第11話 なるほど、変態でしたか

 不安に固まったいる深湖は、どれ位男のそのうわ言を聞いていたのか。男の声はどんどんか細くなる。

 深湖は近付くことは出来ず、同じ呟きばかりを繰り返す男に尋ねた。


「な、何を……?」


 震える声で返ってきた深湖の声に、男は突然視線を深湖の瞳に固定して、今までとは打って変わって恍惚とした表情を浮かべる。


「あ、ああ…あああ……」


 恍惚と愉悦に漏れる声は不気味で、深湖は恐怖のあまり心臓がドクリと音を立てるのを聞いた。


「いや……」


 男は愉悦の表情のまま、動こうとはしない。危害を加えるような感じはないが、これだけの手傷を負い痛みに苛まれ、憎悪の対象が同じ空間に居ると言うのに、深湖を見た瞬間に男の浮かべた表情は愉悦だった。余りの幸福感からか、男は笑みまで浮かべている。


「ルプス…」


 口の中で深湖はルプスの名を呟いた。恐らく聞こえては居ないだろうが、扉の側の壁で腕を組んで背中を預け成り行きを傍観していた傭兵は、呼ばれてやっと動いた。


「ルプス……」


 何度か恐怖でその名を呟いた時、ルプスは求めに応じて深湖の側へとやってくる。

 そして隣に立ち、頭を抱えてくれた。

 身体をルプスに預けて、深湖はやっと少しだけ男の状態を観察できた。

 まるで動物だ。親の庇護下でなければ生きていけない、雛鳥のように見えるなと情けなく思いながらも深湖はルプスに縋るしかない。

 今のところ、この世界で深湖を知っているのはルプスだけ。深湖の拠り所はルプスだけなのだ。


「……エルフってのはな、その声に言霊を宿してるって言われてる。

 言ったろう、フードを被っててもその声でバレる。人間にとっちゃ鼓膜を直接擽るもんだからな」


 そう言うルプスの腕の中、深湖は男から視線を外せない。どうしてこの状況でそんなに恍惚とした表情を浮かべているのか。


 狂ってる――


「人間の占術屋の仕事の大半は、死者になる奴の最後の願いを聞いて葬送するこった」


 ルプスが何故この状況でその説明をしているのか、深湖は何となく予想がついてしまった。

 深手の傷を負った男、妙な力を持つエルフとしての自分。

 つまり、深湖はこの男の最後の願いを聞く役目を成すか成さないか、そう問われているのだ。


「……そんな、だって脚を」


 死ぬのだろうか。それが嫌だったから脚を狙った。間違いなく脚に刺さっているし、傷が得物で塞がれている分出血も少ない。

 深湖が目を見開いて胃の中の物を戻しそうになりえずく。


「いや死なねえけどな。

 こんくらいじゃ死なん」


 そしてルプスがケロッとそう言った。

 吐くもののない胃袋の中の酸を戻す寸前だった深湖は、ルプスの言葉を聞いて胃を吐き出すのを踏みとどまった。

 急ブレーキをかけられた気分である。


「ま、」


 深湖は涙目で叫ぶ。

 もう何だかいろいろ訳がわからない。


「紛らわしいこと言わないで下さい!!」


「いや悪い悪い、雰囲気に流されてついな」


 悪ふざけが過ぎる。本当にやめて欲しい…

 深湖が脱力してヘナヘナと座り込もうとすると、その身体をルプスが腰を抱えて支えた。


「で、まあ言霊云々の話だが、そこでだらしねえ顔してるそいつの家族に加護をつけて欲しいんだとよ」


 深湖は何故か恍惚の顔でビクビクしている男と、頭上にあるルプスの顔を交互に見る。

 男の顔は気持ち悪すぎるので直視は避け、視界の端に捉えるまでに止めおいたが。


「あ、お、おでのか、族に加護…をあ、を」


 呂律が回らないのか痛みなのか、半分白目を剥きながらそう言う男の言葉に深湖はしかし返事はできない。

 加護。

 何、それ。


「因みに何でそいつがそんなに昇天しそうなのかっていうと、エルフの声は苦しみを味わってる最中に聞くと快楽に変わっちまうらしい。どういった原理かは知らんがな。占術では性欲を頂点に高めて苦痛の諸々を忘れさせるし、そんな効果が出てんだろうな」


 つまり声だけでイッいると。

 あまり考えたくはない意味で。


「……」


 深湖は何とも言えない心境で、自分に言い聞かせた。

 変態じゃない、変態じゃない、変態じゃない、私のせいであってこの人が変態なんじゃない。普通、普通普通。

 そう目を閉じて言い聞かせて目をそっと開く。


「ん、んぉああぁ……」


 ビクビクとイキ顔の変態が視界に入ったので、深湖は微笑みでスッと目を閉じた。

 あ、だめだ。この人変態だわ。

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