華奢な一太刀に慕情を乗せて。

月曜日の陰鬱さとは普遍的なものである。学生しかり、社会人然り、休暇という名の絶対的な自由な味を占めた者らは、平日の襲来という物を危惧する。しかしながら、誘惑に負け、怠惰と怠慢を貪ることでマイナス方向の結果をもたらす事は誰しもが理解しているので、最終的には各々の本分を果たす事となる。


蝉の鳴き声すらもが心なしか草臥くたびれているように聞こえる程の猛暑の中、重装備をした俺は絹羽きぬば商店へ向かっていた。と言っても、出発したばかりの為、村の中を歩いているに過ぎないが。


久しく聞いていなかった子どもたちの掛け声と、竹と竹とがぶつかり合う音が聞こえてくる。一刀斎いっとうさいのジジイの剣道場か。そうか、学生たちは夏休み真っ只中なのか…いい身分だな。


興味を惹かれた俺は、何とは無しに道場へ足へ運ぶ。中を覗くと数十人の子どもたちが掛け声と共に竹刀を打ち合い、道場の一番奥に偉そうに仁王立ちした老人が立っている。この道場は剣道のようなルール上での剣の扱いではなく、より実践的な剣が教えられている。


打ち合いをしていた子どもたちの中の一人が、面を外してこちらへ駆け寄ってくる。



「あにさまっ!!」



俺を兄様あにさまと呼んだ少女…撫霧なでぎりいろはが、短く切り揃えられたおかっぱを揺らしながらハシッと抱きついてくる。枝毛の一つもないサラサラのショートヘアの上に、彼女のトレードマークともいえる一輪の白い花飾りがその存在感を遺憾無く発揮している。


「久しいな、いろは。剣は上達したか?」


サラサラの髪を撫でながら訪ねると、いろはは純粋無垢な瞳でこちらをジッと見つめながら答える。


「あにさまには、とおくおよびません。日々しょうじんしてます」


「俺を指標にするなと口酸っぱく言っただろう」


俺の剣を真似ても上達するどころか、変な癖がついて矯正を強いられるだけだ。


いろはは未だ小学生でありながらも、剣の腕は別格。そもそも『男は度胸、女は愛嬌』『男は外で仕事、女は内で家事』『女は男の三歩後ろを行く』という考えが未だ根付く残っているこの村において、女が剣を扱うのは稀有だ。そんな背景がありながらも、いろはの実力は年上を含めた他の門下生の中でも、一線を画している。


わっぱ…性懲りもなくワシの可愛い可愛い孫をたぶらかしよって…この戯け者めが!!」


この道場の師範である一刀斎いっとうさいが鬼の形相で因縁をつけてくる。


一刀斎。姓は分からない。だいぶ昔に賜名・・を捨てたという噂を耳した事があるが、もし真実であるならば俺以上に倣神野にたいして喧嘩を売っているとしか思えない。



この村において、姓にあたるものは産まれた時に姫女ひいなに名付けられる。それを双神村ふたかみむらの村民たちは『賜名たまな』と呼び、大事にしている。俺なら『綴火つづりび』、いろはなら『撫霧なでぎり』が賜名に該当する。個人的に、親でもない人間が勝手に付けた名前のありがたみが全く理解できないので、俺はどうでもいい相手にだけ賜名で呼ばせているし、どうでもいい相手だけ賜名で呼んでいる。ちなみに下の名前は親が付ける。系名かかりなと呼ばれているが、もっぱら、単に名前とだけ言ったら基本的にこちらを指す。



