カラフルポップドロップ

おかかおにぎり

寝ぼけた朝の脳内レター

 故郷の母上様と親父殿、それからそれぞれ離れた所で暮らす妹達へ。

 春も近づいてまいりましたが、まだまだ寒い今日この頃、風邪なんてひかずに元気でやっているでしょうか。私は雨にも負けず、風にも負けず、盆地独特の底冷えに耐えながらもどうにか元気に生きています。さてさて、今年から学生時代からの夢だった絵本作家となりましたが、実は最近それ以外にもう一つ、去年の生活とは違う所ができましてですね。はい。

 

 私、天使を拾いました。


 ペットと書いて天使と呼ぶ小動物でもなく、天使のコスプレをした人間でもなく、古い外国の絵画に描かれている天使そのままの生き物を拾いました。いや、拾ったというより、落ちてこられた挙句に勝手に住み着かれたというかなんというか・・・・まあ、うん。とにかく、私は少し前から一人暮らしじゃな———


「おい、朝だぞ起きろ!」

「ぐふっ!?」

「おはよう。天使に起こされて目が覚めたなら、良い朝だぞ」

「天使にボディプレス喰らって目が覚めてもか・・・・」

「ほら、今日もいい天気だ」

「まだ日の出前ですが」

「今日は洗濯日和だな」

「聞いてくれませんかね」


 寝起きの脳内で家族への手紙を執筆中の人の背中に、何の遠慮なくダイブしてくれた相手を見れば、澄んだペリドットと目が合った。彼こそ、一月前に私の部屋のベランダへおっこちてきた天使様だ。落ちてきた当初はこちらに怯えて散々泣き喚いていたくせに、たった数週間共に過ごしただけでこの態度である。別に構いやしないけれど、でももうちょっと家主に優しくしてくれてもいいと思うんだ。


「・・・着替えるから、とりあえず退いてー」

「ほんとだな?昨日みたいにそのまま寝ないよな?」

「しませーん。そんなことしたら遅刻するでしょー」

「よし」


 ややあって背中の重みから解放され、布団の中で猫のように伸びをしてから起き上がる。

 季節は冬から春になろうとしているとはいえ、京都は相変わらず朝晩は冷え込むので布団から出るのは辛い。けれど、いつまでもグズグズしていれば、今度はダイブされるどころかトランポリンの代わりにでもされそうなので、気合いで這い出る。こういうのは思い切りが大事だ。元々寒さには強い方だし、布団から出る瞬間が嫌なだけで、一度出てしまいさえすればどうってことないのだから。


「・・・あれ?」


 冷蔵庫の中にでもいるような冷たさを予想していたのだけれど、何故か部屋は暖かな空気で満たされていた。ふと壁にかけているエアコンのリモコンを見れば、暖房が付けられていることに気づく。確かに寝る時に、まだ寒いからとつけたままにしておいた。でも、二時間後くらいに消えるようタイマーをセットしてたはずだ。単に私がセットし忘れていただけかもしれないが、それ以外に可能性が一つ。


「ねえ」

「な、なんだよ?」

「暖房、つけた?」

「あ、えっと、ちょっと前に・・・悪いかよ」

「や、ありがと」


 おかげで寒くないと笑えば、白磁器のような肌がさっと赤くなる。

 ありゃ、照れた。


「べ、別に俺が寒いのが嫌だから付けただけで、前に寒くて布団から出るの辛いって、お前が言ってたからじゃないんだからな!お前の為じゃない、俺の為だ!か、勘違いするなよ!!」

「天使は寒いのも暑いのも平気なんだとか言ってたのに?」

「うっ・・・へ、平気だけど、気分の問題だばーかぁ!」

「えー・・・」

「そ、そんなことより早く着替えろ!」

「ぶふっ!?」


 顔を林檎にした天使は、昨日私が適当に置いておいた着替えを投げつけて、お湯を沸かすために台所へと消えて行った。あからさまな照れ隠しであるのは分かっているが、それにしたって顔面にぶつけなくたっていいじゃない。「天使はレディに紳士的なんだ」とか言ってたくせに、私に対するこの扱いの雑さは何なのか。いや、まあ、この程度で怒ったりなんかしないけども。というか、私が淑女とか鳥肌が立つほど気色悪いので、急に態度を変えられるのだけは勘弁だけども。

 

