第7話 二文字目 第三画
第三画
一筆は羽を抱えたまま、勢いよく廊下に飛び出し、そのままの勢いで、屋外の渡り廊下までやってきたが、その足は急速に遅くなり、その中央で止まってしまった。
「ヤバイ……調子よくきたものの、全くもって手がかりがない……」
「さすが」
「さすがじゃない! 羽も少しは何か考えてよ」
今のところすがるのは、この自称姫殿下しか存在しない。なんとも心細い仲間だ。心強い仲間が集まる酒場的なものでもあれば、即チェンジしたいジョブ特殊スキルなし初期メンバーだ。
「ふむ……」
いつもなら、口から出任せのようなアイデアがわいてくる羽の唇は、珍しく重かった。
小さなリボンが無数に点在する長くふわふわとした綿菓子の髪を、ふよふよと風にゆらめかせている。
白いクラウが風景の色のあちこちに点在していて、どこか年中がクリスマスデコレーションされているようで、その中に黙して立つ羽の姿は、もみの木のてっぺんに輝く星にも似ている。あくまで、黙していればという話ではあるのだが。
「うん、何もない」
「こらーっ、これだけひっぱってそれかっ!」
「ないものはない。というのは、さくさくっと進む手段がないというだけ」
「それを早くいいなよ……で、さくさくじゃなければ進む方法あるのね」
羽は、にやりと唇の端をあげる。その姿はもうもみの木のてっぺんどころか、宿り木よりも下にあったほうがしっくりとくるものだ。
「古いやり方だけど、足しかない」
「足……ええと、それは聞き込みをしてまわれってこと?」
羽は無言で頷いて返してくる。そうされては、溜息くらいしか返すものがなかった。一朝一夕でいくことのほうが、この世界では少ないのは、よくわかっていることだった。
「わかったよ……行きます行きます……」
「わかればいい」
「当然、羽も付き合ってよね」
だが、羽は藍留の物まねでもしたのか、首をつーっと横にかしげて見せた。
「いーから、来い」
「ひとさらいー」
首根っこを強引に掴み上げて、羽を連れての聞き込みを開始することにした。
手始めにというよりも、まずは現場百回に倣い、エントランスの下駄箱辺りへと足を向ける。しかし、部活に行く者ばかりで、エントランスは人気が無く、時期尚早の感が漂っている。
「うーん、じゃあ先に人が居そうなとこにするか」
「この時間ならどこ?」
羽の顔を見ながら、指さきだけを上へと示す。
「更衣室だね。教室はさっきまで居たし、この時間なら、部活に行くために着がえてる人たくさんいるだろうし」
「ふむ、一筆にしてはなかなかマトモ」
「一言多いの。んじゃ行くよ」
羽を待たず、自教室のある階へと戻り、更衣室の前まで来た。
「たのもー」
いきなり扉を開けても、通りすがりに中が見えないようにと、入り口からロッカーが並んでいる場所までは、目の前にパーティションがあり、入り組んだ構造をしている。そこまで分け入ると、運動部へ加入している生徒が予想通り大勢で着替えをしていた。
「えーお急ぎのとこ、ごめんなさいなんだけど、ちょっと話聞かせてくれるかな?」
いきなりに発してもそれほど怪訝な顔をされないのは、ここが五組と六組の専用だからだ。体育は合同で行うため、話したことはなくても、顔を見たことがある程度のつながりはある。
「街ノ田さん、どうしたの?」
「いや、ちょっと五限の体育前のこと聞きたくて」
「あー六組の娘の体操服なくなったってやつかぁ」
ホームルームで、一応の説明だけはあったので、誰もが迷わずに質問の意図をくんでくれる。
「うーん、ちょっとわかんないかなぁ。私ら、ロッカーの場所が違うし」
「ロッカーの鍵もだけど、そもそも入り口は電子ロックなんだから、無理なんじゃないの?」
口々に返ってくるのは、手がかりにならないものばかりだった。
そう、確かに入り口は電子ロックなのだ。キーになっているのは、生徒手帳カードについてる個人情報の入ったICチップだ。これを持っていると自動で読み取られ、ドアが開く仕組みになっている。