「うるせぇよクソジジイ。あんま怒鳴ると脳みその血管がぶち切れるぞ。いろはを誑かすとか馬鹿も休み休み言え。年齢差考えろよボケ老人」


「なんじゃと…?ワシのいろはがこんなにも可愛いと言うのに、誑かす気にもならんと抜かしおるのか!?目医者に行ってこいアホンダラ!!」


「お前もう面倒くせぇから黙ってろよ」


口喧くちやかましい奴だ。お前みたいな老害は孫に嫌われて老後を台無しにしてしまえば良いのだ。


「あにさま、けいこをつけてくださいませんか?」


いろはが無表情フェイスのまま、目をキラキラと輝かせながら聞いてくる。


「俺じゃ稽古にならん。ジジイに教えてもらうのが一番だ」


「なんじゃと!?いろはのおねだりを無碍にするのかわっぱぁ!!」


お前はお前で甘やかしすぎなんだよ。なぜ老人というものは例外なく孫に甘いのだろうか。


「……少しだけだぞ」


「ありがとうございます」


正直のところ、いろはとは非常にやり辛い。身長差が激しいのは勿論、実力の差も大きすぎる。怪我をさせないように加減をするのが大前提となるが、いろはは手加減をされるとそれを目敏めざとく見抜き、怒ってくる。理不尽すぎる。


「…今日はちょっと趣向を変えみるか」


「しゅこう…ですか…?」


俺は道場の片隅で埃を被っている大小の竹刀2本を取りに行く。二刀流専用の竹刀だ。


二刀流と言うと、某ビーターのように二本の剣で攻める超攻撃的なスタイルだと思われがちだが、本質は全く違う。基本的に二刀流は長い本差ほんざしと短い脇差わきざしを使い、脇差で相手の攻撃を受けつつ、本差で攻撃を加えるというものだ。どちらかといえば防御主体のスタイルと言える。短い剣を盾として扱う…と言えば分かりやすいのだろうか。


「あにさまは、にとうりゅうの使い手なのですか?すごいのです」


「使い手というわけでもない。一種のパフォーマンスとでも思ってくれ。時間が勿体無いしさっさと始めるぞ」


組手に備え、身につけていた野太刀やら弓やらを外す。


「あにさま、防具はつけないのですか?」


「要らん。邪魔臭くて敵わん」


いろはは「さすがなのです」とつぶやくと、身につけていた防具を外しだした。


「…なぜお前が防具を外すんだ」


「あにさまが付けないのならば、わたしも付けないのです」


こいつは隙あらばすぐに俺の真似をしようとする。さぞやジジイも手を焼いている事だろう。


わっぱ、いろはに怪我させたらコロスぞ」


ジジイが俺の脇腹を殴り、ドスの効いた声で囁いてくる。意味もなく殴らた事がしゃくだったので、とりあえず脇腹を殴り返しておく。


「んぐぉ!?年寄りはいたわらんかならず者め!!」


「都合のいい時に限って年寄りを自称するな」


その場でうずくまるジジイは放置し、すでに準備を整えたいろはに相対する。


いろはは無表情フェイスのままぺこりと一礼すると、竹刀を頭上・・で構える。


上段の構え。最短最速で相手へ打ち込むための攻撃的な構えだ。以前にいろはと組手をした時、彼女は基本である正眼の構えだったのだが、俺が上段の構えとっていたのでそれを真似たのだろうか。


「上段の構えは格上を相手に使うと失礼にあたるらしいぞ?」


「いのちをかけた戦いに、失礼というがいねん・・・・はひつようないのです」


素晴らしい心構えである。しかしながら、だいぶ俺に染まってきている気がするので決して良い方向に向かっているとは思えんが。そもそも、今から行うものは命のやりとりでもなんでもない。


「ジジイ、合図しろ」


「はじめ!!」


「早えよ馬鹿野郎」


一刀斎が間髪入れずに合図を出しやがったせいで、なんとも締まりの悪い開戦となった。


いろはが合図と同時に面を狙ってきたので、これを脇差で受け止める。防御と並行して本差を突き出すが、いろははすでに間合いを取っているので、これは有効打とならない。



さて、どうするか。



いろはの技量そのものは同年代と相対すると非常に抜きん出ているが、体も小さく筋力も頼りないため、剣撃の重さは皆無。しかしながら、毎日のようにジジイに仕込まれているので、体の動かし方や一太刀ひとたちの正確さはあなどれない域まで達している。油断をすれば脳天に痛恨の一撃を加えられる…という事も、無きにしもあらずだ。


