Side〝S〟-3 八月七日の夜・後篇


 #

「ここまでやるか……どいつもこいつも」

 ノートPCに映る少女の書いた文を読み終え、鎌田管理官は呟く。

 傍にいた署長は黙っていた。


「おい」

 声とともに鎌田管理官は、署長に目をやった。

 そしてノートPCを指さし、いう。

「解読してみろ」

 署長が覗き込むと、鎌田管理官はパスワード入力画面に文字を入力して行く。


 FIRST IS WHO?


「どういう意味でしょう?」

 そう署長が尋ねると鎌田管理官は吐き捨てるようにいう。

「古い音楽のタイトルであり、古いアメリカンジョークでもある。そして今回の件を紐解くヒントだ」

「これが、ですか」

「貴様の仕事は」と鎌田は署長の襟首を掴み、睨み、言葉をぶつける。

「部下や地域の管理だろう! ここまでの事態になって、まだ平然と!」

「い、一体、何のことでしょう? 不手際でも?」

 質問に質問を被せたが、署長は震えていた。鎌田管理官は手を離し、拳を振り上げる。

 署長は口を縛って、目を合わせたまま立っている。


「本当にわからんか……そうだろうな」

 鎌田管理官は振り上げた拳を下げ、ノートPCに向かう。

「犯人も事件も異常。捜査は難航。なら得をするのは誰だ? 犯人だけか?」


 そういいながらSide〝S〟の文面を開く。

「いい機会だ。レクチャーを受けろ。この〝少女〟に、本当の、異常とは何か……」

 鎌田管理官はSide‶S〟の文面を読み上げた。

 


 #

『まずこのサイトの説明から。ここはウイザード級ハッカーの巣窟で、個人情報を抜き、逐一、晒している。運営元や管理人を摘発するのは不可能だ』


『管理人は複数の警察関係者で、その一人は津木悟。つまり警視庁公安八課の掌ということ。だが管理人のなかには刑事もいる。もちろんごく一部で、上層部……すべて公開されているから確認すればわかる』


『これが警察なりの筋。派閥争いの落としどころ。ボクだって巻き込まれてうんざりしている。たとえ文句を言っても、情報共有だといなされるだけだ』


『だが、いささかやりすぎた。ボクの統合人格は怒り狂っている』


『ちなみにボクは髪型で人格が変わる。記憶も……このサイトを知っているのは髪をポニーテールにしたボクと、統合人格だけ。他の人格はここを知らないし、知っていても入れないように金銭や所持品を制限したり、家出したりする』


『当面の問題、真幌女子高校教師殺害事件だが、そんなものは発生していない。ただし』


『真幌女子高校で殺人事件は近い未来、発生する』


『そしてその犯人と、近々、接触する。別のSideを回って調べてくれ』


『女子高校教師殺害事件についてだが、正常な人には理解できないだろう』


『メモの続き……八月七日の夜。人格がボクに戻ったのは、公園だった。メモを書き終えた後だった』


『人格交代後、ボクはメモに目を通し、経緯を知った。それまでボクにはほとんど記憶が無かった……真幌に来た理由もだ。メモに目を通し考えながらゆっくりと喋った。

「ニコラ・テスラって知ってるかい」

 若者の視線がボクに向いた。

「ニコラ・テスラ。十九世紀後期の科学者だ。交流システムの父と呼ばれノーベル賞候補にも挙がっていたが、奇人変人という声が多く、同じくらい奇天烈なエジソンといがみ合っていた」

 公園から見える電波塔を指さし、ボクは続けた。

「テスラは地球全体を共振させ、定常波を発生させることにより、地球上のどこでもエネルギーを取り出すという構想を持っていた。そして、1901年にロングアイランドのショアハムに巨大な無線送信搭の建設を始めた。完成したものの融資者と決別し、資金不足のために研究は中断。さらに第一次世界大戦が勃発し、取り壊されてしまった……ウォーデンクリフタワーの略歴だが、それまでに発明したもの……発電機、無線トランスミッター、点火プラグのほうが有名かな。テスラコイルとか」

