手料理の温もりは幼馴染みと共に。
釣れない。
開始直後に2匹も釣れて、今日はノってると確信し、夕飯の確保も困難ではないと判断した上で、早速釣れた2匹はつまみ食う為に現在進行形で焼いているのだが…
「夕食が白米と冷えた焼き魚だけとか、笑い話にもならんな」
ここでつまみ食いをして、それ以降が釣れなかったら収穫ゼロとなんら変わりはない。別に冷蔵庫の中が空というわけではないが、この労働意欲の失せる日曜日に甲斐甲斐しくキチンとした料理を作る気にもならない。魚なら焼くだけだからな。
反応を示さない竿に
「こんにちは、
「やっぱり
俺はちらりと背後に立った諫奈を一瞥する。昨夜の
「やっぱりって…なんで私って分かったの?」
「なんでも何も、ちょっと前まで
浄夜の鈴とは読んで字の如く、村に訪れる夜を浄化するために鳴らす鈴だ。週に一回、姫女か倣神野本家の人間が昼に過ぎにこれを鳴らしながら村を練り歩く。なぜ浄夜なのに昼に鳴らすかって?夜になってから鳴らしてたんじゃ遅いからだろ。多分。
「えっ、こんな村の外れでも聴こえるの!?…今後、詠くんの
「…まるでこれまでは俺の噂話をしてきたみたいな言い方だな。…まあ、さすがに蚊の
「それ枕草子だっけ?そもそも蚊に睫毛ってあるのかなぁ…?」
「知らん。その辺のヤブ蚊に訊いてみろ」
「うーん、刺されそうだから遠慮する」
「遠慮しておく理由がそことはな」
俺の幼馴染みにとって、蚊ごときが人間の言語を解するか否かは、さしたる問題ではないらしい。
「ところで詠くんは何を釣ろうとしてるの?」
「
「鮎の友釣りって聞いたことはあるけど…鮎を二匹同時に釣るの?」
諫奈はコテンと首を傾げる。相変わらずこう言った動作に作為的な物を感じない奴だ。まあ、諫奈が良くも悪くも隠し事が出来ない性格であるのは今に始まった事ではない。
「残念ながら全く違う。鮎の友釣りは
「へ〜…でも、自分の縄張りを守ろうとして攻撃したら、予想だにしなかった第三者に釣り上げられるってちょっと可哀想だね…」
「まさしく漁夫の利と言ったところか…いや、オトリはこちらが用意しているから丸儲けではないな。まあ何にせよ所詮は魚類だ。人間以外の動物なんて、本能と習性だけで生き延びてるようなもんだろ」
動物なんぞDNAにあらかじめインプットされた
「習性かぁ…人間にも習性ってあるのかな?」
諫奈はそう溢すと、うーんと背伸びをする。母親譲りの豊かな胸部がこれでもかと言うほどに主張される。無防備な奴だ。
そうやって強調された女性の象徴に、男どもはついつい視線が行ってしまうとかが、人間の習性である最たる例じゃないのか?