しばらく膠着こうちゃく状態が続く。


痺れを切らしたのはいろはだった。彼女は頭上で構えていた竹刀を下ろすと、剣先を下にダランと垂らした構えを取る。脇構わきがまえに似た構えだ。


いろはがフッと息を整えると、静かにつぶやく。



「……じょうのかた・めいきょうしすい」



おい、それすらも真似するのか。頼むからやめてくれ。死にたくなる。


静の型・明鏡止水とは厨二病全盛期だった俺がただの・・・脇構えに対して勝手に名付けたイタイ名前だ。過去に見せた俺の剣を真似するのであれば、この後に居合い・紫電一閃しでんいっせん(笑)が繰り出されるはずだ。……今すぐに消し去りたい過去である。


居合い・紫電一閃(笑)は、勢いよく間合いへ飛び込み、前進の勢いを乗せて剣を振り上げ、斜め下から斜め上へと相手を切りつける…という技だ。どう考えてもただの逆袈裟斬ぎゃくけさぎりです。本当にありがとうございました。


今回は力の弱いいろはが使い手とはいえ、ガラ空きのあばらをぶっ叩かれたり、あごを揺らされては、この俺でもタダでは済まない。


もしこのままいろはが紫電一閃(笑)を使ってきた場合、いろはが敏捷性に優れているのに加え、二刀流である俺は片手でそれを受けなくてはならず、防いだ後に大きな硬直を作ってしまう。一方でいろはは振り抜いた状態からさらに踏み込むことで、袈裟斬りへと繋ぐことができる。このまま、いろはの攻撃を受けるのは悪手だ。


俺もいろは同様に構えを変える。脇差を下に構え、本差を上に構える。二本の竹刀が、まるでワニが口を開いているかのような形になる。


俺が構えを変えても、いろはの表情は変わらない。隙が大きくなって切り込みやすくなった…という程度の認識だろう。


より俺を攻めやすくなった事で、いろはが紫電一閃(笑)を放つのは、ほぼ確定的だろう。後は待つだけだ。




一瞬の出来事だった。




床がわずかにきしごく小さな音を、俺は聞き逃さない。いろはが踏み込む為に重心を変えた証拠……紫電一閃が来る。




俺は下で構えていた脇差を、アンダースローの如くいろは目掛けて投げつけた・・・・・



「なっ!?」



攻撃へ切り替えようとした瞬間に、相手の竹刀が飛んでくるという不測の事態に陥ったいろはは、分かりやすく動揺の色を見せる。


下から上へと迫り来る物は、上から・・・叩き落とさなければその勢いは殺せない。


竹刀を下に構えているいろはには、これを防ぐ事ができない。故に、彼女には回避という手段しか残されていない。


いろはの右足に力が加わるのを確認した俺は、彼女の回避先を予測し、回りこむ。


いろはがしまった、という表情をつくるが、一度跳躍をしてしまえば着地するまでベクトルを変える事は不可能。


いろはの着地点の少し手前に、俺の足を置く。これを避けようとしたいろはの着地が不安定な物になる。


俺は脇差を失い、無手となった左手でトンといろはの肩を軽く押す。


「あ……」


バランスが不安定になっていた彼女は容易く後ろへと倒れる。


俺は右手に持っていた本差を床に捨て、いろはが地に叩きつけられる前に、彼女を抱きとめる。


「無闇に飛び跳ねるのは自殺行為だ。回避行動はより慎重に行う必要がある。……で、俺の勝ちで良いな?」


「…まさか、竹刀を投げるとは思わなかったのです」


いろはが無表情フェイスのままぷっくりと頰を膨らませる。


「まさか、という言葉を使っている時点で論外だ。戦いにおいて自分にとっての常識や定石と言ったものを、相手に適用するのはナンセンスだ。懐から投擲物を取り出すかもしれない、武器を捨てて下半身めがけてタックルを仕掛けてくるかもしれない、外ならば足で砂をかけてくるかもしれない…何が起きても対応できるくらいでないといけない」


