第一章『駒鳥の章』
1話
秒針は確かに、時を刻んでいく。
薄暗い密室の中、机にうつむいていた
向かい合う相手の言葉を、わずかでも聞き漏らすわけにはいかない。
与えられた手元の資料から、真実を見つけ出さねばならない。
喉が、ひどく渇いていた。
「……問十。その資料に記された犯人Aの、犯行動機と行動分類を読み解きたまえ、
正面の男がそう問う。
白衣をまとった壮年の男性の声は、低く、骨に響くようなバリトンだった。
眼鏡の奥から、男の射抜くような視線が俊を突き刺す。
もう白髪が混じり始めているような歳だというのに、その視線の強さに思わずたじろいでしまった。
おびえる自分を奮い立たせるように、俊は大きく息を吐く。
――さあ、集中しろ。これが最後の設問だ。
油断して間違えるわけにはいかない。
俊はもう一度、手元の資料に目を通す。
そこには、ある殺人鬼の生い立ちから犯行に至るまでの一部始終が記されていた。
犯人Aと記されてはいるが、この行動パターンは記憶がある。
おそらく戦前に行われた、大量虐殺事件がモデルになっているのだろう。
だが、記憶違いでなければ、細かい部分が事実と異なっている。錫女が意図的に変更したのだろう。
今回の設問は『この資料から』読み解かねばならない。
つまり、テキストに書いてあること以外の情報は参考にしてはならないということだ。
錫女の静かな意地の悪さを感じながらも、俊は考えをまとめて、教授に向き直った。
「……Aは持病により、以前から村人に迫害され、強い怨恨を抱いていました。犯行当時も、最も恨みの強い祖母から殺害したり、あるいは『悪口を言わなかった』という理由で見逃したりと、冷静に被害者を選別しているふしがあります。秀才、家庭環境に問題ありと、快楽殺人鬼の傾向と重複する部分は多いですが、彼の場合は殺人に性的を快楽を得ていた様子がない。――よって、怨恨による復讐殺人。秩序型のスプリー・キラー(大量殺人犯)に分類するのが適切でしょう」
一通り話し終えると、俊はおそるおそる相手の表情を伺う。
眼鏡越しに値踏みする教授の視線が、俊をなめ回している。
居心地の悪さを感じながらの沈黙を超え、教授――
「はい、全問正解。さすが我がゼミの期待の星だね、コマくん」
指でOKのサインを出す錫女に、俊はようやく全身の力を抜いた。
「助かったあ……」
錫女ゼミ恒例の小テストは、今回もなんとか無事突破できたようだ。
設問自体は真面目に勉強していればさほど難しくないが、一問でも落とせば再試という鬼のような設定だけに気は抜けないのだ。
俊は机に突っ伏しながら、上目遣いに教授を見る。
「――あの、教授。やっぱり次回からこのやり方、やめません? ただの小テストだとわかっていても、教授とマンツーマンで試されるのって、その、心臓に悪いんですよ」
「そうかい? カンニング防止には最適なんだけどねえ。でも他ならぬコマくんの頼みだ。検討してみるよ」
そう頷きながら、錫女の表情に迷う様子はない。
間違いなく次回もこの形式なのだろう。俊は自分の説得が失敗したことを悟って、ため息をついた。
一方、錫女は微笑している。
「ふふ、お疲れ様。次は――
「はい。それは良いんですが……」
「うん?」
教授は首を傾げた。
俊は苦笑する。
「そのコマくん、ってやめていただけませんか。オレももう、子どもじゃないですから」
「私にとって、学生は子どもみたいなものだよ。それにコマくんはまだ未成年だろう?」
「それはそうですが……」
今月の誕生日で成人だ、と言おうとして、俊は諦めた。これ以上食い下がる方が、大人気ないだろう。
「わかりました。コマくんでいいです」
「ふふ。悪いね、この歳になると、今までのやり方を変えるのも一苦労なんだよ」
「この歳って……まだ五十代でしょう。充分お若いですよ」
「そう言ってくれるのはコマくんだけだよ。さて」
雑談はこれで終わりと言わんばかりに、錫女が手元の珈琲をすする。
自分のテストはこれで終わりだが、教授はこの後も他の学生が待っているのだ。俊は大人しく席を立つと一礼する。
「では、園田さんを呼んできますね。失礼します」
「うん、よろしくね」
錫女は笑顔で手を振る。年の割に、愛嬌のある仕草だ。
昼休みは女子学生がよく遊びに来るようだし、こういう何気ない愛想が人気の理由の一つなのだろう。
それでも未だに独身なのは、彼の研究テーマにいっさい関係がないとは思えない。
錫女永世、犯罪心理学教授。
彼の研究テーマは『人を殺人鬼に変える方法』だった。
駒鳥《クックロビン》は語らない 福北太郎 @hitodeislove
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