Side〝T〟-6 DrugMind
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青年の後を追って少女は客間に入る。
壁に大きなポスターが張られており、家具よりも最初に目に入った。
ポスターに写っているのは外国人の子供だった。黒人だった。
ちぢれた短髪、上半身裸でホットパンツを履いており、人差し指を唇に当てて、大きな目。
「気持ち悪いかな?」
頭を掻く青年に首を振って、少女は部屋の真ん中に座る。
床には白いカーペットがひいてある。家具はポスターの右にある木製の二段ベッドのみだった。
部屋の真ん中に座ると、大きなポスターの真正面になり少女は人差し指を唇に当てていう。
「六十年代のプログレッシブ代表がピンクフロイドなら、八十年代はこのミスター・フー。コンサート、TVはおろかラジオにも出演しないミュージシャン。生死すら不明のまま業界から消えた。一度だけ雑誌のインタビューにこたえて、取材した記者は、黒人の子供だったと述べており、彼の第一声は」
振り向いて少女は人差し指を唇に当てたまま「マイ、ネーム、イズ、フー?」と裏声を使って青年にいう。
青年は笑って、詳しいな、と返してからポスターを見つめた。
「名前はともかく年齢や性別、声まで偽っているなんて風評で叩かれて。でも日本のアイドルだって似たようなことしてるし……俺、親父から教えられてファンに。最近、カヴァーされてアニメの主題歌になってるけど、あのアレンジは許せないな」
「原曲はボクも好きだよ。特に〝ファースト・イズ・フー〟は、一度聴いたら一週間は耳にこびりつく」
「シンセサイザーで多種多様な笑い声を作って、二十分も流してるやつか。知ってる? あれにもちゃんとした歌詞があって、笑い声の中、フー本人が歌ってるんだ」
「もちろん」と少女は返事して歌い出す。
扉にもたれかかって青年は腕組みして聴く。
やがて「ストップ」という。
「そこからは〝ファウスト・イズ・フー〟。フーの人間性が失われていくんだよ」
むう、と少女は唸って踵を返す。
脇に挟んでいたタブレット端末をカーペットの上に置き、操作しながら「ボクの仕事は一時間程度では終わらない。徹夜になるだろう。朝まで声をかけないでくれ」という。
「一時には寝るんだよ」と小声で返事し扉を開ける青年。
彼は質問をした。
「一目惚れって信じる?」
「うん。経験した」と少女がいうと、青年は、そう、と返事して扉を閉めた。
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タブレット端末のアイコンをタップし、データを見て少女はぶつぶつと独り言をいう。
「被害者は唐沢有紀、二十六歳。真幌市中央区在住、一人暮らし。身長百六十二センチ、体重四十三キロ。右利き。軸足は左。私立真幌短大、教育学科卒。映画研究部。趣味はビーズアクセサリーなど手芸品を作ることや読書、音楽、旅行……頭部を切開、電気ショックを受けて意識を保ちつつ強姦。後、職場である真幌女子高にて腹を切開、解体」と少女は画面をスライドさせる。
唐沢有紀の顔が画面に映し出される。彼女の顔をアップさせる。瞼がしっかり、縫い上げられていた。
続いて遺体周辺の画像。
血の池の中、つぶされた眼球が二つ。その画像を見た。
「縫い目が荒い。他の臓器は綺麗に取り出しているのに……まず、慌ててえぐり取り、手で潰した。この糸は……市販の釣糸か」と少女は床に仰向けになった。
ポスターを見上げ、顎に手を添える。
「さて。ボクは、ボクは……」と繰り返してから右手を伸ばしてタブレット端末を取り、顔の前に立てる。
「ボクは何かを見せたくない。さあ、何を? どうしてそれを見せたくない?」
左手で薄い板を掴み右手の指でデータを探る。そして独り言ちる。
「自分の姿? 地元の人間だから? 知り合いだから? 瞼を縫い上げてまで?」
指を動かしつつ、立ち上がって少女は部屋の中を一周する。
「遺族によると……怨恨など無いはず。自然が好きだった……穏やかな水面、少ない波、強弱の激しい風、湖の真ん中にある小島……地元住民にとって、観光客は笑いもの。そんな場所を旅して、愛した」