 十分ほどでパジャマから着替え、布団も片づけてから台所へ向かうと、左の翼が根元近くからもげた天使がティーバッグの紅茶を淹れているところだった。二人分のマグカップの隣には蜂蜜の瓶が置いてあり、その横のガスコンロの上では、牛乳を入れたミルクパンが温められるのを待っていた。因みにお湯は電気ポットで沸かしたやつだ。本人曰く、コンロの火を使うのはまだちょっと怖いらしい。一応電子レンジという手もあるはずなのだが、初日に卵を爆発させて以来トラウマになっているらしく、触れるどころか音だけでビクついていた。


「ちょっとしつれーい」

「――っ!?」


 換気扇を付けてからミルクパンに火を入れる。ポンッと軽い音を立てた青い火に、私よりも高い位置にある剥き出しの肩がびくりと揺れた。毎度のことだけれど、私より少し年下か同じ年ぐらいの男性が、コンロの火程度でビビってるとかかなり可笑しな光景だと思う。いや、天使が台所に立ってる時点で十分ヘンテコだわ。こう、乾ききった砂漠の中に、ぽつんと雪国のペンギンが立っているような感じ。


「今日もミルクティ?」

「ん、蜂蜜入れたやつ」

「私、スプーン一杯でいいからね」

「おう」


 天使が落ちてきた日。部屋の隅で幼いこどものように泣きじゃくる彼を落ち着かせるために、私が半分テンパりながら振る舞ったミルクティー。砂糖の代わりに蜂蜜を入れたそれがとても気に入ったらしく、淹れ方を覚えると自分で作って飲むようになった。天使は物を食べる必要がないとかで私と食事を取ることはないけれど、ミルクティーだけは一緒に飲んでくれる。最近は紅茶自体が好きになったのもあって、我が家のティーバッグの消費率が大幅に上がった。ティーバッグじゃない方の紅茶にも興味を示しているようなので、今度ちゃんとした道具と茶葉を揃えてあげようと思う。四条か三条あたりに行けば全て買い揃えられるだろう。多分。

 昨日のあまりご飯で作ったおにぎりを電子レンジに放り込み、焼き海苔を戸棚から出す。甘ったるいミルクティーとおにぎりという組み合わせの悪さだが、食べられなくはないので気にしない。ここ数年の一人暮らしの影響なのか、それとも己の大雑把な性格の所為なのか、多少ならば妙な食べ合わせでも平気になっていた。それに、せっかく好意で作ってくれたものだし、食パンを焼くのもなんだか面倒くさい。後で口直しにでも、冷蔵庫の番茶を飲んでおけば大丈夫だ。きっと。


 小さなオレンジ色のテーブルに二人分のマグカップと、ラップに包まれたおにぎりが二つ、それから小皿に乗った海苔が二枚。中々簡素な朝食だが、一人暮らしのご飯なんてそんなものだ。朝は特に。


「いただきます」

「い、いただきます」


 手を合わせてそう言えば、向かいに座る天使もぎこちなく私の真似をする。

 元々天使は西洋の宗教の上に成り立った存在だ。こんな極東の島国の習慣なぞ慣れてなんかいないだろうに、一生懸命こちらに合わせてくれようとする姿はなんだか微笑ましい。というか、大変可愛らしい。言うと盛大に拗ねるから、口には出さないけれど。


「なんだよ?」

「なんでもー」

「・・・相変わらず変な奴」


 気が付かないうちに相手を凝視していたらしく、怪訝そうな顔をされた。

 家族から友人、はたまた見ず知らずの他人にまで変わり者扱いを受けてきた私だが、天使にまで言われてしまうのはちょっと問題のような気がした。が、治そうとしてもどう直せばいいかなんてさっぱりなのでそのまま放置だ。芸術家なんて変わっててなんぼだよねと一丁前に考えてみたけれど、半人前以下の自分ではあらゆる意味で格好がつかなかった。そもそも、私そんな極まった変人じゃないし、ちょっと人と感覚がずれてるだけだし。うん。


「今日は早く帰ってくるのか?」

「うん。お昼過ぎには終わる予定だよ」

「じゃあ、帰ってきたら本棚の整理しろよ。整理すれば、お前が机に適当に積んでる本もまだ入るんだからな」

「はーい。お母さん」

「俺はお母さんじゃない!天使だ!」

「はいはい」

「はいは一回!」

「はあい」

「よろしい」


 私の返事を聞いて満足そうにミルクティーを飲む天使を眺めながら、私もカップの中身を啜る。鼻孔をくすぐる紅茶の香りや、口の中にふわりと広がる蜂蜜と牛乳の優しい甘さ、じんわりと胃の腑を満たす暖かさに自然と頬が緩んだ。同時に頭の端っこでゆらゆら浮かび上がってくるこの感情をどうしてやろうかと考えていると、天使の眉間のしわが増えた。せっかくの綺麗な顔が台無しだよと言いたかったが、喉まで出かかったそれをミルクティーと共に飲みこむ。流石にカップを顔面に向けて投げられるのは痛い。色んな意味で痛い。


