Side〝T〟-9 FreeStyle
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会議室の時計の針が午後六時三十五分を示す。
少女は、男ばかりの会議室で己の立場を述べた。
「現在、新法によってここに出席を許された。現段階でボクの」
彼女の声に被せるよう、鎌田管理官がいう。
「警察は犯罪者の手を借りない。モラルに反する」
その声に少女は反論する。
「だったら現存する聴取データを破棄しろ。犯罪心理学者の手も借りるな。それらは敵から送られた塩だ。現場を重んじ、証拠が出るまで待機すればいい。モラルとやらで解決できるなら警察なんていらない」
反論は無かった。
鎌田管理官は息を吐き「以上。解散」と告げた。
他の捜査員は各々資料を鞄やバッグに入れていく。
少女はマイクをオフにして、会議室を闊歩した。
鎌田管理官の座る最前列のテーブルに、マイクを置く。
捜査員は小声で話し、席を立とうとしていた。
鎌田管理官前にあるテーブルは他の捜査員より大きく、資料と真幌市の地図が広げてあった。
少女はそのテーブルに飛び乗って鎌田管理官の前で腰を屈め、スタンドマイクのスイッチをきる。そして顔を近づけて囁く。
「津木さんから何も聞いていないのか」
「そんな男は知らんな」と薄い眉を寄せ、鎌田管理官は告げて資料を鞄に入れていく。彼の目は少女を捉えていなかった。
「男性と知っているのに、津木さんを知らないとはね。おかしなことだな」
腰をあげてテーブルに立ち、少女は彼を見下ろしていう。
「ボクの立場は公安の特別捜査員ということになっているが、警察内のいざこざとは無縁だ」
彼女はテーブルにUSBメモリーを落とす。
からん、という音がしたものの、鎌田管理官の視線は扉にいく。
阿久津カオリが腕を組んで立っていた。
少女は首を左に傾けて「あなたは津木さんと似ている。顔も性格も」という。
「現状から考察してごらん。津木さんはこの事件を彼女の手柄、強いては公安の手柄にしたいようだ。明確な発言は無かったが、ボクを利用し、事件の資料を流す理由なんて、それぐらいだろう?」
鎌田管理官は少女の目を見て呟く。
「あの老いぼれが糸をひいているのか……おまえ自身は三味線を弾いているのか?」
「少しね。でも事態の収束を狙ってのものだ。ボクの交代人格がしゃしゃり出てくるまで、話に相槌を打ってくれ。現状の打開策と、公安の資料を提供するよ」
鎌田管理官は着席すると、マイクの先端を掴む彼女の手を払い、スイッチを入れ「全員、着席」と声を上げた。
「タブセ・レイコ。私の知り合いに、おまえたちの起こした〝二天一殺人事件〟の担当が数名いる。私自身、他府県でいくつかこの手の事件を解決したが、捜査会議はいつもこのような内容だ」
USBを拾ってポケットに戻しつつ少女は、へぇ、と声を漏らす。
鎌田管理官は「本当だ」という。
「この手の事件は、小さな情報が重要だ。しかし多すぎて整理しきれない場合もある。現場から情報があがるたびに捜査員を集め、一日に三度、会議を行うこともある。おまえたちの事件のようにな。
遺体が発見されるたびに、鑑識の報告から、交通課に捜査網の修正、生活安全課、少年課、組織対策課に前科もちをあぶり出させ、刑事課を現場へ走らせる。情報を共有し方針を、役割を変え……熟練の捜査員でも三日で疲労困憊になる」
そして、女刑事に視線を移す。
「人材豊富な警視庁公安勤務の阿久津警部補にとって、幼稚に思えただろう。だが東京より小規模な地方都市で、そう易々と捜査方針を切り替えられない。ここにいる捜査員は皆、別件をいくつも掛け持ちしている。彼らの体調を考えて発言してくれ」
ぶぅん、とマイクの電源が入り、少女の声が響く。
「天才は99パーセントの努力を無にする1パーセントの閃き……この言葉を残した人物を、管理官は知っているかな」
やや間を置いて鎌田管理官はいう。
「ニコラ・テスラ」
「正解。エジソンの名言〝天才は1パーセントの閃きと、99パーセントの努力〟を補足する発言だ。よく皮肉と勘違いされるが、そうじゃない」
マイクを右手に持って少女は、鎌田管理官の右を通りテーブルから降りた。
事件の概要と容疑者で埋められたホワイトボードに向かう。
「頑張っても駄目なことがある。99パーセントの努力をどれだけこなしても、決して100パーセントにならない。1パーセントの可能性が無ければ努力は徒労に終わる……パズルは1ピース欠けていると、絶対に完成しない。まずは可能か不可能か判断するべきだと、努力の有り方を説いた言葉だ」