 携帯電話を取り出し若者に返したけれど、受け取る素振りが無かったので、缶ジュースの上に置いた。

「彼は、アイディアは宇宙人と交信して得たとか世迷言を残している。真偽はどうあれ、ボクにしてみれば全世界の宗教家、信仰者とどっこいどっこいの発言だ。テスラだって自覚していたのではないかな。どうやって他人の興味をひこうかと……キミも少しはそう考えているだろう」

 若者はメガネを掛け直した。目頭が赤くなっていたが、涙は止まっていた。ボクはブランコから降り、指で土をなぞり真幌市の形を描いた。

「犬の頭の猫は東区、猫の頭の犬は中央区……確たる情報はこれだけ。わかるのは、犯人は市内に潜伏しているぐらいか」

 同じくブランコを降り、若者は地面に正座した。

「高校生以上だろうね。犬猫でも、死体運搬は難しい。ビニール袋ぐらいでは破けるし、縫合部分、肛門、鼻、耳から髄液が流れたり、目玉が飛び出したり。キャリーバッグに入れ運ぶものなら、ぐちゃぐちゃになる。複数犯なら多くて二、三人だな」

「お、親の車で運んだり、殺したんだ。真幌に野良犬とか、いない」

「遺棄ついでの観光か……臓器が無かったはず」

 ボクは携帯電話を操作したが、何故か電源が着かなかった。

「ごっそり摘出して……ボクなら東区の鉱山近くに運ぶね。発見が遅れるし、関与せずとも大自然が消してくれる。あんなのに耐えられる人間なんてごく一部だ。見つかれば即、通報される。いくら動物でもね」

「繁華街は、怖い人が多い。でも、こ、高校生も遊びに行く。ぼ、僕だって行けた。僕の学校は、農業と調理の学校だ。う、牛の解体も特別授業である。ぼ、僕は怖いから、野菜を育ててる、けど、面白がってやるやつも、たくさんいる。そ、その先生は猟師で口癖は」

「人体構造図があれば人間だって解体できる、かい?」

 若者が、どうしてわかったのか尋ねた。

 ボクは地面をなぞって〝"BFF〟と縦に文字を描いた。

「ボクも猟師の見習いをしていた。さばく手伝いだけど……動物の骨と骨は、主に筋で繋がっている。肉の柔らかい部分から刃物を入れ、関節に向かって切っていく。人間ならば人体構造図でも見て、硬い筋や骨に当たらないよう走らせ、関節を繋ぐ筋を切る。後はゆっくり周りの筋肉を削げば外せる……ボクが最初にやらされたのは、鶏を三羽、バラバラにすること。もちろん絞めた後のね。師匠は〝実際の鳥獣には皮や内臓、血があるが硬さは同じだ、誰でも三羽でコツをつかめる〟ってね。

 翌日、猪の解体を一人でやらせられたが、六時間でできた」

 喋りながらボクは先に書いた〝BFF〟の真ん中の〝F〟を指で消して〝B〟の右にアルファベットを書き足した』


『〝Best〟〝Forever〟〝Friend〟と』


『そしてボクは「人間も同じ。バラバラにするだけなら小学生でもできる」と言った。

「そ、そんなこと、人間が相手なら、できない」

 この若者の返事を聞いて、ボクは夜空を見上げた……黒一色とはいえないまでも東京より淡い夜空だった』


『そして言った「初めての地でプロファイルは不可能。助手が優秀で情報が豊富ならばメンタルぐらい探れるが、それも無理だ」と。

「あ、あれだけ頑張った、のに」

 若者はそう言った。

 ボクは頭を掻いて、足で地面をこすり「ボクたちは何を頑張ったというのだ。もうキミとはやっていられないね」と別れを告げた。が、若者は呼び止めた。

「あ、新しい、し、死体があれば、いいのか。と、鳥とか。さ、探してくる、けど」

「過信するな。プロファイリングなんて統計学から出す、ただの私見だ」と、ボクは自分のこめかみを指さし「特にボクのここはおかしい。もう係わらないほうがいい。あいつもそう言っている」

