Side〝破〟-2 青野慎警部補の初陣
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「先刻の女子高生徒カニバリズム殺人、どうやら模倣犯ではなく、
「ソウトウ?」
僕は、課長から聞きなれない言葉がでたので、愛用の手帳を開く。
国家公務員Ⅰ種試験を合格した時から、使い続けている手帳。
仕事中に僕が知り得た事は、全て書き綴ってある。
真幌女子高の項は、さっき書いたばかり。
ベテランの所轄署員によると、この街では過去に数件、同じような事件が起こっているとか……。
でもすべて未解決。
模倣犯か、同じ犯人なのか。わからない。
そして、ソウトウなる言葉はやっぱり、なかった。
「ここらで繁盛している中国マフィアさ。青野クン」
辻先輩の言葉に少し苛立ちをおぼえる。
この人は課長がいると僕のことを、青野クン、と呼ぶ。
課長がいない時は、青びょうたん。
TPOで使い分けるのがいやらしい。
でも今は仕事中だ。文句より質問しないと。
「どういった組織ですか?」
「詳しいことはわからない。犯罪組織と呼ぶにはあまりにも小規模だからだ。君が配属される前に暴力沙汰を起こしたぐらいで、組員のほとんどは地下に潜っている」
課長の言葉を手帳に書き加えるが……あまり役にたちそうにない。
「でも、俺まで使われるってことは、双頭と
辻先輩の言葉に、ぎくり、とした。
課長は眉間にしわを寄せ、きれいに片付けられたデスクに両肘をついて、息をはきだす。
疲れているのが見てとれる。それはそうだ。
課長は、もう還暦になろうかというベテラン。
今、午前三時四十六分。
二日間の連続捜査で僕は疲れ果てている。
それなのに一回りも二回りも年上の課長が、こともあろうに事件隠蔽のプレッシャーを背負って動けるのは、驚異的で、犯罪に対しての執念としか……。
課長は、ノンキャリの叩き上げだと聞いた。
見習うところは山ほどあるし、負けていられない。
僕は立ったまま、誰にも見られないように太ももをつねった。
「
「はい!」
課長から手渡された資料にはクリップで男の顔写真がとめてあった。
えっとまずは……。
「了解。いくぞ、青野クン」
辻先輩は、僕から資料をひったくった。
デスクに戻って身支度を整え始める。
まだ読んでないのに……。
辻先輩はグレーの革ジャンを羽織り、その懐に手錠、特殊警棒、拳銃。
拳銃?
「え、あの、辻先輩」
「なんだ?」
「そんなもの、いらないでしょう?」
「ああ。銃は脅し。本命はコイツ」
そう言い、左手で特殊警棒を大きく振る。
ヒュッと風を切る音がした。
普通の警棒より軽いような……いやそうじゃなくて。
「先輩、捜査に、そんな大げさな」
「ツラわれてんじゃん。後は現場を押さえる。取っ組み合いになるだろが」
「いや、もっとマフィアとの癒着とか……」
すると会話を切るように、ゴホン、と咳払いが。
課長だ。
「青野君。とりあえず辻の真似からはじめなさい。徐々に慣れればいい」
「は、はぁ」
「それから」
「はい」
「
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「お前の親父、課長と知り合いか」
「課長の元部下だったらしいです。父はすぐ出世したけど、課長はずっと現場……僕も、最近知りました」
飯田の住む住宅街へむかう車内、眠気覚ましのコーヒーを飲む。
車は辻先輩の自家用車で、運転も先輩がしてくれている。
結局、僕も拳銃を持ってきてしまった。
でも、絶対に発砲はしない。
僕はあくまで警察官だ。殺人者ではない。
「殉職か?」
「はい」
「ふーん」
交差点で赤信号につかまると、先輩は煙草に火をつけた。
息を大きく吐き、車内いっぱいに煙がたちこめる。
「
「ニュースにはなりましたよ。官僚を殺害、なんて
「カルトな教団の犠牲に?」
「いいえ。ただのお
「ふーん」そう言ってまた、煙を吐き出す。
僕は煙草が嫌いだ。体力を奪われる上に、課せられる税金が半端じゃない。
そもそも
了解をとってウインドウを開けた。
煙が流れ出ていく。
外は白々と朝になろうとしていた。
澄みきった空気が、冷たい。
住宅街の隙間をバイクが走っている。新聞配達だろう。
カーナビの時計は四時十分を映し出していた。
「先輩、激務課の仕事って表に出ませんよね」
「出たら警察は廃業になって、日本も平和になってるさ」
「じゃあ何のために存在しているんでしょう? なんだか悪者の気分ですよ」
信号が青になり再び車が動きだす。
建物の間から見える空に、まだ太陽はない。
「警察のため。全都道府県、似たような部署はある。内事課って知ってるか?」
「大戦前からあるっていう秘密部隊ですか? 噂ぐらいなら」
