておるではないか」


「五穀豊穣、無病息災、子孫繁栄……全てを司っているとでも言いたいのか?」


「にゃっはっは!!そのまさかじゃよ。妾はぬし様ら人間が思っておるよりも上をゆく存在であるぞ?妾のをもってすれば、出来ぬことなど殆ど無いのじゃ。あ、でも存在しておる神の全てが妾ほど有能というわけでもないのじゃぞ?妾が有能すぎるだけじゃからな?」


まあ、俺の夢の中でなら何とでも言えるし、何でもできるからな。だが、このロリによる厨二臭い発言も全て俺の深層心理が生み出したものという事になる。



……葵、さっきは貧乳とか言って悪かった。下着の匂いを嗅いだ事も謝罪する。どうか俺を早急に起こしてくれ…



「なんじゃ、まだ夢と思っておるのか?駄目だとは言わぬが、一抹の寂しさを感じてしまうのう…」


「さらっと人の思考を読み取るな。気色が悪いぞ」


「淑女に向かって気色が悪いとはなんじゃ。まあ、これを夢と捉えるも現と捉えるも、ぬし様の自由じゃ。実際のところはどちらでも無いからのう。それよりも、何か妾に聞いておきたい事はあるかの?こう見えて妾は黎明期よりこの村を見下ろしておる。この村について知らん事はないぞ?」


聞きたい事と言われてもな…どうせ俺の夢の中なのだから、俺が知らない事実など返ってくるはずもない気がするが…


「お前は鎧熊ヨロイグマについて何か知っているのか?」


「むう?鎧熊?…ちとばかし失礼するぞ」


そう言った里狐(仮)は目を細め、俺の目を除き込む。刹那、鎧熊の鮮明なイメージのようなものが俺の脳裏をよぎる。……このロリ狐に何かされたということだけは良く分かった。


「おお、あの力にモノを言わせた畜生の事か。ふむ、ぬし様らはあれを鎧熊と呼称しておるのか。……あの不細工極まりない獣は日本全土の中で、この山のにだけ生息しておる。基本的には肉食じゃが、やつらは動物の脳髄を好んで食しておる。それは山に捨て置かれた人間の脳髄とて例外ではない」


まあ『通わせ人』を始めて短くはないので、頭蓋骨のない白骨化死体などいくつも見てきている。『贄』として山に捨て置かれた人間は、鎧熊に頭を食われるか、獣たちに全身くまなく食い尽くされるかして絶命する。餓死に至るほどの猶予などないだろう。


「…畜生だの不細工だの散々な言いようだな。鎧熊に恨みでもあんのか?」


「抜かせ、下界の者共に恨みなど持たぬわ。じゃが妾にも好き嫌いはある。単にを好いておらんだけじゃ」


「美しくない…か。随分と曖昧な基準を持ち出したものだな。逆にお前は何を美しいと捉えているのだ?神を名乗るようなやからの美的センスなど、俺には皆目見当もつかん」


「神たる妾をやから呼ばわりとはバチ当たりな奴じゃのう。ふむ、美しいと言えば、ぬし様ら人間のせいが最たる例じゃな」


……人間の生?


「人間の生きざまが、と言う事か?」


左様さよう、人の子らはそれを人生と呼ばっておるじゃろう?その人生とは非常に歪で、あるいは緻密ちみつで、ただでさえ短い命を燃やしつくすかの如く激しく、あるいは少し小突いただけで容易く砕け散る氷細工の如く繊細で……ふむ、芸術の一言じゃな」


「神の感性というものは随分と理解し難いな。人間を代表して言わせてもらうが、人の生とはそれほど大仰なものではない。あの手この手を使って生きる事自体、何も人間だけがやる事ではない。全ての生物に言える事だ」


