Side〝T〟-7  Japanese

 

 #  

 いつものカウンター席ではなく、青年の私室へ少女は招かれた。

 

 ちゃぶ台にて白米と味噌汁、漬物が出された。

 

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 少女は、これだけではもたない、という。

 青年は「約束ですから」と沢庵に箸を伸ばす。

「文句ならあの女刑事さんに。俺はこれ以上の罪を重ねたくない」

「どういう意味かな」

「午前一時には就寝させろって約束したんだ。でも徹夜させたから、バツが一つ付いてる」

 少女は味噌汁をすすって、そうかい、と頷く。

 何度も欠伸をし目をこすりながら、白米、三合を食べきった。


 青年の私室にはキッチンがあり冷蔵庫や食器棚もあった。

 野球関連の雑誌、古今東西のCDに埋められていて、少女が泊まった部屋よりも狭かった。

 少女は出されたスムージーに手を付けず、青年から水と、錠剤を四つ貰って飲む。

 青年は、薬の瓶を眺めて尋ねた。

「この薬、何?」

「クワトロン。ベンゾジアセピン系の新薬で、脳のノルアドレナリンを急激に低下させ、GABAとセロトニンを調節し感情を安定させる。

 鬱やパニック症の試験薬だが、ボクの場合は他人格の出番を遅らせるために飲む。副作用が強烈で、依存率も高い。その瓶にある五十錠を一気に飲めば、筋弛緩作用ですぐ死ぬ」

「俺には難しい薬だ。こればっかりはきっちり隠しておくよ」と青年は瓶をポーチに戻し、戸棚の上に置いた。


 少女は手元にあったリモコンを取ってTVを付ける。

 あっ、と青年が声を発したが、すぐにTVの爆音に消された。


 少女はボリュームを下げながら尋ねる。

「こんな音量で、何を見ていた?」

「映画。西洋ホラーは音響が命だから」と青年は駆け寄ってTV下のラックを開ける。

 その一枚を取って少女に見せるが、彼女はちゃぶ台に肘をついてTVを眺めていう。

「ここらで暴力事件は無いのかい」

 ドクロマークのついたDVDをラックに戻し青年は、そうだね、と返事する。

「あったとしても暴走族の喧嘩ぐらい。ちょっと前はドラッグでラリったやつが暴れたり……最近はそういうのも無いな」

「殺人事件とかも?」

「あったら大騒ぎ。だから、おかしいんだ。女子高の件はほとんど報道されてないし、噂ぐらいだから」

 二人はTVに視線を移す。

 少女はいう。

「日本人は殺人事件よりも、どろどろの人間関係を好む。TVニュースも需要と供給だよ」

「そりゃ、暗い話よりかはマシだけど」

 朝のニュースは芸能人の不倫疑惑を繰り返し報道している。アナウンサーはそれを深く追求していた。

「あ、風呂入って。そろそろ用意しないと」

 青年が促すと、少女は頷く。

「パソコンを使わせてくれないか。あとUSBがあれば……データを保存して、きっちりと所持しておきたい」

 青年は、いいよ、と席を立った。



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 データを移し、シャワーを軽く浴び服を着替える。黒いノースリーブのシャツに白のカーゴパンツ。

 

 少女はすぐパソコンに向かった。

「時間だよ。行こう」

 青年に促されるまで少女は、試行錯誤していたが、頬を軽く叩いて、

「よし」とデータをUSBに移し、パソコンの電源を落とした。USBをポケットに仕舞う。

 

 すでに午後九時半をまわっていた。


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 喫茶店を休業にして、青年は少女を中央区のショッピングモールに連れ出した。


 月曜日なのに人が多い、と少女はぼやく。

「真幌市に人間がこんなにいたとはね」

 何度も肩がぶつかり、足を踏まれながら、少女は青年の手をつかんで歩く。

「地方でよくあること。今年になってオープンしたから珍しいんだろ」

 青年は少女を見もせず、モールの中を歩いた。


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 青年は美容室メロウと書かれた店先で、少女にカードを渡した。