「そっか、ありがとう……」
「……」
羽は納得できないように、押し黙ったままだった。
部活前ということで、着替えた順に更衣室からは人がいなくなった。そして、十数分の内に一筆と羽以外の人影が消えた。
「手がかりなしか……」
「ないと言えばない」
「何それ。んじゃあるって言えばあるって感じじゃない」
羽は視線を外し、ゆっくりと室内を見回す。
磨りガラスの窓からは、屈折させられた光が少しだけこぼれ、人が大勢いた名残のように、埃の粒がチンダル現象できらめいている。見えない時は気にしないものだが、綺麗さの反動のように、それが吸うと毒になると思うと、呼吸することを嫌悪させる。
「入り口は電子ロック」
「そうだけど、女子なら誰でも開けられるでしょ」
生徒は更衣室などの鍵代わりになるICチップ入りの生徒手帳カードを所有している。生徒の名前が明記してあり、特別なことがない限り、このカードとは三年間付き合うことになる。これは寮生の場合、自室の鍵にもなっている、とても重要なものだ。
「そう、誰でも持っているもの」
「だからー、それだと逆に犯人の範囲が広くなってるじゃない」
「広くていい」
羽は不思議なことを言う。足での捜査しかできない現状、その目標範囲は狭い方がいい。
「いいから、来い」
悩んだ顔を無視して、羽は揺れる袖を掴むとそのまま先に歩き、更衣室から出る。
廊下は放課後の空気に満たされていて、どこか浮き足だった感覚が胸に押し寄せてくる。一日が終わることの予兆と、それに付属する焦燥感に満たされて、自然と足が速くなる。
その廊下を羽に手を引かれたままに進んで、止まったのは、三組と四組が専用で使用している更衣室の前だった。
「ここが何なの? 藍留ちゃんの体操服は私らの更衣室でなくなったんだよ?」
「もちろん、こんなとこにあると思ってない」
ならばなぜ意味のないところにわざわざ連れられたのか納得がいかない。
「いいから、入れ」
「ちょ、わかったわよ。だからお尻を膝こぞうでつつくな……」
しぶしぶ羽にされるがまま、更衣室のドアに手をかけた。カードを読み取ったドアが、鈍く解錠を知らせる。
「おじゃましまーす……」
「そこまででいい」
「え、でも中に入ってないじゃない」
「いいから、出てこい」
羽の指示するところは全くわからなかったが、またもしぶしぶと廊下へと戻った。
「……なるほど」
羽は髪の毛に埋まりながら、ひとりだけ何かに納得して、頷きを繰り返す。
「ちょっと、ひとりで納得すんな」
「仕方ない……」
羽はやっと理解を分け与える気になったのか、腕を組むと語りに入る姿勢を見せる。
「更衣室のドアは電子ロック。でも、スロットタイプじゃなくて、自動関知式。カードに入っているのは個人固有の情報のはずだけど、学校設備はロッカー以外にそこまでしなかった」
「ふむふむ……って、どういうこと?」
相づちを打っておきながら、理解を返さなかったため、羽に睨み上げられた。
「一筆のカードでもここのドアが開くってことは、逆もできるってこと。どこでも誰でも開く……女子っていうくらいの認識しかしないなら、当然だけど出入りのデータを残してるなんて手間はかけてない」
「え、じゃあ五組六組の人じゃなくても、あの更衣室には入れたってこと?」
今度はこくりと羽は頷く。だが羽の言うとおりならば、容疑者リストが全校女子生徒に広がる。一筆の濡れ衣は、やや乾くかもしれないが、それでは真犯人に近づくことが難しくなる。
「……ふりだしに戻るのマスに止まった感じだぁ……」
「……そうかな」
羽は落胆せず、逆に唇の端を緩めて見せた。くるりとターンして見せて、五組六組の更衣室の方へと歩き始める。
「普通に考えると、五組六組の更衣室だから、内部のほうがやりやすい」