全く、この話を何回繰り返せばいいのだろうか。自分で言っててうんざりしてくる。


たわけ、動物と人間とを一緒くたにするでない。良いか?人間は他の生き物にはないものを獲得し、有象無象どもには理解する事もできぬほど一線を画した世界を築いたのじゃ。そう、二足歩行へ移行した事により、知性と理性を獲得し『社会』というものを構築したのじゃ。まあというものは動物でも作ったりするものじゃが、言語を解するようになった人間とでは次元が違う。ぬし様ら人間はより高度で、より複雑な相互関係を構築していきよった。動物たちがただ寝るためだけの巣を作るのに対して、人の子らは家を建てる。動物たちがただ食い繋ぐために他者を生で食い散らすのに対して、人の子らはありとあらゆる素材を使った料理をして美食する。動物たちが子孫を残すために野生の習性として発情するのに対して、人の子らは異性と恋をする。動物たちが同種間で縄張り争いをするのに対して、人の子らは社会を構築して法を定める。人の子らは『生きる』という概念を根底から覆したのじゃ。今のぬし様らそのものが、気の遠くなるような歳月を経て生成された、美の結晶じゃ」



『生きる』という概念を覆した……?



「……どう言う意味だ」


「なんじゃ?急に険しい顔をしよって。それほど難しい話ではないじゃろう。本来、生物と言うものは、全ての行動原理、あるいは全ての営みが『生き残る』あるいは『同種を増やす』という目的に収束していく。じゃが、人間はその先を見つめ始めたのじゃ。『なぜ己は生きているのか』『何のために己は生きているのか』……とな。人の子らは『生き甲斐』若しくは『生きる意味』というものを探し始めたのじゃ」




「生きる意味…」




随分としゅんな話題が出てきたものだ。今朝、俺はその話題で機嫌を損ねたばかりだと言うのに、夢さえもが俺に追い討ちをかけると言うのか。いや、俺の中で旬だからこそこんな夢を見ているのか。


「悪いな。残念ながら俺はお前が言う『美の結晶』とやらではないようだ」


「いきなり卑屈になりおって…なんじゃ?何を根拠にそう主張しておるのじゃ?」


「俺にとって『生きる』ことそのものが至高であり、最上位に位置する目的だからだ」


生きているからこそ、初めて俺という存在が成り立つのだ。


「ふむ、ではぬし様は、人間と人間との間で繰り広げられる営みは何の価値も無く、くだらなきものだと唾棄するのかの?」


それは流石にない。人との関わりを持たなくとも生きていく事自体は可能だが、一切関わらないとなると村に住むことができなくなる。


「何の価値もないとは思っていないが、他者との距離を不必要に近づけるという事は、脅威を増やすだけだと思っている」



いつだって裏切りというものは回避できないものだ。相手のすぐ近くにいるからこそ、裏切りというものが発生する。ならば最初から近づかなければいい。たったそれだけの事だ。



「ふむ…そうか…そう…か……っく…くっは!!んにゃっはっはっはっはっは!!!!!!!!」



自称・里守之稲荷が腹を抱えて笑いだした。



「何がおかしい。斬り飛ばしたくなるほど頭に来るから笑うのをやめろ」


「くっ……くはっ……いや、すまんすまん。そう怒らんで欲しいのじゃ。ぬし様が最高に可愛いかったからの。それはもうきゅんきゅんしたのじゃ。これがと言うものかの?」


ロリ狐は目尻に溜まった涙を拭くと、俺をなだめるような声を出す。


「…質の悪い挑発だな。くだらん」


だいたいお前が神と仮定して、何百年…何千年と存在しているならば、還暦を迎えたおっさんですら、お前にとってはショタに分類されるだろ。というかスケールが違いすぎて、もはや別のカテゴリーになりそうだな。おっさん系ショタとか誰も得しないし、悲劇しか生まないだろう…


「いやはや、何と形容すれば良いのか…先ほどのぬし様はまるで『友達できるか心配です…』と不安がる学童のようで、どうしようも無く可愛いかったのじゃ。ふむ、普段は生意気そうに強がっておる分、その破壊力は絶大じゃ。これが新たに生まれた文化のひとつという奴か。うむ、良い……素晴らしいぞ、ぬし様よ」


「……………」


「まあ、ふざけた話はここまでとして、ぬし様は人と向き合う事から逃げておる。いや、違うのう。ぬし様は己というものを理解していなさすぎる。あるいは意図的に己というものから目を背けておる。若しくは無自覚に己を騙しておる」