「あの女刑事さんの名前で予約してあるって。メイクもここで済ませろと」

 彼は少女の顔を細い目で見つめて「くまも無いし、ナチュラルメイクでも、じゅうぶんだ」という。

「俺は課題の服を見てる。三階でぶらついてるから、終わったら合流ってことで」

 少女の返事を待たずに、青年はモール内の人間に紛れて去った。


 ため息を吐いて少女は美容室のドアを開ける。

 

 小さな美容室だった。店員は一人だけで、カットスペースも一席しかない。

「いらっしゃい。予約は?」

 店員はロングヘアーに赤いメッシュが入れた女性だった。

 少女は女刑事の名を出した。

 すぐ席に座らされて、てきぱきと作業を進められた。


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 三時間経った。

 少女は髪をすかれて、シャンプーをされメイクも済んだ。


「これでどう?」と少女の背後から店員が話しかける。


 少女は鏡に映る己を見る。

 少しだけ短くなった髪、照明によって一本一本のラインが映えている。 

 額から顎にかけて、ラメ入りのファンデーションをされて白く、薄く輝いている。唇には朱色のルージュ。アイラインで眼の印象が強くなっていた。


「その香水は売ってあるのかな」と少女は問う。

「私の? これは非売品っていうか、オリジナル」

 にっこりと笑って店員は少女の鼻に、右手首を近づける。腕には金色のブレスリングがついていた。

「良い香りでしょ。名付けてメロウミックス」

「ベルガモットとハーブは合わないはずだけど」

 少女の言葉に「素人なら無茶苦茶になるわ」と店員は鏡の隣にある小物入れからコンパクトを取り出し、渡す。

「十年ぐらい前かな、オリジナルブレンドが流行ったの。でも、みんな下手でね、臭くなるだけだって廃れちゃった。ここのレディースフロアにアロマ系のブースがあって、きちんとした調合師がやってくれんの。男も女もメロメロにしたいって注文したら、良い感じにしてくれたんだ」

 

 この鏡を見せれば割り引きしてくれるから、と店員は少女の肩を叩いた。

「店先で見かけたよ。彼氏とデート中でしょ。色を入れたり髪型を変えてさ、遊んでみない? 男はそれだけでも喜ぶもんよ?」

 首を振って少女は席を立つ。

 束ねた後ろ髪が、ふわっと浮いた。

「この髪型は便利でね。軽くなったから、これで」とカードを差し出し、領収書を女刑事の名で頼んだ。



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 エスカレーターに乗って三階に向かう途中、少女はうなじを何度も掻いていた。

 

 三階には女性のビジネス服を扱うブースがあった。

 少女は青年をすぐに見つけた。エスカレーターを降りたすぐ前のブースにいた。

 彼はショウウィンドウに飾ってある、ビジネス服を眺めている。

「おまたせ」

「早かったね。俺はまだ、考え中」

 後ろから少女は声をかける。彼は振り返りもせず返事した。

 少女は眉を寄せて彼の隣に立つ。

 二人の眺める、飾られた服は、赤い縦ラインの入ったパンツスーツだった。

「あの女刑事さんが着ていたブランド。お勧めも、こういうの」

「だったらこれにしようか」と少女はいう。

 青年はこめかみを抑えた。

「ちょっと待った。キミはあの人と違う。もっと年相応、女の子っぽく、あっちの店にあったスカートのほうが……でもこっちも捨てがたい」

「女はスカートだなんて価値観は、古いよ」

「でも、俺としては」

 

 そこでやっと青年は少女を見た。

 

