第7話 いやいや死にますって 2

「あの、私嘘をつきました。

 私、その……」


 突然の深湖の真剣な雰囲気に、ルプスは首を傾げる。

 暫くどう言おうか迷い、深湖は別の世界のことには触れず、しかしこの世界の事を知らなくても不自然ではない理由としてたった1つ思いついた、ベタすぎる台詞を告げた。


「記憶がないんです。」


 意を決したように顔を上げてそう告げた深湖に対するルプスの反応は、予想よりもずっと淡白な物だった。


「はあ、通りでな。

 幾ら森のエルフでも世間知らず過ぎると思った」


「そんなに不自然でしたか……」


 ルプスは「まあな」と言いながら笑う。深湖が誤魔化した事に関する不快感などまるで感じていないようだ。


「すみませんでした、嘘をついてしまって」


「あんたは自分から白状したんだ、しかも嘘なんて一回もついてないだろう。」


 確かに深湖は森から出た事のないエルフだし、街に来たかったのは社会勉強、ひいてはこの世界を知る為なのだから嘘ではない。


「何度も謝る程の事をした訳でもねえんだ、却って俺が恐縮しちまうよ」


 嘘をついていたという相手が謝罪をした。それだけでルプスの中では完全に過去の事になるし、そもそも怒るような事でもないのかもしれない。ただ単に深湖のついた嘘で何の被害も出ていないからなのか、ルプスは不快感さえ感じさせない表情で笑む。


「ま、取り敢えず深湖が記憶喪失な事は理解した。詳しい話は後で聞こう。

 今はあの構ってちゃんの相手をしなきゃな」


 そう言ったルプスは鏡を使ってどう目眩しをするのかを深湖に説明した。


「この部屋から出るルートは2つある。1つは窓だがこれは勿論使えない、残るは扉から出る方法だが、彼奴の射程範囲に入って扉の鍵を開けるまでに3発は食らう。」


 ここまではおさらいだ。深湖は続く説明を真剣に聞いた。


「そこで登場するのが鏡だ。遠距離の投擲武器を使う相手に対する対抗策として使われるんだが実用的って言うには正確性が重視されるせいでな、あんまり使われない。

 正確な的の把握に、太陽の位置、それに素早さが必要だからな。」


 太陽は反射光に利用する為、相手側から此方に向かう光が必要不可欠となる。正確な位置は相手に鏡を向ける角度、それらを把握して相手が発射する前に正確に行動する必要がある為、最低でもルプスの言う3つは抑えておかなければならない。


「お誂え向きに太陽は彼奴の背後、位置の把握は矢の刺さった角度を見るまでもなくミコには分かる上、エルフは素早いと聞いてる。

 そこでだ」


 ルプスはニヤリと笑った。

 嫌な笑顔だ、何か企んでいるに違いない。

 深湖もひくりと頬を引きつらせて返笑した。


「俺が奴の視界に入る。

 当然あいつは光りものがある可能性を考えてるだろうが、相当な自信家のはずだ。

 奴はゴーグルを着けてるか?」


 そうルプスに問われて、深湖は意識を集中させる。

 何となく意識の切り替えのコツが分かってきていた。元より咄嗟にできるのだから、身体の使い方がいまいち分かっていなかっただけなのだろう。

 首の根元に意識を集中させ、そこから全身を巡る神経を辿った。自分の体内に満ちるエネルギーを、閉じた瞼の裏に浮かべる。すると闇の中に光だけが取り残されて、色彩が殆どない陰影だけのモノクロの世界に彩りが生まれる。