立ち止まって少女は「笑いもの」と復唱した。
「笑いもの……ボクは彼女に、笑われたくなかったのか。徹底的にいたぶった理由は? サディストでしたじゃあ済まない」
液晶パネルから別の情報を引き出し、また部屋をぐるっと一周する。
「まず七月三十日の夜、唐沢有紀は大学の同級生十名とともに、カラオケか。五対五の合コン。男子メンバーが気分が悪いという理由で解散。女子メンバーともども家路についた」
足を止めて少女はポスターに向き、右手を振る。
「七月三十一日の午前一時ごろ、最後の友人、大谷裕子と別れて、唐沢有紀は行方不明になった。
日付が変わり八月一日、午後七時。赴任先の真幌女子高、南校舎の鏡の前で遺体として発見」とまた部屋を歩く。
そして別の資料を読み上げた。
「ここの住民は、傾向として深夜に外出をしない。コンビニの多くは午前一時で閉まる。過去十年間、非行少年および不良少年らは……喫煙、無免許運転、飲酒が八割を占めており、それらは昼下がりから午後十一時に集中している。殺人等、凶悪犯罪は年齢を問わず、やはり午後十一時を境にゼロ……夜、繁華街界隈、人は増えるのに。
すべて雪のせいだ。深夜に出歩くと凍死する。豪雪によって交通機能が麻痺し店に閉じ込められることも。午後十一時以降の外出が無いため犯罪も無い……暴力団らの組織は密輸と密航」
扉の前で足を止める。少女は茶色い扉のノブに手を置く。
「だが冬季の空き巣が全国で上位になっている。空き巣に入った者が、出くわした住民を殺害、強姦したケースが過去三十年間で六件。その中で連続殺人になったケースがある。全員逮捕され、刑も確定、執行されているが、特筆すべきは地元住民による近所への犯行だった。
また……供述書によると再犯者は、事前に被害者を特定せず、自分に話しかけた者、笑いかけた近所の人間を襲ったという共通点がある」
振り返ってまた、ポスターを見る。
「ボクは……笑うという行為に対し、苛立ちを覚えたのか? 精神科の常連だろうか? 被害者も地元なら、立場が危うくなる、それぐらいわからないのか?」
少女は首を振る。
「否。ボクはそんな危ない橋は渡らない……本年度の上半期の特異家出、失踪者の一割に事件性があったとして……ボクならそういった人間を狙って、身元発覚を遅れさせる。しかし、彼女は真幌市の住民だった」
端末を操作して、再び唐沢有紀の顔を見る。
事件発覚後、到着した鑑識官が撮影した写真で、床上に置かれた遺体を刑事が指さして映っていた。
その刑事の顔をアップにして数秒見た後、鑑識班の報告書を読む。百枚以上のレポートの中、直接的な死因は出血死とあった。
続けて下半身の状況を読む。こちらは時間が経っていないため簡易検査の十枚程度のレポートだった。
「……ボクは何故、胸部を刺した? 胸に興味ないのか?」
右手を振り上げて降ろす。その動作を繰り返して少女は首を振る。
次に右手を腰にあてがい、ポスターに向かって突進する。
ポスターに写る少年の腹部に手を当てて、首を振った。
「ダメだ。これなら殺してしまう」
少女は右手を下げ、扉に向かって突進して行った。
扉の前で右手をぐるんと振り、体ごと反転する。
少女の唇が緩む。
「殴ってみた……さあボクは彼女の笑顔を苦悶に変えた。どうする? 彼女は苦しみ、もだえている。肋骨が折れているかもしれない……では拉致しよう」
踵を返し少女はポスターに向く。
右人差し指を唇に当てて、
「だが遺体を酷くしたのは……どんな意味が?」
少女は首を振ってポスターに歩み寄る。
「違うな。それは結果だ。その証拠に見てみろ、写真を……彼女の前髪は揃えられ、長い襟足はバッサリと切られて座敷童のようじゃないか。衝動的にバラしたんだ。でないと外傷などがあって然るべきじゃあないか。丁寧にいたぶっている途中に殺害してしまい、精神面の異常をアピールした。髪と体を……違う!」
壁に頭をぶつけ、少女は呟いた。
「違う、違う! ボクはそんなことをしない。そんな非道な事、出来るわけない!やったのはボクでも、解体したのは別の〝ボク〟のはず。髪を切るなんてボクのあずかり知らないところだ!