どいつもこいつも似たような事を言いやがって。腹立たしい。





『詠くんは自分に嘘をつくの』





「ぬし様も人間じゃ。心のどこかで必ず他者との繋がりを求めておる。それを素直に受け入れるか受け入れないか…それだけの事じゃ。まあ、独りで生きていく姿勢を貫き通すのもぬし様の人生じゃし、考えを改めて他者に歩みよるのもまたぬし様の人生じゃ。人の子らの間では『命あっての物種』という言葉が存在しておるくらいじゃ。ぬし様の主張が間違っておるかどうかなど大した問題ではなかろう。そもそも間違いなどありはせんからの。ぬし様の人生には一切の筋書きが無い。道なき大地をただ一人、自分だけを信じて踏みしめていくぬし様は、他の人間にはない美しさがある。ぬし様の行き着く先に価値が有るのではなく、ただひたすらに答えを探しつづけ、東奔西走するその姿に価値があるのじゃ。色々と出過ぎた事を申したが、ぬし様のしたいようにするのが最適解であろう。ぬし様の人生は、ぬし様のものじゃからのう」


…これ以上この話を続けていてもストレスが溜まるだけだ。というより、なぜ話の焦点が俺に当たっているのだ。


「…お前は神繋かんなぎの巫女についてどう思っているんだ?」


「話の逸らし方が凄まじく下手くそじゃのう……まあよい、神繋の巫女を如何様なものと捉えておるか…とな?ふむ、そうじゃな。現状で存在しておる人間の中でも、妾にとって最も近しい位置におるのが神繋の子らじゃ。うーむ…人と神との関係というものは非常に説明が難しいものじゃのう。愛着のある、という表現が一番しっくり来るのじゃ。その分、村人たちの中でも彼女らを一番に贔屓ひいきしておるしの」


ほう…随分と神繋の巫女に入れ込んでいるんだな。


「妾に仕えるという使命を、その血と共に代々途絶えることなく受け継ぎ、人間の極々ごくごく短いその命を、この神社ですり減らしておるのじゃぞ?貴重なその人生を、このような辺境の地で暮らし、人との関わりすらも希薄にしてまで、存在すら明確でない妾に全てを捧げておるのじゃぞ?愛着が湧くに決まっておろう。神繋の子らは妾にとって可愛い娘のようなものじゃ」


「……そうか」


「…?どうしたのじゃ?神妙な顔をしておるぞ?」


「…葵は血筋というクソみたいな理由だけでお前に仕えているんだ。葵くらいには多めの御利益をつけてやっても良いんじゃないのか?」


「神繋の子らは贔屓目で見ておると申したじゃろう。妾のチカラによる恩恵を最大限に受けておるのが神繋の血筋じゃ。分かりやすい一例を挙げるのであれば、神繋の子らは絶対にその血筋が途絶えないと言うことじゃな。神繋の子らの恋愛は必ず成就し、必ず安産となり、必ず良好な家族関係になる。生まれる子供は必ず女になり、神繋の巫女となる条件を満たす。また、生まれた子供が立派に育つまで母親は絶対に死なんし、病気にもかからん。自然に衰弱するまでその命は続くのじゃ。そして、その子供もまた同様の恩恵のもとで人生を送る……とまあ、ここだけを切り取って見ても『恋愛成就』『無病息災』『延命長寿』『子孫繁栄』『一家団欒』と、御利益てんこ盛りじゃろう?」


御利益が多すぎて胡散臭い宗教詐欺みたいだな。それと一家団欒はただの四字熟語だろ。


そんな事より、このロリ狐はさらっととんでもない事を言っていた。神繋の巫女は女しか生まれた事がないのか…?これは初耳だ。夢の中で俺の知らない情報が出てくるのはおかしくないか?


「…恋愛成就なんてものもあるのか。気持ち悪いくらいに多芸だな」


「先刻、申したであろう?妾のをもってすれば、出来ぬ事など殆ど無いと」


ロリ狐は偉そうに鼻で笑うと、腰に手を当て断崖絶壁とも言えるペタンコな胸部を主張する。威厳もクソもないな。


「お前のチカラとはどう言うものなんだ?」


「ふむ、良くぞ聞いた!!…じゃがその前にひとつ良いかの?」


「なんだ、勿体振りやがって」


「ぬし様は先ほどから、妾の事をお前だの、ろり狐だの、里狐(仮)だの、自称・里守之稲荷だの、まともな呼び方をしておらんではないか。ちゃんと名前で呼んで欲しいのじゃ」


