不貞腐れた猫は巫女の膝上で。

階段を昇りつめた先には、ところどころペンキの剥がれた、真紅の鳥居がそびえ立つ。敷き詰められた砂利じゃりを踏みしめ、目前に鎮座する神社へと向かう。


拝殿の前に設えられた賽銭箱に腰掛け、足をぶらぶらとさせていた巫女服の少女がこちらに気づくと、賽銭箱から飛び降り参道を疾駆する。なんだ、捻挫は治ったのか…随分と早かったな。


「詠水くん!!遅かったじゃないですか〜、すごく心配したんですからねっ!!」


この神社の巫女を務めている神繋かんなぎ あおいが俺に抱きついてくる。


「ひっつくな気持ち悪い。ドMがうつる。あとあざとい。それと気持ち悪い」


「ちょっ、開口一番に気持ち悪いは酷すぎですよ!?二回も言ってますし!!あとなんですかドMって?Mじゃないですよ私!!」


「いろはが言っていた」


「えぇ…私あの子に何かしましたかね…?そこまで接点が無いと思うんですけど…」


「俺が知るか。何もしていないならば、もはやお前の存在そのものがウザいという事だろう」


「あれ、更に辛辣になってませんかね?」


「どうでもいい事だ。そんな事よりさっさと離れろ。暑苦しくて敵わん」


「まあまあ、そんな堅いこと言わないでくださいよ。花も恥じらう巫女さんに抱きつかれているんですよ?どうです詠水くん?こうやって私に抱きつかれていると何か・・柔らかい感触がしませんか?どうです?どうです?」


葵の慎ましやかな双丘がムニュムニュと押し付けられる。俺も男なので、何も感じないという訳ではないが、葵ごときで欲情するほど落ちぶれてはいない。


「はっはっは、面白い自虐ネタだな。お前のそれは押し当てられるほど立派じゃないだろう」


「この人最低です!!全国の貧乳女子を敵に回しましたよ!!男の人はそうやって胸の大きさだけでしか評価を………んっ……………あっ…………って、ちょっと待ってください!!なに涼しげな顔して私の胸触ってるんですかっ!?」


「いや、潔いくらいに小さいなと思って」


「行動も発言も完璧にセクハラですよ!?」


俺に抱きついていた葵は、バッと俺から距離を取り、自らの肩を抱く。葵を引き剥がすことに成功したので、参道の横に建てられた平家へと入る。


「家主より先に入っちゃダメですよ詠水くん!!」


「なぜだ」


「なぜって…それはまぁ、うら若き乙女が一人暮らししている空間ですよ?見られて困るものとかあるかもしれないじゃないですか。下着とか下着とかあと下着とか」


「まあ、お前が住んでいるという事実が存在している時点で、人に見せられるようなモンじゃないしな」


「あれ、部屋の中ではなくて私自身が否定されているんですが…?」



とりあえず台所へ向かい、背負っていたバックパックを食卓の上へ放る。



「ちょっと詠水くん?今日の通わせには玉子が含まれてるんですよ?そんな乱雑に扱うと…」


「問題ない。玉子なら元から割れている」


「一体どういう事なの…」


「久々に鎧熊と鬼ごっこをした。楽しかった」


「なんか微笑ましい物言いになってますけど、普通に危ないヤツですよね?それ。怪我はないですか?」


「バカタレ。俺を誰だと思っている」


「痴漢、変態、唐変木、リアルチート、女誑おんなたらし、私の旦那様、通わせ人…こんなところでしょうか?」


「最後から二番目が気にくわない。よって罰ゲームだ」


「いやいや…もっと他に不愉快にさせるワードがあったでしょう?」


「自覚があるなら尚更だ。3秒で茶をれろ」


「無理です。せめて30秒にしてください。梅昆布茶うめこぶちゃで良いですか?」


「大好物だ」


それだけ伝えると、葵の部屋へ向かう。後ろから「ちょっ、勝手に入らないでくださいよ!!」という声が聞こえたが、葵に指図されたのが気に食わないので部屋の中へ入る。


長年の間、俺が通わせが終わった後の休憩室としてたむろし続け、第二の我が家のような安心感を覚える葵の部屋は、女子の部屋としてはかなり片付いており、非常に居心地が良い。ちなみに諫奈いさなの部屋は物が多い上に、あいつは掃除ができないため、かなり散らかっている。料理以外は壊滅的かいめつてきだからな、あいつは。



