Side〝K〟-2 Real is Absurdity
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阿久津カオリはバッグから財布を取り出しながら、真崎に尋ねた。
「カラサワ・ユウキはたしか、被害者で」
そこで少女の声が被される。
「事件は起こってないんだから、死人も生きてて当然。オレの妄想よか、よっぽど確実だ。被害者にされた経緯を聞けば、全部わかるんじゃねーの?」
そして笑いながら少女は真崎に、サイコロかトランプが無いか、と尋ねる。
真崎が少女に頷くや、阿久津は財布を手に持ったままいう。
「近くのコンビニで降ろしてきます。さすがに手持ちが……あんたはここで山形さんと待機。いいね」
少女は、真崎から緑色の箱入りトランプを受け取るものの、返事をしなかった。
阿久津は山形に目をやり、彼が頷くのを見てから店を出て行った。
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少女は、トランプをシャッフルをする音が店内に響く。
バラララ、バラララと。
やがて少女は舌打ちし、シャッフルを止めた。
「入院中、娯楽は麻雀かトランプだった。けっ、ルーラーシャッフル、やれたはずなのに、できなくなってら」
「映画でもよくあるし、お客様から聞いたこともあるわよ」と真崎「精神科の病棟では、ゲームも治療の一環。麻雀やカードゲームは、指と頭、口も使うから脳がすごく活性化する。コミュニケーションもできるし面白い。一石三鳥だって」
「それ、医者の意見だろ。患者にしてみりゃ、まずルールを把握するまですげー苦しい。オレの場合は投薬で頭が回らなかったし、理解出来るやつが羨ましくて悔しくて、しょっちゅうパニック起こした。で、隔離部屋で監禁。なんであんなことでこんな目に、って自分が情けなくなって、死にたくなる。マジきつかったわ」
「経験者なんだ。でもレイコちゃんがパニックになったところなんて、想像できないわね」
「今のところ安定してるし、マスターに見せた日にゃ、何されるかわかんねーもん。それこそ貞操が危うい。まだ処女だもんね」
「あらら? おかしいわね。強姦されてどうのこうのって、レイコちゃんでしょ?」
「知らね。別人格じゃねーの? オレはまだ処女っすよ。てかレイコって誰さね?」
「都合良く病気を使っちゃって。今は良いけど、本当に苦しんでる人には失礼よ」
「ガチの多重人格なんて、いたら紹介してほしいね。それこそ本当に理解し合えるじゃん?」
少女と真崎は声を上げて笑った。
けけけ、と少女。
くすくす、と真崎。
二人を見ていた山形は席を立ち「トイレは表だったよな」と扉に向かった。
すると、
「マチダ」
真崎がそう声を掛けた。
山形は、視線を真崎に移す。
「あ、言い間違い。いやね、接客中なのに」
そして真崎は己の背後にある扉に向く。
「ここがトイレ。この店のこっち側のお客様には、このトイレを使ってもらうルール。もちろん、スタッフもね」
「怪しいから、我慢するよ」と山形は腰を降ろし、カウンターに肘を付いた。
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少女はトランプの山を真崎の前に置き、その中の一枚を取りながら呟いた。
「ハートの3」
そして山形に渡す。
受け取り、山形が確認する。トランプの絵柄はスペードのAだった。
「ハズレだな」
山形がいうと、少女は首を横に振った。
「ハートの3で間違いない。間違ってたら」
少女は山形の方を向き、シャツをまくって腹を見せた。
引き締まった腹筋とくびれのできた腰。少し下着が見えており、山形は目を伏せる。
少女はいう。
「あのトイレでさイッパツ……どう?」
「アホらしい。ガキが」
山形はトランプを少女に差し出し、再びカウンターに肘を付く。
真崎は黙って、彼の前、カウンターの内側を通って行く。山形がその背を見ていると少女が声を掛ける。
「マチダ」
その声に、山形の肩が震えた。山形が少女を見ると、少女はトランプを新たに一枚、彼に差し出して微笑む。
「言い間違い……もういっぺんやろうよ。今度はクラブのキング。外れてたら、口でも尻でもご自由に」
山形はトランプを受け取らず、携帯電話を取り出して時間を確認する。
