第3話 一文字目 第二画
第二画
結局、羽は先に寮へついていた。部活の話を問いただしてやろうと、一筆は隣室の生徒にドアの隙間から睨まれるまで、何度もチャイムを連打し、羽を呼び出したが、見事に無視された。
「ったく……私を何だと思ってるのよ」
「おもちゃ……」
「羽、あんた!」
そうして、やっと羽が話しかけてきたのは、昼休みになってからだった。周りの喧騒に紛れて、会話がどんな調子で続いていても、誰も気にとめない。昼休みという膨大なパワーを持ったカクテルパーティは常識を覆す。普段から鬱屈として勉強ばかりさせられているからだと考えるのは、人聞きがよくないが、勢いよく食堂へ走る者やパンを買いに行く者、弁当を広げる者を見ると、妙に納得してしまう。それぞれの席に座り、大人しく収まって授業をうけていた状態から、休み時間になり散らばり拡大していく様は、エントロピィの増大という盛大な言葉の誤用を説明するにぴったりかもしれない。
「で、人のランチタイムを割ってまで、何の用かな。昨日は散々無視しておいて」
「そうすれば一筆が忘れると思った」
「何を忘れるのよ。お弁当はちゃんと持って来たわよ。この家庭的な味が美味」
あむあむと大仰に食べて見せるが、実のところ冷凍食品をつめただけとは決して言えない。だが、今日も菓子パンをひとつ、余った袖をまくり上げても、なお長さがあっていない制服から出た指さきに持っている羽にはいい薬だろう。
「この前、ジグザグで冷凍食品買ってた」
ジグザグというのは、学校の近所にあるドラッグストアなのだが、徒歩で行ける近隣にスーパーがないため、ある程度の食料品生鮮品や日用品なども取り扱っている。まさに深雪野特需を一手に引き受けているスーパードラッグストアジグザグ。
「そ、そこで私が何を買っていようと、いいでしょ!」
「他にはお昼に言えないものも買ってた」
一瞬、自分が何をそんなに、はばかるものを買っただろうと考えてしまう。だが、そんなものはいくら考えても思いつかない。
「買ってない!」
「買ってた……T字カミソリ」
「うぐ……べ、別にそんなの恥ずかしくないもーん」
羽は暇人なのか、ストーカなのかわからなくなってきた。
「何に使うんだか」
「もういいでしょ、その話は! 存分デリケートな話だよっ!」
予期せず、昼にはできない話になってしまって悔しい。話が飛びすぎて、一体初めに何のことについて語っていたか、瞬時に思い出せなくなっていた。
「ええと、何だっけ……」
「姫の好きなおかずはレンコンの挟み揚げ」
「はいはい、んじゃ一個あげるから」
許可を出した途端に、目にもとまらぬ早さで、二個あったレンコンの挟み揚げが消えた。
「ちょっと、一個って言ったでしょ! 私も好きなのにぃ……うぐぐ」
「ひゃからひゃべた」
もぐもぐと小さな口を動かしながら、羽は満悦だった。頬を大きくふくらませて食べる姿はハムスターの類に愛らしさが似ている。
「おぉ、姫はレンコンの挟み揚げがお好きらしいぞ!」
別の方向から、なぜか声が方々からあがる。その主は自称天原親衛隊という、羽の容姿と振る舞いでついた、ファンみたいなクラスメイトだ。
「いいわねぇあんたは……」
「まぁ姫だし。貢ぎたくなったり、あがめたくなったりは仕方ない」
羽の自信たっぷりな態度に嘆息を返す。ぞんざいで横暴な振る舞いに見えることも多いのだが、なぜか男子にも女子にも敵は少ない。
そこはこの羽の容姿――綿菓子を広げたようなゆるいウェーブのロングヘア、所々にキャンディチップのごとく散る小さなリボン。そしてその髪が全てを包み込んでしまうような華奢で小さな体躯――それらのなせる技なのかと思う。
