Side〝T〟-2 The World


 真幌大通公園を離れると〝きつね通り〟という商店街がある。そこの薬局の店先で少女は目を覚ました。欠伸をし、周囲を見渡す。

 通る人は皆、少女を見下していた。

 

 夜が明け、太陽が昇っていた。午前六時になったと商店街に流れるラジオ放送が知らせた。

 

 少女は立ち上がって服についたほこりを払い、ポケットに何かが増えていることに気付く。取り出してみると財布だった、アニメのキャラクターが描かれ、マジックテープで止めるものだった。中身を確認して、次にメモを読む。

『協力者ゲット。ついでに資金も。午後八時まで寝るから、テキトーに時間つぶしておいて』

 その次の行に少女は書き足す。

『事件調査はいいけれど、ボクは協力しない』

 そして歩きはじめた。きつね通りを抜けて、昨日、雨宿りした店に向かった。


 一時間ほどで店にたどり着いた。扉にある小窓は文字の書かれたプレートが下がっていた。大窓にも茶色いカーテンが降りていて中を伺えない。少女は昨日のように店の入り口で立っていた。

 

 だんだんと日差しが強くなり、気温もあがる。

 通り行く人々がハンカチを持ち始めたころ、窓を叩く音がして少女は、ぱっと振り返る。店のカーテンが上がり青年が笑って手を振っていた。

 少女は軽く会釈した。


 青年の姿が消えてすぐ、ぽろん、と音がし扉が開く。青年は「いらっしゃいませ」と招いた。

 店内を闊歩しすぐに少女は注文をする。

「アイスコーヒー。あと食べ物。何があるのかな」

「モーニングセットなら、ハムエッグかピザトースト」

「じゃあ、それ。両方とも二つずつ」

「はい?」尋ね返す青年をよそに少女は昨日のカウンター席に座り、自動演奏のピアノに目をやった。

 青年は「食べ残しはだめだよ」とカウンター内に入りグラス棚の右にある冷蔵庫を開けた。


 二枚目のピザトーストを焼き終えて、青年がカウンターに運ぶ。すでに少女はハムエッグ二皿を食べ終えて、皿を横に置き、一枚目のピザトーストにタバスコをふりまけていた。

「一応、聞いとくけれど」

 青年はトレイを持ったまま。少女はトーストに噛り付く寸前に見合った。

「家出?」

「急だな。当たっているが、それがどうした」と少女はトーストを、がじっ、と口に含む。もぐもぐと口を動かし、立ったままの青年に向かって、財布をほおり投げた。

 カウンター内の床に落ちて、青年はトレイを置いてから拾い上げる。青年が尋ねる前に、少女は「きっちりとね」という。

 青年はその中から三千円を抜き取り、トレイに乗せてレジに向かった。

「モーニング四人分で、二千四百円になります。三千円からで、おつりは六百円」

 チーン、とレジが鳴って開く。青年は六百円を取り出して、レシートと共に財布に入れる。トレイに乗せてトーストと共に少女の前に置く。

 少女は半分ほど食べたトーストを皿に置いてそれらを受け取り、がじっ、と食事を再開して一枚のトーストを一分もかからず胃に収めた。

 

 ピアノは今日も同じ曲だった。少女は二枚目のピザトーストにタバスコをかけながら青年に話しかける。

「あれから席は埋まったようだね」

「バレたか。関西人の団体がね。相当な酔っ払いで、断れなかった」

「ボクと同じくサービスと称し、さらに酔わせてアフターかい。アルコールと香水の匂いがぷんぷんする」

 青年は自分の二の腕を鼻でかぐ。すると少女がそれを見て笑ったので口をつぐんだ。

 少女はトーストにかじりつく。

 やがて、後頭部を掻いて青年は口を尖らせていう。

「おっしゃるとおり。それだけ苛ついてて、憂さ晴らししたんだ。大魚に逃げられたから雑魚で我慢したんだよ」

「男はつらいね」

「女のほうがつらいんじゃないか? 毎日風呂入って、メイクして、男に泣かされないようにしないと……勿体ない」

 すっ、と青年は少女の髪に手を伸ばし米粒ぐらいのフケをつまみ取る。

 むう、と少女は唸った。


 すべて食べ終えた少女は、さらに食後のホットコーヒーを注文し、すすっていた。青年も自分で淹れ、窓際の席で飲んでいた。どうしていつもそこに座るのか、少女が尋ねると青年は「こうしていると、客がいなくても、いるように見える」という。