「捜査にぬかりは無い」
鎌田管理官の声が響くが、すぐに「見ればわかるよ。みんな、頑張りすぎて、くたくた。力を抜こう」と返す。
少女はホワイトボードに書かれた文字を見る。
『被害者・唐沢有紀』
『友人1・
『友人2・
『友人3・
『友人4・
『友人5・
それぞれに写真が貼ってあり、略歴や家族構成が書かれていた。そしてアリバイ有と丸でくくられていた。
「この中で最終目撃者は」と少女が写真を引きはがし「この大谷裕子。中央区在住の彼女だった。被害者と同じ職場。家路もほぼ同じだ。最も犯人に近い人物かも」という。
「馬鹿らしい」
捜査員の一人が大きな声を上げた。
「アリバイはあるぞ。ボードの文字ぐらい読めんのかい」
その捜査員の方を向き、少女はいう。
「彼女は午前一時半に自宅マンションに帰宅し、朝まで父親から説教を受けていた。母親もそれを知っているし、泊りこみしていた父親の同僚もね。怒鳴り声を聞いて電話、訪問したマンションの住民から裏も取れた。ならば」
少女は写真を、びりっと破る。
捜査員らが、ああっ、と声を上げた。
「こいつは洗っても無駄だ。可能性が無い。99パーセントまで行っても、100パーセントにならない。大谷裕子の家族が結託してたとしても、近所の目はごまかせない。シロだ。記憶から排除して脳の負担を減らそう」
そして残りの友人らの写真をすべて破いた。
「この友人らと家族、近隣の住民全員、99パーセントで止まる。ボードにある中で可能性があるのは……さて、雑な情報ばかりだな」
少女は十枚、二十枚と写真をもぎ取り、手でボードの文字を消した。
「待て。おい、ちょっと。こら」
鎌田の声に構わず、少女は文字を消し、写真をはがし、破る。
「何をする! おい、話が違うぞ! 説明をしろ!」
「いちから説明すると長くなる。要点だけを述べてもじゅうぶん長いけれど。そもそも、それを拒否したのは、管理官、あなただし……さて」
残ったのは近隣住民からの情報提供で浮上した人間の情報だった。
『
『
『
『
「待て! 破くなっ! こらっ!」と鎌田管理官が駆け寄る。
返事をせず、少女は次々と写真を破き、床にばら撒いていく。
「捨てるな! こらっ、拾え!」
三名の捜査員と鎌田管理官は写真を拾い上げていく。
鎌田管理官は、声を大きくしていう。
「タブセ・レイコ!! おまえは捜査員の努力を、何だと思っている!!!!」
彼女は容疑者予備軍の欄を見て指でなぞった。
『新井あつみ』
この文字を見つめながらハンドマイクで少女は返事する。
「無駄なあがきだ。こんな、単純な事件にぐだぐだと」
「何だとぉ!!」
席に戻った鎌田管理官はすぐ大声をあげた。
会議室にいる全員が耳に手を当てるなか、少女はいう。
「だってここに、容疑者がいるもの。あとは裏を」
「タブセ・レイコ!! 全国民を聴取しても、裏が取れるとは限らんっ!!」
スピーカーがハウリングし、鳴りやむまで数秒。鎌田管理官以外の者は耳を押さえ続けていた。
「聞いてよ……まず、犯人像や動機ぐらい、腐るほど考えられる。裏が無い奴は破棄しよう。容疑者を絞ることができなければ……たとえば、犯行声明をでっち上げてマスコミに流す。するとこちらにある、容疑者が新しい事件を」
「そんなもの、捜査とは言わんっ!!」
再び、がぁがぁ、とスピーカーが音割れをし、鎌田管理官の声が響く。
「警察にそんな権利は無いっ!! またオウムみたく、検挙するために発破をかけるのか!!」
「あの件は、そうしなきゃダメだったはず。そもそもボクは、たとえ話で……」
「はんっ!! そうそう、はいはいと、公安のやり方が今日び、まかり通るものかっ!!」
スタンドマイクをテーブルから外して持ち上げ、立ち上がった鎌田管理官。
怒鳴り散らす彼を、写真を拾っていた捜査員がなだめた。
「どうか、落ち着いてください」
「耳を貸さないで」
「ああ、大人げなかった……」と、鎌田管理官は息を荒げて少女を睨みつけた。
左手で左耳を押さえながら彼女はいう。
「えっとね、まず解決するために、そこまでやる覚悟があるかい? とりあえず現場の状況、周囲の地形、不審者の情報をまとめて、きっちり、ゆっくりね、時間をかけて考えてみよう。そうすれば、きっとわかるから」
「つぅうーい……」
鎌田管理官が息と言葉を吸い込む。
そして皆、耳に手をやって構えた。
「さっきまでさぁ! そういうのをねっ!! みーんなでやってたのーっ!!