…コイツの名前は長々しすぎて、すでに忘れつつある。ナントカカントカ御魂命みたまのみこと……


境操御魂命キハメアヤツリノミタマノミコトじゃ」


「きわめあやつりのみたまのみこと……一体全体、どうしてこうも長ったらしいんだお前の名前は…これをナチュラルに会話に組み込むのは些か難易度が高すぎる。諦めろ」


「別に呼びにくいのならば、ぬし様が新しく名前を付ければ良いじゃろう」


人それをあだ名と言う。長ったらしいからと言う理由で好き勝手に呼び名を増やすのは、神として許せるものなのか?もし俺が初対面の相手に「覚えにくい名前だな。俺が名前つけてやるよ」だなんて事を言われたら、助走をつけてぶん殴る自信がある。


「人間なんてもともと神に対して好き勝手に名前を付けて、好き勝手にその名前で呼んでおるのじゃぞ。事実、妾の名前が『境操御魂命』であるのに対して、この村の人間は里狐さっこ様だのお稲荷様だの、好き勝手呼んでおるではないか。まあ、今みたいにこうやって、人の子らの目前に姿を晒して『私の名前は境操御魂命です』などと無意味な主張をした事などない故、人の子らが妾の名を知らぬ事は至極当然の事なのじゃが…」


こいつに仕えている神繋の家ですら祭神の本当の名を知らないというのは、些か問題がある様に見えるが。


「なんにせよ、今更名前が増えたところでさしたる問題もないのじゃ。あ、でもぬし様に付けてもらった名前はぬし様だけに呼ばれたいのじゃ。他人においそれと吹聴するでないぞ?」


誰がするかよそんな事。「なんか夢で里狐さんが出てきて、妾に名前つけろと言われ、俺が新たに名前つけたから、お前らも今後はその名前で呼ぼうぜ」などと口走った日には、精神異常者扱いされて倣神野の人間にマークされるわ。そもそも神に会ったとのたまった時点で頭の病気を懸念される。


「だったら別に里狐や稲荷でもいいだろ。既存の呼び名があるんだ。態々わざわざ俺が新たに名前をつける必要もない」


「まあ良いではないか。里狐やら稲荷やらは、響きが全くもって美しくない上に、洒落ておらんから妾は好かん。妾としては一個人に名を付けられるという事自体、後にも先にもない事じゃ。ふむ…ひとりの少年が麗しき神と出会い、己が考えた名をその神に与える。決して交わる事のない『神』と『人』とが惹かれ合い、禁断の恋へと足を踏み入れる…なんともな事と思わんかの?」


個人的に、神というものは人知の及ばざる領域に存在するものだとばかり思っていたが、実際のところは人間とさほど大差はなく、なかなかに頭が悪いのかもしれない。


「等価交換じゃよ。ぬし様が妾に名前を付けてくれたら、妾のチカラに関する事も含め、なんでも教えてあげるのじゃ」


俺としては別に何を教えて欲しいというわけでもないので等価交換にもならない。むしろ元の世界へ早く帰してほしい。


「…俺は、こういうのは直感だけで片付けるタイプだ。センスの有無は一切期待しないで欲しいし、後から文句を言うのもやめてくれ」


「構わん。変に考えすぎても迷走気味になるだけじゃ。名前というものにというを出そうとしてもになるだけじゃからな」


その意見には俺も同意を示したい所だ。だが、なぜお前がキラキラネームを知っているんだ。時代錯誤も甚だしい喋り方と格好をしている癖に随分と現代的だな。



して、名前をどうするか。こいつの特徴や印象から名前を想起するのが手っ取り早い。狐と神という要素からは、どうしても『イナリ』というワードが想起されてしまうのでパス。


次は容姿。ロリ顔ロリ体型から考え付く名前……妖狐ならぬ幼狐とか?絶対に怒るだろうな。パス。


次にこいつの趣味とか好みだな。趣味は知らんからパス。好みはどうだろうか。みたらし団子……は、俺が気まぐれに供えたから食っていただけであって、好き好んで食べていたわけではない。これも違う。