 雑踏の中、二人は見つめ合う。


「やっぱり、おかしいか」

 少女は美容室で貰った鏡で、己の顔を見た。

「メイクなんて初めてだ。すべて店員に任せたけど、妙な気分だ。鏡を見るたびにおかしく思えて……」

 鏡をポケットにしまい、息を吐く少女。

 青年は彼女の横を通って、声を張り上げた。

「すみません、試着したいんですが!」

 女性の店員がやって来て、青年は少女を手招きする。

「外にあるスーツ、あれをびしっと彼女に合わせてください!」

 はい、と店員は頷いて試着室まで少女を案内していく。

 青年も着いていこうとする。と、少女が足を止めて振り返りいう。

「えっと……ビジネス服だから、面倒だと思う」

「そう? わくわくしない?」

 青年の返事に、少女は頬を掻いていう。

「時間が掛かる。丈を揃えたりするから」

「ああ、仕立てには二日ぐらい掛るか。今日中となると無理があるなあ。午後はどうしよう?」

「服はどうでもいいはずだけど……新調するなら、これからボクの体を一から計り直したい」

「そうか。でも、急ぐ必要はないよ。ゆっくりとキミは今のサイズを」

 青年はそこで言葉を切って「失礼しました!」と頭を下げて婦人服店から出て行った。



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 午後二時を過ぎ、二人は喫茶店に戻る途中だった。

 

 少女が自転車を押して、青年は買い物袋を両手に持っていた。

 中身はすべて衝動買いの服やアクセサリーで、使ったのは女刑事のクレジットカードだったため、どうしようと青年が少女に尋ねる。


 青空の下で並んで歩きながら、少女は答えた。

「大丈夫。すべて八課の経費で落ちる。請求なんてこないよ」

「刑事さんの経費というと、税金?」

「うん。公式発表で六課までしかないが、八課は公安の部署だよ」

 人通りが減った。

 少女は空を見上げる。雲一つない青空だった。

「七課は隣国に赴いて、匿われている犯罪者、拉致被害者の捜索、および諜報活動を行っている。外事課とも言う。

 八課は日本国内で汚職警察官、テロリスト、汚職政治家をあぶり出していて、内事課とも言われてる。通常の捜査に協力することもあるが、違法手段を行使するため秘匿されている。まあ知ったところで、あなたのような一般人に害は無いから、酒の席でネタにでも」

 

 ますます洒落にならない、と息をつく青年に「深くつつくと」と少女はいう。

「日本警察、昨年度の総予算は二千百十五億円ほど。国費、補助金、人件費、装備や施設費用などをのぞいても、四百八十億円も残っていた。この大金がどこに行ったのかは不明。〝警察白書〟という書籍に記載されているのに、マスコミはノータッチ」

 大通り公園をつっきていくと、屋台があった。トウモロコシの焼いた香りが二人まで届く。

「現在の警視庁警備局公安課の母体組織は『協力者』という活動をしていてね。いうなればスパイの養成と支援を行っていたんだ。先のような大金の半分は、公安に延々と流れているんだ」

「それでも映画みたい。和製ジェームス・ボンドとか、実際にいたりして」

「いないよ。あそこまで派手ならスパイではなく、国の支援を受けたテロリストとして国際指名手配。日本は戦乱状態になってるよ」

 少女の脇を制服姿の女子学生たちが歩いていく。

 

 彼女らは少女を一瞥して「今の聞いた?」「馬鹿じゃない?」と、くすくすと笑って通り過ぎ、遠くで大声で笑い始めた。


「平和ボケって、こういうことか」青年は舌打ちした。

 少女は自転車を押しながらが喋る。

「大戦後、公安のスパイ活動の多くは、犯罪組織や極左組織、セクトの一員を買収することだった。そいつの生活を保障し、泳がせ、アジトやメンバー、犯行計画など情報をリークさせていた。

 邦画で、一般刑事と上司が、確保した容疑者の処遇について仲たがいする場面があるだろう? あれは昔、捜査一課と公安捜査員によくあった衝突の再現なんだ」

 

