第11話 三文字目 第三画

 第三画


 宿泊研修一日目の残りプログラムは入浴だけとなり、一筆はその順番待ちに宿舎の部屋へと帰り、ベッドに腰掛けたと同時に、ポケットで携帯が震えた。

「寿々美からメールか……内容は……」

「さっき言ってたやつか」

 自室に戻らず留まっていた羽は、携帯の画面をのぞき込みながら、聞いてくる。

「うん、そうみたいだ……校内代表決定戦か」

「どうした。さっきまでの勢いが昼間の朝顔のように、しょぼんしおしお」

「うまいこと言ったつもりなの……いや、まぁなんていうかね」

 歯切れ悪く返すことしかできない。

「何が気になる。広次が言ってた信念か」

「そっちは特に。むしろ賛成だしね……私も心があれば能力なんて関係ないって思ってるし」

「じゃあ藍留のほうか」

「なんだ、羽も聞いてたのか」

 もちろんだと、羽は頷いてベッドの横に腰掛けて、足をぷらぷらとさせる。

「一筆は何が気になる」

「そりゃ、勝負事のあとに話があるっていえば相場は決まってるでしょ」

「どんな相場だ……マンガの読み過ぎ」

 一筆にはそういう考えすぎだという話でもないと思える。それはこの目で藍留の顔を見てしまったからだ。話があると言ったとき、いつものように緩やかな空気を纏っていても、目だけが炎よりも力強く燃えていた。