能力者の証、濃い紅のロングジャケットが高貴に映える……とはいえ、このクラスは全員が能力者なので、特にそれ自体は珍しくない。だが、羽はその体にあうジャケットがなく、大きめのものを無理に着ている。そのため、本来ジャケットの裾から少し見えるはずのスカートの裾が全く見えない。傍目にはジャケットしか着ていないようにさえ受け取れる。そして袖は手の指先がみえるかみえないかのチラリズム。まさにワンピース状態なのだ。
「実は履いてない」
「だから、心を読むなっ!」
「読んだのは心じゃない。人をじろじろ見てるから、そこから考えて、一筆が欲しがっているものを選んだだけ」
「それがいつもいつもビンゴってどうなのよ」
「それは一筆が単純……まっすぐなだけ」
「言い直してもだめだっ! 今言ったよね、私が単純だって! 単純バカだって!」
一筆は自身がいいように手玉にとられ、周囲の笑い者になることで、羽の存在を高めているとしか思えない。実際、一部始終を観覧している者たちは、一様に羽の姿ばかり見ている。
こうして姫は姫になっていくのかと感心する。同時に周りが能力者という「差」のない者たちの中でだけということではなく、羽はこうして、全ての人間に愛されることを実践していた。誰が相手でも、羽が貧乏くじを引いている姿を見たことがない。
「姫、では僕のピーマンの肉詰めなどいかがでしょう?」
「うん、大好き」
「天原さんってほんとかわいいよねぇ。これ私が焼いたクッキーだけど食べてみる?」
「うん、食べる!」
ほほえましいやりとりが回る。
「まったく、キャラ変わってるの見え見えなのに、なんでみんな受け入れちゃうんだろ……」
嘘でもかわいいは正義なのだろうかと、羽に比べたら、大柄ガサツと、幾分とかわいいという成分が欠落している、窓に映る少女を一筆はじっと見つめた。
「ほら、一筆にもお裾分け」
「お、大漁!」
現金なものだと思うが、目の前のおかずやお菓子の山には敵わない。
「食べるのはいいけど、姫に一礼してから」
「その黒い表情はみんな見てみないフリなのかね……」
「ほれ、早く」
「うう……頂きます姫……」
「うむ」
それでも仕方なく、一礼してからレンコンの挟み揚げの仇と言わんばかりに、口へ放り込んでいった。寮生活をしていると、なかなか家庭の味にはありつけない。全寮制というわけではないが、自宅から通っている生徒は少数なので、頂き物の中に、冷凍食品ではないものが混じっていると、つい頬がほころぶ。
「その食べたカロリーが全部、隠しおっぱいに行く」
「ちょ、何を言い出すっ!」
「みんなには隠せても、姫にはお見通し」
クッキーを持っていた指さきが、瞬時に胸元へと伸び、そのままふにょんと触れてきた。
「あ、ん、ちょ……何するのよ!」
「これがこれが……」
抵抗しようとするが、羽は手の動きを止めない。抵抗する意志を見せると、余計に卑猥に指は動く。
「ちょっと、ダメだって、ば……」
「ふぅ、食後の運動終了。今日もいい柔らかさであった」
「エロオヤジかあんたは! そっちの趣味はないとか言ってたくせに!」
「やわらかいものは存外好き」
布の足りすぎた袖の中から指がこちょこちょと動いている。勝手にもほどがあるが、一筆は見方を変えて、こういう羽が自分の前だけだと考えると、少しは落着くし、友達という特別を感じるのだ。
「ま、まぁいいわ……おかずやお菓子いっぱいもらえたし」
様々なおかずやお菓子に満足し、口元をティッシュで拭き取り、昼食を終えようとしていた。
『あーあー、お昼の放送ではないが、緊急連絡だ』
昼休みの雑踏と、心地よい満腹感に生ぬるい風が揺らす、頬にかかる髪の質感を味わっていた時間を破り、校内放送が響いた。
「連絡ねぇ。何だろう」
まるきり人ごとで済ませるつもりだった。校内放送のお世話になることなど、一筆はしているつもりがなかったからだ。