携帯電話を仕舞い、カウンターに肘を付くと真崎が彼の前を通って行く。
「レイコちゃん、一応、喫茶店だから。止めなさい」
「いいじゃんか。最近、いろいろ溜まってんの……それに、当たってるんだから」
山形は少女を見る。
長い髪を掻き上げながら、少女は片目で山形を見る。
「当たってるんだから。オレの言う事に、間違いは無い。あったらヤバいだろ、オッサン」
返事をせず、山形は真崎を見やる。
真崎は肩をすくめて見せるだけだった。
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「新井あつみ」
この少女の言葉に、山形の肩が大きく震えた。
阿久津が出て行ってから、少女はコーラばかり注文していた。
三杯目のコーラを飲みながら、少女は続ける。
「四千ぐらいパターンがあったけど、これが、みょーに引っかかった」
そして少女は a、r、a、i、a、t、u、m、iと口に出す。
「これを並び替えるとだ、IAMRITA……アイアム・リタってなる。Uはターンしろとか並び替えとかの布石でもあるんだ。よくやったんだよね、昔」
「それで?」と真崎が問うと、少女は「それだけ」と返し、声を上げて笑った。
山形は、笑う少女を見ながら問う。
「新井はたしか、別件の容疑者だった」
「そう。だからテンパイなのさ。単純すぎのゴミ手だろ? 警察の不祥事を暴いて乗せても、数え役満すらならねぇ」
涙を拭きながら少女は「あーくだらねぇ」と呟く。
「リタ……ねぇ」と真崎も呟く。
「日本名じゃあ、無いわね。イギリスかしら。でも今は色んな名前があるから」
息を整えた少女は「酒に詳しいなら、わかるかもよ」と続けた。
「昔、ウイスキーの製造者、日本に帰化した女がそんな名前だった。オレもカンダのガキと繁華街歩いてて、NIKKAのロゴ見てやっと、知り合いにもいたなあと思い出したぐらいさ。そいつが……容疑者に挙がってやがる」とそこで大きく、少女は声を上げて笑い出す。
「馬鹿らしーっ! てかあいつ、偉そうにしてたのに捕まってやがる! しかも暴行って!」
足をバタバタさせ、両手で腹を押さえて笑う少女。
山形と真崎は首を傾げて見ていた。
「よくわからないけど……まあ、捕まってるなら、良しとしましょうか」
そういって真崎はしゃがんで、カウンターの下から包みを持ち上げて少女の前に置く。
茶色い紙袋だった。
真崎は「でも、せっかく用意したのよ」という。
「電話で津木ちゃんに頼まれたものよ。無駄になっちゃったわ」
「そうでもねーよ。ここからだし……でもさあ、何でリタはスルーする? やっぱ寒かった? でもリタはリタでも、オレの事件の主犯でっせ?」
「コウ。それ以上は部外者に」と山形がいう。
すると、少女と真崎は一切の動きと声を止めた。
「えっと……」少女が頭を掻きながらいう。
「オッサン、何でオレの名前、知ってんの?」
山形は少し間を置き、間違えた、とゆっくりいう。
少女と真崎は、はあ、と息を吐く。
「オレの本名、どんぴしゃだから間違いじゃ無いよ。でも名乗ったっけ? なあマスター?」
「少なくとも私はタブセ・レイコって聞いて、呼んでいた。ねえ山形さん。肉体労働ばっかりしてて、ストレス溜まるのはわかるけれど、他人の奥さんを盗るのは、男として最低だと思わない?」
真崎の言葉に山形は、席を立ち腰に手をやった。
「マチダ」と少女がいうと山形の動きは止まった。
「あらあら。シリアスな場面だったのに。どうしたの?」と真崎。
少女が「言い間違い。待っただった」という。
少女も真崎も両手を上げて、笑顔を浮かべていた。
山形は腰にやった手を戻しながら、すまん、と呟き席に戻る。
手を下ろしながら少女がいう。
「ただのお遊びだったけど……最初に言ったろ? そのうちケンカになるって。でもオッサン、わかりやすい。興味の度合いとか、隠し事とか」
そして真崎がいう。
「私と彼女の会話、覚えてる? もし〝刑事コロンボ〟なら、映画の話の時、絶対、気づいてツッコむわ」
少女が「座頭市な。オレはカツシンのピークなんて知らねぇよ」と口を挟む。
間を置いて、真崎はカウンター内を歩きながらいう。
「あの時、内心、しまったと思った。だって彼女の意見を補足したからね。顔見知りだと思われて当然……スルーしてくれて助かったけれど、ツッコまれたら、パーだった。その後も心臓バクバク。冷や汗ダラダラ」