……ボクはまず、中央区でふらついていた彼女を偶然見つけて声を掛けた。気分が優れない彼女を、体目的で近づき、ボクのよく行く場所……自宅近辺で人気のない場所に引き込み、口説いた。抵抗されたので、腹を殴って悶絶させ、拉致した……そのあとは」
壁に沿って少女は膝を落とし、白いカーペットの上に座る。
ぶつけて擦れた額の皮が剥けて、それを指でつまむ。
「そのあとは変わった……モラルが変わった。まず、笑われたくなくて眼球をえぐった。だが、見られていないと興奮できない。だから保管した。頭部を切開して死なれないように電流? 違うな、電流で痙攣し、性器にも伝わり心地良かった。
そんな強姦行為を経て、さらに変わった。混乱の中でも、モラルを無くしたボクは発覚を遅らせる方法を見つけ実行した。急激な変化だ。ならば大胆なミスがどこかにあるはず」
液晶画面をタップして学校内の写真、証拠、地元住民の聞き込み、監視カメラの画像等を見て呟く。
「例えばこれ……八月一日午後二時。被害者宅近くの道の駅、土産屋にて、不審な男が目撃されている。フルフェイスのメットを被って来店した男は、店員に注意され、何も喋らずに店を出た」
店の監視カメラでの映像をダウンロードし再生する。
入り口の自動ドアに黒いライダースーツにフルフェイスのメットを被った男は、背中にバックを背負っていた。
レジにある、観光客用のパンフレットを手に取ったところで店員が話しかけて、男はパンフレットを置いて出て行った。
店員はその後を追って自動ドアに向かうが、すぐに引き返してレジに戻った。そこで動画を停止させて少女は報告書を読み上げる。
「身長170ぐらい。がっちりとした体……バイクはハーレーのサイドカー付き。ナンバーは無かった」
少女は店員から聴取された文を読み上げて「無かった?」と声に出す。そして別のアイコンをタップする。
「その日に同じ色と装備の車種が四台、ナンバー認識システムに引っ掛かっている。こんなにも不審な人物を店員は、確認しなかったのか?」
再び動画を映すと、まったく人のいない店内が映し出された。
店員からの聴取を読み、こめかみを人差し指でたたく。
「元々ナンバープレートが付いていなかったのか。途中で着け外したな……Nシステムの設置場所を知って避けた。事件との係わりはどうあれ、この男は土地に慣れており地元警察の緩さの代弁者だ……ならば仮説と一致するが、腑に落ちない。すんなりできない、くそっ。もっと情報が欲しい!」
遺体遺棄現場、真幌女子高校の写真を出す。
学校周辺の写真を見る。
多くの足跡や近辺道路のタイヤ痕を見ていく。
「ここの道路は綺麗だ」と少女は呟いた。
現場付近から、十メートルも離れていない最寄りの国道の写真には石一つなく、車のブレーキ痕も無い。
運転が上手な犯人だと捜査官の証言があった。
「さっと来て、ぽんと置いて、ささっと帰った。さっきの男を、仮説と合わせると……筋は通る。が、あくまで仮説だし」
頭を掻きながら床に置いたタブレット端末を操作するが、控えてあるナンバーはすべて隣県のナンバーだった。
「情報が無い……情報が無い? 何故だ? ……くそっ、仮説を放棄するか」
頭を激しく掻きやがて、止める。
「いや、いっそのこと、仮説を正当化してやるか……そうか、ボクは仮説を立証したくて犯行に……ならば理知的とは言えない。幼稚すぎる」
ふうと息を付いて、壁にもたれかかる。少女は横にあるポスターを見ていう。
「ただ名前ばかりは……教えてくれないか?」
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部屋から出て、少女は風呂場に向かった。
廊下には蛍光灯が点いていて、夕方より早くたどり着けた。
洗面所でコックを捻って水を流し、顔を洗う。水を口に含み、すぐ吐き出した。
手で口元を拭い、メモ帳を取り出して今までの経緯を書いた。
書き終えた後に鏡を見る。鏡に映る己を見て、くすっと笑った。
「ボクは休むよ……変わってくれ」
鏡を見ながら少女は髪止めを解き、ツインテールにした。