『一年五組、街ノ田一筆。並びに天原羽。至急生徒会室まで来るように。繰り返すのも面倒だから、今すぐ来ないと生徒会長の名をもって処罰する、いいなっ五分で来い、五分でっ!』
声は最後、連絡事項とはかけ離れた内容を付け加え、まるでマイクを叩きつけるように乱暴な音で締めくくられた。
「五分って、そんな横暴な……」
「でも行くしかない」
「わかったわよ……」
仕方なく、教室を出て生徒会室へと、羽と連れだった。
昼休みの雑踏は、どこへ行ってもそれを緩めてはいない。むしろ、教室という隔離された空間を出ると、一層に自由になる。中庭には談笑したり、ボールで遊んでいる元気な生徒もいる。木陰では、愛など語り合っている生徒もいるかもしれない。
そう考えると、なぜ自分たちだけが生徒会室に呼び出しをくらい、しかも五分でなどという理不尽なおまけまでつけられなければいけないのかと、顔をしかめたくなる。職員室というならまだ納得もできるが、なぜ生徒会室なのだろうというもっともな疑問もある。
「着いた」
そんな道程だったが、広い校内の割に、すんなりと生徒会室に到着してしまった。
なんていうことはない。自分たち一年生の教室が一組から六組まで並ぶ二階。その同じ棟の四階に生徒会室があるのだ。階段まで廊下を進めば、あとはそれを上るだけで到着する。五分というのは、実に理に適った制限時間だった。
「いや、それでも、階段上ること考えたらやっとでしょ……」
「しかも、食べたばかり」
苦しいなどの感情を表に出さない羽も、頬に汗で綿菓子の髪をしけらせている。
だが、この階の上はすぐに屋上で、ここまで上ってくると、昼休みの雑踏も遥か下になり、風や季節の音が世界を占めて、それらをゆっくりと感じることができる。
「いい風……」
自分の教室で感じている風と同じものなのかというほど、心地よく冷えた風が汗ばんだ頬を撫でる。階下に吹く風は、人の熱気に当てられているから生ぬるく、それは季節のせいではないと考えさせられる。
「見下ろすことは、姫の特権」
「……ぶちこわしね、色々……」
大きな嘆息をよそに、羽は小さな背を精一杯に伸ばして、階下に暮らす生徒たちを見ている。その傍ら、耳をかすめて通り過ぎていく風と少し違うものが、音に混じっているような気がした。
「そい、そい、そい……」
「そいそい? 羽、何変なかけ声出して、お祭りでも始める気?」
「姫じゃない。後ろ」
言われて、振り返って我に返る。そしてここに来た目的を思い出した。
が、思い出した時が一瞬遅かった。
「遅いっ!」
怒号と表現するにふさわしい声と共に、真後ろのドアが外れて、飛んでいってしまうほどの勢いでドアが開かれた。びしゃんと豪快な音がして、ずどんとたたらを踏む足音を響かせて、開かれたドアから人が出てくる。
「遅い、遅い、遅い! 五分に加えて三十秒もおまけしてやったのに、何たる愚行!」
突然背後から現れた人影は、とりあえず暴言を吐いて罵ってくる。
「愚行って、ちょっと風に当たってただけ……って、あれ?」
生徒会役員しか着ることを許されない漆黒のロングジャケットに、伸ばしっぱなしを無理やりポニーテールにまとめたような髪。そこについている顔には見覚えがあった。
「あれ、寿々美……?」
「いかにも生徒会長の会長寿々美(えながすすみ)だ、街ノ田一筆に天原羽」
寿々美はよそよそしくするが、同じ小学校出身で、しかもよくつるんでいた人物である。ただし、一筆や羽より年上だ。
「久しぶり」
「そうだな。四、五年になるか。まさかこんなところで再会するとはな」
懐かしいが、その懐かしさを壊してしまったのは寿々美のあの怒号だった。
「久しぶりなのに、あの言い方は酷いじゃない」