 それは自身が恋をしているときに、毎朝鏡で見るものによく似ていた。

「そういう目だったの……」

「どんな目か、メカか知らないけど、まっすぐ一筆が聞いて呆れる」

 羽はわざとらしく、大きな溜息を言葉尻につけ、両手を天秤のように掲げて首を振った。

「邪魔なものは、机だってよけるのがめんどくさい一筆が正しい」

「正しいのかな……」

 正しいと思いたいが、思う度に藍留の燃える瞳が目蓋の裏に宿る。

「めーんーどーくーせー!」

「ふぎゃ!」

 横に座っていた羽にいきなり胸を掴まれ、そのままひねり上げられた。

「ちょっと、何すんのよっ! 敏感部分はいきなり激しくするとかダメなんだよっ!」

「どの辺が敏感なんだ……ここか」

「いや、あ、そういう事じゃなくて!」

 身をよじり、ベッドから飛び立つと、羽から距離を置く。数瞬だったにも関わらず、よほどの焦りからか、額にじんわりと汗が滲んでいた。

「ったく……足癖も手癖も悪いんだから」

「そういう感じでいい。一筆がうじうじ考えてるなんて似合わない」

「繰り返しになるけど、そんなこといったってって感じなの!」

「ふむ……要は一筆が試合に勝てば問題ない」

「何で?」

「藍留は広次が勝ったら話があるって言った。すなわち!」

 羽はびしりと短い指を立て、それをそのまま差し向けてくる。近い、口に突っ込まれそうだ。

「一筆が勝てば、藍留は話を広次にすることができない。これは、一筆のせいでも何でもない。藍留が話にそれだけの理由をつけただけのこと」

「そ、そうだけど……いいのかな」

「いい」

 羽は指していた指をVサインに変えてたてると、すっぱりと言い切る。

「……そうね、そうだよ、そうしなきゃ!」

 羽に後押しされたことで、広次と試合しても、藍留に引け目を感じないだけの心構えが出来た。自分に正直でいいと、羽は言ってくれているのだ。

「よし、じゃあ私はお風呂に行ってくる!」

「待て、まだ時間じゃない……まぁいいか」

 羽が何か重要なことを言いかけたように思ったが、走り出した足は止まらない。それはいつものことだった。

 勢いで浴場まで来てみた一筆だが、自クラスの人間が誰ひとりとして見あたらず、時間を間違っていたことに気付いた。羽が言いかけたのは、このことだったのだ。

「仕方ない、一回帰ろう……」

 肩を落として、来た道を行こうとする背中をつつかれた。

「街ノ田さん~お風呂ですかぁ?」

 そこには洗面用具一式が入っているだろう巾着袋を持った藍留が立っていた。

「え、なんで藍留ちゃんがいるの?」

「やだなぁ~お風呂なんだから、お風呂入りにきたんですよぉ~」

 藍留は当然ですというように胸を張る。だが、五組の入浴時間でもないのに、当然六組のそれはさらに後だ。

「え、あの、時間……」

「時間……ああ、そうでした~早く入らないと、お風呂の時間なくなっちゃいますよねぇ~行きましょう~」

 言ったかと思うと、藍留は手を掴んでくる。そしてそのまま脱衣場へと引っ張られる。

「あ、え、ちょっと、時間はまだだって……」

 反論する間に、脱衣場に連れ込まれてしまった。湯気が立ちこめ、むんとした湯の匂いと石けんやシャンプーなどを混ぜた女子特有の香りが充満している。当然他のクラスの女子たちで満ちているのだが、皆着替えることに夢中で、そこに誰がいるかなど、注視している者はいなかった。歴史の中で湯殿では身分が関係なかったといのは、ただ周りに気を配る余裕がないだけだったのかもしれない。

「ほらほらぁ、早く脱いで入っちゃうましょう~」

「うう、何か藍留ちゃんっぽくない強引さだけど、仕方ない……」

 ゆるゆるしている普段と変わって、実に豪快なぬぎっぷりで、ぶるんぶるんと藍留は裸になると、洗面道具を持って、準備万端、ご丁寧に一筆が仕上がるのを待っている。体育に遅刻せず出られるのは、自身だけが気付いていない、これのためなのかもしれない。藍留はいい意味で、周りを一切気にしていないのだ。他者が藍留の肢体を気にしすぎるのと真逆に。

 しかし、まじまじと見られているとわかると、いくら同性でも気恥ずかしいもので、手元がもたつく。それでも一枚一枚脱いでいき、やっと入浴できる体勢になった。

「うう……そんな待ってなくても、先に入ってもよかったのに」

「そうはいきません~せっかく一緒なんですからぁ、一緒にはいらないとぉ~。わたし、こうみえてもお風呂大好きなんですよぉ」

「こう見えてもってとこがよくわかんないけど、まぁいいか……」

 藍留は清潔感もあるし、お風呂好きと言われて特に疑わしきところはない。それよりもしごく当然のように思う。むしろ、そのスタイル維持のためにはお風呂好きでなければならないとさえ思わせられる。

 もちろん、スタイル維持、または発育に入浴がどんな科学的役割を果たすかの論理的科学的根拠は一切わからない。

「ほわ~広いおふろですぅ~」

 学校付属の宿泊施設である以上、浴室にまで期待はしていなかった。だが、建物の規模や作りから考えれば、浴室も納得できる広さでもあった。部活の合宿も行われるなら当然かもしれない。

「洗い場も広いねぇ」

 蛇口つきのシャワーがずらりと並び、他クラスの生徒が使用していても、まだ空きがある。

「これなら紛れてても、何にも言われないな」

 咎められたからといって、なんということもない。女子風呂に男子が侵入しているわけではない。時間を守りましょうくらいの説教はあるかもしれないが、それでおしまいに違いない。すでに今回の研修で、説教は頂いてるわけで、ならばこれ以上気にせず、楽しもうと一筆は腹をくくった。

「ここが空いてますよぉ~」

 藍留が二つ並びで空いているシャワーを探し当て、手を引いた。

「はいはい、イスと洗面器を持って来てと……」

「ありがとうですぅ~」

 藍留の分も用意し、二人して蛇口の前に座った。正面には鏡もあって、本当に至れり尽くせりだ。

「うぐぉ……」

「どうかしたんですかぁ~?」

「いえ、何でも……こっちの話……」

 隣に座ると言うことで、プール前の着替えで見たことがあるとはいえ、まじまじと間近でそれを見ることになると、やはり圧倒されてしまう。腕を寄せると、異次元にでも通じているんじゃないかという、深い谷間が出来上がり、小さな動作にも釣られてたぷたぷと挙動する様を見ていると、深い催眠術へと吸い込まれてしまいそうだ。

