Side〝破〟-8 破
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狩川リタの供述に立ち会った……だがほぼ何も得るものはなかった。
私だけでなく、阿久津、鎌田課長、少年課の職員、全員が頭を抱え、理解に苦しんだ。
彼女は、頭を抱えるのが常人だと言ってのけた。
わかったことは一つ。
ある人物の住所だけだ。
でも誰の住居なのか、どこで知って、どういう関係なのか、彼女すら知らないと言った。
もう、情報とは呼べない。
あやふやすぎる発言。
通常、そんなことで警察が動くなんてできないけれど、何故か阿久津と鎌田課長はどんどん勝手に話を進めていき、私も、なし崩し的に同行した。
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「刑事さん、カンガルーのステーキって知ってますか」
聴取を終える際、狩川はそう言った。
わからない。私は、オーストラリアに行った事が無い……そう答えると彼女は笑って言った。
「私たちはカンガルーのステーキなんです」
終始このような会話だったから要領を得なかったのだけれど、そのワードが妙に引っかかってる。
カンガルーのステーキ。
ただの妄言だろうか。
でも、何か引っかかる。
狩川リタとは初対面だった。彼女の経歴一切、不明。
隣県の生活安全課に問い合わせても、わからない、調査中だと。
本人に聞いても知らない、覚えてないばっかり。
でも、どこかで会ったことがあるような……思い出せない。
彼女は自首をしているし、現場も職員が確認済み、死体もある。
だが手段や経緯、もろもろわからない。
そもそも本当に彼女がやったのか。
誰かの身代わりか、便乗かもしれない。
だがまだ何も確認できていない。
シロとは言い切れない、クロにするのにも不明瞭。
数時間、えんえん、まったく平然と意味不明な発言をしていた。
この子に人間性があるのか無いのか、それすらも怪しく思えた。
平然と、訳のわからないことばかり言い続けて……。
その最後に、カンガルーのステーキ、と告げた。
カンガルーのステーキ。
鎌田課長に運転してもらい、私たちは真幌市の高級住宅街、大きいマンションへ向かう。
車から降りるまでその言葉を反芻していた。
カンガルーのステーキ。
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駐車場にはすでに五人、中年の男性警察官が集まっていた。
「ご苦労様です。阿久津捜査官、鎌田課長。付近住民、退避完了しました。動けない住民には職員を配置。救急隊員も待機してます」
形式ばった声。
「対象は、部屋から出てないな」
阿久津は態度も声も、凛々しい。
「帰宅後から動いていません。近隣の住民によると、妻と娘は実家に帰っていると」
「相手は発砲してくるかもしれない。無線、ベスト確認」
発砲なんて。馬鹿な。
でも青野の件もある。
そのことを全員、思っているのだろう。真剣に装備確認している。
阿久津と私にも無線と防弾ベストが渡された。
「念の為だ。着けておけ」鎌田課長だ。私は急いで装備する。
「松本は非常階段へ。土屋と金本は、ベランダを見渡せる場所に車で待機。対象が飛び降りた際、すぐ動けるよう救急隊に通達。もちろんエンジンを入れておくこと。桃井、鎌田課長、私で確保する。質問は?」
てきぱきとした指示をする阿久津。
輝いて見える。ちょっと羨ましい。
「コイツはどうします?」
一人が私を親指でさす。
私自身、どうしていいかわからない。
「村井課長。私は、あなたの過去を知っていますが、尊敬し信頼できるからここまで来ていただきました。でもあなた自身はどうなのですか? 誰の味方ですか? 警察ですか? 激務課ですか?」
全員の視線が私に集中する。
ぐだぐだ考えている時間はなさそうだ。
「阿久津よ。それ、私だけじゃなく、きっとここにいる全員、同じ返事をするわ……私は警官だってね」
「愚問でしたね。では、最後尾に着いてください」
阿久津が微笑んだように見えたのは、気のせいだろうか。
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エレベーターは五階で止まった。むさ苦しい空気が私たちと同時に、わっとでていく。
「合い鍵」阿久津たちは足を止めない。
「どうぞ」
南向きの角部屋で全員が止まった。阿久津がピンマイクにむかって喋る。
「状況知らせ」
「非常階段、封鎖完了」
「あ、今、明かりが消えました!」
阿久津は緊張した顔で、鍵を扉に差し込む。
「夜分に失礼します」
そう言ったのは男性警官だった。
返事を待たずに合鍵で扉を開ける。
暗闇だった。
その室内から銃声が木霊したのは、私が玄関に上がった時。
「救急車! 対象が自殺を図った!」
阿久津の声。
私たちは土足のまま部屋へなだれ込む。
銃を構え、暗闇の中をほぼ手探り、心はおっかなびっくり。
でも足は勝手に駆ける。
捜査員の一人が電気をつける。
現場は……綺麗だ。
家具も何もない部屋。
遺体と、そいつの脳漿、血が映えて思える。
きっとさっきまで、最後の掃除をしていたのだろう。
掃除を終えたとき、私たちが来てしまったのだろう。
だから、阿久津も鎌田課長も悪くない……はず。
彼は死ぬつもりだった。
おそらく、数日前から。
でないとここまで生活臭を消す事なんてできない。
奥さんと娘さんはきっと、帰ったんじゃなく、帰らされたんだ。
それほど思い詰めて、自殺した。
褒められた行為では無い。むしろ侮蔑する。
もし一般市民なら、私はきっと手を合わせて黙祷してだろう。
でも。
でも。
あんたは、警察官でしょう?
何のために命をはっているのか、わかっていなきゃ、ダメだ。
『理由はどうあれ、自殺する警官ほど、許しがたいものは無い』
これは私の持論です。
でもあんたから教えられ、心にずっと刻んでる言葉だ。
そんな言葉と信念を持ってたあんたが、自殺してどうする。
「ダメ、もう……」
応急手当をしていた阿久津たちだったが、悔しそうに呟き、止めてしまった。
私は、この部屋の中で、斉藤守の遺体が唯一、醜く感じた。
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ん?
なんだ、この文字……。
斎藤守の額に何か書いてある?
銃で撃ち抜いたから、血だらけだけど……文字のようだ。
アルファベットのU?
まさか。
ただの見間違いだ。
もしこれが文字なら、ちょっとヤバい。
落ち着け、私。
忘れろ、あの時のことなんて。
警視庁時代のことなんて、心の中にしまっておかないと駄目だ。
声に出すな。忘れろ。
阿久津や鎌田課長を巻き込んでしまう。
こらえろ。
特免法、そして、あいつ。
深く考えるな。
あいつは、私の全てを奪っていったけれど、もう罪を償った。
罪人だけど、憎んじゃいけない。
私は警官だ。
犯人を憎むな。
あの女とはもう、係わるな……。
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