「それは仕方ない。あたしがお前たちをここへ呼んだのは、生徒会長としてだ。懐かしい友人を招くなら、それ相応のやり方でやる」
腕を組んで、びしりと地面に足を肩幅でひらいて立っている姿は、アルファベットのAのようだった。何事にも動じず、恥じない。そんな心情を姿がもっともよく表していた。
「寿々美さん、お二人が来たなら、中でお話してはいかがですか?」
生徒会室の中から、見かねたように、すらりというより、ぬぼーっとした長身の男子が出てきた。彼もまた、生徒会役員の証である黒いロングジャケットを着ている。
「ふむ雪成(ゆきなり)。ではそうするか。二人とも入って来い」
「お二人、こちらへどうぞ」
雪成と寿々美に呼ばれた男子は、丁寧に腰を折ると、生徒会室に入るようにと招いた。
「わかった」
「ったく、腑には落ちないんだからねっ」
爽やかな風を失った腹いせに、憎まれ口を叩きながらも生徒会室へと入った。
生徒会室の中は薄暗く、見上げると蛍光灯も四本の内、一本が切れたままだった。整頓されているとは言い難く、何か正体がわからないものが累々としていて、生徒会室というよりは、雑品の倉庫のようだった。角さえ揃えられていない長机にパイプ椅子がこれまた乱暴に並べられているだけだった。
だが、不思議と空気が濁っているような感覚はなく、ほのかに芳しい。隣の羽を見ると同様に鼻先をくんくんと動かして、匂いの元を探そうとしていた。詳細を追っていくと、納得の結論が出た。開けられた窓の前に寿々美が立っていたのだ。傍若無人で男勝りな言動だが、その姿形は美人と称するのがもっともふさわしい。目算、一七〇センチを越そうかという身長に、ジャケット越しにもありえない膨らみをたたえる胸と、モデルですら羨望するようなスタイルをしている。その寿々美から芳香が漂っていたとして、疑問に思うことすら馬鹿げている。
「ぼーっとせず、部屋に入ったら、ちゃんとドアを閉めろ一筆」
「わかったわよ……って、おもっ、これ、閉まらない!」
うんとふんと、かけ声をかけて動かそうとしても、開ききったドアはびくとも動かなかった。
「ああ、仕方ないですね。さっき寿々美さんが思い切り開けたからですよ」
いつものことですと言いたげな表情を変えないまま、雪成は片手でドアをするりと閉めて見せた。
「ばかぢから」
「ええ、よく言われます。ですけど、コツもあるんですよ」
にこりと羽に笑顔を投げて、一礼する。初見で地面より天井のほうが近い長身だとわかる体つきをしているのに、頭をさげると、一回りも二回りも小さく見えてしまう。
「申し遅れました。僕は二年四組の宮元下(みやもとのした)雪成です。生徒会では副会長と書記を兼任しています。お二人は寿々美さんと顔見知りみたいですね」
「幼なじみ」
羽は即答えるが、返す挨拶も保留し、押し黙ったまま考え込む。
「うーん……」
上から下へと何度も視線を巡らせ、自分への問いかけをはじめる。
「……ない」
「何がないんだ?」
寿々美はその様が不思議で仕方ないようで、身を乗り出してくる。
「ないって言うのは、もちろん私が宮元下先輩のことを好きになるかどうかって話よ」
「はは……それで出た答えがないってわけですね……さすが寿々美さんの幼なじみ」
「さすがとはとはどういう意味だ、この痴れ者がっ!」
「まぁまぁいいじゃない。それにしてもすごい力ですね。それってもしかして能力ですか?」
「いえいえ、僕のは……」
「雪成の取り柄は、その能力者でもないのに、常人離れした馬鹿力くらいだ、そこは褒めていいぞ」
「失礼ですね、僕にも色々取り柄はありますよ……」
雪成は寿々美の言いようにちょっと反論したくなったのか、自分の誇れる部分を空で探しているようだった。時間にして数秒、諦めたのか雪成は再びにっこりと笑った。