「ほとんどの常連様は夜型。昼は、めっぽう暇なんだ」

「何時まで開けているのかな」

 青年はピアノに目をやり、指を折る。

「昨日の演奏は百五十回だから……午後十時ぐらい」

「一曲六分で午前九時からなら、午前零時だろうに。どれだけ飲んだのやら。業務時間はきっちりしないと」

「時間なんて適当でいいんだよ。俺の店だから……と簡単にいかないけどね」

 少女はコーヒーをすすってから「どうして」と尋ねる。

 青年は頭を掻き、まあ色々とあって、と話を止めた。


 太陽が昇りきって、窓の外が揺らいで見える。

「今日は暑いですよ」と青年は席を立った。ラックにある新聞の全国版を取り、席に戻ってテーブルに広げた。少女はピアノと外界を同時に見て、お冷を飲んでいた。

「セ・パはどうでもいいんだよ、夏は……よっしゃあ!」

 青年は右手を握りしめ、叫ぶ。新聞を見るようにいう。

「群馬の母校が甲子園に出るんだ、念願の初出場!」

「おめでとう」と少女はピースサインを出した。だが、手の甲を青年に見せていた。青年はこめかみをおさえて、息を吐く。

「そのサインの意味、わかってて、やってる?」

「うん。あなたの母校は、きっとボクに関係ないし、もしかすると敵かもしれないからね。適切なサインだと思った」

「ちなみに、故郷と母校は関東のどこ?」

「当ててごらん。ヒント、校歌の題名は〝イッツ・ア・スモールワールド〟だった」

 少女は人差し指と中指を何度もひっつけては離し、やがてクロスさせる。

 青年は「強豪校のにおいがするなあ」と笑った。


 冗談抜きにして少女の出身地と母校を当てる、青年はそう宣言した。少女も窓際の席に移る。強い日差しが右から目に入り、新聞の文字がぼやけて見えたので、何度も目をこすった。


 ペンとメモを取り出し、少女は文字を書く。

 その後、髪をほどいてツインテールにした。


『この喫茶店のマスターは、良い人だ。気さくに話かけてごらん』

 ツインテールにした少女はその文を読んで、ポケットにメモを戻す。

 そのあいだ青年は、とある私立高校が予選決勝を辞退した、という記事を見つけ「あれ?」と声を漏らした。ラックから地方版を持ってきて、テーブルに広げる。

「おかしいな。ここも初出場がかかってるのに」

 青年はページをめくり、小さな記事を見る。少女も腰を上げて覗き見る。

 

 三日前、この街で起こった殺人事件の記事だった。容疑者を特定できず、捜査は難航しているとある。被害者は唐沢有紀と書かれているが、顔写真は無かった。

「ははーん。俺、ひらめいた」

 視線を少女に戻す青年は、目を細くしていた。

「この教師の勤め先、予選決勝を辞退した高校の姉妹校なんだ。容疑者も学校関係者ってことで、今、警察で挙げられてる。ややこしくなるから高野連が圧力かけて辞退。可哀想だなあ」

