Side〝T〟-8 My Name
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真幌市警中央署の外観は四角形だった。
壁は白いものの、地に向かうにつれて茶色く汚れていた。
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中の壁はその逆で、天井に向かうにつれて茶色くなっていた。
少女は入るやすぐ天を眺めた。
一階ロビーは吹き抜けだった。天井は、少女が体をのけぞらせても見えない。
「なにやってんの」
女刑事の声が木霊する。
一階ロビーに待機している人間は、受付係だけだった。
時々、汗を拭きながら歩く背広姿の男性らもいたが足音のみで、声は無く、すぐに外へ出ていった。
少女は上体を逸らし天井を見上げながら、女刑事に問う。
「静かすぎないか?」
「会議が始まってるらしいの。四時からって聞いてたのに……」
「着替えなくてもいいのかな。ラフすぎると思うけれど」
「時間が無いから、そのままで行くよ」
「ふうん」と少女は入ってきた自動ドアを見る。
自動ドアはスモークがかかっており、外の景観はほとんど伺えない。
淡い日差しのみで、ロビーの照明も点いていなかった。
「暗いね。冷房も弱い」
「節電してるの。ほら、こっち」
少女は女刑事へと歩いて行く。
テーブルで仕切られただけの、受付窓口に少女は立つ。
係の男性職員が、椅子に座ったままペンと紙を差し出していう。。
「お名前と、ご住所、目的を記入して下さい」
少女はペンを受け取らなかった。並べられた紙をざっと見て、息をつく。
そのまま男性職員を見ていた。
「あの、お名前と、ご住所を記入していただかないと」
少女は男性職員から視線を外し、受付の奥を見る。
ディスクトップパソコンが三台あり、それぞれ女性職員が作業していた。
そのさらに奥には恰幅の良い男性が二人、立ったまま、少女を見ながら茶をすすっている。
全員、長袖のシャツ姿。
袖をまくり、肘で止めていた。
「あの、お名前と」
再三、男性職員が促すが少女は首を傾げて黙って立っていた。
女刑事も黙ってそれを見ていた。
「あのねぇ。日本語、わからないのか?」
コツ、コツと少女は靴の先で床を蹴りはじめる。
腕を組んで、黙って、やがて受付テーブルの下を蹴とばした。
だぁん、と音が響く。
「おい!」
男性職員が立ち上がる。奥にいた男らも少女に向かって来た。
「ちょっと! ここをどこだと思ってるんだ!」と受付の男がいうと、少女はゆっくり、答えた。
「警、察、署」
「わかってるなら名前と住所を書きなよ、来た目的も!」
「どうしてだ」
「あんたは捜査に加わるんだろう? なら記録しないといけないの!」
「事情を聞かされてないのか、ただの馬鹿なのか……やれやれ」
そして少女は黙った。
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おほん、と咳払いしたのは奥から歩いてきた男だった。
髭をたくわえており、腹がでっぷりと突き出ているものの声は若かった。
「お姉さん、ちょっとは場所を考えな」
「考えた上での発言と行動だ。文句あるかい」
「山ほどある。ちょっとツラぁ、よこせ」と男は親指で、受付の中を指さした。
アルミ製のドアがあり、休憩室、と書かれたプレートが出ている。少女はそれを見ていう。
「断固拒否する」
「いいから来い」
男はごつごつとした手を少女に伸ばしたが、途中で止めた。
二人は視線を合わせていた。少女は男を見上げる状態だった。
男は汗をかいていた。ハンカチで拭いながら、少女を見ていた。
「職務質問なら、ここでじゅうぶん。ね?」
少女は微笑む。
手を伸ばした男は、歯を食いしばっていた。
「ほら、さっさと山形さんに」と受付の男が少女の肩を掴む。
二つの声が同時にロビーに響く。
「止せ!」
「止めなさい!」
少女は男性職員の右腕をとり、そのまま捻り上げた。
男性職員の悲鳴が聞こえたが、すぐ彼の体がぐるんと宙に回って、机に叩きつけられる。
一本背負いを掛けた少女は、すぐさま、机にあるボールペンを左手で取り、男性職員の首を右腕で絞め、左手に持ったペンを、彼の首に突きつける。
芯は出ていなかった。
「緩い」
カチッ、とボールペンの芯が出された。