葵の部屋は非常に綺麗なのだが、綺麗故に片付いていない物がよく目立つ。たとえば、彼女のベットの上に、無造作に放置されているぶらj…………





…………………………。






男には、リスクリターンを度外視し、果敢に挑まなければならない時がある。





俺は音を立てない範囲内のスピードで、葵のベットに急接近する。




俺は『栄光』を手にとる。




『栄光』にぬくもりは残っていなかったが、今は落胆している場合ではない。盗むのだ。その『栄光』から出来る限りの情報を可及的速やかに盗まなくてはならない。




俺は『栄光』を己の顔面へ密着させる。










葵の匂いがした。










「……え?ちょっ………えええええええええええええええ!!!???なななななな何やってるんですかこの変態っ!!!!!!!」






スネーク!!どうやら君は敵兵に見つかってしまったようだ!!






葵は湯呑ゆのみが乗ったお盆を叩きつけるようにテーブルに置き、俺から『過去の栄光』を奪い取る。






「詠水くん!?私の下着で何してるんですかっ!!!!」


「お前の目は節穴か。匂いを嗅いでいたに決まっているだろう」


「そんな事は分かってますよ変態!!何で開き直ってるんですか!?」


「開き直る?お前は何を言っているんだ?俺がいつ、後ろめたい事をしたと言うんだ」


「何を言っているんだ…はこっちのセリフですっ!!私の下着の匂い嗅いでたじゃないですか!!後ろめたさしかないじゃないですか!!」


葵は顔を真っ赤にして、SLの如くフシャーと白い鼻息を出している。人間じゃねぇ。


「どうどう、落ち着け葵。俺はお前の下着の匂いを嗅いだ。それは事実だ。俺は嘘をつかない。そのブラジャーからは、確かにお前の匂いを感じ取る事ができた。やはり葵といえど、腐っても女だ。男にはない女特有の甘美な香りが…」


「ちょっと、本人の目の前で解説を始めないでくださいよ!?頭おかしいんじゃないですか!!??」


「俺はいたって正常だ。いいか、葵。俺はお前のブラジャーのにお「何回も言わないでくださいよ!!」………匂いを嗅いだ。その行為に咎められるような要素があるのか?」


「えっ。それは………えーっと………って、ダメに決まってるじゃないですか!!なんなんですかあなた!?」


「いいか、葵。男というものは、異性の下着が捕捉範囲レンジ内にあれば、如何なる理解があろうとも可及的速やかにそれを手に取らなくてはならない。ここまでは分かるな?」


「何ひとつ分かりませんが」


「手に取り、匂いを嗅ぐまでは初歩中の初歩であり『最低限やらなくてはならない』というラインだ。その後、味を堪能する、己の身に装着してみる、ポケットに忍ばせる……その道の玄人くろうとはあらゆる技を駆使する」


「玄人ってなんですか?ただの性犯罪者ですよね?」


「男が異性の下着を堪能するという事は普遍的なものであり、履行しないという事自体があり得ぬことだ。よく考えろ。もしここで俺が、お前の下着の匂いを嗅がなかったら、それは何を意味する?」


「え?下劣極まりない欲望を理性で抑えた、という事なのでは?」


「ハズレだ大馬鹿者が。これは下劣な欲望ではない。ごく当たり前の事であり、生理現象だ。腹が減って飯を食うのと一緒だ。つまり『目の前に葵のブラジャーがあるのに匂いを嗅がない』という結果が、何を意味するか…もう分かるだろう?『腹が減っているが、目の前の飯はクソまずそうだから食う気にもならない』というのと一緒で『目の前にブラジャーが鎮座しているが、葵のブラジャーだから嗅ぐ気にもならない』という事になる」


「あ……」


「そう、もし俺がお前のブラジャーの匂いを嗅がなかったら、お前を辱め、お前を傷つけていた、という事だ。……いきなりの事でお前は動揺しただろう。羞恥を覚えただろう。怒りを覚えただろう。………許せ。俺にはお前を傷つける事などできなかったのだ。理解してくれ」