…そんなしょうもない仮説を提唱したところでセクハラ発言にしかならないな。やめておこう。
「…人間は畜生共とは違って、考える。思考をする事そのものが習性じゃないのか?そう考えておけば、俺らが役に立つかどうかも分からん知識や定理を学び、答えのない哲学に
俺は起こした焚き火で焼いていた鮎を顎で差し示す。
「わっ、ありがと!!こういうのにガブッとかぶりつくのに憧れてたんだ〜」
そうなのか?このクソ田舎に住んでる以上、川魚にかぶりつくなんて大して珍しい事でもないだろうに。
諫奈は鮎の塩焼きがぶっ刺さった串を手に取る、彼女は目を輝かせながらモグモグと咀嚼し始める。
「ん〜っ!!塩が効いてておいしいねっ!!」
「背よりも腹の方が美味いぞ」
「背中も十分に美味しいのに…それ以上なの!?」
諫奈は顔を輝かせながら鮎をひっくり返す。そもそも、
「ひょっ…ひょっと!!ひぇいくん!!」
突如、喜色満面の笑みで鮎の腹に齧りついた諫奈が、分かりやすくそのゼロ円スマイルを歪め、目尻に涙を溜め口の中にある内容物を飛ばさないよう手で押さえながら声を荒げる。
「なんだ」
諫奈は俺の問いに答えるべく、まるで嫌いな給食を食べる小学生の如く眉間にしわ寄せて目を閉じ、咀嚼していた物をひと思いに飲み込む。諫奈はひと呼吸整えると、こちらをジト目で睨む。餌を与えてやったというのにその態度は感心しないな。
「これ、すごく苦いんだけど…」
「
当然、この結果は予想していた。諫奈は素直な反応を示してくれる為、非常にイジメ甲斐がある。
「もう…詠くんは隙あらば変なところで意地悪するんだもん。これちゃんと可食部なの?」
「失敬な、鮎に謝れ。鮎のソレはちゃんと食えるぞ。鮎は藻しか食べない上に排泄が早いからな。あえて
俺は川から上がり、近くの岩に竿を立てかける。泣きそうな顔でちびちびと鮎の
しばらくの間、川のせせらぎをBGMに諫奈と共に川の恵みを堪能する。
「子どもの時も、よく詠くんと一緒に川で遊んだね。すごく楽しかったなぁ」
お互いがチビだった頃を思い出しているのか、諫奈は懐かしむように目を細める
「そうか、俺は全然遊んでいた気がしなかったし、楽しむ余裕も無かったんだがな」
「えぇ!?楽しくなかったの!?」
諫奈はガビンという擬音が聞こえてきそうなくらいショックを受ける。
「馬鹿野郎、もしお前が川流れでもしたら一大事どころの騒ぎじゃないんだぞ。お前が溺れた時を想定して、常に最短最速で救出できるイメージトレーニングばっかりしてたわ。ルンルンワクワクもハラハラドキドキになるわ」
「そ、そうだったんだ…心配かけてごめんね。でも…そんなに私の身を案じていてくれたのは嬉しいな……えへへ」
諫奈は俯き気味に微笑み、頰を紅潮させる。
「えへへじゃねぇよ。案じていたのは俺の身だ。俺と遊んでてお前が死んだら、俺まで山送りになること必至なんだぞ」
「ご、ごめんなさい…」
その時の俺はまだ10にも満たないガキだ。助けられるものすら助けられなかった可能性もある。その可能性は1割もいってないだろうが。
「もうお魚は釣らないの?」
俺とほぼ同時に鮎の塩焼きを食べ終えた諫奈が訊いてくる。
「もう釣れる気がしないしそうするか。…口の周りに塩やら皮やら付いてんぞ。
ハンカチを取り出し諫奈の口周りを拭いてやる。いつになったら子どもっぽさが抜けるんだろうな、こいつは。
「あ、ありがと…でも、こういう時だけ姫女って言うのやめてよもう…」
諫奈は羞恥に頬を朱に染めながらも、抗議を唱える。
「そうも言ってられんだろ。お前は
「うぅ…プレッシャーかけないでよ…今朝もお母さんに『とりあえず敬語が自然に使えるようにしなさい』って怒られちゃったし…」
「そりゃあ
「…ちょっとずつでも言葉遣いを変えていかないとだね」
諫奈は前途多難な未来に肩を
俺は釣り道具をまとめ、担ぎ上げる。暇になっているもう片方の手で、落胆する諫奈の艶やかな黒髪を撫でる。
「…まあ、諫奈が姫女であるとか、村民の象徴であるとかは、俺にとってクソほどどうでもいい事だ。お前は今後、さぞや大きく変わり、大きく成長していく事だろうが、俺の前ではいつも通りで構わん。むしろお前に敬語を使われちゃ、背中がむず痒くて敵わん」