「このまま彼の頸動脈に突き刺し、ねじり込んで抜く……血が噴き出して卒倒する。しばらく警察病院に入院。彼の穴埋め、ボクの聴取に人員を割く。そんな暇があるのかい? こういった事態を考え、言葉を選べ。凶器になるような物を、初見の人間に安易に出すな」
そこまで、と女刑事が少女の肩に手を置く。
少女はすぐ男性職員を解放した。
パソコンに向かっていた女性職員もみな、少女を見ていた。
襟首を正しながら、男性職員がいう。
「暴行、公務執行妨害! 確保!」
少女はため息を吐いて、彼の隣に立つ、山形と呼ばれた男を見た。
「そいつは通らねぇな」
山形の手には受付の、女刑事が記入した手続き書があった。
それを眺めた山形はいう。
「このガキを引っ張るなら、警察庁に連絡しなきゃならん……目も腕も常人じゃ無い」
おい、と山形は後ろの休憩室に向かって声を上げる。
制服を着た警察官が四名出てきて、窓口のテーブルを飛越し、少女と女刑事を囲んだ。
「会議室まで同伴する。騒ぎを起こされたら面倒だ」
山形も加わって階段を上った。
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少女と女刑事を中心にして五名の警察官は真幌署内を歩いて行く。
すれ違う事務職員らは、道を開けて軽く頭を下げ、敬礼していく。
「会議は四時からと聞いたのですが」と女刑事が前を歩く山形に問う。
彼は振り返らずに返事した。
「捜査員を再編したから、時間を早めたとか何とか」
「連絡してくれないと困ります」と女刑事がいうと山形は脳天を掻いた。
「こっちにも朝まで連絡が無かったし、公安が加わるとは思わなかったし、部署が違うし、使い走りじゃ無いし……」と山形は足を止めて振り返る。
少女は一人の職員に対し、私服に敬礼するなと注意してから、山形と女刑事の方に向く。
「妙なガキを連れてくるし……本庁勤務の警部補様が、地方勤務の俺なんかに、文句をぶつけられても。全部、言い訳になりますな」と山形は踵を返して歩き出した。
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三階に着き、人の行きかいは無くなった。
山形と制服警官らは会議室前で解散した。
真幌女子高教師殺害事件と戒名が張られた壁、会議室への扉を前にし、女刑事は少女に小声でいう。
「下っ端にアピールしてどうするのさ」
「ピラミッド型階級組織の要は部下。トップは一本の筋を通す絶対者であるべき、というのがボクの持論でね」
シャツの裾を引き、カーゴパンツを引き上げて少女はいう。
「ここは縦社会の有り方を間違えている。下を有効活用できていないから、苛つき、立場の違う相手でも啖呵を切り、尻拭いを他人に任せて逃げる。あの受付係のような馬鹿もする」
「どこもこんな感じだよ」
女刑事はワイシャツのしわを伸ばしてから、少女にに視線を向ける。
少女が頷くと、女刑事は扉のレバーノブを下して押す。
音もなく静かに扉は開いた。
同時に汗とコロンの混ざった空気が流れ出て、少女は鼻をつまんだ。
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会議室は百畳の大広間だった。横長のテーブルが十もあり、捜査員は三十名ほどだった。
奥にはホワイトボードがあり、被害者の写真や人物関係が図にしてあった。
起立し、ハンドマイクを手に捜査員の一人が喋っている。
誰も少女らに目を向けなかった。
「通り魔という線で捜査しても、まったく手がかりがありません。人数を増やし、捜査線を広げないと……」
私語は無かった。
それぞれ茶をすすったり、あくびをしている。
少女と女刑事は、扉の前で腕を組んで眺めていた。
捜査員の男たちのほとんどが長袖だった。
そして会議室にはオリエンタル系の甘い匂いが充満していた。
奥の席に座っている色白の男が資料に目を通し、机に置いてあるマイクに向かっていう。
「交通課、報告」
この短い命令に対し、はいと声を上げて捜査員が起立する。ハンドマイクが手渡されて、彼は書類を片手にいう。
「指示通り検問を増やしました。えー、場所は中央区の国道の、南区に入る箇所で」
ゆっくりとホワイトボードの上から幕が下り、照明が落された。
垂れ幕に真幌市の道路が映写機で映される。
全体が正四角形の真幌市は、主な国道が二つある。