俺はゆっくりと葵の体を抱き寄せる。


「詠水くん………それ程までに私の事を大切に思ってくれていたのですね………」


葵はわずかに頰を紅潮させ、俺の胸にコテンと頭を乗せる。









……………。









諫奈いさなを上回る馬鹿が居た。信じられないくらいに頭が悪いぞ、こいつ。







「さて、このままでは折角淹れてくれた茶が冷めてしまう。離れてくれないか?葵」


「そうですね。私もお昼ごはんを作らなくてはいけませんですし。私が料理している間は、いつも通りくつろいでいてくれて構いませんよ………変態」



葵は俺から離れて立ち上がると、絶対零度の如く冷めた目で俺を見下ろし、部屋から出て行く。





信じられないくらいに頭が悪かったのは、俺の方だったようだ。





〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜





葵と共に少し遅めの昼食をとった俺は、葵の部屋でダラダラとしていた。



廊下を歩く音が聞こえてくる。昼食後の洗い物が終わったのだろう。



「おまたせしました~……って、勝手に人のベッドに上がらないでくださいっていつも言ってるじゃないですか。しかもなんでご丁寧に布団まで被ってるんですか…」


「この布団、この枕、このマットレス…すべて俺が通販で注文し、すべて俺が絹羽商店から運び、すべて俺が組み立てたんだ。文句は言わせない」


俺が咎められるような要素は何一つとして存在していなかった。


「傍若無人とは詠水くんのために存在しているような言葉ですね…お茶請けを持ってきたので出てきてください」



葵はテレビの前に配置された折り畳み式のテーブルに水羊羹ようかんを置く。食べないという選択肢はないので俺は布団から這い出る。



余談ではあるが、双神村ではテレビ放送を視聴することができない。葵の部屋に置いてある液晶テレビは、もっぱらゲームをするためだけに存在している。神繋かんなぎの巫女として、こんな僻地で一人暮らしをする葵は、さぞかし暇を持て余すことだろうと思い、ゲーム機の本体とソフトを俺がいくつか買い与えたのだ。女は基本的にゲームのたぐいにそこまで興味を示さないと聞き及んでいたのだが、葵は思いのほかのめり込んでおり、今では重度のゲーマーとなっている。神に仕える者がゲーマーとはこれ如何に。



「そういえば、諫ちゃんの即位式はどうでした?ほんとなんでこんなタイミングで捻挫したんですかね……即位式に顔も出さないとか神繋かんなぎの巫女失格ですよ」


葵はシュンとした表情になる。あざといぞ。


「そんなに気にする事でもないだろ。俺も退屈すぎて途中で帰ったしな」


「いやいやいや、途中退席は流石にダメでしょう!?よく分家の人たち怒りませんでしたね…」


「なんか諫奈が喋っている時に無限五体投地し始めたから、俺の退屈ゲージがカンストしてな。奴らは五体投地をしていたから俺の退室には気づくまい」


「いや、そのあと絶対気づくに決まってますよそれ……諫ちゃんの姫女装束ひいなしょうぞく姿はどうでした?生で見たかったですね〜」


あの重苦しい着物は姫女装束というのか。十二単じゅうにひとえの様に、下に下着をつけないのかどうか一瞬だけ気になったが、これ以上俺の評価を落とすわけにはいかないので疑問符を滅却する。


「馬子にも衣装という奴だな。ああいった堅苦しいものを着こなしていると、さしもの諫奈でもどことなく威厳のようなものを感じられる。蓋を開けてみれば頭ん中パッパラパーだがな」


「褒めてるのか貶してるのかどっちなんですか…」


葵は呆れ顔で水羊羹を頬張る。一転して葵の表情が綻ぶ。そう言えば甘い物には目がなかったな、こいつ。


「…忘れるところだった。葵、みちくさ茶屋でみたらし団子を買ってきている。欲しけりゃ食え」


「…あの詠水くんが私のためにわざわざ買っていただけるだなんて、今日は槍でも降ってくるんじゃないですかね?ありがとうございます。お気持ちは嬉しいのですが、実のところみたらし団子が苦手なんですよ、私……ごめんなさい」


なんと。団子が食えないとは変わった奴だ。


「折角買って頂いたところを申し訳ございません…詠水くんが食べてください」


「いや、俺はもう食っているし、水羊羹を食っている今、全くと言っていいほど食う気にならない。さしもの香乃子かのこにも葵の好き嫌いまでは把握してなかったか…仕方ないな」