二時間以上もっ!!
途中参加ならさあ!! 資料に!! 目を通して!! きちんと!! まとめて発言してくれませんかあぁぁ??!!!!」
あー、あーとスピーカーが響く。
音とともに鎌田管理官の感情が鎮まる。
少女はゆっくり口を開く。
「つまりね……証拠がなんだとか、不審者がどうとか、整理して王道を走っても、欠点が無いなんて断言するのはどうだろうか?
欠点が無いなら確保できているはずだ、と訴えたい……入院歴のあるボクには、この会議がパニック症患者の押し問答に見えた。みんな、ゆっくり深呼吸して、頭を冷やそう」
そして少女は捜査員らに向かってスクリーンを降ろすようにいうが、会議室には小言が出ていた。
深呼吸している鎌田管理官に対してのものだった。
「すうう……はあ……」
ほんとうに管理官が深呼吸している、一人のガキに乗せられてる、と。
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「深呼吸は脳のリフレッシュに最適。そして座ると集中力が上がる……足を浮かせたらリラックス効果もある」
少女は、五度の深呼吸を終えた鎌田管理官にテーブルの上に座るようにいう。
彼はこめかみを押さえながら、テーブルに腰を下ろし、会議室の床から足を浮かせた。
二人ともマイクを離さなかった。
会議室は捜査員たちのため息で満ちていた。
テーブルに広げられた地図が、少女と鎌田管理官を分つ。
その地図のあちこちに刺さっている、尻の赤いピンを指さして少女はいう。
「ねえ、こんなに検問しても、地元なら口コミで広がって犯人にもわかるよ?」
「少しずつ配置を変えて、新たな情報収集もしているのだ」の後に鎌田管理官は「学校か、ここは」と吐いた。
頬を掻いて彼女は尋ねる。
「緩めすぎると逃げられて、隣県の警察に犯人を盗まれるだろうね。ただ、自身の首を絞めることになっているよ?」
鎌田管理官はマイクをオフにした。
「公費活用のためだ。こうやって設置上限数ぎりぎりにしたり、他都道府県から捜査員を招いたりして、有効に消費させないと、忘年会などの飲み食いに消えてしまう。費用の問題について議論するなら、署長としろ。さっさと話を進めろ」と小さくいう。
「費用の問題より、人間に余裕が無さそうだよ?」と少女。
会議室にいる捜査員らは皆、テーブルに突っ伏していた。
鎌田管理官は「会議中だ!」と叫んでから地図を改めて見る。
赤いピンに混じって、金色の画びょうが刺さっていた。
「緊急配備がまだ残ってる……署長の野郎」と鎌田管理官。
「たしか事件発生後、署長の権限で設置して一時間で解くから緊急配備だったよね?」と少女。
「うるさい」と彼は刺さっている画びょうを三本抜いた。
四角い真幌市に通る国道から、一般道へ抜ける道がくっきりと浮かび上がる。
「違うぞ。この道は隣県へ抜けてしまう……だから残していた」
鎌田管理官は画びょうを元の場所に戻そうしたが、少女は彼の手を取って首を横に振る。
「あなたの判断は的確だ。ボクが犯人ならもう詰まれた。今日中に確保されてもおかしくないよ」
捜査員たちから、えっ、という声がいくつか漏れる。
彼女は鎌田管理官の見開いた眼を見て、マイクを持ち、いう。
「この中央区から南区へ、そして他県へ向かう道を開けてやる。そうすると、どうなる? 犯人はここが安全だと踏む。真幌市から県外へ出るならここを通るしかない、とね」
少女は指を地図に置き、中央区を南下して南区へ向かう国道をなぞり、その先にある高速道路前に刺さっているピンで指を止めた。
次に反対に方向の北区から日本海へと抜ける国道をなぞると、ピンにぶつかり止まる。東区も、西区も、彼女の指はピンに阻まれた。
「検問は警察の代表的武器だが、むやみやたらに乱発すると」
少女の指は地図で最もピンの密集している地帯に入る。数センチ動かしてはぶつかり、地図内で行き場は無かった。