「笑ってごまかすな、この歌舞伎者!」
寿々美は言って、どかりとパイプ椅子の上にあぐらをかいて座った。ごく自然に下着が見えている。短いスカートであぐらなどかけば当然と言えば当然だ。ロングジャケットの裾も役を欠いている。
「寿々美さん、その格好は……色々見えてますよ」
「変わんないなぁ。昔っからパンツ丸見えだったよね」
懐かしくあるが、あまりに変わってないのも困りものだ。
「別に構わん。これを見て喜ぶ者も、ここには雪成くらいだ」
「だから、構うんでしょうに」
「見せたがり」
羽も呆れた感想を告げ、同じように溜息をぶつける。だが、寿々美はそんな事を気にもせず、事務的なような真剣なような、何とも言えない顔をして言う。
「なんだ、雪成は見たいのか。見ても構わんが、その場合は感想文の提出を必須とする。四百字以内で詳細に記してこい」
「書記だからって、無理ですよ寿々美さん……」
「書記だからこそ、何を目にしても、それを事実的にとらえ、事務的に記すという力が必要なのだ。公平であることをなめるなよ、雪成!」
言われて雪成はそれこそ困ったように、うなだれた。それでも見ていないと否定しないところを見ると、寿々美のチェックパンツをしっかりと見ているのだろう。
「どんなエロ小説書かせる気よ、しかも四百字なのに詳細とか……ホント変わってないね」
「当たり前だ。残念だが人という生き物は、いい意味でも悪い意味でも、数年でがらりと変わると言うことは滅多にない。そのかすかな変化の可能性は三十には終了するが、あたしはもう無理だ。あたしはどこまでいってもあたしだ」
「確かにそうかもだけど、小学生の時の羞恥心と高校生の羞恥心は違うんじゃないの?」
「そうかな……じゃあ一筆は小学生の時から、何かが劇的に変わったのか? 変わらず恋してはフラれているのだろう? 小学校記録では、私が知る限り十八連敗だったはずだが」
「寿々美が卒業してから、プラス五人で二十三連敗」
「そりゃまた、大記録だな!」
「誰も抜けない」
「これはすでに高校五連敗ということは、記録更新も夢ではないな!」
「うぐ……っていうか、何で高校に入ってのことまで知ってるのよ!」
「私は生徒会長だぞ。生徒のことは何でも知っている」
がははと寿々美は高笑いをひとしきり続けてから、息を整えた。それにつられて、周囲の空気も徐々に冷えていく感覚に包まれる。
「……さて、昼休みも残り少なくなって、本題だ」
寿々美は生徒会長としての落着いた、冷たいとも思える視線で刺してくる。
「本題って、私たちをここへ呼んだ理由ってやつ?」
「ああそうだ。単刀直入に言うが、お前たちはなぜ部活をさっさと決めなかった。まだ部活に入ってないのは、一組から四組の通常クラス、五組六組の能力者クラスあわせ全一年生の中で、二名だけだぞ、街ノ田一筆に天原羽!」
幼なじみの親しみが一切消えた指が、びしりと指し射貫く。
「なんでって……特に入りたい部活ないし、私的にはその時間を恋に使いたいというかぁ」
「お前が恋に使おうとしている時間は、この学校の生徒なら、みんな部活をしている時間だ」
「うぐ……」
「ぐうの音も出ない」
「羽はなぜ入らん。一筆をうまいこと部活に入れることなぞ、容易だろう」
「姫は面白ければそれでいい」
羽は問い詰められているという緊迫感というような、切羽詰まっているところが一切ない。
「面白いか……確かにそれは重要だな」
なぜ羽の一言で押し黙るのかわからないが、寿々美はうーんと唸ると、右と左の足を入れ替えてあぐらをかきなおし、流麗なラインのあご先を親指と人差し指でつまんで考えはじめる。
静寂と化した生徒会室に時計の秒針が進む音だけが響く。それもつかの間、寿々美は意を決したように、唇を動かした。