「オレもかなりビビってた。まさか、裏喫茶店のマスターが口を滑らすなんざ予想外すぎ。後にも先にもあれっきりにしてほしいねぇ」と少女。
山形はハンカチを取り出して額を拭った。
それを少女が笑って指摘する。
「北風と太陽って話、知ってるよな?」
少女は山形の頭に手を置き、撫でまわす。
山形は、じっとカウンターに目を落とし、歯を食いしばっていた。
「あの話で得られる教訓は、心理戦にも通じる。もちろんどう脱がすか、なんて事じゃない……さっぱりわからねえだろ?」
少女は山形の右耳に、ふっ、と息を吹きかけて囁く。
「もし騙すなら騙す相手にこっちの意図はおろか、存在すら知られないようにしろ。偶然すら予定調和として、操ってるように見せるのが詐欺師だって教訓。
オッサンは北風と太陽の存在に今、気づいたわけだ。でもそれだけ。他はほとんど何も、わからねえだろ?」
「どこから真実で、どこから嘘で、私たちの真の目的は何でしょう? ヒント、この子と私は初対面だけれど、お話したことがあるのよ」と真崎が山形の背後に立ち、問う。
山形は無言のまま拳を握りしめていた。
真崎は山形の後頭部に茶色い袋を押し当てて、続ける。
「大ヒント。今月のある日、この子から電話を掛けてきた。その後、津木悟が来店した。この事実を偶然だ、不条理だと思ってたら、この先、しんどいわよ。激務課の……いえ、双頭の組員さん」
山形は大きく息を吸い込み、両手をゆっくり上げた。
「謝謝」
「あらら。追い詰められて、いきなり中国語なんて。ベタね」と真崎。
真崎は日本語で返し、紙袋を山形の後頭部に押し当てて、カウンターに頭を付けるように命令する。
ゆっくりと山形はカウンターに突っ伏す。
「時間稼ぎは無駄。阿久津さんはスタッフが足止めしてる……そうね、三十分は確実。しかも私からカラサワの報を入れてやれば、三時間は稼げるわよ?」
「万事休す、か」と山形が日本語でいう。
彼は首を右に傾け、少女を睨んでいた。
少女は垂らした右前髪をいじって「カラサワ」という。
「カラサワ・ユウキ。こっちもアナグラムかと思ってたんだけど……違ってた」
少女はポケットからペンを取り出し、山形の右耳の穴に入れる。
かちっ……と芯が出される音と少女の声。
「生きてる被害者は最強だ。だって犯人を罰せるほどの痛みを受けて、耐えて、正に必死で生き続けて、暴力を封じて戦ってるもん。決してやられ役なんかじゃない。やられたら、やり返す……すげーよ。そんな人間を、あーだこーだ言うやつ、報復とかするやつはゴミ」
かち、かち……とペンの芯が山形の耳の奥で出入りし、音が鼓膜を揺るがす。
「でもオレは報復するゴミでいい。人間以下のクズとして生きて、病気がどうとか過去がどうとかより、未来のために生きるガキでいい。そのためにまず、おまえらを潰す」
かち、かちかちかちかち……と音が、山形の耳に響き、やがて、少女は力の限り、ペンを耳の奥へ押し込んだ。
鼓膜を破るほどではなかったが、激痛が山形の頭に響き、全身に力が入る。
「動いたら、もっと痛いわよ」
その真崎の声と、後頭部に当てられた紙袋の中身でもがいたり抵抗するのを山形は諦めていた。
真崎の手によって今度は左に顔を向けられた。
山形は悲鳴を上げなかった。しかし、目に涙を浮かべていた。
彼の左側に移動してきた少女が、またペンを山形の耳に突っ込む。
「オレは双頭と警察の対決なんてどうでもいい。ただし」
少女は山形に顔を近づけて、いう。
「二天一殺人事件の再現をするやつは、誰だろうと許せねぇ。前回はカンダのガキとオレが人身御供にされた。その主犯はとんずらしやがった。法律がそいつを裁くまで、オレは何もかもを利用する」
少女は微笑んで「というのがオレ以外の人格の主張」と付け加えた。
「実際に、オレは人を殺してる。ジジイの喉を刺したのは赤の他人で、ジジイの件の前にそいつと入れ替わってた……幼馴染のあの刑事と出会う前のことだ。誰を殺したと思う?」
山形は少女を睨みつけるだけだった。
「ヤマガタ・マコト。な? オレがオッサンを疑う理由、わかったろ……ウエルカム、サイケデリック・ワールド」
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