羽は更衣室まで行かず、四組の前で止まった。そして小さな指を袖からにゅっと出して、後ろを指す。
「けど、実は外部の人もカードキーさえあれば誰でも犯行は可能だった」
「だから、それだと犯人の幅が広がるでしょって」
「問題はそれだ。そこで重要になってくるのは、姫たちが能力者であるということ」
「……どういうこと……」
つぶやいてみた。が、つぶやくまでもなく、羽が言いたいことはわかる。わかるが、認めたくもない。それはそういうことなのだ。
「きれい事にしようとしても無駄」
こういう時の羽は無情ともいえるほどに簡潔だった。
「きれい事にしようって気はないよ……羽が言いたいのは、能力がない人がってことでしょ。わかってるよ、そんなこと……」
羽はまた無情に頷いて返してくる。
クラウは百年以上かけてこの世界で「普通」で「当たり前」になった。だが、そこから生まれた能力者に関しては、まだそこまでに達していない。だから、そこかしこで小競り合いなどが存在する。それは隠そうとしても無駄なことで、絶対に存在する、人における死みたいなものだ。羽の言うようにきれい事にしようとすれば、それは変革における痛みという呼び方も出来るだろう。だが、それは明らかに「差別」と言えるものだった。
「そもそも、同じじゃないんだから、同じにはできない」
「そんなことない! 能力があってもなくても、恋して愛する気持ちは同じでしょ!」
「……気持ちはな」
羽は肯定してから押し黙る。一筆にとって、そこだけは誰にも譲れない。主張することは、青臭いことかもしれないが、真実でもあると信じているからだ。
「でも、今回はその線がある」
「……どうしてそう思うの?」
羽がここまで言うからには、それなりの理由があるはずだ。理不尽を絵に描いたような行為が代弁する性格をしていても、根の部分はしっかりと一本筋が通っている。
「……聞き込み続ける」
「そこまで言っといてお預けってどうなのよっ!」
肩すかしされて、廊下のリノリウムに転びそうになった。それを冷たく笑う羽は、ひとりで先に歩き出してしまう。
「ちょっと、どこ行くの」
「だから、聞き込み。床掃除してる暇あったら、ちゃっちゃと歩け」
羽のやる気がどこまでもつかわからないが、今はついて聞き込みを続けるしかない。
「手始めにここから行く。いけ一筆」
「なんで私!」
やる気を見せたと思ったら、即変わる。手始めと言って羽は目の前の四組のドアを開けはなった。
「ええと、誰かいますかー」
「いいから入れ!」
「きゃんっ!」
また後ろからお尻を蹴り上げられ、教室の中に転げ入る。
「きゃ、な、何?」
「あ、ど、どーもです」
中には数名の女子が固まって、部活はサボったのか談笑に励んでいた。そこに転がったままの低視線で懇願する一筆を置き、羽はずかずかとまるで自分の部屋にでも進むかのように、遠慮なく分け入っていく。
「聞きたいことがある。続きはこっちから」
「だから、振っといてそのまま、ぶん投げて知らん顔をするなっ!」
「えと……五組か六組の人?」
少女たちは赤いロングジャケットを見てそう聞いてくる。一般生徒のそれは、モスグリーンのロングジャケットだった。そこだけを見ても、羽の言うことは真理であるし、そもそも深雪野学園においても、能力者は能力者で固めたクラス構成になっている。心は同じでも、能力がある以上、一般の学問だけでは足りないものもあるのだ。そういうものの総称が「差別」と呼ばれるなら、どうしようもないのかもしれない。
「あ、うん。そうなんだけど、ちょっと聞きたいんだ」
「うん、何?」
また別の女子が返してくれる。
「六組の娘の体操服が更衣室からなくなったのって聞いてる?」
「ああ、知ってる知ってる。オートロックの更衣室の個人ロッカーから消えるなんて、怪談だよね」
まるで他人事だった。もちろん他人事ではあるが、そんな小さな事件は退屈な学園生活の放課後に振りかける一時のスパイス程度にしか扱われないのか。