 ぱちぱちと少女は拍手する。


 青年は少し左に首を傾ける。

 少女も同じように首を傾ける。

「えっと……」青年は後頭部を搔き、全国版の新聞にある甲子園出場校を指さす。

「キミの母校は、ここ。千葉県?」

 首を横に振って少女は席を立った。そしてレジに向かい、声を上げる。

「すみませーん。お会計ーっ」

「あのう」青年は少女の横を通り新聞をラックに戻してから声を掛けた。

「お代はもう」

「払ってくれたの?」

 振り返り、少女は頭を下げて「ありとう。ごちそうさま」というと青年は後頭部を掻きつつ、いえいえと首を振った。

「で、これからどうするの。キミはその……」青年は唾を飲み込み「真幌、初めてみたいだし。今日はここに泊まっていかないか。メシの心配はないんで」とすばやく吐く。

 少女は笑って頷いた。

「昼ごはん、カレーが食べたいな」


 自転車で五分もかからない近所のスーパー。年配の主婦が目立つなかで青年と少女は買い出しをしていた。

 少女は喫茶店のことを心配していた。

「いいんだよ。日曜の昼は買い出し。常連様なら覚えてね」と青年はカートを押して行く。

 人参、玉ねぎ、ジャガイモなど安い値段の野菜、そして特売のカレールーをどんどん入れていく。


「ねえ、なすびは?」と少女がなすびの袋詰めを持っていう。

 青年はもう、レジで精算をしていた。

「カレーには、なすびだよ」

「いれないよ、そんなもん」と自分の財布から代金を出すが、少女はなすびを掲げて、買って、買ってと連呼して騒ぐ。


 子供連れの母娘が少女の前を通り過ぎる。子供は少女を指さしていたが、母親がその手を掴み、引っ張って行った。


 青年は「あれもお願いします」とレジの店員に値段を尋ねる。レジを打つパートの女性は、にっこり笑って「百円です」とレジを叩いた。


 スーパーを出るとすぐ駐輪場がある。野ざらしで並ぶ自転車群の中、少女は〝へ〟の字のように前かがみになってゆっくり歩く。

「暑い。北国のくせに」

 青年は自転車を押して少女を迎えに行ったが、その一言を聞いた途端、軽く頭にチョップを入れる。

「怒られるよ。東京だって南のくせに冬は寒いだろって」

「関東は南だから、北の冬より暖かいもん」

「北だから東京の夏より涼しいの。二年間ぐらい住めば判断できる。ほら、乗って」

 自転車の後ろに少女が座って買い物袋を抱える。青年は自転車をこいで、道路に出る。

 平坦な道だが、来たときよりも暑くなっていると、少女はいう。青年のシャツがじっとりと濡れていた。

「ならスピード、上げますか!」

 すると、少女の髪を揺るがすほどの風が吹く。下り坂に入っていた。

 だが、来た道と違うとまた少女がいう。

「遠まわりしてるだけ。中央区に下り坂は少ないから」

 するとさらにスピードが上がる。ぐん、と体と買い物袋が後ろに持っていかれそうになり、少女は青年の背中に体をつけた。

「気持ちいい」と少女はいう。坂道を下り終えても、青年はスピードを保ちながら自転車をこいだ。途中、パトカーとすれ違ったが二人を追いかけなかった。

 

 #

 店前まで戻ると青年は買い物袋と自転車を担ぎ、段を上る。

 両手が塞がれており、足で扉を押す。ぽろんと音が鳴って開く。入るまえに扉の小窓にあるプレートを右肩に引っかけて上げた。

 少女を追い越し、一匹のセミが飛んではいってくる。青年は勝手に出て行くからというが少女は捕まえようとし、セミを追いかけ、店内を走り回った。


 少女とセミは、外に飛び出して数メートル離れた街路樹の、ポプラの木にとまる。少女はポプラの白い幹に蹴りを一発いれてから、店内に戻ってくる。青年は「元気だねえ」と笑った。


「結んでくれないか」

 青年は少女に背中を向けて、エプロンのひもを指さすが「いや。これから料理本見るから」と少女はラックを漁った。ラックにある読物は新聞や漫画、週刊誌ばかりだった。カウンターでずっとひもを結ぼうともがく青年に声をかける。

「料理本は?」

「ないよ」

「レシピは?」

「ここ」

 青年はエプロンを脱ぎ、壁に掛けながら己の頭を指さす。

 少女はレジの下をくぐってカウンターの中に入ってきて、頬を膨らませた。

「休んでいて。俺一人でやるから」

「そっちこそ。二十分もこいでたのに。やせ我慢して」

 少女は青年の背中を叩く。汗のたまりができていたところを叩かれた青年は、うっと声を漏らし、息を荒げ、流し台に手をつき何度も深呼吸した。

 少女は彼の背中をさすった。


 ぽろん、と音がする。店内に入ってきた客が、店内を見て声を上げた。

「ありゃー兄ちゃん、またか!」

 緑の作業着を着、日焼けした初老の男性たち三人組が、カウンターの前に集まる。

「日曜だけど、医者呼ぶか?」

「いいえ……ちょっとのことだから、平気っすよ」

 青年は、息を整えてから「いらっしゃいませ」と頭を下げる。流し台で手を洗い、お冷とおしぼりを運びオーダーを聞く。アイスコーヒーを三つ淹れ、運ぶ。

 