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部屋に戻った少女は部屋の中央、ポスターに写る少年の前に座る。メモ帳を開いて先ほどの節を読んでから、目を閉じて両手を上げて、ゆっくり振った。
「なによ、急に。もう……鋭い刃物だよね。切断面は綺麗だった。遺体の配置場所はここで、被害者の家はここでしょ……」
両手で宙を探った。
「これ……私の事件のように配置してない。わかってるみたいだし、ツッコむとこじゃあないよね」
少女は瞼を開けて宙を見て、手で人間の形を何度も描く。
「下半身に強姦した跡があるから、犯人は男性だったっけ」
四回なぞった宙から少し下に手をやり、また描いて行く。
「資料によると学校の駐車場から現場に向かう土の地面、少ない足跡の一つに、スポーツ靴のものがあった……サイズは28。足跡の深さは10センチちょっと。夕立で少しぬかるんでいたから、体重、六十ぐらいかな。歩幅は狭く、真っ直ぐ。現場から駐車場まで往復していたのは、これだけ」
ぐるぐると足の形を宙に描き、少女は瞼を閉じる。
「親指の内側に少し体重がかかって、そこ、ゼロコンマ単位で他よりくぼんでる。スポーツが得意そう。日に焼けてる。この時期、海水浴もできるし、アウトドア派なら一度は行ってるはず。お盆前だし、ラッシュもまだだし。釣りとかでも……競争馬のように大腿部が太く、脛からぎゅっと引き締まってる。逆三角形の身体。いつも背筋を……上半身の筋肉を使って歩いてる。だから一定の間隔になって……でもこの幅は……どうだろう? とても一般人とは……よし。イメージできた。でも……これ教えてもいいのかな? ちょっと腹立つ……イジメてやる」
少女はメモを取り出し書きはじめた。
『参考としてください。
足跡から考えると小学生、中学生、被害者の生徒のどれかではないでしょうか。
ハーレーの男は無視してもいいかと。観光客はこの時期、千人規模ですし地元市民うんぬんは判断しかねます。
南区の春には桜が満開になって花吹雪が綺麗な道が多い。でもこの時期は緑葉ばかりで退屈。
退屈。
退屈を楽しめる人間は生活に余裕がある。職をもっている人間ではない可能性もあります。
いつも理由を付けたがる私の模倣犯では無いと思う。晒し方が雑ですし、でたらめ。
夜道で襲ったり殺したり……こういう人は何事も思いつきだけで物事をやり遂げてしまうタイプ。そういう人は、知識や人生経験が豊富でも一般常識に疎いよね。私も空気読めっていわれるもん。
相手を翻弄させてるけど、遺棄場所に意味は無い。そこから考えても犯人にはたどり着けないと思います。
被害者の自宅付近に住む人か、学校の関係者じゃあないかな』
「これでいいか……そろそろ逃げたら? 捕っちゃうよ?」
書き終えた少女は真正面にあるポスターに向かって尋ねた。
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部屋で少女は髪止めを解く。
右前髪だけを垂らし、メモを見る。
「んー。そのうちケンカしそうだな」
そしてメモ帳に書き足す。
『おまえら、意見交換はいいけどケンカすんなよ? 消されるぞ。
首すじ、腕、下半身にそれぞれ傷があったろ。
小さな傷だ。手元が狂っただけかもしれない。
首筋にギリシャ数字の〝Ⅰ〟
腕に〝Ⅱ〟
下半身の内股に〝Ⅵ〟って見えなくもない。
オレの事件と同じでアナグラムを振ってある。
情報提供はこれだけ。
まあそれは置いといて。
大ヒント。
現場状況がまったくわからん。
わかるか?
わからないんだよ、証拠がどうとか、わからないんだよ。
わからないってことは、どういうことだ?
信じるかどうかは、ご自由に』
「オレはさながらテンパイ、地獄待ち……どう切るよ?」
眼前にあるポスターに言葉を投げかけて、少女は床の上に大の字に寝転がった。そのまま瞼を閉じて歌い出した。
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その後、六回も交代を繰り返し、事件を整理し意見をメモに書きなぐった。
青年が部屋をノックするまで、少女は夜明けを知らなかった。
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