先程まで負の表情を浮かべていた諫奈が柔らかな笑みをつくると、帰路に就く俺の横にならんで歩みだす。
「詠くんは変わらないね。いつだって詠くんは強くて、変わらずに私の側にいてくれるの。…昨日の今日で村のみんなからは姫女として扱われるようになった。
「気がする、なんて甘えは捨てろ。そいつらは皆、こぞってお前の事をただのアホ面した子どもではなく、姫女としてみている」
「もう、詠くんはすぐ私の事をアホって言うんだから!!」
諫奈が急に口を尖らせて話の腰を折ってくる。今はそういうツッコミが入るような雰囲気じゃなかっただろ。空気読めアホ。
「ま、いっか。『姫女様』に疲れたら詠くんのお家でのんびりすればすぐ回復できるし」
「俺はお前のかかりつけ医じゃねぇんだよ。それに、お前が頻繁に俺の家へ来ると分家のカス共が横から横からと
倣神野分家はクソ。はっきりわかんだね。あんなんカルト宗教となんら変わらねーよ。
「カスとか言っちゃ駄目だよ」
「ああ、あれは救いようのないカスだ」
「話が全然噛み合ってないよ?何に対して『ああ』って言ったの?」
「
「詠くんは北里さんが苦手なんだね…」
「俺が苦手なんじゃない。あいつが俺の事を目の敵にしているだけだ。飾りで刀ぶら下げてるような雑魚は眼中にねぇよ。
「うーん…北里さんは倣神野分家の人の中でも、一番腕が立つって聞いてるんだけど…」
まじかよ、あいつが事実上のトップとか倣神野分家終わってんな。変な意地張ってないで
「詠くんのお家が見えてきたね…じゃあ、私もお家に帰るね。今日はありがと!!」
諫奈は笑顔でバイバイと手を振ると、こちらに背を向け帰路に就こうとする。
「おい、待て。なに帰ろうとしてやがる」
俺は諫奈の腕を引っ掴み、帰宅を中断させる。
「わわっ、何?まだ帰ったら駄目なの?姫女関係で色々とやらなきゃいけない事があるんだけど…」
「寝言は寝て言え。まだ俺の夕飯を作ってないだろ」
「あ、そっか。ごめんごめん!!詠くん、今日は何が食べたいの?…………って、何でさも当然かのように詠くんの夕ご飯を私が作る事になってるの!?」
良いノリツッコミだ。しかし、諫奈の場合だとノッていたわけではなく本気で騙されかけていた可能性を多分に含んでいるが。
「言うまでもない事を…俺の夕飯をさっきまで食べ散らかしていたのはどこのどいつだ?」
「え、え?ちょっと待って。え?あの鮎は詠くんの夕ご飯だったの?なんで夕ご飯にするつもりの鮎を昼下がりに焼いてたの?なんで私に食べて良いって言ったの?なんで?なんで?」
「お前を陥れるための罠に決まってんだろ」
「包み隠さずに言っちゃったっ!?」
「この場で食った鮎を返却できるなら帰っても良いぞ」
「そんな汚い事できるわけないでしょ変態っ!!」
諫奈がポコポコと叩いてくる。長時間同じ姿勢をしていて凝り固まった体には丁度いい刺激だ。だが、変態呼ばわりはいただけないな。
「諫奈、今日は鶏モモの唐揚げが食べたい。あと
「もう…それくらい詠くんでも作れるじゃん」
文句を垂らしながらも、諫奈は俺に付いてくる。どうやら長年にわたる俺の
「別に俺が作れないからお前に作らせるわけじゃない。お前の料理が食べたいから作らせているんだ」
「またそうやって………………ふぇ?」
諫奈は料理が異常なほどに上手だ。俺みたいな某料理レシピ掲載サイトに頼りきりな人間とは雲泥の差がある。こいつが定食屋を開いたら間違いなく繁盛するだろう。
諫奈は基本的に何をやらせても不器用で、洗濯や掃除はまともにできないし、運動音痴だし、勉強も得意でないし、歌も下手くそだし、画才も皆無だ。取り柄と言ったら、字が綺麗なこと、料理がプロレベルに上手いことだ。料理だけは何故かステータスがカンストしていた。初めて諫奈の料理を口にした時は、不覚にも度肝を抜かれたものだ。蛇足ではあるが、諫奈の数少ない取り柄を敢えて付け加えると、同年代の中でも飛び抜けて容姿が整っていることと、胸が無駄にでかいことくらいか。諫奈は容姿や体型に関しては
「チッ、諫奈が倣神野の生まれじゃなかったら毎日作らせたいところなんだがな…」
思わずこの村の伝統に舌打ちをする。やはり、俺にとってこの村は好きになれない要素を多分に含んでいる。
ん?諫奈の足音が聞こえんな。逃げる気か?