「お、お胸さまぁ~はぁ~、かしわ手ぽんぽん……思わず拝んでしまう」

「あぁ~おっぱいですかぁ~。みんなわたしのよく見たり触ったり、もみもみしたがるんですよねぇ~。でも街ノ田さんもおっきいですよねぇ~」

「ま、まあぁね」

 自慢でもないが、自慢し返してみる。藍留の規格外品を見て後の物言いなら、負け惜しみというのが正しい。藍留のそれはただ大きいだけでなく、形も全てがパーフェクトといえ、比べて劣るのは明白だ。

「みんなぁ、お母さんから生まれますからぁ、男の子も女の子もおっぱい大好きですよねぇ~」

 髪を洗い始めた藍留は、目を閉じてしゃかしゃかと腕をあげて動くので、それにあわせて胸も豪快に揺れる。自覚がない、見えていないということは、これほどまでに無防備を作ることなのかと知ってしまうようだった。

「気をつけようと思っても、いつ気をつけるんだ、私!」

 一筆は自分で自分を怒鳴ると、こちらを向いた藍留に不思議な顔をされた。

「あわわ、あわがぁ、目に入りましたぁ!」

「ちょ、シャンプー途中で目なんか開けるから!」

 痛がる藍留の顔に向けて、ブースにあるシャワーを掴むと、お湯を射出した。

「はぶぶぶっ、あついですぅ~」

「ご、ごめん!」

 慌ててシャワーをどけると、藍留の顔を撫でようとした。だが藍留は自分で顔を引き、ぶるぶると犬のように頭を振って、シャンプーの残った目を洗った。

 当然、差し伸べた顔を撫でるための手は空を切る。

「はぁん~だ、だめですよぉ~」

「ぽよん?」

 普通ならば空を切り、それで終わるはずだった。しかし藍留の豊満な胸がそれを許さなかった。引いた顔のあった場所の直下に、ぽよんと新たな丘が現れて、手は熟練パイロットの着陸のように、そこへと吸い込まれていき、無事に胸の先にある管制塔をとらえたのだ。

「あぁん、おっぱい好きでもそんなの、いきなりだめですよぉ~」

「何もしてない、当たっただけ! 事故だから、そんな周りに聞こえるように宣言しないでっ!」

 案の定、取り囲む女子たちからは、ひそひそと声が漏れはじめる。湯気と羞恥心で隠されていた存在もはっきりとして、別のクラスの人ではないかというような声まで聞こえてきはじめる。

「公共の場でまで……この節操なし」

「え、羽!」

 的確すぎる指摘が来たかと振り返ると、そこには一糸まとわぬ羽が立っていた。タオルは女らしく肩にかけて、小脇に洗面用具を抱えている。

「あんたも、堂々としすぎっ!」

「風呂では当たり前」

「そうだけどっ!」

 あまりにも真正面だったため、目をそらそうとした手は、まだ残ったままだった。

「ひゃあん~もっと優しくしてくださいぃ~」

 藍留の艶やかな声が洗い場の音響効果と相まって、抜群の拡散力を生む。それを耳に入れた周囲からは、密やかな声が継続的に起こっている。

「もう、この繰り返しはいやぁー!」

 叫ぶと同時に、またも藍留はまだ湯船にもつかっていないのに、くったりと湯あたりのようにしなだれて腕の中に倒れ込んできてしまった。

「はい、現行犯」

「だから、違うっての! ほら、藍留ちゃんもしっかりして」

「は、はぃ~なんとか、だ、大丈夫ですよぉ」

 ゆさゆさと体を刺激しているうちに、何とか正気に戻った藍留は、そのあと着実に体を洗い終わり、湯船へと行ける状態になった。藍留が全てを終える間に、羽は既に体も髪も洗い終わって湯船に、ほくほくと浮かんでいる。

「はい、お邪魔しますよ」

「言い方がおばさんくさい」

「失礼だ失礼だ! 全国のお邪魔しますよっていって湯船に入る人に謝れ!」

「まぁまぁ、街ノ田さん~湯船はそんなかりかりもゆっくり包み込んでくれますよぉ~」

 藍留は浮力に胸を浮かせながら、重力から解放された喜びに満ちた顔でふやけている。

「そうだそうだ。さっさとつかれ」

「ぐぬぬぬ、元はと言えば……」

 一筆は羽への怒りに震えながらも、肩までゆっくりとつかっていく。ぴりぴりと、まるで酸性の温泉のような刺激が肌に心地よく、溜まっていた疲労が体からお湯へと溶け出していくようだった。