その場所は東区にある山岳地帯だった。
「とんでもない場所に犯人を隔離させる。犯人は身動きが取れないので隠れ続ける。さあ、この犯人とは一体誰だ、なんて推理できるかい? 誰からも情報が無いのに」
鎌田管理官はマイクを置き、テーブルを降りた。
捜査員らに背を向けて口元を手で隠し、じっと地図を見る。そして、一本、また一本とピンを抜いていく。
「無駄な配置が多すぎる……ここには集落が無い、ここも……交通課! 署長とおまえの課長を連れて来い!」と叫ぶ。
「はい!」と返事がし、三人の男が会議室から出ていて行った。
少女は何度も頷いてマイクでいう。
「検問を減らすことは、犯人の行動範囲を広げることになるが、こちらにも有利だ。車はもちろん、失踪者や浮浪者も動きやすくなる。もうボクの考えはわかるだろう?」
「ホシに余裕を与え、新たな事件を起こさせる」と呟き、抜いたピンをテーブルに叩き付けて、鎌田管理官は叫ぶ。
「馬鹿か! 本末転倒だ! こんな……」
地図を指さし、口をぱくぱくさせて鎌田管理官はテーブルを叩いた。
少女はテーブルから降りて、彼の耳元で囁く。
「ボクの考えでは犯人は二人。一人は新井だけど、きっと偽名だ。ボクと同じような経歴と言えばわかるだろう。
もう一人はすぐ近く……今から揺さぶるが、これ以上、あなたまで騙されないようにね……詳細はこれに」
少女はUSBを取り出して、彼の胸ポケットに入れ、肩を叩いた。
そして会議室を闊歩していく。
捜査員の視線は彼女には無く、背中を丸めてテーブルの地図を見下ろす鎌田管理官に集まっていた。
「ボクは地元住民の犯行であることを前提にしている。何故なら」と少女の声が会議室に轟く。
「情報が無い。きっと検問の場所を知っている……設置場所を線で結ぶと見えない檻ができる。閉じ込められた犯人は、どんな行動をするだろうか?」
彼女は扉の前、阿久津の隣まで戻り、振り返り、会議室を傍観した。
全員、彼女らに背を向けていた。
「答えは現在の膠着状態を招くほど、何もしない。軽犯罪も起こさない。普通に日常生活を送るのみ。
本件の犯人はボクの知るなかで比較的大人しく、冷静だ。こちらは現段階の情報で犯人に迫らなければならないが、情報が少なすぎる。
打開策は、検問を適度に緩めて証拠を得て、また閉じ込める……このとき検問を緩め過ぎると行方をくらますだろうし、犯人から見て、適度とならないと行動させられない。
難しいことだ。そうしたのは警察のミスでしかない」
彼女は阿久津に向かって右手を差し出して、親指と人差し指をひっつけて丸を描いてから、指を四本立てる。
阿久津は、懐から瓶入りのクワトロンを出し、四錠を少女に渡す。
少女は受け取り、その薬を飲みこんでから、いう。
「上意下達、初動作三分……事件への対応が安直で、早すぎた。この状態をつくった時点で最早、打つ手は限られてしまった。
待つか、動かすか……この二択だ。
現在、犯人はのんびり暮らしている。やっきになっても空回りするだけだ……頑張りすぎはよくない。力を抜いて、犯人の身になって考えてごらんよ……」
少女の膝が、がくんと落ちる。
阿久津が彼女を支えた。
異変に気づいたり、手を貸す男はいなかった。
「こっちは動けないのに、みんな走り回っている……せっかく大事件を起こしたのに無視され続け……孤独感、うっぷんが積りに積もっていく。今は大丈夫でも、いつかストレスが爆発する……あなたたちは、モラルを無くした人間の……暴走を煽っている……ケンカでも窃盗でもいい、小さな行動を起こさせよう。以上」
ぶつん、と少女のハンドマイクの電源が落される。
阿久津は、瞳が左右に揺れ続ける彼女を背負って、会議室を後にした。
扉を開け、廊下に出て扉を閉める。
誰も声をかけず、見送りもなかった。
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