 そして視界に入るはずのない背後も、下も、遥か遠く先も、意識を凝らせば何でも見える。人の動きは体内を構成する光りが教えてくれる。イメージが見える。

 断片的に、その人物の1番強く残っている瞬間が見える。恐らくは過去だろうが、場合によっては一瞬先のビジョンがフラッシュして弾ける。

 見えるのはその人物に起こること全てではないようで、見ようと凝らしてもダメなこともあるようだ。

 時間が突然凝縮されたようにスローモーションになり、全てが見える。全能感に浸る間もなく、深湖は標的を意識に捉える。


「……着けてません」


 するとルプスの光りが俄かに揺れた。

 きっと、それは高揚だ。


「もらったな。」


 深湖はスッと意識を切り替えた。

 あまりの情報量の多さに、少し頭が疲れた。

 なるほど、これが欠点だろう。あまり多用はしたくない。

 視界が切り替わっている時の深湖は、人から離れ、神気を帯びる。

 ルプスは改めて目の当たりにした光景に高揚し、ゾクリの自分の中の何かが鼓動したのを感じた。

 だが状況の打破を優先して、高揚感に身を包みながら深湖に手順を説明する。


「ゴーグルも着けずにこっちを狙ってくるのは、ただのバカか実力に裏打ちされた自信があるかの2択だ。

 あいつはその内後者だな。」


 ルプスの作戦はこうだった。先ず最初にルプスが視界に入り、敵の注目を向ける。その瞬間に鏡を滑り込ませて目くらましをして、怯んだ瞬間に深湖が敵に矢を射る。

 シンプルだが、人を射るという行為に加え、深湖は未だに弓を扱える自覚がない。本当にいざとなった時、一瞬しかないチャンスに正確に打ち込めるのか自信がない。


「鏡を最初から使うのでは…」


「相手は腕は確かだ。目眩しに対する警戒も、この部屋の中に姿見がある予測も立ててるさ。

 標的が姿を現してやっとだろうな」


 もし深湖が外せば、ルプスはどうなるのだろう。敵にその姿を晒して無事に済むのか。深湖には矢を当てられる保証も、人を射る覚悟もない。


「……」


 深湖の顔を見たルプスはフッと笑った。


「命のやり取りは怖いか」


 笑われているのだと思った。

 嘲笑われているのだと。

 深湖はルプスを知らない。だがルプスにとって命の駆け引きは、決断すれば実行できる手段なのだろう。

 森で一瞬見えたルプスは、剣を高く掲げて自らも血を噴きながら、その身体には様々な人生の滑りが纏わりつき、乾き、こびり付いていた。

 ルプスには出来るのだ。人を斬る事も、斬られる事も。だが深湖にはできない。それを嗤われたのだと思い、深湖は顔を上げた。


「……ッ」


 深湖は思わず言葉に詰まる。

 ルプスはただ真剣な表情で見つめていた。息をついたのは一瞬で、すぐにその表情には真摯な様子が浮かんだ。


「俺は傭兵だ、戦場に出ては敵を斬る。

 それが生きる上に必要で、そうやって生きて来たからだ。それしか知らねえし、仕事だからな。」


 深湖はルプスの次の言葉を待った。


「ミコは違う。エルフなら生き方は色々あるからな。

 血生臭いことなんぞしなくても、占祭や薬草の知識だけでも暮らしていけるだろう。

 俺は生きる為にあんたを利用しようとしてる。弓で確実に敵を無力化して、安全な策を取ろうとしてる。

 ミコ、あんたが俺に付き合って人を殺める事もない。」


 だから、どうする?

 その訊き方は卑怯だ。このままでは誰かが死ぬかもしれない。時間が経てば宿屋の主人が死ぬかもしれない。


「もし私が協力しなければ、どうするんですか?」


 深湖はぐっと身体を硬くしながら尋ねる。


「宿屋のおっちゃん死なす訳にもいかんしな。多少は怪我もするだろうがドアは開けられるだろ、強行突破したところで向こうさんのとこに着く前に逃げられるだろうが」


 ルプスは新たな傷を負うまでもなく脚とわき腹を負傷している。かなりの出血量だった筈だ、だから死に脚を踏み入れた。どれ位の時間が経ったのかは分からないが、1日やそこらでこれだけ動き回っていい筈がない。

 無理は出来ない。

 あの時森で、深湖は助けたいと思った。心から。

 十分に動けてはいないだろうし、新たな傷を負う場所によっては助かった命の炎が、また揺らいでしまうかもしれない。


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