「本当にあるんだって。公安の中に」
先輩は「キャリア組の坊ちゃんは知らなくていい事」と続けたが、もう知ってしまった。
加えて事件隠蔽。これは立派な汚職行為だ。
バレたら……懲戒免職で済むだろうか。
僕はもう、引き返せないのだろうか。
父のような警察官になれないのだろうか。
警察学校が懐かしい。
あの清く、水々しい日々。
戻りたいなぁ。
#
「で、おい、聞いてるのか?」
「教官が教えてくれたっけ……」
「何を?」
「あ、すいません。独り言です。何の話でした?」
「カニバの動機。なんで共食いなんかするの?」
「専門じゃないんで、詳しくはないんですけど」
僕はコーヒーを一口飲む。
胃がムカムカする。カフェオレにしておけばよかった。
「ある種の宗教の意味合いとか、食べる事で性的な快楽を得るとか……精神的な摂食障害による食事制限が原因、というのもあるそうです」
「牛や豚が無理なら人間を食べようってか。でも飯田の身辺にそんな影はない。薬でラリっての事例は?」
「あります。でも今回は快楽殺人というより、現場はほんと、食事感覚でした。残されたのは、無残な遺体とカセットコンロ。大麻の吸殻。ほとんど証拠が無いのに、なんで飯田が犯人と分かったのでしょうか?」
「アホ。資料読んでねぇのかよ」
目を通す前に先輩が持っていったんでしょう……と言いたい。
でもこんな事で争うのは馬鹿らしい。
「資料なら後ろ」
見透かされているようだ。
切れ者なのか、子供なのか、よくわからない人だ……。
僕は後部座席から資料を取り、ざっと目を……。
「双頭の組員が自白した? これだけ?」
文章は簡潔だった。
僕が現場に向かうとほぼ同刻に、双頭の組員が参城署に出頭したので事情聴取し、この犯行を自供した、とある。
だけど、腑に落ちない。
「先輩、これ」
「カセットコンロは三つ。たぶん犯人は三人以上。ゲロしたそいつと、浮上してきた飯田。あとはすぐわかるさ。担当が
「半田先輩が?」
警視庁刑事局組織犯罪対策部出身で、ここらの警察関係者で知らない警官はいない。
警視庁のエリートが何故、こんな地方にとばされたのか。
そして何故、激務課に配属されたのか……わからないけれど。
「あいつはサディストだな。一度だけ、取り調べに立ち会ったが、拷問に近かった」
辻先輩がそう言ってハンドルをきった。
体が、がくん、と揺れる。
「犯罪者に対しては、でしょう。先月、半田先輩のマンションに、お邪魔させてもらったんですが、二歳になる娘さんの自慢ばかりされてました。優しいお父さんですよ」
辻先輩は「あの顔で? うえっ」と唸ると煙草をもみ消した。
ちょっとだけ、気持ちはわかる。
組織犯罪対策部は昔でいう『マル暴』だから、強面の方が多い。
僕は初めて半田先輩に会った時、ヤクザかと思った。でも脅されるわけでもなく、キャリアとか意識しないで接してくれた。
辻先輩や村井先輩にも言っていないけど、ライン交換している。
非番の日に、ご家族とカラオケに行ったことも。
『青野、お前は偉くなって親父さんを超えろ。それが一番の弔いになる』
酔いながら半田先輩は言ってくれた。
僕はそのとき、生まれて初めてお酒を飲んだ。
美味しかった。あのハイボールの味、半田先輩の言葉は死ぬまで忘れない。
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「そういえば、村井先輩って謎ですよね。出身とか経歴とか。教えてくれないし」
「俺も知らん。そもそもあんなのと付き合いたく……っと、このあたりだな」
車は閑静な住宅街の一画に停まった。
辻先輩は、ヒュウと口笛を鳴らす。
「独身の巡査にしちゃあ、いい物件をお持ちで」
飯田の家は、二階建て庭付きの一軒家。辻先輩の言う通り、ここらの物価は……さすがに二十代の公務員には無理がある。
「これからどうします? 令状なしじゃ家宅捜索はできませんよ」
「だから現場を押さえるって言ったろ。怪しい輩とひっついたとこで職質かけて任意同行。逃げたら追っかける。暴れたら殴って黙らせる。これ、警官を相手にする激務課の基本」
「そう簡単にいきますか?」
「いくよ。相手はヤク中だろ。薬が切れたら買いに行く。で、売る相手は双頭だ。芋づる式にひっぱれる。飯田が出てきたら起こしてくれ。それまで待機」
なんだか、ほとんど運まかせの捜査だ。
辻先輩はリクライニングを倒すと、すぐいびきをかき始めた。
すこし恨めしい……。
でも課長の言葉。
デビュー戦。
そうだ。しっかりやらないと。
頬を軽く叩く。
飯田の玄関を凝視してやる。
時間は四時二十六分。
張り込み開始。
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