俺の目を盗んで逃走を図ろうとする小動物を再捕獲するべく振り返る。が、諫奈は俺の少し後ろで立ち止まっており、夕暮れの斜陽にあてられているのかと見紛う程に顔を真っ赤にして、口をパクパクさせている。なんだ?ついに手遅れになったのか?
「おい、カカシか金魚にでもなりたいのかお前は」
「はわわわわ…どどどどどうしよう!?あの詠くんがあんな大胆な……い、今のは毎日味噌汁を作ってくれ的なアレだよね?私にお嫁にしたいって意味だよね?いつも私の事をアホアホ言ってたあの詠くんが?ふ、不意打ちすぎるよ…あわわ…心臓がおかしくなっちゃってるかも…」
やらかしたな、これは。
俺は思わず
俺は諫奈の元へゆっくりと近づき、彼女の頭に手を乗せる。
「諫奈」
「ひゃ、ひゃい」
顔を逸らそうとする彼女を、頭に乗せた手でこちらへ向かせる。
彼女の目を覗き込む。彼女もそれに応えるかのように、こちらの目を覗き込んでくる。その潤んだ双眸にはここからの展開への不安と期待の色が見え隠れしている。
「お前が俺の嫁とか冗談は顔だけにしろ」
「1分と経たずに打ち砕かれちゃった!?」
彼女の頭をホールドしていた手を離してやると、諫奈はその場でヨヨヨと崩れ込む。
「唐変木の詠くんに捨てられたら…女としておしまいだよ…」
「唐変木は本人の居る前で使う言葉じゃないぞ。さっさと立て。対価が払えないなら体で払うのみだ」
「対価って…鮎一匹食べただけじゃん」
「たかが一匹、されど一匹だ。一匹を笑う者は、一匹に泣く…いい教訓が得られたじゃないか」
諫奈の腕を引っ張り上げ、ようやく立ち上がった彼女を自宅へ引きずり込む。
「俺はシャワーを浴びたら適当にくつろいでいるから、その間にお前は夕飯を作っておけ」
「人間って、どういう育ち方したらこんなに図々しくなれるのかな…?」
口を尖らせながらも、足取りに迷いも無く台所へ向かうあたり、やはり
誰かが飯を用意してくれる事により、心にゆとりのあるバスタイムとなった。シャワーだけだが。
普段から寝巻きにしている半袖半ズボンのジャージに着替え、居間で横になりスマホで2chのまとめを見る。
「また殺人事件か…」
村の外は物騒だ。殺人事件なんて毎週のように起こっている。内容を読み進めると、未成年の少年が同じく未成年の集団にリンチされてそのまま息絶えたらしい。
日本国憲法が通用しないこの村ですら殺人なんて滅多にない。まあ『舌汚し』や『贄』は、外の人間からしてみれば立派な殺人かもしれないが…
スレを閉じ、しばらく別の情報を読み漁っていると、居間の引き戸が開く音がする。
「詠くん、おまたせ」
着物の上からエプロンを付け、長いサラサラの黒髪を後ろで束ねて肩の前に流した諫奈が、夕食が出来た旨を伝える。右手にはお玉が握り締められている。
……なんだろう。この虚しさは。
「密かに憧れを持っていたシチュエーションを諫奈で消化してしまった……この喪失感をどうしてくれる」
「知らないよそんなこと!?…でもちょっと新妻みたいじゃない?」
そう
「……………………………」
「無視!?」
自ら傷口を
食卓には俺がリクエストした料理はもちろん、頼んでいない料理も鎮座している。
「あ、勝手に他のお料理も作っちゃった。ごめんね」
「謝る必要はない。俺としては良くやったと褒めてやりたいくらいだ」
諫奈の頭を撫でてやると、複雑そうな表情をする。
「…詠くんって、普段は私を褒めることはないのに、料理に関してだけは褒めてくれるよね」
「お前の唯一の美点を褒めなかったら、永遠にお前を褒められなくなってしまうからな。まあ………ありがとう」