捨てるわけにもいかないので、処理に困った団子は神棚に供える事にした。


「里狐様にお団子をお供えするなんて聞いた事ないですよ……………ん?」


「油揚げだの洗米だのうまくもないものばかり供えられるというのも可哀想な話だ」


「ちょっと待ってください。詠水くん、今『香乃子』って言いましたよね?」


葵が話の腰を折り、眉をひそめて尋ねてくる。


「なんだ藪から棒に。言ったが、それがどうした?香乃子は甘味処の看板娘だぞ。お前も知っているだろう」


「それは知ってますよ。聞きたいのはそこじゃないです。なんで彼女の事を名前で呼んでいるんですか?詠水くんは基本的に賜名たまなでしか呼ばないじゃないですか」


「俺が賜名で呼んでいるのはどうでもいい奴だけだ。香乃子にも俺の事を系名で呼ばせるようにした」


おのれというものを強く持っている人間というのは俺にとって好印象だ。そういった連中は筋の通っていない事をしないからな。信頼は絶対にしないが、ある程度気を許す事はできる。


「だけって言ってますけど、詠水くんの場合はそっちの割合の方が多いじゃないですか…甘桜あまざくらさんとは仲が良かったんですね」


「仲が良い訳ではないが、嫌いというわけでもない。向こうがこちらの事をどう思っているかは知らんがな」


俺は基本的に愛想が無い上に態度がでかいので、相手にあまり良い印象を持たれていない可能性の方が高い。自分で言うのもなんだが、コミュニケーション能力が壊滅的すぎる。あるいは単に人に嫌われやすい性格なのか。言ってて悲しくなってくるな。


「…甘桜さんは幅広い年齢層の殿方から人気がありますが、異性に対してガードが固い事でも有名です。彼女を口説こうと試みるも、無残に散っていった殿方の数といったら数え切れません。彼女が異性と下の名前で呼び合うなんて聞いた事ありませんよ」


耳寄りな情報だな。あいつ、そんなアイドルみたいな立ち位置だったのか…


「詠水くんは目を離すとすぐフラグを立てますからね。…どうやら今年の『紙渡し』は例年以上に激戦区になりそうです」


「フラグなんぞ立てとらんわ。石光いしみつがいる以上、俺に『柳包み』を渡す酔狂なんざいる訳もない」



紙渡しとは、双神村で毎年夏に行われる伝統の祭りであり、村の子孫繁栄と無病息災を祈願するものだ。概要としては、村の女たちが男に20cm四方ほどの白い紙・・・を、村の男に渡す…という、そこだけ聞くとてんで意味の分からないものであるが、屋台が立ち並んだり、その後の営み・・を含め、村の中では一大イベントに分類される祭りだ。


女たちが男たちに渡す『白い紙』は『柳包やなぎづつみ』と呼ばれ、かつてはこの紙を三角に折って、柳の葉を包んで渡していた。その行動が意味するものとは、あなたになら夜這い・・・かけられても構いません、という意思表示だった。


この村には夜這いという習慣が昔から存在している。当時よりひとつの祭りのようにして行われており、不特定多数の男女が皆同じ場所で事に及ぶという非常に節操の無いものであった。そのため、女が妊娠しても「誰の子供か分からない」という事は珍しくなく、出産後も特に気にすることなく子供を育てたそうだ。また、夜這いの対象となる女は初潮を迎える12〜13歳より上で、男も精通を迎えたものから年上や大人の女性に相手をしてもらい、夜を経験するというメチャクチャなものであった。


しかしながら、この夜這いには強姦まがいな側面も散見され、次第に問題視された。この村において男尊女卑の色が強いのは周知の事実であるが、子を宿す母体となる女性は神聖なものであるという思想もあった。里守之稲荷さともりのいなりに仕える『神繋の巫女』や罪喰之犬神つみぐいのいぬがみに仕える『姫女ひいな』など、双神村における二つの大役が女性に限定されているのも、この思想に起因してる。その神聖たる女性に狼藉を働くのはもってのほかであり、女性に性的暴行を加えた者は村に災いと悪しき子孫を残す『けがれ』とみなされるようになった。


ちなみに穢れとは、この村において『最も思い罪を犯した者』を意味しており、『穢れ』とみなされた者とその子供は『汚れきった子孫』として、神前にて生きた状態で・・・・・・燃やされる。これは姫女が主導で行う『にえ』に続く、二大儀式の一つである『舌汚したよごし』と呼ばれる儀式で、穢れた村人を、その払拭できぬ罪とともに罪喰之犬神つみぐいのいぬがみに食らい尽くしてもらうというものだ。


