月下美人を枯らさぬようにと

醤油ごはん

人々は姫女の導きのもとに。

「ーーー御大尊、齢十六をもって倣神野ならしの 諫奈いさな姫女ひいな即位、並びに倣神野ならしの 諫寧いさねの退位を正式に定める。なお、姫女が執り行なう公務については…」



退屈だ。



幼馴染みの諫奈が16歳の誕生日を迎え、姫女ひいな…つまるところ、村の実質的なトップになると聞き及び、倣神野ならしの本家の集会所に顔を出したわけだが、ふたを開けてみれば退屈極まりない儀式だった。まあ、最初から面白おもしろ可笑おかしい催しだとは思っていなかったが。


何重にも着重ねられた絢爛けんらんな着物を身に纏った少女……俺のふたつ下の幼馴染みは、姫女としての責務・責任の重さ…あるいは想像すらつかない姫女としての今後に、重圧を感じているのであろうか。その表情からは緊張感がひしひしと伝わってくる。しかしながら、彼女は16歳らしからぬ毅然とした態度を保っている。そこは血筋、と言ったところか。


「此度を以って、姫女となった倣神野諫奈より清説を賜る。一同、今一度改めよ」


諫奈の母にあたる先代姫女、倣神野ならしの諫寧いさねが凛とした声で倣神野分家の者ら、乃至ないしは村民たちにそう呼びかけると、元々畏まっていた彼らがさらに畏る。あの諫奈いさなが喋るだけで大の男たちがあれ程までに萎縮するとは、実に感慨深い。むしろ、この村の闇が深いとでも言えるのだろうか?んなことを口に出した日には、二桁は超える人数に斬りかかって来られるだろうからおくびにも出さないが。



「本日を以ってして、姫女の名を授かります倣神野ならしの諫奈いさなです」



16歳の少女がそう口にすると同時、集会所に集いし者らは一斉に正座から五体投地へと移行する。



俺?


あの諫奈に五体投地だなんて、ご冗談を。



他の連中は全身全霊の五体投地をしていて気づくよしも無いが、諫奈いさなとその母親に諫寧いさねの目には、欠伸あくびを噛み殺しながら胡座あぐらをかいている俺の姿がしっかりと映されている事だろう。その証拠に、諫寧が笑いを堪えながら諫奈の肩を叩いてこちらを指差し、それを受けて諫奈が苦笑いしている光景が見受けられる。人に見られてないからって、はしゃいでんじゃねぇぞ倣神野ならしの親娘。


村民たちが五体投地を解除するのを確認した諫奈が二の句を継ぐ。


「姫女は双神村ふたかみむらの象徴にあたります。数千年にものぼる伝統を受け継ぎ、村民として有るべき形を不変の物とし、常とします。如何いかなる時も正しく、如何なる時も清く、如何なる時も美しく、如何なる時も潔くある必要があります。間違ってはいけません。裏切ってはいけません。不浄であってはいけません。私のあやまちは村の過ちに相当します。最も美しいとされる道を歩む必要があります。しかしながら、私が村の全てを担っているのであれば、村民の皆さんはそれぞれ村の一端を担っています。村民の皆さんが有るべき美に背を向けるだけで、この村の盤石は崩れゆく事でしょう」




人の缶詰と化したこの集会所に、一陣の生温なまぬるい風が吹き抜ける……そんな感覚を覚える。




「双神村に生まれ出ずる者らよ、常に美しくありなさい」






諫奈の口から発せられたそれは、少女の戯言などではなく、統治者としての導きであった。




村民たちはまたしても五体投地をする。姫女様の導きに背きません、そう宣言しているかと見紛うほどに長く、五体投地を続ける。


誰一人としてこうべを持ち上げようとする者はいない。それこそ、このまま日付が変わってしまうのではないかと懸念するほどだ。むしろ彼らではなく、逆に時の流れが凍結しているとさえ思えてくる。



彼らの無限五体投地に俺が付き合わなくてはならない理由などまるで見当たらないので、そのまま帰る事にした。



姫女が話をしている途中で退室するという暴挙を目の当たりにし、呆気あっけにとられる諫奈のマヌケ面が今回の収穫だと思う事にした俺は、少しばりの気怠けだるさと共に集会所を後にした。

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