やはり感謝の言葉には慣れない。こう言った言葉は相手の目を見て言うものなのだろうが、ついつい気恥ずかしくなってしまい
乱れた己の感情を誤魔化すように、俺は食卓につき、真っ先に唐揚げへ箸を運ぶ。
美味い。
外はカリカリ、中はジューシー…どうやったらこんな風にできるんだ?おかずが美味いと米が進む。白米をかっ込む。
「詠くんは相変わらずお箸の扱いが下手だね」
尋常じゃないほどイラっと来たが、否定はできないので怒りを鎮める。
「…これでも上達した方だ」
「ご飯粒をほっぺにつけて言われても説得力ないよ…」
失態に失態を重ねるとは俺らしくない。慌てて付着している米粒を手探りで探すが、なかなか見つからない。
「ふふ、あの詠くんにも抜けてる所はあるんだね」
諫奈は笑いながら俺の顔へ手を伸ばし、付着している米粒を手に取ると、そのまま口に運ぶ。
「…………お前、今自分が何をしたか自覚しているのか?」
「ん?詠くんに付いてたご飯粒を取ったんだけど…?」
「その後だ」
「…?取ったご飯粒はそのまま食べ………あっ」
そこまで気づくと諫奈は赤面する。お前をギャルゲーのヒロインにした覚えはないぞ。
「……」
「……」
「…そ、その……詠くんの味がしたよ……?…………………ぁぅ………」
「……」
「……」
「きも」
「酷っ!?」
諫奈は割と本気で傷ついたらしく、どよーんとしたオーラを纏いだす。女に対してきもいは流石に言い過ぎか。
「おい、そんな間に受けるな。こちとら冗談で言っているんだ。お前がそんなに落ち込むと、まるで俺が悪いみたいな感じになるじゃないか」
「詠くんは悪くないんだ…」
立っているのが疲れたのか、諫奈は俺の対面に座る。両手で頬杖をつく彼女はどことなく上機嫌だった。あんなやりとりがあったのに上機嫌とはな。前々から思っていたんだが、こいつ実はとんでもないMなんじゃないのか?
「…何をニヤニヤしている」
「詠くんは滅多に感謝の言葉を口にしないから、偶にこうやって口にして貰えるとなんだか嬉しいんだ」
「チッ…耳ざとい奴め」
「詠くんが言うんだそれ…」
気持ちを言葉にする…か。
「…気持ちを言葉にするというのは、己の感情や心情を相手に曝け出す行為だ。悦びを、憤りを、哀しみを…そして、弱さを」
「……?」
「人はそれを信頼と呼ぶ。信用でも良いかもしれない」
「信頼…」
ある男が脳裏をよぎる。
「俺は信頼という言葉が嫌いだ。聞いただけで悪寒を覚える。信頼するなんてものは虚構に縋る愚かさであり、弱さだ」
「…詠くんは、私の事を信頼していないの?」
「していない」
俺は嘘をつかない。
「私は詠くんの事を誰よりも信じているし、誰よりも頼りにしてるよ」
「俺よりも、諫姉にそういった感情をもっと向けてやれ。俺に信頼を寄せても、俺はそれを受け取らない」
まるで突き放すような俺の言葉を受けても、諫奈は全く表情を変えなかった。
「どうして?」
「強くありたいからだ」
諫奈はその可憐な顔を怪訝そうに顰める。
「詠くんはよく『弱さ』とか『強さ』とかいう単語を使うよね。詠くんにとって『強い』って、どういう事を指しているのかな?」
考えずとも答えられる質問だ。それは俺が俺であるための根底だから。
