第2話 血生臭いんですが 1


 何処かから聞こえる喧騒と、訳のわからない焦りの感情で意識が引き上げられた。


「……」


 まだ目蓋が開くには至って居ない意識が、遠くの音を拾う。金属がこすれ合う音、男の怒号に何人かの足音。鉄臭いような生臭いような、生理的に受け付けない臭いまでをも感じて、夢うつつの意識の中、それらの情報から情景がありありと浮かんだ。足音のリズムで位置や動きが、どんな風に縺れ合って、今何をしているのか。

 足音と金属の音で人数まで分かる。情報が自動的に映像化されているのか、それとも映像が断片的な情報として音や臭いとして齎されているのか、どちらかは分からないが自分の意識が見るそれは確実な事実として受け止める事ができた。何かが働きかけるのだ。それ、は、事実だと。

 一人の男が斬り伏せられる。全員で5人居る内、2つに別れて争っているらしい。3人と2人だが、一人減って3人に対して1人になった。足を引きずり脇腹を抱えている。ボタボタと落ちる血から、致命傷ではないがこのままだと死ぬ、と何処かで理解していた。

 ああ、このままだとあの1人の方が死ぬなぁ

 何時の間にか夢現つだった意識は、自我のある状態での鑑賞になっていて、彼らの側にたたずむ大木の樹上から見下ろしている感覚となっている。

 だがやはり自分ではないような感覚で、目の前に広がる全てが万能に把握できるとはっきりと分かった。対峙している1人の男は全身血塗れで、その夥しい量の血を見た瞬間、その男の率いる少数の隊と、多勢に無勢、隊を覆う何百人と言える程の人数の軍隊と対峙しているイメージが飛び込んで来た。男は小隊のリーダーで、大軍と闘いここまで来た。地を覆う程の大軍を、僅か20人程の人数で切り抜け、今が最後の闘いなのだとわかる。

 大軍も残り僅か3人、だが男の命はそよ風に吹かれても消えるような弱々しさで、僅かに灯っている。なのに不思議だ、生命力の衰えは感じられない。だがこのままだと確実に死ぬ。男が斬り伏せられ、3人の男達が敵対している男の死体を引きずって持ち帰るような未来が予測として浮かぶ。何故かそのイメージだけは事実であるという確信が持てなかったが、未来はあくまで予測しかできないものであるとストンと理解した。不思議な感覚だ。全ての見える物の過去がハッキリとわかり、不確定要素が入らない限りでの未来の予測が見える。身体を離れた意識の先、見える物から様々なものを辿ることができた。糸のように繋がるものがわかる。

 張り巡らされた糸の輝き、太さ、それは命そのものだ。大木を循環する糸は水の流れ、大地を脈動する糸は土の栄養、男達の身体の糸は赤く輝き今正に命のやり取りが行われているのがわかる。

 だがその糸が一番太く一際輝くのは、たった1人、大軍と死闘を繰り広げた生き残りの男だ。強い命の輝き。男の目に宿る強い意志。強靭な精神力は、たとえ男が死んでもその命がそこに留まり続けるような感覚さえ呼び起こした。

 その瞳の輝きを見た瞬間、ふっと自我が唐突に強くなり、「自分」が男の瞳を食い入るように見詰めていた。そして自我が強烈に感じられた瞬間、男と目が合う。怒りと興奮を綯い交ぜにした男の瞳が、強く煌めいた。


「誰だ!!!ずっとみてやがんのはっ

 趣味の悪ぃこったやめて力貸せこのくそが!!」


 目が合うはずのない自分と男の邂逅で、意識がパンッと白く弾けて肉体の感覚が戻る。

 ハッと跳び起きて無我夢中で駆け出した。彼らの居る場所も木々の地形も、今自分のいる場所が広大な森であることも先程理解した。意識を飛ばすような、そんな感覚だった。夢ではない。夢ではないのだ。今自分が森にいる事も、血が流れる命のやり取りが行われている事も、男が助けろと言っている事も。

 自分が、違う世界にいる事も。


「どうしてっ……」


 泣きそうな気持ちで呟きながら駆け抜ける。足元に突き出ている根も、眼前を遮る大木も、木々は全て自分の邪魔をする事なく、行きたい先へと手助けをしてくれるような気がした。確かに駆けているのは自分なのに。

 何故この世界に居るのか、彼女はそれだけが分からなかった。まるで千里眼のような先程の現象を通しても、何故自分がこうなったのか、何故あんな事が出来たのか、何故木々や自然が自分と親しく感じるのか、考える事が多過ぎて訳がわからない。ただ今駆け抜けているのは、自分が求められ、それに応えた先に何があるのかを知りたいという感情だけだ。

 そして眼前に、彼が現れた。肉体の死が近付いているにも関わらず、信じられないほどの強靭な精神を持つ、あの瞳。金に輝く、王者の輝き。

 対角線上に、目が合う。3人の男の背を視界に捉えると、胴を斜めに横断する紐の支える、背中の筒に手を回し、筒の中から必要な物を取り出した。紙コップを持っていたはずの左手で存在感を放つ弓の弦を、筒から取り出した物を番えて引き絞る。アーチェリーも弓道もやった事などないのに、身体が動く。自然な動作で、半分は自分の意志の外で、身体に染み付いた無意識のうちの仕種で、肩までギュッと絞った弦を、右手の指がパッと離す。

 音もしない丈夫な弦がしなり、ビュッと顔の間近で風が起こる。ふわりと髪が揺れた。髪とも思えない色彩の、最早絹のようなそれが再び肩に落ちる前に、筒から取り出した物は3人の内の1人の剣を弾いていた。ギィンッという鋭い音を立てて、驚愕の空気が流れる前に、背中から再び武器を取り出す。そう、武器なのだ。矢なのだ。矢を番え、弦を引き絞り、風よりも速く射る。

 2人目の剣が弾かれ、もう一本矢を番えた時、やっと3人の男が自分たちの背後を振り返った。照準を合わせて、3人の内の1人の額を狙った状態で相手方の出方を見る。


「……何故、こんな場所に」


 1人が呆然とそう呟いて、最後の1人がガシャンと剣を地面に落とす。信じられない物を見た様な、そもそも自分たちが見ている物が現実なのか、それさえも確信できない様な放心ぶりだった。

 ギリギリと絞られる弦と、的となった男の1人は戦意を喪失してブンブンと顔を左右に振る。


「わ、分かった。森からは去る!!だから見逃してくれ!!」


 そして左端の男が動いた。叫びながら踵を返し、それを見た右端の男もジリジリと下がるが、金の目の男に止めでも刺そうと言うのか、剣を拾おうとする。すかさず剣を弾いて、更に矢を番えた。

 男は息を飲んで両手を挙げ、震える声で口を開いた。


「何故、エルフが……この男を庇う!」

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