「あ、あいつって」

「右前髪を垂らしたもう一人のボクさ。あいつが脳で訴えているよ。キミは思春期によくみる幻想を追いかけているだけ。リアルとは様々な苦しみと戦い、もがき、足掻いて、ゴミ屑のようになった心身で、ようやく手にしたものを愛でる世界なのに……これはボクも同感だ」

 若者は、息を荒げ、メガネが曇っていくものの声を出さずにボクを見つめていた。

「犬猫の死体なんて十人に聞けば十ヶ所挙がっただろうに。キミは妄想と、口車に乗せられて発見してしまった。それは良い。だがすぐ警察に通報するべきだった」

 じじっ、と街灯に焼かれた蛾が、ボクの頭に落ちて来た。それを払って、ボクは若者に背を向けた。

 カーゴパンツのポケットから丸まったハンカチを取り、後ろに投げた。地面に落ちる音を聴いてから、公園を後にした』


『若者とはそれっきりだ。この後、彼は暴行を受け、保護されたと聞いた……これが彼、神田勇気との再会だった。喫茶店へ戻る道中、他の人格の記憶から引っ張り出した』


『メモによると、ボクが真幌に来た理由は、彼と彼の家族に会うためだったとある』


『神田勇気、神田柴胡、ボク。全員が犯罪者で異常者、親は権力者』


『この三名が揃った地で、犬猫が酷く殺された』


『監視、利用する津木悟ら公安八課の登場』


『偶然にしては出来過ぎている』


『公安の思惑は、たとえば特免法の撤廃運動。ボクらの誰かが犯罪を起こし、確保する。手土産に日弁連、政治家、現内閣反対派を粛清……というのが妥当だろう』


『警察の出番など無い。事件はまだ起こっていない』


『これがまかり通る現状こそ、異常ではないのか?』


『説明はここまでだ』


『最後に一つ』


『FIRST IS WHO?』


『これを考えてみてほしい。ボクのやろうとすることと、ボクの考えが、わかるといいが』



            八月八日午前八時三十五分五十秒

                            投稿者・津木コウ


 #

 読み上げた鎌田管理官はため息をつき、署長に目をやる。彼はハンカチで額を拭きながらいう。

「でたらめでは?」

「私の記憶に間違いが無ければ」と鎌田管理官はテーブルに両肘をついて、手を合わせる。

「日本の事件で、こいつの他に、解離性同一性障害と認められたのは三件。法的に罰せられた事例は無い。無罪判決となったのが二件。どちらも成人でありながら医師の診断に、裁判官、被害者を含む全員が納得した上での無罪放免だった。残りの一件は未成年。まだ多重人格と呼ばれていた昭和時代の窃盗事件で、こちらは立件せず病院へ……現在、人格がどうこうなどで減刑や無罪を主張しようものなら、敗北必至、心中まで覚悟した、一世一代の大勝負……そんな弁護士が、そうそういてたまるか。別の理由を持ち出し、わかりやすく釈明、弁明して刑を科す……無論、人格がどうこうと係争中の件もある。だが必ず二転三転、病名を変える。病名で減刑や無罪などできん」

 合わせた両手に顎を乗せて、鎌田管理官は呟く。

「それでも例外はある。例外中の例外。こいつの存在はイレギュラーだ。特免法が施行されるほどの」

「しかし彼女は、タブセ・レイコでは」と署長が口を挟むと、鎌田管理官は睨みつけた。


「解離性同一性障害の特徴ぐらい、知っておけ。職務怠慢もいい加減にしろ」

 そして鎌田管理官はサイトの個人プロフィールを開けて、署長に読ませる。己の口からも補足しながら、表示される少女の写真を眺めた。

「こいつはタブセ・レイコで間違いない。だが他にも名前がある。クルギ・カルト、ルシータ・ヴィシャス。三つの人格に三つの名前がある。そして本体は津木コウ」


 サイトのプロフィール写真は、少女がハンドマイクを握っているもので、傍らに鎌田管理官も映り込んでいた。


「しかし、そのお名前は」と署長は口ごもった。


「私の旧姓だ。親が離婚し、母方の姓になる前の」と鎌田管理官はいう。

「こいつの戸籍は、特免法を施行する際、プライバシー保護のため、また社会復帰の弊害になると、一部改ざんされた。元々の本名はもう、関係者の頭にしか残っていない。ファースト・イズ・フー……まさに最初は誰だ、か」