「可能な限り、より長く、より永く生きながらえる事だ。衣食住を満たし、外部からの脅威をできる限り切り捨てる、そして、生きる。これを確固たるものにする事だ。そこに他人の干渉など必要はない。最悪、要らん脅威を増やすだけだ。…ある人間は、その生き様は動物となんら変わりないと言った。しかし、それは指摘にもなっていない。人間と動物なんてものは大きく括れば『生物』だ。差別化を図るのであれば、昼に話していたように知性と理性を持っているかどうかだ。決定的な違いがありながらも、双方ともに『生物』だ。生きる、物。人間の行動も大半が生への執着からくるものであって、栄養素を確保するために飯を食うし、体を万全の状態にするために寝るし、子孫を残すために子を成す。生きて、増える。根元はそこにあるんだ。誰にも貸しを作らず、誰にも借りを作らず、誰にも干渉されず、誰にも干渉しない。一人でも…独りでもなお、生きていけるのが強さだ」
口数の少ない俺が長々と喋ったせいで、途中から喉が渇きを訴え声が
「……詠くん。でもそれだと結婚して子どもつくれないよ?」
「……………」
諫奈のクセに生意気な。
「…それは別にどうでもいい。俺には子どもが欲しいとか子孫を残そうなんていう考えはない。子どもができたら嫌でも妻子の命を優先せざるを得なくなるだろ。誰かの為に命を費やすのは御免だ」
「…詠くんは優しいんだね」
会話が成立していない。
「俺は人に優しさなど見せない」
「ううん、詠くんは人に優しくするのが怖いだけ。人に優しくすると自分が『弱く』なるって、錯覚しているだけ」
「錯覚だと?」
「ごめんね、勝手な事を言ったかもしれないけど…私が思ってる『強さ』と詠くんが思う『強さ』は、きっと違うんじゃないかな」
そもそも諫奈と俺とでは決定的な差異がある。性格の違いは言うまでもなく、性別の違い、年齢の違い、育ってきた環境の違いが顕著だ。見解の相違があってもなんらおかしくはない。しかしだ。
「それは暗に、俺が弱いと言いたいのか?」
「そんなことないよ、詠くんは誰よりも強いよ。誰よりも優しいから」
「…お前は、優しさが強さだと主張するのか?」
「優しさだけが強さだとは思ってないけど、ひとつの要素だと思っているよ。でも、詠くんが強いと思える要素はそれだけじゃない。詠くんは大事な事に関しては絶対に嘘をつかない。たまに私を
一人で出来ることなど知れているお前が偉そうに…とは言えなかった。諫奈から紡がれるであろう言葉を待っている自分がいた。
「詠くんは自分に嘘をつくの」
笑止。
「はっ、何を言い出すかと思えば……俺が
「ううん、私が言いたい事は少し違うの。詠くんは…」
誰だ。
俺は話を続けようとする諫奈を手で制し、壁に立てかけてあった
「ど、どうしたの…?」
諫奈が不安げに訊ねる。
「分からん。どっかの馬鹿がインターホンも鳴らさずに上がり込んできやがった。ご丁寧に音を殺してな。お前はここにいろ」
俺は不法侵入者の顔を見るべく台所を出る。思ったよりすぐ近くにいる。曲がり角から現れるであろう侵入者を切り捨てるべく、
「…北里かよ。インターホンのひとつも鳴らせないのか低脳」
「低脳は貴様だ、
「何が辞さない、だ。馬鹿じゃないのか?できもしない大口を叩くな雑魚。諫奈はこっちにいる」
腹立たしいツンツンした髪型に腹立たしい眼鏡をかけ、腹立たしい細目をした倣神野分家の姫女護衛役、
台所へ向かうにあたって、俺の背後を付いてくる北里に助言をくれてやる。
「背後からなら俺を殺せると思わないことだな」
「口の減らないクソガキが。何の理由もなく貴様を殺したら諫奈様が大層悲しまれる。殺す訳にはいくまい。いけしゃあしゃあと生きていられる権利を諫奈様より賜っていることに感謝をしろクソガキ」
「俺が生かされている身だと本気で思っているなら、てめぇの目ん玉と脳髄は正常に機能をしていない。一度、医師の診断を受ける事をお勧めする」
