Side〝S〟-4 CHILD・PLAN



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 喫茶店サウス・グロ-ブから阿久津カオリは徒歩でコンビニまで向かった。道中、津木に電話を掛けた。


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 五分後、コンビニを通り過ぎて、人気の無い有料の駐車場で阿久津は立っていた。一台のセダンが路肩に停車しウィンカーを点灯させた。

 阿久津は背筋を伸ばし、シャツの襟を正してから頭を下げる。

 セダンの後部ドアがゆっくり開く。アタッシュケースを持った津木悟と、年端のいかない女の子が降りてきた。

 女の子は阿久津の右隣りに立って、噛んでいたガムを膨らませ風船を作った。


「上司を使うとは、予想外だった」と津木はいう。

 阿久津は頭を上げて、彼を見る。津木は舌打ちをしながらアタッシュケースを阿久津に差し出し、さらにいう。

「三十万、おまえの口座からだ。何に使うのだ?」

「事件の情報を」

「事件など何も無い。おまえは何のために八課に来た? 何のためにと接触したのか、まだわからんのか?」

「すみません。おっしゃる事の、ほぼ全て、わかりかねます」

 ケースを受け取って阿久津は返事する。

 津木は息を大きく吐き、顎で女の子を指す。

 阿久津は横目で彼女を見てすぐ、津木に視線を向けた。

 

 津木は「私の説明が足らなかったのだろう」という。

「とは言え、指示待ち人間などいらん。求めるのは最低限の命令から独自で判断し、行動して成果を出す部下だ。そいつのほうが見込みがある」

「しかし、事件が」

「ああ、起こってからでは遅い。起こさせないのが理想の警察だ。先ほど連絡があった。私とおまえ、倅の三名でここの八課に出頭し、釈明しろと。これから倅と合流する。乗れ」

 踵を返し、津木はセダンに乗り込む。

 阿久津もそれに続いた。

 女の子は、しぼんだ風船を口に戻して嚙み始める。二人に向かって手を振ったが、阿久津はそれをウィンドウ越しに見ているだけだった。


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 真幌の街を走って行く車内で、阿久津は背筋を伸ばしケースを膝上に置いたまま黙っていた。

 十分が過ぎ、津木がいう。

「ここの八課によると、例によって山形は失踪」

「え……失踪? どうしてですか?」

「自分で考えろ。で、あの馬鹿は双頭に殴りこみするだと。気味が悪いほど計画通りだ」

「馬鹿とは?」

「おまえの幼馴染のことだ」

「計画というのは? 聞かされていません」

「二天一殺人事件の主犯……そいつの提案から上層部の考えた大規模な組織改善だ」

 すると阿久津は口をつぐみ、運転手の後頭部を見つめた。


 くくっ、と津木は笑い、本当のサイコパスはわからんな、という。

「今回の場合、各地で架空の事件をでっち上げ、地元警察の実態を調査するのが狙いでもあった。頭の回らない指示待ちの職員や、頭の回りすぎで混乱し暴走する職員などが出る。八課が監視してあわよくば……だ。よくもまあこんなことを思いつく。おかげで、こっちはやりたい放題だ。犯罪組織も汚職警官も、ずいぶんあぶり出せた。嫌になったか?」


 阿久津は、目をつむって首を横に振る。

 津木は笑いを止めて「本気だと、わかってくれたか」と続ける。

「真幌では黛陽一という男が浮上した。警視庁から左遷されたごくごく普通のキャリアだが、深いパイプが見える。ただ、どこまで繋がっとるのか把握できん。そのため犬を数匹、けしかけた」

「だったら、最初からそうすれば良かったはず。私の幼馴染はどうして巻き込まれたんですか」

 強い口調の阿久津に、津木は、たしかに、と頷く。

「あの馬鹿も犬だった。過去形だ。わかるか」

「いいえ。今も協力してくれているのに、過去形にする意味がわかりかねます」

「裏切ったのだ。二天一殺人事件……あれは冤罪ではなく、警官殺しという事実からの処置だった」


 そして津木はウィンドウを開けた。

「ところがあの馬鹿、こともあろうに、病気だとぬかしおった。そして現在、そんなものが、まかり通って……同じ警官なら、わかるな」

 乾いた風で、阿久津の前髪と襟髪が揺れた。

「あいつは犯罪者ではありません。私は、信じています」

「どうだか。あの犬は、相手が誰であれ、殺意を持った相手なら躊躇わん」

「犬とは? まさか、さっきの女の子ですか?」

「ああ。さっきの餓鬼は神田柴胡。やつには双頭の幹部を始末させる……純然たる〝協力者〟だ。古い言い方だがな」

「そんな」

 阿久津の言葉を遮って、津木は言葉を発し、前かがみになった。

「まだ十歳ほどか。例の誘拐事件後、神田から引き取り、調教した。あの馬鹿と違い、かなりの優秀だ。これから双頭に侵入し、毒を盛る。駄目なら自爆させる。運良く巻き添えであの馬鹿まで殺してくれたら、願ったりかなったり」 