 少女も灰皿を運んだりシロップを持ってきたりと手伝いをした。二人はずっと客の前で笑顔と会話を絶やさなかった。


「でもさ、またかよと思った」

「また?」

 喫煙席からカップを下げ、流し台まで運びながら少女はその言葉を尋ね返す。赤いソファに座り煙草を吸いながら、三人の中でもとりわけて色の黒い男がいう。

「知らないのか。兄ちゃんは背中をやってんのよ」

「背中って、背骨とか?」

「ああ。高校時代、野球の乱闘で。なあ?」

 少女から受け取ったカップを洗う青年は「そんなことしてません」と否定し、少女を鳶色の瞳で見つめた。

「学生時代、野球でピッチャーやってて。高校でフォームを変えたんだ。オーバースローだったけどコーチが〝お前はチビで肩が弱いからアンダースローにしろ〟って。その練習中、ぐきっと」

 男たちは、どっと笑う。「無茶苦茶だ」「訴えろよ」と。

 少女は「アンダーって?」と尋ねる。すると、色黒の男が立ってピッチングフォームをとる。

「いいかい。これがオーバースロー」

 右足を上げ、手を頭の上にやり、右足と共にそのまま振り下ろす。少女はうんうんと頷く。

「で、アンダーな?」

 右足を上げず、腰を落とし右手はさらに下げて腰を回しつつ腕を振り上げる。すると「いてぇ!」と叫び、口から煙草を落とす。腰を手で押さえながら煙草を拾った。

「真似でも腰にくるんだ、これ」

「無理しないでください。俺、それで手術したんですから……とっくに四十分経ちましたよ。緩い警察も駐禁取ります」

「だな、行くかい」

 三人組は席を立つ。レジで会計を終え、青年は見送った。少女は扉が閉まる前に、男の一人にひっつき外に出た。


「教えてほしいんですけど」

 堂々と路上駐車してある木材を積んだ大型のトラック、それに向かう色黒の男は、少女の声で振り返る。

「お兄さんが怪我してるって、初めて知って。治ってないんですか」

「いやぁ、さすがに治ってるさ。でも、いっぺん怪我したら誰でも怖い。無意識にかばったり、やっちまったときを思い出したり」

 手拭いで頭を縛り、男は店の窓を見た。少女も見る。

 青年が手を振っていた。男は手を上げ応える。

 トラックにエンジンがかかり、どどど、と音を鳴らした。

「店が出たころ……二年前か。俺が気合い注入って叩いたんだ。そんでぶっ倒れてよ。兄ちゃんが救急車は呼ぶなって言うから、俺が看病してな。フラッシュバックからの過呼吸らしいよ。よくあるんだと」

 ぽん、と少女の肩を叩き男は歯を見せて笑った。

「何かあったら電話しなよ。常連の連絡先はレジにあるらしいから。間違っても背中は叩くなよ」

「あ、お兄さんの名前を教えてください」

 クラクションが鳴らされ、男は「やかましい!」と怒鳴る。しかし少女には笑いかけて、再度、肩を叩く。

「おかしなこと聞くね。バイトだろ?」

「お酒を飲んでから記憶がごちゃごちゃになって、よくわかんないまま店に……」

 男は、あいつも節操がないわ、と笑った。

「兄ちゃんのことは、本人に聞きなよ。俺らも知らん。兄ちゃんは、兄ちゃんだ」

 

 そういえば確か、と男は店の入り口、扉の上を指す。ほんのりと茶色い木の壁には、真夏の昼に凝視しても、ぼんやりと見えるぐらい浅く〝Side・A〟と彫られていた。

「イニシャルを店名にしたって言ってたよ」


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