「極楽極楽って、言っちゃうねこれは……」

「女子の裸体ばかりで極楽とか、一筆はどうしようもないヘンタイだな」

「だからっ、あんたがそういうこと言うから、私のキャラがそれ系に……いや、違うから、違うよ、本当だよ?」

 なぜか周りから藍留と羽を残して、人が消えてしまった。

「羽のせいで、私がどんどんそっち系に仕立て上げられていく……これがえん罪……」

「いい。面白いから」

「私は面白くないっ!」

「おふたりさんは、いっつも仲がいいですねぇ~惚れ惚れですぅ~」

 人が消えたので、湯船の占有率があがったおかげと、藍留は大胆に胸を浮かべて揺れている。浴槽の縁を枕代わりにして、足も投げだし腕も解放して完全リラックスした状態だ。

「仲がいいって言うのかな……小学校時代からの腐れ縁だけど」

「藍留も広次と仲がいい」

「あぁ~広次君とは幼なじみですしぃ~親同士も友達みたいですからぁ~」

「じゅ、重大情報きたよ……」

 家族公認と知らされたようなもので、これはこれで一筆にとって大層な痛手ではあるが、重要なのは二人の間柄が今は幼なじみで停滞していることであって、その他には目をつむることが何とかできる。

「重大ですかぁ~わたしと広次君は、街ノ田さんと天原さんと同じようなものですよぉ」

 藍留は相変わらず湯に揺れているが、言うことには揺れがない。その言葉通りを受け取ればいいのか、少し裏を見た方がいいのか、深読みし過ぎてわからなくなってきた。

「広次君には夢があるので、わたしはその助けが傍で出来ればいいかなぁ~と思いますぅ。広次君には、いっぱい助けて……もらいました、のでぇ……いじめっ子からだったり、おっきな犬さんだったりぃ……」

「藍留、ちゃん?」

 緩やかな言葉尻が、さらにも増してゆっくりと止まりそうに続く。ゼンマイの残り少ないオルゴールを聴いている気分だ。

「……はぶぶぶ」

「え、ちょっと!」

 そして、オルゴールは止まる前に水没した。

「一筆、引き上げろ」

「言われなくてもわかってるっての!」

 慌てて湯船に沈んだ藍留を抱きかかえ、そのまま脱衣所に連れて行く。

「あははぁ、ちょっと眠くなっちゃいましたぁ~」

 脱衣所の床に敷いたタオルの上に座り、藍留は荒い呼吸を続ける。それを羽と二人で必死にタオルを団扇代わりに扇ぐ。

「気持ちいい風ですぅ」

「もう、危ないなぁ……お風呂場で寝ると最悪死んじゃうよ? あれ寝てるんじゃなくって、気絶だからね」

「そうですねぇ、前にお母さんにも怒られてしまいましたぁ」

「大丈夫かなホント……」

 こういう姿とは裏腹に、広次の夢を助けたいと言った藍留の真剣さも強さも本物だった。それを考えると、思わず藍留を扇ぐ手が弱まってしまう。

 だが、ここで負けてはいけない。どんな強い想いがそこにあっても、胸に抱く想いに忠実でなくてはならない。ただ、仲がいいだけで、恋はできないからだ。藍留に曲げられない想いがあるというのなら、一筆にもそれは同じく等しく存在するのだ。

「とことん、ずる賢くできないのも、私の弱さか……」

「何か言ったか?」

「何でもないよ……ってか、羽もいつまで裸でいるのよ」

「着る暇なかった」

 一筆も冷静になると、局所にタオルを巻き付けているだけだった事を思い出す。しかし、まだ顔の赤い藍留をこのままにして、自分だけ服を着るわけにもいかなかった。

「はふぅ~だいぶ、いい感じになってきましたぁ。ありがとうございますぅ~」

 そのまま五分くらい扇ぎ続けていると、藍留の顔色も普段の血色に戻り、一安心した。

「じゃあ、私たちも着替えようか」

「はい~そうしましょう」

 既に同じ時間帯に入浴していた女子たちの顔ぶれは消え、五組六組の顔見知りたちばかりになっていた。

「え、街ノ田さんたち、もう入って終わったの?」

 というような、もっともなクラスメイトからの質問にも、乾いた笑いで返すことになった。

「大丈夫だけど大丈夫じゃないだろうし、食堂で水でももらって飲もう」

 着替え終わった羽と藍留と連れ立って食堂へと行き、無人の給水サーバから水を紙コップに注ぐ。一口含むと、コップの中身全てを続けて飲み干した。乾いた体の隅々にまで新しい水分が行き渡り、生き返ったという心地になる。

