Side〝破〟-1 真幌市警捜査特務一課
秋だ。
あちらの紅葉がとか、こっちの松茸が美味しいとか。そんな季節。
……なんて世間は騒いでいるけれど、残念ながら私には縁が無い。
深夜だ。
資料や報告書などが乱雑に散らかった机。
うんざりする。
そういえばシャワーも浴びてないや。体臭を消す香水が引き出しに……だめだ、もう切れてる。
刑事になって四年が過ぎ、それなりに階級も上がり、収入も増えた。
子供の頃、大人になったら愛する男と時間を大切に過ごす、とか考えていたけれど、実際にはそうそう上手くいかない。
職業が職業なだけに一人の時間というのは無い。そりゃあ刑事にも休暇はあるけれど今の部署は……。
真幌市警捜査特務一課。
いや、激務課でいいか。ここの刑事は皆そう言ってる。
ただでさえ多忙な捜査一課に、特殊部隊まがいの仕事やら事務仕事まで転がりこんでくるという、たいへん人使いの荒い職場。
だから激務課。
勤務時間も仕事内容も非合理、理不尽、非人道的だから非公開。
重大な事件、誰かががさっきしょっぴいてきた『
結果、犯人は病院行き。
撃ったやつは上司を通して、私に始末書と残業をプレゼント。
それが激務課。
あぁ、もう。
眠い、お腹すいた、帰りたい。
「
のらりとした声をだしながら部署内に来たのは……なんだ
「遅い」
私は声を出し、腕時計をみる。針は午前三時ちょうどを指していた。この時間帯になると私の頭が鈍るため、辻をパシリ扱いする。辻は歳上だけど階級は下だもん。何が悪い。
「チーズと照り焼き、どっち?」辻がハンバーガーを両手に持って聞いた。もちろん……。
「照り焼き」
「また俺がチーズかよ。ま、好きだからいいけど」
辻からハンバーガーを受け取って、私たちはかなり遅めの夕食。
辻の席は私の向かいにあるが、私の机より散らかっていて、肘を置くスペースもない。
身長190センチ以上もある大柄な辻にとって、ここの椅子はストレスを多大に感じるらしく、私の隣机にどっかと座る。
「あんた、行儀悪いよ」
「主のいねぇデスクなんざ、こういう役だろ」
「整理すればいいじゃない」
「あれはあれ。これはこれ」そう言って、辻は豪快にハンバーガーにかぶりつく。
つまりは面倒くさいのね。
辻よ。はっきりそう言いなさい。
部署内は静かだ。辻とのやり取りがなければ、蛍光灯の音さえも聞こえそう。警察署、といっても午前三時ともなれば、パソコンだってスリープモード。
そんな環境で食事をしている私たちが変なのだ。
もしかすると仮眠室で眠れたかもしれないのに……あの警官のせいだ。これじゃ警視総監賞ぐらい授与されないと割に合わない。
「青びょうたんも夜勤だってよ。キャリア組なのに点数稼ぐねぇ」
「青野も照り焼きが好きだったわね。買ってきてやった?」
辻はフフン、と口元を緩ませて、ハンバーガーショップの袋から一際大きい包み紙を取り出した。
「本日発売のスペシャル三段照り焼き。単品で六百八十円だ」
私はポテトを食べようと手を伸ばしていたのに、その手を止めた。
「ちょっと! 私もそっちがよかった!」キンキンと私の声が部署内に響くのが自分でもわかる。
「将来への投資だ。お前に食わせて、何の得が?」
辻はそう言うと、さっと袋に入れ直し、私から遠ざけるように袋を自分の横に置いた。
「差別主義者め。あんた、ろくな死に方しないよ」
「へっへっへ」辻は笑いながらまた大口でかぶりつく。
腹が立ちすぎて私も大きく口を開けて、普通の照り焼きバーガーに噛み付いた。
いつもと変わらない、ずっと変わらない、素朴で普通。
それが照り焼き……。
#
全部食べ終えたのに量も味もどこか物足りなく感じたのは、やはり辻のせいだろう。
「もう三時半か。そろそろ青びょうたんが戻るころだな」
「なんでわかるのよ」
「勘」
すると廊下を革靴で歩く音が聞こえてきた。
いったい辻がどういう神経をしているのか、わかる人がいたら教えて欲しいぐらい。
「よう、青びょうたん! 差し入れだ」
「お、おつかれさまです……辻先輩」
いつも胃が痛いと嘆いている。が、今日は特にまいっているようだ。
「村井先輩……おつかれさまです」
「青野、あんた大丈夫?」
「はは、ちょっと、ショックなことがありまして……」
そう言って辻の隣へ。自分の席にうなだれるように座る。
すかさず辻がハンバーガーショップの袋を差し出した。
ん? なんとなく青野の顔がひきつったように見えたのは、目の錯覚?
「まぁ食え。男なら、まず食事だ」
「食……」と、青野の顔が、蒼ざめていく。
なんか、ヤな予感がする。
「辻! ちょっと!」
「あん? 村井はさっき食ったろ。照り焼きバーガー」
「て、照り焼」青野は両手で口を覆う。
やばい!
私は辻から袋をひったくって青野の口に押し当てた!