そういえば美しいものが好きだと言っていたな。美が好き…率直にミズキなんてどうだろうか?神っぽくないな。普通に人の名前みたいだ。ならば、これをベースにして…



「………ミツキ」


「おお…偏屈なぬし様が考えたとは思えぬほどまともなじゃのう……じゃが『みつき』という名、とても気に入ったのじゃ。して、如何様な字を書くのじゃ?」


「そこまではさすがに考えてない。もともとお前と会話している間での使用を想定した名前だから、字をあてる必要はないと思うが?」


まあ今後もコイツと会話する機会すらあるかどうかも謎だが。というか無いだろうな。


「むう、言われてみればその通りじゃが…」


「とは言いつつも、ある程度の意味を含ませたつもりだ。お前は美しいものを好むと言った。そして俺なりに美しいとは何ぞや?と考えた結果、夜の水面に映し出される朧月おぼろづき…という情景が、なぜか脳裏を一瞬だけよぎった。ゆえに水月ミツキだ。……おい、言ってて恥ずかしくなってきた。助けてくれ」


山の中で見かけた野良犬にガルムと名付けてしまったような、黒歴史確定の恥ずかしさが込み上げる。今すぐ布団の中へ潜りこみ、枕に顔を埋めて叫びたい気分だ。


「恥じることなどないじゃろ。ぬし様は淡白に見えて感性豊かなのじゃな。ふむ、朧月おぼろづきゆる水鏡みかがみとな………うむ、なかなかに趣があるではないか。して、なぜ朧月なのじゃ?遮る雲なき満月の方がより一層映えるじゃろう?」


「…淀みなき満月はどことなく主張が強すぎてこのまん。月と女は、多少恥じらいがあった方が丁度良い」


「にゃっはっは!!ぬし様は随分とませておるのう!!良い、良い……ふむ、見かけによらず色欲が強いのじゃな。まあ神繋の子のの匂いを堪能するくらいじゃからのう。やもすると、妾の貞操も危ないかもしれんのじゃ」


ロリき……ミツキは、その断崖絶壁ペッタンコの前で腕を交差させ、肩を抱く。


「安心しろ。俺に幼女趣味はない。それと、エキノコックスが怖いから狐のお前には手を出さん」


「なっ…じゃと!?妾は神じゃぞ!!寄生虫など宿しておらんわ戯け!!噛むぞ!!」


ミツキが口をクワッと開いて威嚇する。


「なんで神が寄生虫の名前を知っているんだ…」


「それも妾のじゃ」


お前のチカラ、死角がなさ過ぎて凡庸性が高いというレベルじゃないぞ。


「左様、妾のは唯一無二にして完全無欠。……妾はありとあらゆる『きわめ』を操る事ができるのじゃ」


「俺にわかる様に説明をしろ。いきなり『境』を操ると言われて、全てを理解できるような変態じゃないんだぞ俺は」


「ぬし様はどのみち変態じゃよ?まあよい、しかと一字一句と聞き漏らすでないぞ。境界、際目、隔たり……万物には例外なく境がある。有と無、夢と現、真と偽、動と静、正と負、善と悪、愛と憎、天と地、人と人、人と神、神と神……次元を超えて、存在し得る全てに線引きがされておる。妾はその全てに存在する『境』を、通り越えることも、取り除くことも、新たに設けることも、曖昧にすることも、明確にすることもできるのじゃ」


「……その境界とやらを自由自在にいじくりまわせるという事か?いまいち概念を理解しきれん。その境界を操る事で、どうして恋愛成就だの五穀豊穣だの無病息災だのをもたらす事に繋がると言うのだ」


「まず『恋愛成就』……人と人との間には心の隔たりがある。遠慮、警戒、嫌悪、羞恥、不信…あらゆる感情が他者に対する壁という物を作り出す。それを取り除いてしまえば、双方の距離感など容易く縮まるものじゃよ。男に至っては本能と理性の境界を曖昧にしてしまえば瞬殺じゃ。まあ根本的に相性の悪い相手じゃとそうもいかぬがの」


精神を操作してくるとは随分とエゲツないな。もはや神というよりあやかしだな。


「むう…あやかし呼ばわりは流石に気に食わんのじゃ。飯綱いづな如きと一緒にしてくれるな戯け」


ミツキはふくれっ面になると、そのふさふさな九尾でテシテシと俺を叩いてくる。びっくりするくらいモフモフで気持ち良い。しかしながら、やはりエキノコックスが怖いので接触は避けていただきたい。