 大きく息を吐き、鎌田管理官は会議室の宙を見る。

 そして一回、鼻で笑った。

「自信たっぷりなはずだ。こいつも被害者で、まだまだガキ。無謀な行動から荒唐無稽な説を立てるや、それが仕事だ義務だ、公で発言しろと強制され……ネットで暴露したい気持ちはわかる。ただ、真意は理解できんし、狂った輩が誤解、利用する可能性もある。ファースト・イズ・フー……最初は誰か、一塁手は誰か、と考えればドツボにはまり、やがて今回の件にたどり着く」

「あの、管理官。一体」

 署長を無視して鎌田管理官は独り言ちるようにいう。


「私の記憶が、いや、私が狂ってなければ……最初は誘拐事件だった。その関係者は確か……」

 鎌田管理官はノートPCの画面に目をやった。

 液晶画面に少女の顔が拡大されている。

「確保したのは阿久津カオリ、被害者は神田勇気だった……疑って当然だ。出来過ぎている。真幌女子高教師殺人事件、その被害者とされたカラサワ・ユウキ……疑って当然だ。どれだけ高校側が口をそろえても、公安が事件や遺族をでっち上げようとも、別のSide……〝F〟でカラサワ・ユウキの知り合いが暴露してやがる。

 そもそも被害者では無く、加害者候補だった。前提が間違っていた。ファースト・イズ・フー……最初の被害者は誰なのか、真剣に考えるべきだった」

 

 ノートPCを操作して、鎌田管理官は別の項目を探して行く。

 流れる文字列を眺めながら、やがて一つのSideを選択し、開いた。

 そしてまた、呟く。

「真幌。この四角い街はさながらグラウンド……カラサワは一塁で、打者を待っている。ピッチャーからの牽制球や内野ゴロに対応するため、グローブを手に」

「あの、理解ができないのですが……管理官、事件をでっち上げるなんて、得なんてありません」

「ああ。無かった。ここに情報が上がるまではな」


 署長の質問にすぐ鎌田管理官は返す。


「単純で幼稚すぎて私自身、まだ整理がつかん。ただ、野球だと思えば多少は楽だ。一塁手はカラサワ・ユウキ。打者が新井だと考えてみろ」

「野球、ですか……」

「現在、カラサワが守備だ。アウトを取れば……つまりカラサワが新井を殺してしまうと、今度はカラサワの攻撃が始まる。得をするのはカラサワと、チームメイトたち。損するのは新井を失ったチーム。どちらも人を殺して盛り上がるような連中だ。心当たりぐらいあるだろう」

「……まさか、暴力団の抗争ですか? あの少女はそれを先読みしていたと?」

「そこまで真幌の事情を知らないはず。公安の悪事を延々と晒しているだけだからな。だが、私が考える最悪のケースは双頭がここに乱入すること……あのガキ、知らずに愚痴ったのか、知恵を絞って誘導したのか。そもそも私の考えがどうなのか……ただ、ざっと閲覧しただけで材料はじゅうぶん揃っていた。真幌市警をユスり、封じるぐらい造作も無い」


 鎌田管理官は携帯電話を取り出し、番号を検索し始める。

 

 やがて耳に当てて、コール音を聴きながら、いった。

「このサイトをさかしく利用すれば、もっと大事おおごとになる……何が顧問だ。我慢してほおっておけば、ただの不祥事で済んだことを……もう身内でいざこざする余裕は無い」


 鎌田管理官の目がノートPCに向く。

 電話のコール音が人の声に変わり、鎌田管理官は静かに応答する。

 

「夜分に恐れ入ります。県警捜査一課の鎌田浩と申します……はい。その件での報告ですが、まことに申し訳ありません。電話では……はい、はい……いえ、こちらからお伺いします……恐縮ですが、本庁の阿久津カオリ警部補と、津木悟指導員にご同伴願いたく、課長から両名に……」


 その文面を見ながら彼は電話の相手と会話を始めた。


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