「あにさまならどんなことにも対応できるのですか?」


「俺だったら何かされる前に潰す」


「さすがなのです」


俺の腕の中でいろははウットリとした表情でこちらを見上げてくる。この少女の行く末が少しばかり心配だな…


「ああ、そういえばいろは」


「なんでしょうか?」


いろはの双眸そうぼうを真っ直ぐに見据える。


「組手で年上の門下生に、昏倒するまで面を打ち込んだらしいな」


「!!」


いろはの眉がわずかにピクリと跳ねる。


「……わたしがお慕いしているあにさまを、ばかにされたのです」


なんと。直接的ではないとは言え、俺に原因があったとは。俺が馬鹿にされなければならない理由と、事の経緯いきさつが皆目見当がつかないが、ガキ共のする事なす事をいちいち気にしていても仕方がない。


「俺の事を馬鹿にされたからと言って、お前がそいつをボコボコにする理由にはならないだろ」


「弱者があにさまをぶじょくするだなんて、ゆるされざることです。だから、はっきりさせたのです。あにさまの足元にもおよばないわたしが彼をあっとうすることで、彼とあにさまとの間には、比較することすらできないほどの差があるということを、みをもって分からせたのです」



いろはは俺に心酔し過ぎだ。目標を定めることは己の成長に直結するが、他人に養分を求め過ぎると、いずれ自己という物が死に失せる。



「いろは、お前は弱い」


「っ!?そんな……なぜなのですかっ!!」


いろはの顔から血の気が引いていく。いろはが小刻みに震えているのが、俺の両腕を介して伝わってくる。今の俺のセリフに、こいつが戦慄を覚えような要素があっただろうか?感情の読めないいろはがここまで豹変するのも珍しい。


「力というものはなぶるために使われるべきではない」


「なぶったつもりはないのです!!」


「そこにお前の意思があったのかは知らんが、事実上はそうなるだろ。お前の実力なら一撃で意識を刈り取る事もできただろう?にも関わらず何度も何度も打ち込んで袋叩きにしているんだぞ。その手法はもっと別の目的で用いられるべきだし、嬲るなら徹底的に蹂躙し尽くす必要がある」


「べつのもくてき……ですか?」


「ああ、相手を精神的に殺したい時、相手に拭い去る事のできない恐怖を与えたい時だ」


中途半端な陵辱りょうじょくは相手の怨嗟えんさと復讐心を育てるだけだ。悪戯いたずらに灯してしまった小さな火種は、いずれ自分を焼き尽くす復讐の業火へと成り代わる。


年端もいかぬような子供に教える事ではないかもしれないが、いろはは既に己の力をしっかりと管理しなくてはいけない所まできている。一体何が彼女をここまで育てたと言うのだろうか。


「相手に実力を示したいのならば、まず決して負けてはいけない。確実に勝つ事が絶対条件だ。そんな中で相手をいたぶるのは愚の骨頂、慢心とおごり以外の何物でもない。窮鼠きゅうそ猫を噛むという言葉が有るように、ワンサイドゲームがひっくり返ることなんてザラにある。たとえ相手が雑魚であってもだ。不必要に戦いを長引かせるのは相手にチャンスを与えるのも同然。これを驕りと呼ばずして、何と呼ぶ?そして何より……自分より弱いものをいたぶるのは真に強い人間がやる事ではない」


気付けば、いろはは俺の腕の中で涙を流していた。


「ごめんなさい……あにさま……ごめんなさい…………わたしをきらいにならないでください…………ごめんなさい…………」


少女は俺の服を強く握りしめ、ただひたすらに懇願していた。


「……なぜ俺がお前を嫌いになる必要があるんだ?」


「あにさまと初めてあったとき、あにさまは言っていたのです。『俺は弱い人間が嫌いだ』と。わたしはつよくなりたくてあにさまを追いかけつづけていました。あにさまにきらわれたくない…きらわれたくないのですっ!!あにさまっ!!!!」