中央区の外れで十字に交差しており、北区から南区へと続く道、東区から西区へと繋がる道。
映し出された二つの国道に赤い点がいくつか付いており、捜査員は点のすべてが新たな検問場所だという。
また南区にある高速道路へ入る横道にも検問がなされており、少女は指折り、数えた。二十を超えていた。
「まだ不審車両はありません。以上」と捜査員はマイクを置く。
「報告をしろ」
その声は、先の色白の男だった。
「報告の意味を知っているのか」
その短い質問に対し、先の捜査員は再び喋る。
「失礼しました。他の検問でも不審なやつは引っかかりませんでした。これからも頑張ります、管理官殿」
ぶつっ、とマイクの電源が落される音がし、どさっと資料をテーブルに落す音が聞こえる。
「どうぞ頑張ってくれたまえ、警部捕くん」と映写機の光によって一際、色白になった管理官は次の報告を求めた。
遺体の写真が映され、刑事課の報告が会議室に響く。
管理官を見ながら少女は女刑事に囁く。
「キツネみたいだ。顔も、性格も。名前は?」
「
「ふうん。鎌田、ねえ」
「何さ?」
「津木さんの面影がある……それより、進展は無く簡単に締めるとみた」
「そうね。同感」
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その後の捜査会議は鎌田管理官への報告が主に進み、指示というものは降りなかった。
鎌田管理官は、報告書に書かれていることと捜査員の言葉を照らし合わせ、間違いを探し、それに物言いするだけだった。
二時間過ぎた。
「長期戦になる。覚悟しておけ」と告げて鎌田管理官は、背もたれにかかり宙を見てから大きく息を吐き、少女らを見た。
視線が合った少女は、はにかんで見せた。
沈黙を破ったのは鎌田管理官だった。
「公安、何かあれば……おい、彼女らにマイクを」
ざっと一斉に捜査員たちが振り返った。
そして、皆がため息と愚痴を吐く。
「女かよ」
「片っ
少女は頬を掻いて、女刑事に尋ねる。
「きっちりとした服を着るべきだったかな」
「それで態度が変わるなら、とっくに女性の警視総監がいるよ」
男が歩み寄ってきて女刑事にマイクを渡してすぐ、踵を返した。
咳払いして、一歩前に踏み出し、女刑事は男たちに向かって発言する。
「警視庁警備局公安課、阿久津カオリ警部補です。捜査協力のため、こちらの同部署に召喚されました」
男たちは彼女から目を逸らし、資料に目をやる。
鎌田管理官だけが、腕を組んで彼女を見ていた。
がさがさと紙が擦れる音の中、彼女は続ける。
「私の、本件に対する意見資料はまだありません。昨日、現場に行ったばかりですので」
「君は現場をパッと見て、事件の真相を掘り起こせる天才かな」
鎌田管理官が問うと、彼女は眉を寄せマイクを握りしめて答える。
「できません。私には」
この一言で全員が手を止めて私語が飛び交い出す。
「だったら何をしに来たんだ」
「また、出しゃばりやがって」
「これだから〝内務省〟とか言われるんだ」
「捜査じゃなくて時間と税金の無駄使い」
ですが、と彼女は声を強くする。
「途中から会議に参加しましたが、まったくもって、捜査会議とは名ばかりの経過報告。どうとでも取れるまとめ……捜査とは何か、指揮が何たるかを管理官は知っておられない。警察の底辺を見た心地です」
忙しかった会議室が、しんとなった。
彼女は口を緩めて続ける。
「このままでは、ただの殺人事件では済みません。この会議室を見ればわかります。本件は」
彼女は一旦、間を作る。
少女が「そのまま。良い感じだ」と頷いた。
「下手に扱うと警察の誇りを汚す、やっかいな事件です。もう一人の協力者もそう感じている。今日は、彼女の意見を聞いていただきたいのです」
そこでマイクが少女に渡される。
少女は男たちの視線の中、ゆっくりと発言した。
「ボクの名前は、タブセ・レイコ」
「何?」
「タブセ? カンダじゃないのか?」
「馬鹿、そっちの名を出すな」
数名の男たちが声を上げた。
少女は続ける。
「ボクは殺人を犯し、少年法と病気で無罪となった。俗にいうサイコパス。あなたたちの天敵だ」
捜査員たちの視線が集まり、少女はマイクを強く握りしめた。
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