第4話 セクハラですよ
――彼はどうだい?
何の話?
――この世界はどうだい?
一体何の話をしてるの?
――君の存在を違う世界に捻じ込んだんだ。本来君は、どちらの世界に生まれてもおかしく無い存在だったんだよ。
どういう事??
――きっと、その内わかるよ。本来生まれたなら培われてきた筈の能力は備わってる。魂に刻まれているからね。
そろそろ目を覚まさなきゃ。彼が帰ってきたよ。
ここも、君の世界さ
彼って誰だよ、という疑問が頭に浮かんだ時には、もう既に目蓋は開いていて、天井を見ながらの疑問投球となってしまった。
「ふぅ……」
あまり寝起きはいい方ではないのだが、何故か今回は妙にスッキリとしている。身体も軽い。
上体を起こして腕を軽く振ろうとして、重力に負けた布団がはらりとずれる。そして現れた肌に驚いて、慌てて布を引き上げた。
「え〜…
何で裸……」
どうやら辛うじてパンツは履いているようだが、何故自分が裸で、そしてここが何処でどういう状況なのかを改めて考える。身に着けているパンツが、スーツの時のものとは違う紐パンに変わっていることは意地でも考えまい。
自分が知らない世界に来た事、そこで死にかけの男に出会い、男に抱き付いたまま気を失ったことまでを思い出して、男がどうなったのか気になって仕方がなくなってしまった。
周りを見渡して、建物の一室であることが分かる。簡素な木机にセットの木の椅子、扉も壁も床も、どうやら建物自体が木造のようである。姿見とベッドのマットレスだけが木ではない素材であるようだ。簡素な割に部屋は広く、12畳程はありそうだった。寝ているベットは窓際で、ベッドから降りる事なく窓の外が見る事ができる。
窓の外を覗き込んで、その高さから3階くらいに位置する事がわかったところで、この世界にきて何度目かの驚愕に見舞われた。
「何あれ、ば、ば…しゃ??」
馬車の筈だ。現代では先ず見る事がないが、洋画などでよく目にする馬車の筈なのだ。車輪の付いた箱に御者と客が乗り、それを馬が引いていく。だが、馬車は馬が引く車であるから馬車なのだ。その馬の筈のものが鹿で、しかも大きい。
もの○け姫か!
と、好きなアニメ映画のタイトルと、作中に出てくる鹿なのにサル顔のキャラクターを思い出しながら突っ込みを入れ、窓枠に突っ伏する。
いや別に私が知らないだけで世界のどっかには鹿が馬車引いてたりするかもしんないよね、でも、でもさ……
見た景色で衝撃的なものが多過ぎて、一つ一つを深く考える余裕がない。
中世の田舎町のような建物は殆どが木で出来ており、ファンタジーでよく見るように店の看板が木で扉の前にぶら下がっている。市場のように大通りの両端には露店が並び、食べ物であったり日用品であったり様々なものを売っている。大通りの道路は土が剥き出しで、行き交う荷車や鹿の引く馬車の車輪が轍をくっきりと残して凸凹を作り、行き交う人は皆、日本では見ない身なりをしている。
何処か民族服を思わせるような装いで、皮のベルトにシャツであったり、女性は皆ワンピースであったりエプロンをつけていたり、ファンタジーである。もう、目に映るもの全てがファンタジーで、突っ伏した窓枠から中々頭を上げる事が出来ずに暫くグルグルと考えていた。
だが廊下から聞こえた足音にハッと我に帰る。咄嗟にベッド下の脇に立て掛けてあった弓を見るや手にとって警戒する。
近付いてくる足音はまだ遠い。今やっと階段に足をかけたところだ。ここは3階で、まだ余裕がある。
この建物に居る人間は何人か居るが、その足音だけが妙に気になった。その足音の人物が自分を目指しているとはっきり分かるからだと悟る。
あちらが意識するのを感じると同時に、その人物が誰かを悟り、少し警戒を解いた。あちらもこちらを窺っていたが、部屋の扉の前に至る時には、何方も完全に警戒を解いていた。
弓を元の場所に立て掛けた瞬間、ノックもなく扉が開く。が、自分が殆ど裸である事実を思い出して反射的に胸元を両手で覆った。
「……」
「……」
この部屋の尋ね人と目が合う。金の瞳に見据えられるが、羞恥と居たたまれなさで沈黙が落ちる。
急いでベッドの端に寄ってしまっていた掛け布へ片手を伸ばすが、何時の間にか距離を詰めていた男に手を掴まれてしまう。
やめろー!!!!セクハラだろ!!!!
