第3話 血生臭いんですが 2
………はい????
今しがた聞こえてきたファンタジーな単語は、自分に向けられていると察した彼女は、なおも首をかしげた。
若干眉間のシワが深くなり、首をかしげた事でギリギリと弦を深く引き絞ってしまう。
「ヒッ」
殺意だと取った男は、今度は剣を拾う事なく後退りし、踵を返して走っていった。
最後の1人、真ん中の男に瞳を移し、意志を問うように小さく首を傾げる。まだ闘いますか、逃げますか、と、どちらを聞くにしても妙な気がして言葉が出なかったのだ。
闘うなど、あまりにも現実離れしすぎているし、自分を見て逃げ出した男の2人のように怯えられても複雑だし、何よりもそんな力などない。
だが、男は両手を挙げてブンブンと首を振った。矢を番えたまま取り敢えず弓を下ろすと、慌てて最後の男も踵を返し走っていった。
やっと構えを解いて、此方をじっと見つめる金の瞳を見据える。
「俺ぁもう死んでんのか…?」
男は背後の大木に凭れて、最後の糸が切れたようにズルズルと崩れた。
慌てて駆け寄ると、その瞳はまだ開いていて、覗き込むように近づくと腕をガッと掴まれる。
「ひゃっ」
驚いて声を上げると、男は血塗れの顔でくつくつと笑った。
「最後に見た光景がこんだけ美人の顔なら惜しくねぇなぁ……
あんたエルフだろ?血でぼやけてんのが勿体ねえが、こんなにならねぇとあんたには会えなかったんだ。俺の女運も捨てたもんじゃねぇな…」
掠れた声に、不健全な音を立てる喉、血を吐きながら喋る内容は何故か本当に楽しそうな響きを孕んでいる気がした。
血が止まらない。腹部の傷は思いの外深い。足は穴が開いている。飛び具が当たったのだ。
医術の心得なんてない、わからない…っ
彼女が泣きそうに顔を歪ませると、男は引きつる筋肉を動かして顔に触れると、自分のの触れた彼女の白い頬を見て苦く笑う。
「ああ、血が付いちまったな……
見てたのはあんただろ?」
もっと早くに動けばよかった、そうすればもしかすると……
「折角駆け付けてくれたってのに悪いね、俺はどっちにしろ無理だったさ。
だからそんな顔すんな、あんたは来ただろ。最後に見る顔がむさ苦しい男の顔じゃないだけで果報者だよ」
ふっと笑って、赤黒い中、唯一光る金色が消えていく。目蓋がゆっくりと降りていく。人が目の前で死ぬなんて嫌だ。
嫌だ。
嫌だよ……
何にも出来ないの?
「銀の髪か……」
頬にあった手が、色の変わってしまった毛束をさわりと撫でる。血が付いて、色彩のほとんどない白髪のような毛に赤が混じる。
もう声が出ないのだ、口元で微かに音が鳴る。唇が僅かに動く。
――綺麗だ
その手から力が抜けて、目蓋がとうとう落ちそうな時、涙があふれた。
知らない人間でも、知らない世界でも、もう何だっていい。目の前で人が死ぬなんて、私に助けを求めたのに、死ぬなんて……
「い、嫌よっっ!」
しゃくり上げながらギュッと手を握る。頬を伝う涙に無力を感じる。
こんな知らない世界で、訳もわからないまま人を死なせてしまう。嫌だ、嫌だ!!
パタリと雫が落ちて、命の灯火が、消えた。
ザワザワザワ
「え……」
唐突に木々がざわめき始めた。ざわめきが大きくなり、風ではなく木そのものがざわめいている。
木々の、森の、悲鳴が聞こえた。
声にならない、胸の押し潰されそうな悲しみ。我が子を失う母の痛み。
そして、また糸が見えた。プツリと途切れた男の糸が、シュルシュルと修復していく。
「え……?」
弱々しい光が次第に、僅かながら繊維を紡いでいく。
騒めく木々が、木々を巡っている糸が、地面を這う糸が、男に集中していく。その一点は、強く握られた手だった。驚いて手を離すと、霧散する様に光が弱まってしまった。慌ててもう一度握り込むと、再び光が強くなる。
よく見ると手だけではなく、突き合わせて触れた膝にも光が集中している。
理屈なんて分かりはしない。ただ確かなことは、自分の触れた場所を目標として、木々の命が少しずつ男の命を辛うじて繋ぎとめようとしているということだけだ。
弓を握っていた手を離して男の負傷した足に触れ、ただひたすらに祈る。
お願いっお願いお願いお願い!
助けて……!
ギュッと男に抱きついて、触れる場所をできる限り多くする。
ひたすら祈り、どれくらいそうしていたのか、いつの間にか木々のざわめきが止んでいた。やはり駄目だったのだろうかと不安になり、男の状態を見ようと男に跨るような体勢になていた腰を浮かせた途端、強い力でストンと腰を下ろさせられてしまった。
「えっ」
腰の辺りには、血塗れの手が見える。強い力で腰を掴まれ、下ろされたのだ。
木々のざわめきが止んで慌てたが、木々は穏やかな様子だった。男の命をあれだけ守ろうとした木々が、穏やかでいる事、そして何より腰を掴んでいる手。
そして、力強い心臓の音。
「役得だな。まさか生涯で、エルフの胸に顔を埋められる日が来るとは思わなかったぜ」
先程のような飄々とした言葉に、頭を抱え込んでいた両手を男の肩に突いて上半身を勢い良く離す。
そこには金の瞳があった。
「それとも、生涯は終わってここはあの世か?」
何が起こったのか分からないという風に顔を僅か傾げながらも、男は笑う。
「俺はルプス、世話になった。
名前を聞きたい」
何処か横柄にも感じられる血塗れの男の膝に跨り、名前を要求されている。状況把握が困難すぎて目眩がするが、取り敢えず男が助かったらしい事で安堵した。
と、同時に、本日2度目の意識の暗転を感じた。力が抜けていき、男の声が聞こえるが男がちゃんと息をして喋っているという安堵は、意識の放棄の手助けにしかならない。男の腕の中で急速に遠ざかる意識を、引き止める事なく手離した。
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