「正気ですか!」


 阿久津は津木の肩を掴んだが、すぐ指を掴み返され、手をねじられた。

 みしみしと音を立てる阿久津の指、そして津木はいう。

「精神科はおろか、いっさい医者の世話になっとらん。むしろ問うが、狂っとるのはどっちだ? この一番手っ取り早く、前例もある非人道的な手段をとった私か? 取らざるを得ん理由のわからん、おまえか?」

 

 ばきっ、と阿久津の指が折られる。

 少しの悲鳴を上げた後、手を離されてから阿久津は叫ぶ。

「あなたは狂ってる! 今の、あの柴胡ちゃんは子供! 被害者で一般人! あいつだってそう! 私は最悪の事態を想定し回避するため、あいつを……私が聞かされたのは事件の真偽と、偽りの特免法施行をして、施行者の実情を調べること! それが私の仕事!」


「で、失敗した。山形はもう無理だ。あの店はとっくに包囲し、私の合図ですぐ検挙できる……おまえが山形を殺したのだ。私がその尻拭い、不出来を帳消してやったのだ。本来、おまえが切腹するはずだが、上に掛け合いそれを回避した。私に向かって、何故、礼より文句を言う?」


「それとは話が違う! あなたは一体、何をしているのですか! 私が想像できるのはもう、警官の……人間のやることでは無い!」


 阿久津は左手で懐から銃を抜き、津木に向けた。


 しばらく津木は沈黙し、舌打ちすら止めた。

 

「人間である前に私は警官だ。おまえが否定しても、私は肯定する」

 津木は、すばやく懐から拳銃を取り出し、銃口を阿久津の顔面に向けた。


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 やがて銃を仕舞いながら「警官だからこそ、警官相手には発砲できん。それだけは不変であって然るべき」と津木はいう。

「神田柴胡、勇気の誘拐はおまえの初陣だったな。実行犯を聴取し、バックの組織を引っ張たのも……被害者側に立ち、執着する気持ちはわかる。だがこっち側も察しろ。今回はもっとややこしい、二天一殺人事件の主犯によるシナリオだ。そちらは確実に、特免法施行済みの異常者……まずおまえごときが、この無茶な新法を相手にできるのか?」


 阿久津も銃を仕舞いつつ、津木を睨みつける。


 津木は阿久津を見ず、声を大きくしていう。

「あの馬鹿は全て承知して山形を殺したのだろう。私をおちょくったり、下手な素人丸出しの誘導尋問や推測なんぞで挑発したのは、警告だった。ネットに晒したり双頭に殴りこむ理由はただの当てつけか、後々取り引きの材料にする魂胆だろう。やはり安易に接触せず、捕まえるべきだった」

 そこで息をつき、津木は間を置いてからシートにもたれかかる。

 

 阿久津は折られた右手の指を押さえつつ、背筋をのばしたまま、津木を睨みつけていたが、彼にその視線を注意され、逸らした。


 ウィンドウの外、真幌市の夏夜とぼんやり浮かぶ己を顔を視界に収めながら阿久津はいう。

「あいつは、あなたや特免法を含め、全てを疑っている」

「だろうな。頭があれば、私の言動に違和感を感じて当然……仕事とはいえ馬鹿の妄想に、いちいち反応、納得して見せるというのは性に合わん」

「でも私たち警察が、女の子を、一般市民を、暴走させるのは事実だ。身内の恥を隠すため、さもありなん、仕事だからと……それが警察の正義?」

 車が停車する。

 阿久津が前方を見ると、赤信号がフロントガラスから確認できた。

 

 津木はいう。

「やれ不条理だ不公平だと抗議しても、ジジイに指を折られて説教されるのみ……この組織形態に葛藤し、悩み苦しみ、やってられんのなら、今、口頭で辞意を述べろ。切々と正義や道徳、筋を語りたければ死に物狂いでトップに成れ。ジャーナリストに転職して吠えるのも良い。ただしそんな上辺だけの正義など、現実生活では茶番だったり、ときには雑音に思える。故に変わらんこと、表に出せんことが、ごまんとある……もういいか? まだ説教せんと、わからんのか?」

 

 信号が変わり、車が発進するまで阿久津は黙っていた。


「とどのつまり、私の感情、苦しみなんてチープすぎる。暴露しても一過性のもの。何も変わらない。警察という組織の一員として生きるなら、いっそ自分以外の誰も信じず、かつ、命令に従え……この矛盾が嫌なら抜けるか、下剋上」


 阿久津の震える声に、津木は黙って大きく頷いた。

 彼女は再び銃を抜き、彼のこめかみに銃口を押し当て、いう。

「両手を頭に乗せなさい、田伏悟」

 

 ふん、と彼は息を鼻から出していう。

「ユリカ、そういう警告は容疑者を身を案じつつ言うべき。慣れない左手で、右手用の銃……素人ならともかく、警官ならこの距離でも急所を外せられる。さっさと撃たんと、取っ組み合いになるぞ」


 彼女は、それでもトリガーを引かなかった。

 彼は続ける。

「教えたはずだ、青野真も躊躇ったから死んだ……ユリカ。容赦などいらん。私はおまえの父である前に、おまえの正義を否定する邪魔者だ」


 二人は見合ったままで、走る車の中にいた。


 やがて、彼女はトリガーを引いた。



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