俺はあなどっていたのかも知れない。何色にも染まる少女の純粋しろさを。何気ないことで知らず知らずに相手を染めてしまう、自分の影響力を。




「…俺は弱者が嫌いだ。弱者は群れる。弱者は姑息だ。弱者は嘘を吐く。弱者は逃げる。弱者は自分を棚にあげる。弱者は裏切る。弱者は……強くなる事を諦める」


少女の髪をクシャクシャと撫でる。


「お前は強くなる事を諦めたのか?」


少女はふるふるとかぶりを横に振る。


「最初から強い奴なんていない。弱さを認め、弱さを受け入れ、弱さに打ち勝つ事もまたひとつの強さだ。己の弱さに直面したお前は、また一段と強くなれるはずだ」


「あにさま…」


いろはがギュッと抱きついてくる。いろははまだまだ子供だ。その素直さは良いも悪いもを、簡単に吸収してしまう。今後次第では至高へと昇りつめる事も、底辺へと堕ちる事もできる。願わくば俺の言葉が前者へのいざないであって欲しいと思う。


「おい、いろは……俺には仕事がある。さっさと離れろ」


「いやなのです。あにさまの腕の中は、こころが満たされるのです」


「物資の配達があんまり遅くなるとあおいが心労で倒れる」


「あおいのあねさまは、そんな豆腐めんたるではないのです。あおいのあねさまは、きっとどMなのです」


本人のいない所で散々言いやがる。だいたい葵とそれほど会話をした事ないだろお前。あと小学生がドMなんて言葉使ってんじゃねぇよ。


「あにさま」


「なんだ」


「わたしはもっとつよくなって、あにさまのお嫁さんになりたいです。あにさまに愛されて、あにさまのこどもをうみたいです」



あ、これアカンやつや。



道場内の中学生たちの間に気まずい雰囲気が漂い、一刀斎が尋常ならざる殺気を放ち始める。今の俺に落ち度はなかっただろ。いい加減にしろよ。


「俺は嫁も子供もいらん」


抱きついていたいろはを引き剥がし、外していた弓と野太刀を背負う。


「俺から一本でも取れたらお前を嫁に貰ってやるよ」


「ほんとうですか?いっしょけんめい、がんばるのです」


もっとも、俺の職業柄を鑑みると、これだけ歳下の女に一本取られるようでは、俺は生きていられないだろう。


「ま、俺の真似ばっかしてるうちは勝てんよ。ジジイにみっちり鍛えて貰え」


「ふん、皮肉のつもりか?ワシがいろはに教えられる事など、もはやそう残っておらんわ」


「重要なことをまだ教えてないだろ。適当な事を抜かすな」




いろははまだ『殺す』という事を知らない。




たわけが。いろはにそれを教えるつもりなど無いわ」


「それでは強くなれない」


「…わっぱよ。お前は『強さ』を如何いかなるものと心得る?」


「強さとは『生きる』ことだ」


「さすれば童よ。お前は何故『生きる』?」


「俺は…………」



何故だ。返答に詰まってしまう。俺に答えが無いからか?


いや、考える時点で間違っている。生を貪る事に理由を求めるのはナンセンス。


「生きる事に意味など必要ないだろ。地球上の生物が生きる事に固執するのは普遍的かつ恒久的な使命だ。生きる事そのものが意味であり目的だ。意味など…理由など……くだらない」


一刀斎のジジイが「所詮は子供か」と呟くとつまらなさそうな顔になる。


「ふん、今のお前にワシのいろはは任せられん。男磨いて出直してこい、青二才が」


今の俺が感情的になっているのが、自分でも分かった。


「…俺より弱いくせに吠えてんじゃねぇよ、クソジジイ。任されるつもりも出直すつもりも毛頭ねぇよクソッタレが」


足早に道場を後にし、障子しょうじを後手で乱暴に閉める。老害が好き勝手言いやがって。


仕事前から何故こんなにもイライラしなくてはならないのだ。精神が落ち着いていない状態で里狐さっこさんの山に入るのは避けたい所だ。


先のいろはとの組手で集中したせいで、脳に供給される糖分が不足しているのだろうか。絹羽きぬば商店へ向かうついでに、甘味処かんみどころにでも寄るか。


久方ぶりに見る『みちくさ茶屋』の暖簾をくぐると、和菓子特有の甘ったるい香りが鼻腔びこうをくすぐる。


「あ、綴火つづりびさん…お久しぶりです。何か御用でしょうか?」


俺のひとつ年下である、この店の看板娘……名前は何だったか?いや、忘れたわけではなく最初から知らなかった可能性が高い。…まあどうでもいいか。看板娘は看板娘だ。看板娘が恭しく対応してくる。店の手伝いを始めた頃は、見ている方が不安になるくらいだったのに、今となっては大分板についてきたようだ。