「続けるぞ。次に『五穀豊穣』『無病息災』『延命長寿』『子孫繁栄』じゃが、至って単純明解。『生と死の境界』を操るだけじゃ。村人の糧となる穀物や野菜を『生』に偏らせ、それらを淘汰する害虫を『死』に偏らせるだけで、ぬし様ら村人の作物は豊作となり『五穀豊穣』の恩恵を受けられるわけじゃ。『無病息災』『延命長寿』『子孫繁栄』も同様、村人の生と死の境界を操り『生』へと比重を置けば、それだけで既存の命はより生き永らえ、母体に胎児という新たな生命が宿るのじゃ」


命を創造できる。もはやそれだけでミツキが神と呼称されるに値するのだろう。逆を言えば、こいつにとって人間風情の命運は意のままに操れるという事になる。


「そう険しい顔をするな、ぬし様よ。神繋の子らは特別に贔屓しておると何度も申しておるじゃろ。村全体で見ると、全く御利益を付与していないというわけでもないが、妾は下界に対して過剰な干渉をしたりはせん。自然に淘汰され、病に冒され、不作に苦しもうとも、それを如何にして乗り越えて行くのかが人間の生じゃ。脅威と苦難があるからこそ、人間は学び、考え、鍛え、働き、助け合うのじゃ。全ての苦難に妾が介入しておっては、人の子らは何をする必要もなくなる。365日24時間、惰眠を貪り続けておっても死なんのじゃぞ?そんな『生』は美しさのかけらもない。ただ死んでおらんだけじゃ。それを生きておるとは言わん。生ける屍に美しさなど微塵も感じぬのじゃ」


その通りだ。人間とはラクをすればするほど簡単に衰退していく生き物だ。成長するには並々ならぬ努力と時間がかかるというのに、一度怠惰の限りを尽くしてしまえば、瞬く間に堕ちるところまで堕ちる。


「人の子らが苦しむ顔を見て、悦に浸るような趣味は妾にはない。じゃが、全人類に約束された幸せを与えて、悦に浸るような趣味も持っておらぬ。人間の幸も不幸も、強きも弱きも、全てぬし様ら人間のものじゃ。妾がおいそれと手につけて良いものではないからの」


「そうだ。人間はその弱さ故に強さを求め、自らを研鑽する。理不尽な死から遠ざかる為に成長を繰り返しているからこそ、己が生きていると実感できる」



最後に笑うのは、いつだって生き残った者だ。



「……ぬし様よ。ぬし様はまだまだ美しさを見出せる。ぬし様はまだ気づいておらんのじゃ。ぬし様が真に渇望しておる物は何なのか?ぬし様が大事に握りしめておる物は何なのか?屁理屈を捏ねくりまわして目を背けてはならん。それに気づいた時、ぬし様は大きく変われるかもしれぬのじゃ。





ーーーぬし様は死を恐れず、人を愛するようになるじゃろう」





俺にはもう解ってしまっているのだ。



愛を知る者は、愛ゆえに死んでいくという事を。





ミツキは最後のひと玉となった団子を頬張り、串だけとなったそれを人差し指の上に立てる。


「ふむ、下界は素晴らしいのう。よもや、甘味とやらがこれほど美味な物だったとはのう」


ミツキがうっとりとした表情で嘆息すると、団子の串に視線を落とす。すると、突如として串が眩い光に包まれる。


光が弱まったかと思うと、ミツキの指の上には串ではなく、絢爛なかんざしが鎮座していた。


今更この程度のことで肝を抜かす事などない。それほど俺の常識というものは麻痺しつつあった。そもそも時間が凍結しているこのふざけた空間で、常識という単語を適用すること自体に無理がある。