「ふむ、仕方ない。あまり強制はしたくなかったのだが、お前たちにその意志がないのなら……超書道部へ行け」
「超書道部?」
「ああ。知っているだろうが、羽の能力は程度の違いがあれど、割と高い頻度で発現し、同じような能力者が多数いる。一方でレアとも言えるのが、一筆の能力だ」
「割と高い頻度と言っても、能力者の多い我が校でも、天原さんと同じ能力の方は五名程度ですがね……」
慌てて補足する雪成を寿々美はキッと睨んだ。しかし雪成が補足したのは、羽についての能力に対してだけだ。
「私の能力って、そんなにレアだったのか」
「使い所ないから」
羽は言うだけ言って、すっと視線を外した。
「過去には何名かいて、部として機能していたのだがな。今年の新入生に一筆の能力と同じものを有している者が一名だけいてな、どうしても部の再興を目指すというのだ。そして、超書道という競技は、一筆と羽の能力を合わせなければ成立しないものなのだ」
「だから?」
ふたつの能力が必要だということは理解したが、なぜそこから超書道部へ行かなければいけないかという答えにつながらない。
「だからとはなんだ。一筆にはやりたい部活もない、羽は面白いということを優先している。ならば、これ以外に答えはない。四の五の言わず、放課後は超書道部の部室へ行け! 本来なら、担任から厳重注意が行くところを、あたしが代替わりしたんだぞ」
寿々美は断言して、胸の前で腕を組んだ。組んだ腕から窮屈そうに胸があふれている。寿々美だけでなく、その胸にも責められている気分になってしまう。
「それ、面白い?」
羽は興味があるのか、脇から一歩進んで寿々美に問う。
「ああ、おそらく羽が望んでいるものは手に入るはずだ。もしかしたら、一筆が望んでいるものも、おまけでついてくる……」
「ええ! 私が恋する、恋してもいいような人がそこにいるのね! それを早くいいなさいよぉ、寿々美も人が悪いなぁ!」
一筆は瞬きのように、目の色が瞬時に変わることが自覚できた。消沈していた気持ちは上向き、心音が勝手に早まっていく。こうなったらもう止まらないことをよくわかっていた。
「あ、いや……」
何か寿々美が言いかけたことも無視して心の躍動は、長距離走のアップを終え、中距離走から短距離走の鋭い息づかいに変わっていた。
「いい、皆まで言うな……くふふ」
羽の言い様や表情も気にならない。
「そうなったら、こんなとこでダラダラ昼休みしてる場合じゃないわ!」
勢いよく踵を返すと、羽の背中を掴み引っ張る。
「さっさと教室行って、ぱぱっと五限六限ぶっ飛ばして、放課後に突入よ!」
「一筆の時間だけ勝手に進むわけない」
「あ、ちょっとこら待て、大事がまだだっ!」
寿々美が何か言ったかもしれないが、そんなことはどうでもいいと、軽やかに廊下へ飛び出す。片手に羽を掴んでいるが、そんな重ささえ気にする必要はない。
優しく吹いていた風を巻き返し、突風に変えて廊下を突き進む。階段を一段飛ばしに駆け下りて、一年六組の前を通り過ぎていく。
「ちょっと待て」
掴んでいる羽が、五組の教室の前でこぼす。
「何よ、早く中に入って五時限目はじめるんだから」
足を止めると羽はとことこと、通り過ぎた六組へと戻り二、三度教室の中を覗くそぶりを見せて帰ってきた。
「何してきたの……何か気になることでもあったの?」
「特に……思い違い」
答えを隠しているようには見えず、羽はそのまま先に自分の教室へと消えた。
「何なのよ、もう」
仕方なく教室へと入ったが、当然のように昼休みはまだ続いていて、五時限目も定刻通りからしか始まらなかった。
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