内心毒づきながら羞恥に紅潮し、居たたまれなさで涙が滲んだ情けない顔ではイマイチ迫力がないとわかりつつ、思い切り睨んだ。
「もうほんとに、俺の運は全部あんたに使ってる気がするよ」
凶暴な程の光を宿しながら、男はそっと手を開放してくれると、そのまま自分の目を覆ってため息を吐く。凶暴さを抑え込むように。
「ほら、服。俺の紙ペラみたいな理性が辛うじてある間に服を着てくれ……」
男の手から服を引っ手繰るように奪うと、ベッドから降りて片手で目を覆って動かない男の背後を回り、男がこちらを振り向かないか気にしながら姿見の前に立つ。
「……っ」
予想はしていた。見える肌の白さや、しなやかに引き締まった手足、元々小さくはなかったがそれよりも豊満な胸、鎖骨下辺りまである銀糸が自分の髪であること、髪から覗く耳の形が不自然に尖っていて、そんな自分を見返す鏡の中の瞳は見慣れたこげ茶ではない、ファンタジーな色をしていた。
明らかに見た事もないような人間が、姿見に写っている。いや、人間とも思えない様な色彩が、鏡の中で自分と同じ動きをする。
以前の自分とは違う。だが、何故だろう、今の姿も自分だと受け入れてしまえた。
夢の言葉が脳裏を過る。
――どちらの世界に生まれてもおかしくない。本来生まれたなら。
これが、今の自分なのだ。この世界にあるはずのない自分なのに、この世界に存在する自分はこういう姿なのだと受け入れてしまえた。
「早く服着ろって。知らねえぞ何時までも紳士の面じゃいらんねぇからな!」
その言葉でボーッと姿見に映る姿を見ていたが慌てて服を身に付けていく。
どのくらい寝ていたのか、一度服は洗濯され乾かされていた。あれだけ血が付いていたのにシミ抜きをしたのか、綺麗なものだ。
「あの……」
パンツを履いてブーツを履き、さあ上を着るぞという段階になってブラジャーなるものがない事に不安を覚えた。そもそもこの世界にブラジャーがあるのだろうか……
「なんだ」
まだ欲望を抑え込むように俯いて微動だにしない男の背中に声をかけるが、返ってきた声の低さにこれは刺激しない方が良いと感じて下着の事には触れない事にした。
欲望については触れない方が良いと思う!
「身体の調子はどうですか?」
慌てて逸らした話題だが、気になっていた事だった。取り敢えずシャツを羽織ってボタンを留める。白いシャツ越しに透けそうで何となく心許なく、何か代わりになりそうなものを求めて残り少ない衣類を探る。
「ああ、取り敢えず菌も入ってないし炎症も殆ど無い。綺麗なもんさ。
慣れっこだよこんくらいはな。」
皮製品だけになってる衣類の中から大きめのものを取り出してみると、どうやらコルセットのようだ。一度シャツを脱ぐのも面倒で、シャツの上からつける事にした。
「その割には顔色が悪かったですけど」
コルセットの付け方など知らないが、一度紐を解き切るのかと思い紐を抜き取る。作業をしながら男を見やる事もなく一言加える。
「厳しいねぇ。
傷はまぁいいんだがね、毒が塗られてたんだわ。解毒剤も飲んでないってのに治っちまった。
あんたがエルフなのは分かる。エルフってのが何が出来るのか、俺は詳しくは知らん。でもあんなのは聞いた事がない、俺は確かにあの時死んだ、と思うんだが」
胴にコルセットを充てて、紐を改めて通していく。
「助けたのは、私じゃありませんよ。」
やっと上まで穴を通し切って、ギュッと絞る。なんとか胸の半分までは隠せた。
結構窮屈だなあ…
「あ?」
思わずといったように振り返る男を見る事なく、腕に皮の腕輪を紐で縛って嵌める。
まだ着替え中ですこの野獣。
肘から手首迄を覆う長い腕輪は、鉄板が充ててあった。防具の役割も果たしてくれそうだ。口を使ってキュと絞り、もう片方の腕にも手を掛ける。
「じゃあ俺を助けたのは誰だ」
やはり利き手に装着するのは難しく手間取るが、男は先程の言葉が気になって仕方がないのだろう。金の瞳がじっと見据える。
視線に応えるように、やっと彼女は手を止める。
「貴方を死なせなかったのは、あの森です。」
視線を交わしながら男は真剣に話を聞いていたが、その台詞を聞いた瞬間不可解だと表情で語る。
そんな顔で見られても困るし…私だって不可解だよ……
「私は……ええと、エルフとしては未熟というか」
何と言えば良いのか分からず、取り敢えず自分にそんな人間の命を蘇生したりなんていう事はできないという事を伝えたい為にしどろもどろに言葉を重ねる。
「ですから、私に命を繋ぎ止めたりだとかそんな事はできません。貴方を助けたのは、森です。」
ますます不可解だという顔をして、男は疑問を重ねる。
「じゃああんたが居なくても、俺は助かったってことか?」
違うだろう?そう問うような瞳に言葉を詰まらせる。
「いえ、多分それは……」
言い淀むと、男はさっぱりした様な顔でベッドから降りて近付いてくる。
「ほらな、結局のところ、あんたがあの場に居なかったら俺は今ここでこうして立ってないんだろ。
貸してみろ」
目の前に立つ男は背が高いのだろう、随分と天井が近く感じる。自分の身長もおそらくいくらか伸びているのだろうと思った。まあ以前の自分と比較するにしても、ここに来たのが初めてなのだから比較のしようもないのだが。
じっと見下ろされていたかと思うと、中途半端に片腕に纏わり付いている腕輪の紐に手を伸ばした。
「ありがとうございます…
でも、私はただ目印になっただけで森の木や土が自分の命を少しずつ貴方に分けてくれんです。」
ルプスの燃えるような赤い命の輝き。燃え尽きると言うにはあまりにも荒ぶっていたあの光は、ルプスのもがきを表しているような気がした。
蝋燭の灯明も、芯を切られれば燃える依代を失くして消え絶えるしかない。その美しさを惜しむように、森は彼の死を拒絶した。
同時に、森がルプスを惜しみ助けた理由がミコには気になったが、自分でも整理の付いてない事を、疑問を明確にしてルプスに説明できる自信がなく黙っておいた。
「目印がなきゃ、行く先もわからない。
あんたがあの場に居なけりゃ、どっちにしろ俺は助からなかった。これが俺に分かることだ。」
キュッと紐が結ばれて、男の目線が手元から上へと移り、視線が絡まる。
「感謝する。」
じっと金の瞳が彼女の瞳を見つめる。
ニッと目を細めて男は笑った。
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