「お水おいしかったですぅ~、お風呂も楽しかったです~」

「うん、まぁ藍留ちゃん何ともないみたいだから、よかったね」

「一筆のヘンタイレベルはあがったが」

「あげてんのは、あんたの勝手な言いようだっ!」

「あはは~ホント面白いですねぇ~」

 藍留はやりとりを見て、また安らいだように笑う。この笑顔を見てしまうと、決心が揺らぐ感覚に囚われる。それが友達というものだとわかっているが、それに折れてしまうことも、また違うと思える。

「藍留ちゃん!」

「は、はい~驚きましたぁ」

 誰もいない薄暗い食堂に一筆の張った声だけがひろがって溶ける。

「試合、私も本気で頑張るから」

「えぇ~。広次君もわたしも、そのほうが嬉しいですよぉ~」

「うん、試合会場であったときは、ライバルだから!」

 すごんでいるとは言えないが、それに近い声量で言っても、藍留はひるむことなどなく、やはり嬉しそうだった。

「よし、じゃあ部屋に帰ろう」

「はい~そうしましょう~」

「待て、まだ姫は水を飲んでないからカラカラ。そこの自販機でバナナオレを買ってこい。今すぐ」

「んな金あるなら、水飲んでない! 欲しいなら自分で買ってこい!」

「ち、仕方ない。水で我慢するか……」

 羽はおごらせる気だったことが外れ、舌打ちをしてから、サーバから水を紙コップに汲んで、間髪入れずごくごくと喉を鳴らした。

「ふー、さて行くか」

「マイペースと言えば聞こえがいいね、それ……」

 羽は喉を潤したことに満足したのか、ひとりで歩き始める。それに藍留と共について歩く。山が近いので、どこからともなく、虫の鳴く声がよく聞こえる。薄暗い廊下に嫌と言うくらい響き、夏の蝉時雨の中を歩いているような錯覚さえ覚える。

 夏を歩いている不思議な行程も、浴室からは自室がそう離れていないため、程なく終わる。

「じゃあ、また明日」

「はい~おやすみなさいですぅ~」

 そう言って藍留とは別れる。洗面用具を歩く度にかちゃかちゃと鳴らして、藍留は薄暗い中に消えていった。

「さてと、決めたからには試合頑張るかな」

「噛ませ犬になってもか?」

「噛ませ犬? わけわかんないこと言わないで、みんなが来るまで自室待機だよ。羽は自分の部屋に帰るの?」

「バカ一筆……」

 羽はぽつりと言うと、さっさと先へと歩いて行き、自室へと入っていった。質問の答えが、バカだとかそんなことは、いつも言われている合い言葉のようなものなので、特に気にならなかった。

 一筆が自室に入った瞬間、携帯電話が震えた。それはメール着信を知らせるもので、また寿々美からのものだった。

「よく考えたら、寿々美にメアド教えてないはずなんだけど、何で私にガンガンメールしてくるんだろう……」

 考えると少し背中が冷えることだったので、頭の端に追いやって、メールを開いた。

「え、試合決まったって、明後日!」

 急すぎて、悩む暇も迷う暇も、本当はなかったのかもしれない。だが、時間がないことが実は幸せだった。あれやこれやと考える必要がないからだ。時には、悩む時間も与えられないことは、いい方向に働くこともある。

「ふぅ……んじゃやりますか……私の恋のために」

 メールを閉じて、一筆は割り振られているベッドに寝転がった。

見上げる天井は真っ白で模様もなく、悩みを夜な夜な伝えてくる厄介なシミも存在しない。

世界の雑踏は遠く、虫の声もかすかに、眠るには丁度よい背景音楽だと思う。しかし、クラスメイトが一緒にとなると、話に花が咲くかも知れず、安眠できるかはわからない一筆だった。

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