「何ニヤニヤしてるんだ・・・怖いから止めろ」

「えー、そんな顔してる?」

「してる、また変な事考えてるだろ」

「私、変な事なんて考えたことないよ」

「どの口が言うか」

「酷いなあ、天使様は」

「煩い。で、何考えてんだ?」

「んー」


 カップの中身を一口啜り、言葉を濁す。喉の奥で湧き水のように溢れてくるそれは、決して相手の言うような変な事ではないし、悪いことでもないけれど、口に出すのはほんの少しばかり気恥ずかしい。実の家族にすら言ったことのないその言葉を、数週間前に出会ったばかりの彼に言える訳がない。しかし、そんな自分の気持ちとは裏腹に、己の中から無尽蔵に溢れ出てこようとするそれを、寝起きの溶けた思考回路では留めることは出来なかったようで、気づけばするりと口から滑り出ていた。


「・・・・も」

「?」

「今日も、さ」

「今日も?」

「今日も、しあわせだなあって、思って」


 口に出してしまったものは仕方がないのだけれど、やはり少し気恥ずかしくて誤魔化すように笑う。

 頬が少しばかり暑いのは、暖かなミルクティと暖房の所為ということにして、おにぎりのラップをはがす作業に専念した。カップを両手に持ったまま、呆けたような顔をした天使は放っておいて、ラップの代わりに海苔を巻き、まずは一口。塩で握らなくても、海苔の風味だけで十分美味しい。人間ではないけれど、一緒に食卓についてくれる誰かがいると、尚更。ああ、やっぱり幸せだ。


 ふわふわした気分のまま、口の中のおにぎりをもぐもぐしていると、天使がふっと俯いた。


「・・・そっか」

「・・・・?」

「そっか!」


 くすんだ金色の下から呟くような同居人の声がしたかと思うと、花が綻ぶように笑った顔が勢いよくこちらを向く。


「そいつは何よりだ!ま、神の使いである俺が傍にいるんだから当然だな!」


 泣き顔でもなく、不機嫌な仏頂面でもなく、照れて真っ赤になることもない。この場に百人いれば全員が綺麗だというであろう笑顔のまま、目の前の天使は腹の底から嬉しそうにそんなことを言う。てっきり、何寝ぼけてんだと毒舌が返ってくるものかと思ったのだけれど、これはちょっと予想外。予想外だけど、照れ隠しにカップを顔面に投げれられることはなさそうだから、まあ、いいや。


 そうして、カップの中身とお皿の中身が空になる頃。

 ようやく空へと昇り始めた、寝坊助のお日様の光が部屋の中へとやって来た。

 麦の稲穂のようなくすんだ金の髪に、森の若葉を思わせる緑の目の同居人が、窓辺に腰かけ、いつもより上機嫌で賛美歌を鼻歌で歌っている。折れてしまった翼が痛々しいけれど、朝日に照らされた彼はとても綺麗で、ここが私の部屋じゃなければ、きっとどの宗教画よりも神秘的なんじゃなかろうかと思う。


「あ、そういえば言い忘れてた」

「・・・なんだよ?」

「おはよう天使様。今日もいい日だといいね」

「いい日に決まってるだろ。だって、俺がいるんだから」

「あー・・・うん、そだね」

「おいこら待てなんだその間は」

「なんでもないでーす」


 不思議そうに私を睨む同居人を気にせずに食器を片付けに行く、そんな朝。

 一人暮らしにすっかり慣れてしまったから、一人きりでも別に何とも思わない。

 けれど、一人ではない朝は、一人だった朝よりも、きっとずっと幸せだった。



 ——生まれ故郷に居る母上様に親父殿、そして別の土地に住んでいる妹達へ。


 この春、奇妙な同居人が出来ましたが、私は相変わらず呑気に生きています。同居人は天使だというのに、ちょっとばかり口が悪くて、不器用で、泣き虫で、素直じゃありませんが、それなりに仲良くやっているので心配はしないでください。実家に帰った時に紹介することは出来ませんが、どうか少しばかり私の言動が妙でも気にしないでもらえると嬉しいです。まあ、気にしないでしょうが。では、春になってまいりましたが、まだまだ冷えるので、どうか体調を崩されないように。皆様にゴールデンウィークでまた会えるのを、とても楽しみしております。


 変わり者の長女より。

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