第7話
「あああああ、オレ、ヤバイ、なんであんなこと言った! 相手はマフィアだぞ、死ぬ気か!」
帰り道でそんな後悔をしているのなら、あの時素直にうなずいておけば良かったのだろうか。
賀藤は、ヴィクの言うことが理解できないわけではなかった。
きっとあれは、彼なりの譲歩だ。
おそらく嘘は言ってないのだろう。ヴィクが賀藤に命を救われたのは事実だし、賀藤の身が危うくなる危険も確かにある。
だが――同時に保険でもあるはずだ。
賀藤は考える。
オレがもし、ヴィクの立場だったのなら。一介のマフィアの一員だったとしたら。
まず真っ先に、相手を疑うことから始めるだろう。
死にかけたところを見知らぬ一般人が善意で救ってくれた? しかも、何の礼もいらない? なるほど、うさんくさい。
どんなに調べても怪しいところはないのだ。――ただし、『綺麗すぎる』くらいに。
「……うーむ、怪しすぎるな、オレ」
善意などではなく、本当は股間を踏んでしまったことへの罪悪感、が正解なんだが、まさかそんなこと今更言えもしない。
ヴィクからしたら、白半分、黒半分の存在と言ったところだろう。
だから、正体がわかるまでは、賓客として手元に置いておく。事実上の軟禁だ。
表面上は笑顔を浮かべながら、腹の内では相手の出方を窺う――きっとそんな胃が痛くなるような関係の後、いつか、ふとしたことで捨てられるだろう。
それがわかっていたから、賀藤はヴィクの言葉を拒絶した。
もちろん、ヴィクのいいざまに腹が立ったことは事実だ。
けれど――一番の理由は、ヤツが家族の話を持ち出したことにある。
自分一人なら、多少の苦難は覚悟しよう。だが、弟まで巻き込むのならば、一家の長として、引くわけにはいかない。
自分亡き後、弟を守る者など、誰もいないのだから。
「となると、やっぱり今後のことも考えないとまずいか。あんなきっぱり啖呵きっちまったしな……」
弟は全寮制の学校に入れてあるから、しばらく直接的な身の危険はないとは思うが。
「けど、ヴィクのヤツ、会社にまで現れたからな……」
賀藤が出てくるまで待つという選択肢もあっただろうに、わざわざ乗り込んできたということは、遠回しの脅しなんだろう。
――お前の会社に銃を持って乗り込むことくらい、簡単だ、という。
「あー、クソ! 裏社会の人間が、一般ピーポーの世界に出しゃばってくんなよなー、もー!」
苛立ち紛れに、賀藤が頭をかく。
とにかく、今後の身の振り方については、真剣に考えないと。
極端な話、ヴィクたちが強引に拉致したり、弟に手を出してくる可能性もゼロではないのだから。
「――ん?」
ふと、車道の背後の方から、エンジン音がする。
だから、道の脇の方に避けようとした。けれど、同時に違和感を覚える。
もう日も暮れているのに、ヘッドライトがついていないのだ。
「…………」
さっき、あんなことがあったから疑い深くなってしまっているのだろうか。
だが、賀藤は車への警戒を強めた。
立ち止まり、背後を振り返る。
黒塗りの小型ワンボックスだ。ヘッドライトも、テールランプも何もついていない。ナンバーは――隠されている。
運転手は暗くてよく見えないが、若い男のように見える。
すると、いきなり車が賀藤へ向けて、スピードを上げた。
「! マジかよ!?」
咄嗟に賀藤が走り出す。
車が追い始めた。間違いない。賀藤を狙っているのだ。
「おいおい、冗談だろう!」
とにかく、車対人では勝ち目がない。
追いつかれるより先に、車が入れない小径に入り込むしかない。
車が徐々に、賀藤との距離を詰めてくる。時間の猶予は、ほとんどない。
「……ちっくしょ!」
だが、同時に賀藤は絶望する。
通い慣れたこの道のことはよく知っている。車が通れないような小径までは、あと数百キロ先にしかない。
「!」
ついに、横に並ばれた。
追突して殺す気ではなかったのはありがたいが、そう喜んでもいられない。
車はどんどん、賀藤を壁際に追い詰めていく。
「ふっざけんな! マジ……クソ!」
一か八か、賀藤はいきなり立ち止まり、反対側に向かい走り出した。
これでわずかでも、時間が稼げれば――!
だが、その背後で急ブレーキの音と、車のドアを開く音がする。
「逃がすな!」
足音からして、複数人、おそらく追っ手は三人。
だが、振り返っている余裕などない。
全速力で走る。心臓が脈打ち、酷使された足の筋肉が悲鳴を上げている。
足音はどんどん近づいてくる。
手首を掴まれた。
「――うわ!」
咄嗟に振り払う。だがその隙をついて、もう反対の手を掴まれる。
今度は放せなかった。
腕から引きずられるように、バランスを崩す。
足がもつれて、その場に立ち止まらざるを得なかった。
そこへ、顔に何か布のようなもの被せられる。
視界が、一気に黒く遮られた。
後ろ手に捉えられ、複数の手が、賀藤を車の方へと引きずり始める。
賀党は、息を止めた。
――怖い。
――殺される。
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