…で、それに準じてこの夜這いという文化も考え直す必要があると認識され、夜這いをかけるには大前提として女性側が夜這いを受け入れていなければならない、という必要最低限の条件が設けられた。その受け入れのサインとしてこの『柳包み』が使われるようになった。


今では、実際に柳の葉が包まれる事はないが、この『紙渡し』の祭りにおいて『柳包み』単体だけで使用され、女がこれを三角に折って男に渡すと『あなたの夜這いを待っています』という意思表示となり、紙を折らずに渡すと『あなたの無病息災を祈っています』という意味になる。『紙渡し』では、年端もいかぬ女児たちは、紙を折らずに自分の家族や仲のいい異性に渡し、大方16歳以上の年頃の女は紙を折らずに家族に渡すか、三角に折って意中の異性に渡すとされる。既婚者は自分の子供が男だった場合、だいたいは紙を折らずに息子に渡す。子供がいなかったりできたてほやほやの新婚さんだったりすると、三角に折って自分の旦那に渡し、そのまま熱い夜へと突入する。


『柳包み』は姫女の手で、双発村に住まう全ての女性に配布されるが、一人につき一枚なので、不特定多数の男が一人の女性に夜這いをかける事は不可能であり、昔のように女が妊娠した時に「誰の子供かわからない」といった状況にはならない。逆に、男は複数人の女から『柳包み』を受け取った場合、そのうちの一人を選んで…という事はなく、全員に夜這いをかける事もできる。


双神村では、男女間で子供をつくった場合、必ず婚姻関係を結ぶ必要があるため、未婚の女性が異性に『柳包み』を渡すのは、結果的には『あなたのお嫁さんにしてください』という意思表示になる。双神村では重婚が認められているので、『柳包み』を貰った女全員と結婚するという事も不可能ではない。ただし、全員を養い、全員の盤石徴税を払えるだけの多額の収入と、複数の妻を抱えながらも不和のない家庭を築ける器の大きさが必要とされ、昨今では重婚をする男はいない。


まあ、結婚する気がないと夜這いをかけてはならない、というわけでは無いので『柳包み』を渡してきた相手を妊娠させたくないのであれば、普通に避妊具などを用いて夜這いをかければいいだけの話だ。


まあ、早い話が『紙渡し』は年齢層によって趣旨が異なり、思春期の男にとってはバレンタインデーのような『柳包み』の争奪戦となり、脱童貞がかかった一大イベントという事になる。大抵の男は「あの子から貰えたらなぁ」とそわそわし、根拠のない自信と期待に埋もれ、祭り前は眠れない夜を過ごす事だろう。しかしながら、俺らの世代においては、そのふざけた幻想を石光いしみつりょうがぶち壊す事となり、圧倒的な『柳包み回収力』を以ってして野郎共の精神を粉々にする。とどめには、散々女共から柳包みを巻き上げといて「僕は心に決めた女性としか関係を結ばないんだ」と気障な事を抜かして夜這いを決行しないため、野郎共はさらに血涙を流し、女たちのハートをさらに掻っ攫っていく。石光涼は村の童貞達にとって、無視のできない危険因子であった。



「何言ってるんですか。無自覚ハーレムとか大概にしてくださいよ。私、諫ちゃん、ハルちゃんは確定として、甘桜さんも怪しいです。あ、いろはちゃんも詠水くんにゾッコンでしたね。で、その他の女の子が何人か……このスケコマシ」


…なぜ唐突に俺は貶されているんだ?


「ふん…仮に貰ったとして、どいつも折っていない紙だ。俺の職業柄、安全と言ったものを祈願されるのは不自然な事じゃないだろ」


「折られていない紙もですが、折られた紙も貰ってるじゃないですか!!…確かハルちゃんも折ってましたよね?」


葵が頬を膨らませて怒ってくる。お前は一体何と戦っているんだ。


はるかに関しては今に始まった事じゃない。5年前からずっとそうだぞ」


「あ、愛が深いですね……じゃ、じゃあ、詠水くんはハルちゃんのところへ一回くらいは夜這いをかけていたり…?」


「どうだろうな。想像にお任せする」


「……詠水くんは歩く下半身ですね」


葵がジト目で睨んでくる。葵のクセに生意気な。


「下半身は歩く為のものだから当たり前だろう。何が言いたいんだお前は。まぁ、据え膳食わぬは男の恥…とだけ言っておこう」


18歳にもなって女との夜を知らないだなんて、村のおっさん連中どころか女にも馬鹿にされるわ。


「ふーん…へぇー…?そうなんですか〜……どうです?ここにも据え膳が居ますよ?巫女服少女の据え膳が居ますよ?よわい18にして未だ純潔を失っていない据え膳が居ますよ?食べないのですか?詠水くんに食べて欲しがっている据え膳が居ますよ…?」