「たかが団子ひとつ食らった程度で、甘味を知ったかのような口を叩くな」


「むう?それは他の甘味を妾に供えてくれるということかの!?」


ミツキがよだれを垂らしてブンブンと尻尾を振る。


「ふざけるな。何で態々わざわざお前のところまで持って行かなければならないんだ。馬鹿も休み休み言え」


けちじゃのう…油揚げと洗米しか供えてもらえない妾に慈悲をかけてくれぬかのう…」


しんみりとした声でそう溢すと、ミツキの耳がうにょーんと垂れ下がる。


「…持って行くつもりがないと言っただけであって、お前にやらんとは一言も言ってないだろ。甘味などいくらでも買ってやる。食いたけりゃ俺のところまで来いと言っているんだ。まあ、お前が夢でもあやかしでもなければの話だがな」


「おお、これがおおいの言っておったというものか。ぬし様はこの手法で数多の女を誑かしてきたのか…ふむ、数年も経てば三人くらいの女子おなごを嫁に貰っていきそうな勢いじゃのう」


男にツンデレという表現を適用してもただひたすらに気持ちが悪いだけだ。それに加えてつい最近、俺は嫁も子供も作らない宣言をしたばかりだぞ。


ちなみに葵は後でしばく。


「…葵を始めとした、神繋かんなぎの人間に姿を見せようと思った事は無いのか?俺に姿を見せる前に、普通はまずそちらが先になるだろ」


「戯け、神繋の子らに妾の姿を見せたら確実に幻滅されるじゃろう。見せぬ方がましじゃ。妾は初代にしか姿を見せておらぬのじゃ」


自覚あるのかよ。自覚のあるポンコツとか相当にタチが悪いな。こんな奴が神を自称しているとは世も末かもしれない。


「それに、神繋の子らは態々わざわざ妾の姿を捉えずとも、妾がこうして存在しておる事は理解しておるぞ」


「根拠はあるのか?」


「僅かではあるが、彼女らは妾のを使う事ができるのじゃ」


「………マジで?」


嘘だろおい。巫女の少女が境界を操るとか何のアニメキャラだ。


「とは言っても、昨今の神繋の子らは自らがを使える事を自覚しておらん。初代から三代目まではうまく境界を操っておったが、三代目の巫女が次代にの事をきちんと話さなんだからの。四代目に世代交代した時から、ぬし様のような『通わせ人』という役割が誕生したのじゃ。それまでは神繋の巫女は単独で山を登っておったぞ」


初期の神繋が人間離れしている。生と死の境界を操って、山の猛獣どもに理不尽な死を連発していたのだろうか?


「そこまで強力なは与えておらぬ。せいぜい時空の境界を操って、この神社まで転移する程度のものじゃ」


四次元移動は流石に予想できなかったし、予想したくもなかった。現代科学が仕事をしていないぞ。


「ん…?待て。現代の巫女がチカラの存在を認識していないと言う事は、少なくとも葵を含めた最近の巫女は、お前を認知しているという根拠になり得ないだろ」


「……………あっ」


普通に「あっ」て言ったぞ。今。


「だ、大丈夫じゃ…さすがに己が仕えている祭神に疑念を抱くような巫女はおらんじゃろう。巫女が神を信じておらんでどうする。………大丈夫じゃよな?」


ミツキの声は徐々に小さくなっていき、終いには消え入りそうな声になる。めっちゃ気にしてんじゃねぇか。


「そんなに気になるのならば、葵の心中を覗き見ればいいだろ」


「無理。怖くて見れんのじゃ」


神がその程度で怖気つくな。


「かたや、妾が我が子のように愛でておる神繋の子に『里守之稲荷さともりのいなり?そんな胡散臭いのいるわけないっしょwwwwwうぇーいwwwwww』などと言われた日には、流石の妾でも並々ならぬ心的外傷を負いかねんのじゃ…」