「そうそう、ホラー。それに体操服でしょ、定番すぎるっての。あ、でも……」
ひとりの女子が、口を止めこちらをゆっくりと眺めてから、また続けた。
「ほら……能力とか使えばできなくもないんじゃない?」
小声でもなければ、声のトーンを変えた風もない。悪びれていないところは、逆に下心がないことを代弁しているのかもしれない。
「ちょっと、それは……」
それに指摘されたことは真理でもある。一筆自身、その可能性を考えなかったわけではない。
「それはない」
頭では違うとわかっていても、それを伝えるための言葉を探して、まごついている間に、羽は一歩出てまでそう言い切った。
「そ、そうなんだ……」
その姿に気圧されたのか、少女は口をつぐんでしまった。五組六組生徒全員の固有能力が何であるかを全て把握していて、可能性がないという自負があるほどの強さを小柄な中に光る大きな目に灯されては、一歩引いても仕方ない。もちろん、羽が生徒全部の能力を知り得ているということはないだろう。しかし、そうではないと言い切れる理由もある。それは自身が能力者であるという自負と、それを悪用しないという自信なのだ。能力者が能力を悪用すれば、それはすなわち自身の存在を貶めている事と同義なのだ。
「あ、じゃあ、あれじゃない?」
「あれって……あの、トリック何とかっていう噂?」
「トリック……?」
復唱してみせた瞬間、しまったという感情が少女たちの顔を埋め尽くした。
「トリックスター……」
少女たちの表情にかぶせるように、羽はつぶやいた。それを聞いた少女らの顔はさらに影を深めて、まるで口火を切るのを押しつけ合っているように、肩で肩をつつきあう光景が続いていた。
「えと、トリックスターって?」
「……うん……」
「話せ」
羽の短い、でも鋭い言葉が、鈍っていた感情を動かしたのか、少女のひとりは重い口を開いた。
「噂……なんだけどね、その……能力者の人たちをあんまりよく思ってない人たちがいるらしいの」
「で、その人たちは、影で色々やってるらしいんだけど、その団体? いや考え方なのかな……とにかくそういうみたいなのがトリックスターっていう名前なんだって」
「団体ってことは、複数いるの?」
「だから、あくまで噂であって、その名前が個人の名前なのか団体なのかとか、それもわからないの」
「私たちがそのトリックスターだってわけじゃないからね。本当だよ?」
「うんうん、そういうのはさ、さすがにヤバイじゃん……」
少女たちの感想はそういうものだった。知ってはいるが、知らない。まさに噂や都市伝説というにふさわしいものかもしれない。
「ふむぅ、おおまかだなぁ……ね、羽も」
羽を見た瞬間、不思議なところで言葉が切れてしまった。羽は何かを確信したように薄く笑って見せていたのだ。
「それだけ聞ければ十分」
羽はまたひとり納得して、背中を向けた。そしてそのまま全てを置き去りにするように教室から出て行こうとする。
「あ、ちょっと! トリックスターのこと言ったの私たちっての、誰にも内緒にしといてよ!」
お尻で聞いた最後の言葉はそういう、保身めいたものだった。噂レベルの話を誰かに伝えたからと言って、そこまで警戒しなければいけないことなのだろうか。
疑問に埋まった頭を抱えて、教室から出たところで、羽は律儀に待っていた。
「ちょっと、羽。あんたトリックスターっての知ってたの?」
先ほどのやりとりから推測して聞いてみる。そういえば、教室へ入る前から何かを考えて知っていた様子だった。
「そう。配下の者から名前だけは聞いていた」
「配下って、クラスの人でしょ……まぁいいけど、あの娘たちの話だと、そのトリックスターってのも、噂レベルなんでしょ?」
「そうとも言えない。だって、噂程度のことになぜ口止めを要求する?」
「それは確かに考えたけど……」
