第6話 いやいや死にますって 1

「チッ」


 ルプスの舌打ちが聞こえて、直ぐにミコを解放すると窓の脇に立って僅かに外を覗くが、その瞬間鋭い物が音速で部屋に飛び込んでくる。


「おっと」


 ルプスが顔を引っ込めると、窓に対面している部屋の扉でまたビィインッと音がする。ミコがそちらを見ると、其処には深々と矢が刺さっていた。

 いや、死ぬよ?!当たったら死ぬ!!

 呆然と矢を眺めていると、上から声が降ってくる。


「ミコ、気付いてたろ。俺が襲われてる時も、見てたな。」


 ギクリとする。あれは深湖にもよく分からないのだから。説明を求められたら、何と答えていいのか分からない。


「え、ええと……」


「危ねぇから伏せてな。今の見てたら、殺意や気配には敏感だが戦いは素人だろ。

 他にも、弓の腕は確かだがスキだらけすぎる。」


 光の線の視界について言及されるかと思ったが、ルプスは深湖の危なっかしさを指摘した。

 ルプスの言うことはそのままかそれ以上に当たっている。何なら本来は弓も扱えないし、気配なんて人並みかそれ以下にしかわからない上に、殺意なんてものに晒されたことがないのだから鈍感か敏感かさえも判断がつかない為に、深湖は素早く頷いた。


「ミコ、見えるんだな?」


 何がとは聞かずとも分かる。深湖は頷いた。


「窓から見て正面右寄りにある、レンガの壁の、屋根のない建物の屋上に……。

 塀?みたいな低い壁の陰に隠れてます」


 大胆にもルプスはひょいっと窓の外を見て、すぐに引っ込めた。


 ビィインッ


「……こわ」


 そして案の定矢が扉に刺さった。


「あっちのが高さがあるな。這っても部屋から出るのは無理そうだ。角度的に部屋の向こう半分は丸見えか。」


 窓側の部屋半分より向こう、扉に近付けばいい的になるらしい。という事は部屋からは出られないという事だ。


「部屋から出られないってことですか?」


「それだけならいいが…

 宿の勘定分を過ぎて俺たちが部屋から出ないとなると宿の店主は部屋まで様子を見に来るだろう。俺たちは当然止めるだろうが、代金を払わない客が部屋に引きこもってるようにしか感じない店主は……」


「無理にでも、入ってくる……んですか」


 いやいやそれは考え過ぎでしょう。と思う反面、その考えを牽制するように視界に入る、扉に深々と突き刺さった矢。

 現実だとは思えない事が起こっているのに、無理やりにでも事実は現実だと突き付けてくる。


「この宿は気に入ってんだ。使い勝手がいいからな」


 そう言ってルプスは窓の側から壁伝いに移動して、矢が飛んで来ないラインのギリギリから手を伸ばした。

 その手の先には鏡。


「あぶっ」


 深湖が思わず声を出した瞬間、ルプスは受け身で転がる。

 姿見にはローラーが付いていて、ルプスが転がった瞬間に相手の死角になっている窓から部屋半分の範囲にコロコロと転がって来た。それを咄嗟に深湖は引き寄せてしまった。


「よしっ」


 短い声が聞こえて、深湖が目をパッと向けるとルプスの目はよくやったとでも言うように笑っていた。


「はやく!」


 深湖が短く叫ぶと同時、膝をついてしゃがんだ体勢だったルプスは何とも身軽に身体を安全範囲まで滑らせて、一瞬の内に深湖と姿見の隣、深湖達のいる窓の逆側に背を凭れてニッと不遜な笑みを浮かべた。


「ええと……この鏡を、どうするつもりで???」


 深湖に分かったのは危険を冒してルプスがわざわざ姿見を窓側に持ってきたことだけだ。

 そして一つの疑問が浮かぶ。


「あの、さっきみたいに避けながら扉を破ったりすれば……」


 部屋からも出られるし、宿の店主が傷を負うこともないだろう。


「簡単に言ってくれるなあ」


 ルプスは笑いながら零す。


「死角から出て移動する距離が長すぎるし、俺がこの宿を使い勝手がいいって言ってんのにまずひとつ、扉が頑丈で外からは簡単に破れないってのがある。」


 つまり鏡は近いからできたことで、頑丈な扉を破ったり穏やかに開けたりする時間はないと。


「多分な、今撃って来てんのはアンタと俺が出会う切っ掛けを作ってくれた親切なクソ野郎だよ。

 何十人って人垣を縫って、普通の弓衆の範囲を超えた所から撃ち抜いてきた。本当なら俺の胴を狙ってたんだろうが咄嗟に俺もズラして脚に穴が開いた。が、想定内だろうな毒を仕込んでやがった。」


 忌々しそうな顔でもしそうなものだが、ルプスは笑いながらまだ傷の塞がっていないはずの脚をパンと叩いた。

 そして壁を通り越したその先、深湖のように見透す力など無いはずのルプスは、正確に射手の位置を見据えた。


「致死毒だ、他の奴に当たれば死ぬ。それを群衆に向かって放つのは標的に確実に当てる自信があるか、味方の生死よりも標的を仕留めることを優先した場合だけだ。

 もし俺の脚の風通しを良くしてくれた奴なら、扉を開ける前に俺の身体は蜂の巣……は、言い過ぎだが2発くらいの連射はお手のもんだな」


「……よく、わかりました」


 深湖は冷や汗を垂らしながら引き攣って笑う。


「まあまあ、そんな顔すんなって。

 そんな中を掻い潜って俺がアンタに渡したコイツが役に立つんだよ」


 そう言ってルプスは深湖の手元にある姿見を指差した。


「鏡ですか?」


「そう。まあ戦場でたまに使う手でな。

 相手の位置が正確に把握できてることとタイミングが肝だが、深湖のお陰で位置も分かる。」


 鏡で出来ることなどたかが知れている。鳥を追い払うのにCDのディスクなどを使うように、反射板としての役割位しか深湖には思い付くことはなかった。


「目眩しくらいしか思い付かないんですが……」


 深湖が顔を顰めながらそう零すとルプスは意外だという表情を浮かべた。


「へえー、エルフの世界じゃあよく使う手なのか」


 言えない。野鳥を追い払う時のあの穏やかな田園シーンを思い浮かべたなどと。

 そしてエルフの世界など深湖はカケラも知りはしないし、いつまでルプスの疑問に運が答えてくれるか分からない。

 かと言って別の世界から来たなどと言っても、信じて貰えるかどうかも分からないし、何より深湖はそれを伝える必要性を、感じない。

 夢の声が頭に蘇る。

 ――ここも、君の世界さ

 私の、世界……

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