葵が巫女服をはだけさせ、上目遣いでこちらを見つめてくる。控えめに言って、気持ち悪い。


「遙は帰ってきているのか?」


「ありえないくらい強引に話をそらされました。女としての自信が完全に霧散しました。ゆるさない。あなたは絶対にゆるさない」


葵ははだけていた巫女服を正すと、なんだかよくわからないがヤバそうなオーラを纏い始める。神繋の巫女は超能力が使えるという偏差値の低そうな噂もあるので油断ならない。


「…知らなかったんですか?高校が夏休みに入ったみたいで、ハルちゃんは村に帰ってきてますよ。お家の手伝いとか受験勉強とかであまり外には出てないそうなので、一度顔を見せてあげてはあげてはどうです?」


「受験勉強…?ああ、大学受験か。そうか、あいつが『学業奨励生徒』になってから3年も経つのか…」


「ハルちゃんなら余裕で受かると思いますけどね。それにしても、大学へ行ってもハルちゃんはモテモテでしょうねー。まあ、黙っていればの話ですが」


「辛口だな。お前も人の事言えないだろ」


そう言うお前こそ、黙っていればただの可愛い巫女でいられるというのに。



裁花たちばなはるかは俺や葵の同級生の女で、 現在はその突出した学力が倣神野の教育機関に認められ『学業奨励生徒』として村の外の高校に通っている。諫奈や葵程ではないにしろ、俺にとって付き合いの長い稀有な存在だ。



「まあ明日あたりに顔を出すか。積もる話もあるだろう。…ところで葵、今年からは諫奈が犬神にまいと祝詞を奏上するのか?」


俺がそう尋ねると、葵はコテンと首をかしげ考える素振りを見せる。


「正式に即位が決まったわけですし、姫女様が執り行う神事は今後全て諫ちゃんがこなしていく事になるんじゃないですか?『紙渡し』も例外ではないかと思いますよ」


「…じゃあ、神社ここまで来るのもあいつなのか?」


「そうじゃないでしょうか?」


「おいおい…冗談じゃない。獣たちが跳梁跋扈する夜に、鈍臭どんくさい奴を二人も連れて山に入れとでも言うのか?生きた心地がしないな」


「鈍臭くてすみませんでしたね…でもそれが詠水くんの仕事でしょう?か弱い女の子を守るのが男の子の務めですよ」


石光みたいな事を抜かしやがって。諫姉があれほど薙刀の扱いに長けているというのに、なぜああも諫奈はからっきしなんだ。


「通わせの途中で鎧熊が出たら、お前ら二人を同時に守るだなんて器用な真似はできん。何も無いところで転んだり、クシャミをしたりした瞬間にお前らの死亡が確定すると思っておけ」


「んなっ!?女の子2人を見捨てて逃げる気ですか!?極悪です!!非道です!!職務怠慢です!!!!」


葵があり得ないといった表情で罵倒してくる。


「やかましい。俺は如何なる状況であろうとも我が身が最優先だ。それに俺が言いたい事はお前らを見捨てる見捨てないだの、そんな話ではない。そうならないよう細心の注意をしろと釘を刺しているんだ。お前は山を歩くのに慣れているかも知れんが、諫奈はこれが初めてになるんだ。諫奈には改めて俺が注意を促すが、お前も気を引き締めろ」


神繋かんなぎの巫女となり数年が経過した葵は、山の登り下りは幾分とスムーズになったものだが、問題は姫女に即位したばっかの諫奈だ。基本的に誰かを連れた状態で山を通る時は、絶対に鎧熊やその他の獣との接触を避けなくてはならない。いかに俺が獣を避けるルートを選んでも、諫奈や葵が不必要に音を立ててしまってはなんの意味もない。