口ごもると、先ほど羽に言われた「きれい事にするな」という言葉が浮かんできた。
ある事について、百ある意見が全て肯定にならないように、例え能力者に開かれ、非能力者とのボーダーレスが図られた深雪野学園においても、それは同じなのだ。全てが白であるはずがない。
「トリックスターってのが本当に存在してるとして、なんで体操服とか上履きとか、そんなことするの?」
忌み嫌うというのなら、もっと激しい事件に発展していてもおかしくないはずだ。
「かわいそうな一筆。こういうのはじわじわチマチマやらないと効果がない」
「いや、こんなことでかわいそうとか言われてもね……」
今かわいそうなのは一筆ではなく、犯行の標的にされ、犯人が捕まっていない以上、今以上に連続するかもしれない犯行に晒されている藍留に違いない。それに心痛める広次のためにも、トリックスターが本当に関与していて、犯人なのかを突き止めなければならない。
だが、それにはまだまだ証拠が少なかった。
「そこで、重要なのが、実は藍留の私物ばかりが狙われているという点」
「へ? それが何で重要?」
「……かわいそう」
盛大に溜息混じりでそんなことを言われたら、ちょっとそこの開いている窓から飛んでみようかなとさえ思ってしまうだろう。
「恋に恋する一筆にはわかるはず。誰でも好きな人の私物が欲しいもの。手元に置きたいもの」
「た、確かにそうかも……広次君のあんなものやこんなもの、触れてみたいし撫でてみたいし、できれば吹いてみたい!」
「何を吹くかは聞かないでいてやる。けど、人を好きになるということは、純粋だけを煮詰めると、そういうものにもなる」
好きという相手を想う心は時として絶大な力になる。それは正方向でも負の方向でもだ。
「そっか……それでストーカーなのか……」
藍留の姿を見れば、少し好意を寄せよう者なら、その行動を把握したり、家を突き止めたり、私物が欲しくなったり、嗅いでみたり履いてみたりしたいと思ってしまうのは当然だ。
「ちなみに、今一筆が考えたことは、どれも当然の部類には入らない」
「だから、思考を読むな!」
能力でないのはわかっているが、それほどわかりやすく顔に表れているのだろうかと、頬や額を何度も撫でてみるが、一筆自身はそれを感じ取れるわけがなかった。
「ストーカーってことになると、相手は男か……」
「そうとも限らない。中には一筆のように目覚める者もいる」
「だから、私は違うっての!」
「女子なら、更衣室に入るのは簡単……と、思わせるのが作戦かもしれない」
羽はいかにも探偵な顔つきになっている。容姿からは幼女探偵などとあだ名がつきそうだった。その容姿とあだ名に反する切れ味鋭い推理をぜひともお願いしたい。
「けど、それも作戦かもしれない」
「どっちなのよ!」
期待が外れてしまった。羽は真実めいたものには近づいているのだろうが、これだというものはないようだった。
「でも、女子の協力者がいれば、更衣室に入るのは基本的に誰でも可能になったわけだ」
「そうなる。あとはロッカーの解錠だけ」
ロッカーはカードキーに記録されている個人番号が必要で、カードを差し込まないと解錠しない仕組みになっていて、寮室のカードロックと同じという、無駄に豪華な仕様だった。
実際に解錠する生徒にしてみれば、これは当たり前のセットメニューであり、更衣室に入れればその先も簡単であると思い込んでいる。だが、実際に他人がこれをしようと思うと、意外とハードルが高いなと、改めて思った。
「結局ロッカーを開けるには個人のカードキー情報が必要なんだったら、ドアだけ誰でも開けられて、更衣室に入れてもダメじゃない」
「うるさい……あ、そうか……」
推理の粗を指摘されて羽は眉間にしわを寄せるが、それがヒントになったのか、ぽんと手を打った。
「逆に考えればいい……ロッカーの解錠さえ出来れば、更衣室に入るのも同時にクリアしてるってこと」