 青年は、学生時代に観たドラマで、と質問する。

「主人公が捕まえた犯人を、別の刑事が聴取したあと何故か釈放された。

 主人公は〝どうして現場には情報が下りないんだ〟と。

 上司は〝今は我慢しろ、そのうち俺が警察を変えてやる〟って苦渋に満ちた表情で答えて、去る……このシーンはそんな確執の暗示?」

「そのドラマは観たことないけれど……実際の警官なら〝また公安が犯人を盗んだ〟と思うだろうね。

 公安刑事は〝背後関係を洗わず何が事件解決だ〟と主張してじっくり捜査し、一般刑事は〝資金と人材がない〟と主張し手早く捜査してる。

 1999年、組織対策三合法可決で、盗聴などの捜査が法律で許されたんだ。そのため公安と捜査一課の対立が悪化してね。派閥争いみたいになってる。

 公安が堂々と暗躍できるようになり、カルト教団を次々と摘発、解体して幅をきかし始めた……現在に至っては犯罪組織の一員でもない、前科もちの女、ボクなんかを雇って援助している。そういうお金さ」

 少女が顎で指す。

 青年の持っている買い物を指していた。

 

 うへぇ、と青年は声を漏らして、足を止めた。

「手が痺れてきた。これ返品していい?」

 

 くすくすと笑いながら少女は自転車の荷台を叩いていう。

「ほんとうに、あなたは良い人だね。ボクがこの話をすると二通りの反応しかなかった。紹介しろか、うそつけだ。そんな人間しかボクは知らなかった」

 青年は笑わずに尋ね返す。

「何かされなかった? お金のために、危ない事とか」

「うん、まあ、口に出したくないが……ここに来る前、堕胎してね。産婦人科で宣告されたよ、ボクの体は、もう……」

 

 少女は口を噤み、笑顔でなくなり、青年から視線を逸らした。

 

 自転車のハンドルを取った青年は、前の荷台に買い物袋を置き、サドルにまたがった。

 少女は後ろの荷台に座る。

「ろくでもねぇ。どこが平和な法治国家だ」と青年がぼやく。

「そんな人間はあくまで一部だと、あなたに教えられたんだ」と少女は呟いて青年の背中に顔をつけた。

 自転車は喫茶店と反対の方向へ向かった。



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 午後三時になって帰ってきた二人は、まったくの手ぶらだった。昨日と同じく自転車を担ぎ、青年は喫茶店の扉を足で押し、開ける。少女がその後を続こうとしたとき、クラクションが鳴った。

 

 二人は振り返る。オープンカーが車道に停まっていた。

 

 運転席には、グレーのスーツを纏った女刑事がいた。彼女の服は薄い生地でも長袖だった。

「おーい、行くよーっ」

 息を吐いて、少女は青年を見た。

 彼は頷いていう。

「いってらっしゃい」

 少女は返事する。

「いってきます」


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 女刑事の車は左ハンドルだった。少女は右座席に座って、流れ行く真幌市の風景を見つめていた。

「あんたには八課の捜査員が張ってる。伝えたよね?」

 排気音に混ざった女刑事の声。

「自転車の二人乗りは交通法違反。返品不可の商品にクレームをつけて返品を強要するのは市の迷惑防止条例違反。部外者に八課、七課の業務を喋った特別免罪処置法施行中の人間は、情報漏えい罪と同じ扱いをされてもおかしくない。昼食も抜いた。まったく、特別顧問が聞いてあきれる。誰もあんたを信じないよ」


「香水はオーダー通りだろうに。褒める所をきっちり褒めないと、誰もついてこない」

 バックミラーを見ながら少女は続けていう。

「ボクの役割はあくまで顧問だ。捜査を指揮し、解決するのは管理官が相応しい。困っているから許可がおりたのだろう?」

 

 少女は瞼を閉じて背伸びした。

 女刑事はアクセルをふかし、叫ぶ。

「その調子! それぐらいの口がないと、男どもに嘗められるだけ! そういう仕事っ!」

 

 車は青空の下を爆走して行く。

 当たる風が寒い、と少女は呟いた。

 女刑事は返事をしない。

 微笑みながらハンドルをきる女刑事を見て、少女は己の頬を叩く。

 

 ばちん。

 

 女刑事が赤信号でブレーキを踏んだ途端だった。

「どうしたの?」

 顔を右に向ける女刑事に、少女は笑って答える。

「キミに倣って気合い注入してみた」


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