葵は売り言葉に買い言葉をするかと思いきや、クスリと微笑を携えていた。


「…やっぱり詠水くんは、物言いこそぶっきらぼうですが、なんだかんだで私たちの事を心配してくれるんですね。とても嬉しく思いますよ」


「…お前が都合の良いように解釈をしているだけだろ。そのプラス思考が羨ましくて仕方ないな」


「相変わらずのツンデレっぷりですね…大丈夫ですよ。山を通過する事がどれだけ危険を伴う事かは理解しています。気を抜いたりはしませんから」


「葵に関しては今更になって心配する事もないが、諫奈をどうするか…という話をしているんだ」


よく分からん植物に足を引っ掛けて、山を滑落していく諫奈の姿など容易たやすく想像できる。


「そんなに心配なら、詠水くんが諫ちゃんをお姫様だっこすれば良いんじゃないですか?うら若き乙女を美味しくいただく為にお持ち帰りしてる感が出て素敵だと思いませんか?」


葵がニヤニヤと小馬鹿にした笑みを浮かべる。


「言っている意味がまるで分からんし、16にもなった女を腕に抱えて山登りとか拷問でしかないだろ。…だがまあ、背負って行くというのも一つの手だな。下手に神経をすり減らすよりもはるかにマシだ」


普段から決して軽くない荷物を背負って山を登っているんだ。諫奈をおんぶした所で普段とそれほど変わらんだろう。


「…え?ほんとに言ってます?本当に実行するつもりなんです?」


突如、何故か葵が焦燥の色を見せ始める。


「あ?お前から提案しておいてなんなんだその反応は。一応は理にかなっているだろ」


「え〜…私はおんぶしてくれないんですか?」


「何をふてくされいるんだ。鈍臭い諫奈をどうするかという旨の話をしていたんだ。お前を負ぶさる必要性が見当たらん」


「む〜…諫ちゃんだけズルいですよ」


「お前から言い始めた事だと言うのに、お前が文句を言うのか…」


まったく、女というのは例外なく面倒臭い生き物だ。


「それに、背負うなら葵ではなく諫奈の方がいいに決まっている。背中で感じられる感触が貧相になってしまうからな」


「ははははははは詠水くんは面白い事を言いますねそのジョークとても気に入りましたよお礼に過去最大級の痛みペインをお贈り致しましょうかね?」


葵はボソボソと早口でそう言うと、何処から取り出したのか千枚通しをこれ見よがしに掲げる。その先端が怪しく輝いている。


「…穏やかじゃないな。危険だ。やめておけ。大怪我をするぞ」


「大丈夫ですよ…そんなに怖がらなくても…すこ〜しだけ反省してもらうだけですから…」


葵が千枚通しの先端をこちらに向け、薄ら笑みを浮かべる。



………?



「何を勘違いしているんだ?大怪我をするのはお前だぞ?」


「あるぇ?返り討ちにされるんですか?私?あの、できれば反撃はしないでいただきたいです」


「はい分かりました、と言うとでも思っているのかこの馬鹿。馬鹿じゃないのか?馬鹿。アホ。馬鹿」


「何回馬鹿って言うんです!?煽り文句が小学生レベルですよ!?」


口喧しく騒ぎ立てる葵から千枚通しを取り上げる。こんな物を仕込んでいるとは物騒な巫女がいたもんだ。




水羊羹を平らげた俺は、あらががたい眠気を感じる。鎧熊とイチャイチャした疲労感に、この満腹状態だからな。眠たくもなるか。


未だ正座して水羊羹を堪能している葵の膝に、頭を乗せて寝っころがる。


「ひゃっ!?…いきなりなんですか?」


「眠い、寝る」


驚きの声をあげる葵に、端的にそう伝え俺は瞼を閉じる。すると、安眠への誘いがより一層強い物へと変わる。


「ほんと、詠水くんは猫みたいな人ですね。これほどまでに自分の欲望に対して忠実な人はそうそういませんよ」


葵は囁くような小声でそう言い、まるで膝の上で丸くなった猫を愛でるかのように、俺の頭部を撫でつける。


「葵のくせに………生意気だぞ……………」


本当に眠い。これ以上は口を聞かんと主張するべく俺は顔の向きを変え、葵の腹に顔をうずめる。


真紅の緋袴からは彼女の優しい香りと温もりとが伝わってくる。






「いつもお疲れ様です。ゆっくり休んでくださいね、詠水くん………」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る