「葵は馬鹿だが、そこまで頭のゆるそうな喋り方はしない。ロクに勉強もしないでクソみたいなサークルに入り浸る大学生じゃないんだぞ」


「随分と具体的かつ辛辣な比喩じゃのう…大学生になんの恨みがあるのじゃ……」


だがまあ、実際のところ葵が神というものをどう捉えているか気にならなくもない。それとなく聞いてみるか。


「ふむ…そろそろお開きとするかの。有意義な時間であったぞ、ぬし様よ。どれだけ時が経とうとも、人の子との会話は良きものじゃな」


不意にミツキがそう切り出し、ポンと柏手かしわでをうつ。それと同時に、ミツキの目の前の空間にヒビのような亀裂が入る。


「待て。最後に二つだけ答えろ」


「むう?二つと言わず、気になる事があるなら遠慮せず申してみよ」


「お前同様に、罪喰之犬神つみぐいのいぬがみは実在するのか?」


「…ふむ。ぬし様は倣神野ならしの姫女ひいなに犬神が憑依ひょういした所を目のあたりにした事は無いのかの?」


「……憑依、だと?」


「うむ、ぬし様らが呼ばっておる罪喰之犬神は『念調之牙神おもいととのえのきばかみ』と言って、倣神野の血族を媒介にして人の子らが生み出す『おもい』を喰らう、あるいは『おもい』を植え付ける狼の女神小娘じゃ。妾と違って格下の神である故に、そやつは姫女に憑依する事でしか下界に発現する事ができぬのじゃ。…まあ、何かとバチ当たりな発言の多いぬし様の事じゃ。あの小娘との邂逅は、そう遠くない未来の話じゃろう。期待せずに待っておれば、小娘とはどこかで関わるかもしれぬのう」


話はまるで見えなかったが、ミツキの口ぶりからして実在しているのだろう。憑依だの媒介だの抜かしていたが、即位したての諫奈いさなに聞いても、何も知らない可能性の方が高い。諫姉いさねぇにカマをかけてみた方が早いかもしれない。


「うーむ…あの気の短い小娘の事じゃ。不遜極まりないぬし様と関わるとなると癇癪を起こして手を出してくるかもしれんのう。先に唾をつけておくかの」


「…何やら穏やかじゃない独り言が聞こえてくるんだが?」


「ぬし様の気にすることでない。ぬし様は大船に乗ったつもりで構えておればいい。それよりも、二つ目の質問があるのじゃろう?」



………こればっかりは考えても分からん事だからな。



「ミツキ。なぜお前は俺に姿を見せた?何の意図があっての事だ?」


「まったく、ぬし様は疑り深い奴じゃのう……意図などありはせんよ。最初に申したであろう?妾は暇を持て余しておると」


「暇つぶしだろうが何だろうが俺の知ったことではない。何故、俺なんだと聞いているんだ」


「にゃっはっは!!野暮なことを聞くのじゃな。乙女が特定の殿方に声をかける理由などひとつしかないじゃろう?」


ミツキはその容姿に似合わぬ蠱惑的な笑みを浮かべ、手に持っていたかんざしに軽い口付けを落とす。


「毎日のようにこの神社へ訪れる人間に、妾が興味を持たないと思うのかの?」


「それは先代の通わせ人にも同様の事が言えるだろ。だが少なくとも親父の口からお前にまつわる話など出たことがない。それを踏まえた上でもう一度聞く。何故、お前は俺に……」


ふと、俺の唇に何かが押し当てられる。引き剥がして見れば、それはミツキの小さな人差し指だった。


女子おなごに恥をかかせるでないぞ、ぬし様よ。ぬし様は『柳包み』を渡してきた女子にもそのような不粋な事を訊くのかの?」


「接点もないような奴から渡されたら訊くだろうな」


「にゃっはっは!!いやいや、失念しておったわ。ぬし様はそういう奴じゃったな。良い、良い。今年の『紙渡し』も存分に楽しむが良い。なんと言っても妾を讃え、妾に子孫繁栄を祈願する祭りじゃからのう。妾の老婆心がすぎて、ついついうっかり女子おなごたちの心の『へだたり』を操ってしまい、積極的にさせてしまうかもしれんのう…ぬし様も相応の覚悟をするが良いじゃろう。にゃっはっはっはっはっは!!!」


ミツキはフワリと宙に浮き、空間に発生した亀裂へと身を潜らせていく。


「ここが夢か現か、妾が神か幻か…気になるのであれば神棚を調べてみるのじゃな。ではの、ぬし様よ。ぬし様も神繋の子の優しき温もりへと帰るがよい」


ミツキが指を鳴らすと同時に、周囲の背景が溶け出すかのような感覚を覚える。いや、俺の視覚情報が狂っているのか?



朦朧としていく意識の最中さなかで、まるで人をかす事に成功したかのような嬉々とした笑顔を浮かべるミツキだけが、やけに鮮明に見えていた。

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