「青野! 吐くならこの中!」
あー私は今、何も聞いてません。青野の嗚咽とか聞こえません。
吐瀉物とか見てません。
大人ですから、きちんと割り切って青野の心中を察します。
「ああぁ……マジかよ、青びょうたん」辻が呟く。
ツンとした刺激臭が部署内に。
私と辻は顔を合わせ、苦悶の表情を浮かべた。
あ、この袋って、確か……。
あ、ああ……。
こんな結末なら、何が何でも私が食すべきだった。
スペシャル三段照り焼き……。
#
「ほら、青野」
私は袋を始末したついでに、三人分のコーヒーを淹れてやった。
大丈夫、手は洗ったし、消臭スプレーも手に吹きかけた。
たぶん、大丈夫なはず。
「すみません」青野はそう言ってカップを受け取り、ゆっくりと啜る。そして暖かそうな息を。
うん。飲んでも大丈夫そうだ。
「辻、ほら」
辻にカップを向けると、辻は左手に自販機で売っているコーラを持っていた。
「酸っぱいコーヒーなんざ、いらねぇ」
「あんたね、ちょっとは言葉を考えなさい」
「青びょうたんの中身はゲロだったかぁ。汚ったねぇ」
小学生か、コイツ。
「まあ、吐いたところでキャリアに傷はつかねぇし。いいじゃねぇか、現場を肌で感じたんだろ? 無駄じゃねぇさ」
まあ、確かにそうだ。
吐くほどの現場を知らず、上に行ってもらっても、私ら、いち兵士の指揮を任せられない。
苦労と経験は同じ。それが警官。
「どんなヤマなの?」私はコーヒーを啜りながら聞いた。
「カニバリズムでして」
うぇ。それは青野、ついてないわ。
「なんだよ。カニバって。村井?」
辻よ。何故、私に聞くの?
こっちだって一般的な知識しかないって。
もう……。
「カニバリズム。食人のこと。古くからあって、酒呑童子の討伐話で源頼光とか……て、あんた、警察学校で習わなかったの?」
「鬼退治の話より、鬼を倒せるぐらい、しごかれたなぁ」
そう言ってコーラを飲む。
そうだ、コイツには教養が足りないのだ。
「人間って美味いの?」
辻よ、だから言葉を考えなさい。
「知りませんよ。ただ、美味しそうな部位を食べていますね。肝臓、腸、臀部、頬肉。それから大麻をやりながら犯行を行った形跡があります。吸殻の量からして常習者ですね。高校で行われたんですけど、被害者の周りにカセットコンロが三つありました。パーティー状態ですよ」
青野はボロボロになった黒革の手帳を、意外にも平気そうな顔で読み返し、答えていた。
「それ、真幌女子でしょ」
「そうですけど……なんでわかるんです?」
当たりか。
青野よ、こんな誘導に引っかかったらだめです。
こんな仮説が出来てしまうから。
「あそこの界隈は、発展途上だから、ヤクザやら外国人マフィアがシノギあっているの。麻薬密売と銃刀密売が主。多分、女子高関係者とヤクザ・マフィアの間にゴタゴタがあったんじゃない?」
「すごい……さすがです村井先輩!」
褒められているのだろうか。
事実と屁理屈を並べただけだから、あまり嬉しくない。
「所轄の人が言っていた通りですよ」
「所轄って。あんたプライド、無いの?」
「僕、配属されて半年も経ってないんですよ? 土地勘なんて無いし、勉強の毎日です」
「心構えはいいけれどね」
「市民に愛される警察官、それが僕の夢なんですよ。だからプライドとか面子とか、二の次なんです」
目を輝かせながら青野は言う。
私にもそんな感情をもっていた時期があったなぁ。
だけど、現実は非情だ。
「青びょうたん、まだ自分の立場をわかってないな」
コーラを飲み干してから、辻が言った。
「俺らは隠蔽が主な仕事だ。常に犯人を確保できるように、村井だって銃を携帯している。俺だって危ない武器を持ってる。わかるか? 今から危険な橋を渡らされるんだ」
辻はグシャっと缶を握りつぶす。
それと同時に青野の顔にも、しわがはしる。
そういえば、今まで青野のやった仕事は、駐禁切符の取り消しぐらいか。
「どういう意味ですか?」
青野よ。それはもう、愚問です。
まったく……。
「つまり、身内が関与しているんじゃないか、ってこと。人食い警察官だなんて、マスコミがいかにも飛びつきそうなネタじゃない。青野、課長に嫌われたんじゃない?」
「私的感情など、はさまんよ」
私は驚いて、声の方へ顔を向けた!
そこには小柄な中年男性が立っていた!!
全員、
「か、課長も夜勤で? 俺ら、もう上がりたいんですけど」
辻ですらおっかなびっくりで言う。
課長の背は私と同じぐらいなのに、纏うオーラは半端じゃ無い。
そもそもドラマみたく、上司に文句を言える警官なんていやしない。
言ったら即、
殴られようが左遷されようが文句は言えない。
それが警官です。
事件がどこで起きても、会議室で解決するように働くのが警官です。
会議室で事件を解決させるのが、理想的な警察です。
現場は会議室の下僕。逆らうと偉い方々はさらに現場をイジメます。
現場が上手く機能するように、必死で会議されているからです。
てか、現場捜査員が逮捕とか事件解決なんて現行犯だけ。
きちんと会議して捜査に移る。そういう規律、法律があります。
つまりピラミッド型組織です。
天辺が崩れたら全て瓦解します。
でも下っ端はいくらでも替えが効きます。
縦社会。
上意下達。
男尊女卑。
もろもろ含めて社会の
だから私はずっと敬礼してます。
椅子に座ったままで、恐縮ですが。
「すまないが辻と青野君には、まだやってもらいたいことがある。村井君は先ほどの報告書、及び始末書を提出次第、上がってよろしい」
はあ、と辻が溜め息とも返事ともとれる声をだす。
よし。少し天罰が下ったようだ。
久しぶりにベッドで眠れるぞ……。
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