「ああ……ということは?」
「……しつけが必要」
返事までして、思い至った部分が違っていたことに腹を立てたのか、羽は止めていた足を進め始めた。
「そういうことだったかっ!」
羽が進もうとした手前、更衣室のドアが勢いよく開かれ、中から寿々美が現れた。
「ちょっと、毎度突然すぎ!」
「すまんすまん。だが、今の推理から色々なことがわかった」
「ちょっと、寿々美さん、いきなり出て行かないでくださいよ。僕ひとりが女子更衣室から出てきたシーンを目撃されたら大変でしょう」
腕を組んだ寿々美の後ろから、にゅっと雪成も現れる。
「あんたらは、女子更衣室で何をしてたんだ……」
「察してやれ」
羽はいうが、寿々美は何も動じず、自分の話を再開する。
「一筆と羽が仕入れてきた情報を統合すると、この件にはトリックスターが関わってると見て、間違いない」
「そうですか……厄介ですね」
寿々美と雪成は勝手に話を進め、勝手に結論に到達している。
「ちょっと、トリックスターって噂か都市伝説かじゃないの?」
「残念ながら、真実だ」
廊下で対峙しているわずかな隙間を、生ぬるい風が抜けていく。寿々美の目は遠くの的を射るように鋭さを増していく。
「ここ深雪野学園は、能力者もそうでない者も混在する特異な学園だ。それは全ての生徒を生徒として尊重していることに違いない。だが、それが余計に摩擦を生んでしまうということもある」
きれい事ではない。寿々美までもそれは理解の上だった。人の上に立つということは、そういうことなのかもしれないが、真実を一番聞かされたくない人物から聞かされると、心にかかる負担も大きい。
「トリックスターは、個人ではありません。それ自体が誰か特定の人物を頂点にしている団体ではないんです」
雪成は視線を斜にして言葉を置くように話す。言葉はどこに置いているのか……間違いなく、今無知を曝し、それを認めようとしない者の前だった。
「ふむ……トリックスターは、平たく言えば、能力者を虐げてやろうという気持ちの集合体みたいなものだ。概念なんて呼ぶのがいいのかもしれんな。そういう目的を持ち、行動を起こした者を、この学園……だけではないだろうが、トリックスターと呼ぶのだ」
寿々美の説明はわかった。だが、それだと犯人は人ではなく、何かの意志になってしまう。存在していないものを紐で縛ることは出来ない。それを成せるのは、とんちの世界だ。
「でも、犯人はいる……」
「羽の言う通りだ。トリックスターだろうと何だろうと、既に思春期特有のイタズラの域を脱しようとしている。止めなければならん。透き通った純粋な思考を持つ者が、上履きや体操服を盗み、ゴミを机に入れるなどということは出来ぬ!」
寿々美は大きな胸をさらに張って、断固という意志を体で表す。
「でも、トリックスターが人の考えとかになっちゃったら、また容疑者増えちゃうじゃん……四方どころか、八方ふさがってるよ」
頭を抱えるように俯くと、目の前に羽の顔があった。その顔は至って平坦だった。怒りもなければ悲しみもない。だが、悩みを抱えた顔を見せ続けていると、それがわずかに変わっていった。
「大丈夫……見当はつけやすい」
「え、それって犯人の?」
「羽、やるじゃないか。もう目星はついてるのか?」
寿々美の質問に、羽は首を振る。
「これから、寮に帰って詰める。明日をお楽しみに……くふふ」
意味深く笑う羽は、ひとりで歩き始める。その背中はなぜか大きく威風堂々としていた。
「どうやら、待つしかないようだな。あとは頼んだぞ一筆」
行ってしまう羽を見送るように、寿々美はジャケットをひるがえすと、逆方向へ歩き出す。その後を雪成は一礼して続いた。つくづく礼儀に反しない人物だ。
残された一筆が取る行動は、遅まきに羽へと続くだけだ。
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