「なんでもいいから甘い奴が食いたい」


「みたらし団子ができたてですよ。いかがなさいます?」


団子か。無難なところだな。


「ひとつ…いや、二つくれ。片方はこのまま食っていくが、もう片方は包んでくれ」


いさちゃ………姫女様ひいなさまにお渡しするのですか?」


「まるで何時いつもかも諫奈いさなを餌付けしてると思っているかのような口ぶりだな。今から会いに行くのはあおいだ」


受け皿に小銭を放り、看板娘から剥き出しの団子と包みに入った団子を受け取る。


「お買い上げありがとうございます。…餌付けだなんて言い方をされては失礼ですよ。あおいさんに…という事は、これから『かよわせ』ですか?」


「ああ」


「いつもお疲れ様です。…綴火さんは凄いですね。小さな頃から『かよわせびと』として働いているのですから」


「中学を出てから店を手伝い続けているお前も似たようなもんだろ」


「さ、さすがにそれはないですよ…甘味処のお手伝いなんて誰にでもできる事です。綴火さんと比較するのも烏滸がましいくらいですよ」


看板娘はとんでもないと言った表情で両手をブンブンと振る。こいつ、慣れないうちは人見知りするタイプだが、ある程度喋ると表情豊かになるタイプか。男という物は皆、総じて頭が悪いのでこういったタイプの女を前にすると「あれ、もしかしてこいつ俺に気があるんじゃね?」という盛大な勘違いを引き起こす。案外、この女にとって看板娘という仕事は天職なのかも知れない。


「何をしているか、なんてものに優劣などない。村人全員が『通わせ人』だったらどうなる?村人全員が甘味処の店員だったらどうなる?村人全員が医者だったらこの村は文句なしなのか?そうじゃないだろ。それぞれが違った事をするからこそ需要が満たされるんだ。俺が評価したいのは、お前が継続・・して店を手伝い続けている事だ。それはお前の強さだ。もっと誇れ」



継続は力なり。継続は己に確かな強さを与えてくれる。継続は俺が最も大事にしている事だ。精神の弱い者は、一度始めたことを途中で投げ出す。継続は強い心を持っているからこそ、成すことができる。


「そんなに大それたものではありませんよ。私が店のお手伝いを続けていられるのは村の皆さんのおかげです。私の作った菓子を美味しそうに食べてくださる人、いつもありがとうと感謝の言葉をかけてくださる人、綴火さんのように頑張りをねぎらってくださる人………私ひとりでは・・・・・ここまで来ることはできませんでした」




そうか。



ならば、お前と俺とは違うのかもしれないな。




いつもの俺なら、他者に支えを求める者は弱者だ。と、唾棄していることは間違いないだろう。





今の俺には、この看板娘を弱者だと言い捨てることができなかった。





理由など分からない。教えて欲しいくらいだ。いくら自問しても自答など返ってこないのだ。



「…お前、名前は?」


「あ、甘桜あまざくらと申します…」


賜名たまななどどうでもいい、系名かかりなを教えろ」


「……えっ!?あ、あの…えっと……香乃子かのこと言いましゅっ」


香乃子かのこ………覚えたぞ」


「ふ、ふわぁ……あの…綴火つづりびさん?これは

……」


詠水えいすい


「はい?」


「俺の系名かかりなだ。今後はそっちで呼べ」


俺はそれだけを言い残すと、甘味処を後にする。できたてのみたらし団子にかじりりつきご満悦の俺には、甘味処の中にいる看板娘のつぶやきなど聞こえなかった。






「家族以外の男の人に下の名前で呼ばれるの、初めてです……詠水さん。……………な、なんて言ってみたり…………。


ぅゎぁ……………恥ずかしくて死にそうです………………」



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