奴の刀を握りしめる拳が怒りで震えているのが、鞘と刀身がカチャカチャとぶつかり合う音から容易に想像できた。煽り耐性ゼロかよ。
「諫奈。ロリコンの護衛さんがお迎えにいらっしゃったぞ」
「ロリコン……?…っ!!北里さんですか……いかがなさいましたか?」
一瞬、ポカンとした表情になる諫奈だったが、北里の姿を捉えると『姫女』の表情になる。
「諫奈様、浄夜の鈴を鳴らしに村を巡回なさっておられたはずなのに、
お前が言うなロリコン。
「私は旧知の友人と談笑をしていた所です。それに、彼は女性に狼藉を働くような方ではありませんよ」
「諫奈様、なぜ前掛けを着用されているのですか?」
「夕飯を作ってたからに決まってんだろ。貧弱な推察力だな。考えなくてもわかる事だろ」
「
「ええ、彼に作って欲しいと頼まれたものですから」
「綴火、貴様……諫奈様に労働を強いたのか?罪深い。罪深い罪深い罪深い罪深い罪深い罪深い罪深い罪深い罪深い罪深い罪深い罪深い罪深い罪深い罪深い罪深い罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪罪ぃ!!」
唸る金属音。銀の反射光。
トチ狂った北里が抜刀してきたので、鞘に収まったままの
「グゥッ!!!」
苦痛に顔を歪めた北里が
「付け焼き刃の抜刀術なんざ見せつけてくれるなトーシロが。諫奈に怪我でもさせたらどうするんだ」
刀を失った北里が徒手空拳に切り替えてきたので、回避しながら適当なタイミングを見つけ、足をかけて北里を床に張り倒す。
弱い。弱すぎる。群れる人間はこんなにも弱い。
首筋に朧紫乃月の切っ先を突きつけると、北里はようやく大人しくなる。
「北里震…落ち度のない村民に刀を抜く行為が許されるとお思いなのですか?」
諫奈が北里の暴挙を咎める。いいぞ、もっと言ってやれ。
「…短慮にございました。大変申し訳ございませんでした、諫奈様」
「謝罪をする相手を間違えていますよ」
俺は爆笑した。
「……
心にも思っていない事を抜かしやがる。
「許して欲しかったら二度と俺ん家の敷地に足を踏み入れるな雑魚。あと、諫奈が私用で俺といる時は干渉してくるんじゃねぇよ出歯亀が」
「分かりました、約束しましょう」
心にも思っていない事を抜かしやがる。
「ぁぅ…今のは私と詠くんの二人の時間を邪魔するなって事なのかな……ぁぅぅ……」
諫奈が顔を真っ赤にしながら場違いな事をブツブツと呟く。お前はもう少し空気を読め。
北里がゆっくりと立ち上がると刀を回収し、鞘へそれを納める。
「諫奈様、お楽しみの所に水を差してしまった事を、心よりお詫びを申し上げます。しかしながら、諫奈様には本日をもって完了して頂かなければならない雑務がございます」
「…分かっています、今から向かいましょう」
諫奈は椅子から立ち上がると俺の側まで来る。
「綴火詠水、大変有意義な時間をありがとうございました。私はこれでお暇とさせていただきます」
口ではそう言っている諫奈だが、彼女の目が完全に「お前のせいで面倒臭いことになったんだぞ」と語っていた。すまんな。
なんとはなしに、諫奈の黒髪をワシャワシャと撫でる。彼女は嬉しそうに目を細めるが、北里が居ることを思い出し、すぐにハッとした表情になり取り繕う。忙しい奴だ。
諫奈はペコリと一礼すると、北里と共にこの場を後にする。
ただ一人、残された俺は諫奈が居なくなった食卓へ戻る。
料理はすっかり
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます