第17話 無茶振りですよね
ルプスは店主の言葉にニヤリと笑うと、深湖を手招きして耳打ちした。
「……は?」
「いいから、やってやれ」
深湖は得心がいかないまま、ルプスに耳打ちされた事を実行する為店主の前に片足を付く。
その深湖の行動を見た店主は驚きに声を上げて狼狽した。
「な、まさか……」
唖然とそう呟く店主に、ルプスはニヤニヤと笑いながら声を掛ける。
「ほら、さっさとしねえと気が変わるかもしんねえぞ」
その言葉で店主はゴクリと唾を嚥下して、覚悟を決める。
いや覚悟は要らないのだが。むしろこれから行動を起こすのは深湖なのだから、店主はじっとしていればいいだけなのだが。
「しゃがんで貰ってもいいですか…」
店主は慌てて深湖の前に両足を付いて跪くと、頭を俯けた。後ろ首を深湖の前に差し出した状態で、深湖の行動に備えて目を瞑る。
「すぅ……」
深湖は意識して一息吸い込むと店主の後ろ首に焦点を当てて、意識を霧散させる。
世界が白黒に変転し、深湖の自我が薄くなり大気に溶ける。
ただ祈りだけが深湖の行動を決め、身体を動かす動機となる。
淡く輝く姿で深湖は店主の後ろ首に指先を乗せて、祈りのさせるがままに指先を任せた。
指先が店主の首筋をなぞり、最後に円を描いて指を離す。指を引いた瞬間、視界に色が戻り意識が深湖の自由になる。何度か経験した自我が薄くなるという状態も、元に戻る時にハッとするのは慣れることはないかもしれない。
「あ、終わりました」
深湖がそう言って立ち上がると、店主は低く俯いたまま僅かに震えている。そして突如顔を上げると深湖に深く感謝の視線を送りながら、感無量が過ぎて言葉を紡げず口を震えさせる。
「エルフの加護を直接賜ったんだ、値段も付けられない大剣の分の対価としちゃ不足はしてねえだろ」
店主はルプスを暫く見詰めて、僅かに涙の浮かぶ瞳を深湖へと戻す。その瞳に浮かぶ涙程の価値が、自分の先程の行為にあるのかどうか深湖にはまだわからない。この世界のことを学べば分かるようになるのだろうか。
矢を射た男、気の良い店主、彼らは一様に深湖の行いに大袈裟な程の意義と感情の昂りを示した。
深湖がこの世界の事を学んでいくうち、エルフである事の意味と自覚を持てばそれは自ずと分かるようになるだろう。
「十分だ……」
立ち上がった店主を見るや、ルプスは店主に背を向ける。その背には、初めて外の世界の光を浴びる大剣がある。光の差し込まない暗い屋内から出て、陽光を浴びた瞬間、鈍い光しか宿す事のなかった剣が眩しいほどに光った。
目を閉じかけて、だが初老に差し掛かった武器屋の男は必死にその姿を見詰めた。目に焼き付けるように、眼裏に写し取るように。
眩しさを一瞬遮りその光熱から休めるように深い緑が飛び込んでくる。その眩しい背中を追って翻る布は軽やかで、くるりと回り男に別れを告げる。
「有難うございましたー!」
片手を上げて、あどけない笑顔でそう告げる声は透き通っていて鼓膜を通さず頭に直接響く。深緑の布以外の色彩はあまりにも薄く、瞳だけが色を主張して輝いていた。
武器屋の男は瞳に涙を浮かべながら、必死の思いで僅かに動かした片手で彼らに応じる。
「ああ、ああ……。
また会おう」
武器屋の男の呟きは震えていて微小な音量だった。彼らには聞こえないだろうが、それでもよかった。
奇跡のような邂逅の終わりに際して、男は喜びと感謝で魂が震えていた。初めて会った万物の住人との邂逅を思い出しながら。
人の番人に属する傭兵と、神の牙の大剣、万物の住人のエルフの背を、武器屋はいつまでも見送っていた。
刹那と永遠のオプタティオ びたみん @vitamin_
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